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Asgard  作者: 橘花
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12.方針

 12.Offertrium



(この私が本能的に恐怖するだなんて…………)



 ——有り得ない。

 ルミナスはかぶりを振った。


 八星将たる者恐怖される事はあってもその逆はない。

 答えは単純且つ明解で、自分より強い者に遭った事が無いからだ。


 総ての魔の頂点に君臨する『魔王』。

 それに唯一打ち勝つ可能性を秘める『勇者』。

 この両名を除けば『八星将』という存在は、世界最高にして最大級の武力を持つ。

 それは自意識過剰の自惚れや驕りではない。

 今までの経験上、自分達・・・より強い者に出逢った事がないからだ。



「……くっ…………」



 認めたくは無いが、今でもあの瞬間を思い出すと背筋に寒気が走り、身体は強張り動悸が激しくなる。もう二度とあの場には居たくない。

 あの時、あの得体のしれない獣人みたいなナニカから感じた殺意は、この世の者とは思えない別次元のモノだった。

 一歩一歩此方に向かってくるアレを前に、自分でも驚く程素直にこう思った。

 生きたい、と。



「…………」



 齢十六という若さで八星将になったルミナスは、ふと、昔の事を思い出していた。



 化物。

 何度そう呼ばれた事か。


 幼い頃から自分には強い魔力が宿っていた。

 生まれつき人より魔力が多い故、まだ小さい頃は周囲の大人達から『あの子は天才だ』『神童だ』など、持てはやされていた。

 気分が良かった。

 ただ、息をするように力を見せるだけで見ず知らずの他人からも褒め千切られるその感覚は、絶頂にも似た快感エクスタシーがあったのだ。

 調子に乗り次々と新しい魔術を習得し、それを惜しげも無く披露した時の、両親の引きつった笑みに気付いていればまた未来は違ったかも知れない 。

 成長する度に無尽蔵に増加する魔力と異質な力を前に、大人達は避けるように距離を置き、陰口を叩く様になる。

 そして、ある日決定的な事が起きた。


 ——見えるようになったのだ。


 それに気付いたのは丁度12歳の誕生日だった。

 眼に魔力を通せば既視感にも似た感覚で、この先何が起きるか、あるいは他人の心まで覗き見れる様になったのだ。


『化物』『近寄るな』『あっちへ行け』。

 様々な罵詈雑言ばりぞうごんや本能レベルでの怯えを聞く内に、ルミナスはこの数多の人間達が自分とは全く異なった生物だという事に気付く。


 ——羸弱るいじゃく


 正にその一言に尽きる。

 生まれ持った土台から『違う』生物的レベルでの懸隔。

 これもまた驕りではなくただ只管に事実だった。

 そう考えると人間達が自分に恐れを抱いても当然かと思えた。その時期から人間の事はあまり気にしなくなった。


 そしてルミナスは家を、故郷を捨て若干十二歳にして放浪の旅に出ることを決意したのであった。



(これが私が感じる事が出来なかった他者への恐怖……これが『違う』という事なのかしら……?)


 それでも、とルミナスは思う。



(あの厄災級のレベルに対処する方法は私達の他にない……もっと修行しなければ)


 それでも尚、ルミナスは立ち止まらない。

 如何に今現在圧倒的な力の差のある化物が相手でも、自分はまだ伸び代があると知っているからだ。

 今は無理でも未来は判らない。

 その一点にルミナスは掛けていた。

 無論、相手にもその可能性がある訳だが。


 実際の所、ルミナスの馬鹿げた成長はまだ止まっていない。

 今現在彼女のLevelは112。

 齢十六と四月。

 年齢から考えても、実力からしてもまだまだ日々成長して行くだろう。



 ——今はまだ知るところではないが後に、幸運にも彼女が生き残った事は人間側にとってのアドバンテージとなる。



「こんな時間に……誰かしら?」



 思考の海に沈んでいたルミナスの耳に、玄関がノックされる音が聞こえた。

 ゴンゴン、と鈍い音が二回、少し強めに叩かれた。

 その音の主は誰なのか、だいたい彼女には見当がついている。

 自分の居場所を知っている者、且つ気安く自分を訪ねてくるのは彼奴あいつらしかいないのだ。



「…………んっ」



 ルミナスは右眼に魔力を流し込む。

 そして扉の外を千里眼で見ようとするが————見えない。


 予想通りだ。



「やはり貴方ね……”キース”」



 扉を開けると其処にいたのは隻眼の男。

 短い茶色の短髪に、顎髭を蓄えた精巧な顔付きは年齢の割に非常に若く見える。

 右眉から頬に掛けて一筋の剣傷が刻まれているのも、彼という人を演出するアクセントに為っている。

 そして訝しげな面持ちで開口一番ルミナスに告げた。



「おう。何だってお前ションベン漏らして泣いて帰ってきたんだってな。お見舞いだ」



 茶色の瞳で真っ直ぐとルミナスを見つめながらキースは彼女の頭を乱暴に撫でた。



「なっ!?やめて下さる?!……それにそんな醜態晒してないわ!!!」



 手を払いのけ、顔を赤らめながらルミナスは反論する。

 世界広しと言えど、彼女にこんなぞんざいな扱いができる男は彼くらいかもしれない。



「ははっ、冗談だ」



 尚もからかうような軽い口調でキースは言った。

 だがその言葉に悪意は微塵もなく、ただ純粋に親しさの込められた台詞だった。



(まったく、いつも私を子供扱いして……)


 と、思うルミナスも決して口には出さないが、内心それも悪くはないと思っていた。

 この男と一緒にいると何と無く心地よいのだ。

 物心つく時には既に周りの大人や両親と距離間のあったルミナスだからこそ、自分と対等・・な距離で接してくれる人間に居心地の良さを感じているのかもしれない。

 若しくは別の理由か……。

 それは本人にしか判らない事だった。



「だが————負けたんだろ?」



 先程の軽い口調とは異なり真剣な表情でキースは言う。



「ええ。そうよ」



 ルミナスは重々しくもはっきりと呟いた。



「敵はどんな奴だ?」


「猫の獣人、外見はね。あと……あまり憶えてないけれど、金髪の虹色の翼が生えた女もいた気がするわ。そっちはもしかしたら悪魔かも知れないわ」


「全部で何人だ?」


「二人……いや、三人かも。最後の悪魔を入れたら四人よ。勿論それで全部とは限らない」



 ルミナスは自分で口に出し改めて脅威を感じた。

 仮にあのレベルの化物が四人もいれば、小国一国程度平気で潰せるだろう。

 それ程にまであの獣人バケモノは圧倒的な力を持っていたのだ。



「そうか悪魔か。……で、俺より強そうだったか?」



 ある種の希望を孕んでキースは問い掛ける。

 その表情には明らかな喜色が浮かび上がっていた。



(はぁ……始まった。このバトルマニアな所と時々下品な事を口走るのを直してくれたら良いのに)


 ルミナスはまたこの男の悪い癖が出たと溜息を吐いた。


 自分と同じく八星将の内の一人、キースは生粋のバトルマニアだ。

 強い奴がいればそれが国王だって勇者だって関係なく喧嘩を売りに行くような男なのだ。

 キースは派手な魔法や強い妖力、精神力を行使する術類が一切使えない。

 それは自身で使用を制限してる訳でも、能力を隠している訳でもなく、ただ純粋に才能がないのだ。

 完全に己の鍛え上げた肉体のみの強さ。

 それだけで彼は長年八星将という偉大な地位に君臨し続けて来た。


 そんな彼を人は——”超人デミゴッド”と呼ぶ。



「……多分貴方よりね」



 この言葉は言いたくなかった。

 言いたくなかったが、一切の誇張や脚色無しでルミナスは淡々と告げた。


 ルミナスとて実力者だが、自分と同程度、それ以上に強い者の能力など感覚的にしか測れない。

 しかし、キースとあの獣人バケモノには決定的な違いが有るのだ。



「”アレ”は人の形をしてるけどじゃないわ。……只のよ?」



 そう。

 が人間のソレとはまるで違う。


 ”人”と”獣”という決定的な違い。

 其処には一切の遠慮や配慮もなく、ただ目の前の敵を殺すだけの本能で動く獣。

 アレの眼を見た時、ルミナスはそう感じ恐怖した。

 人間には無い底知れぬ何かを感じたのだ。

 アレは自分とはまるで違う意味で決定的に『人間』離れした化物。

 超人デミゴッドと謳われたキースでさえ勝てる保証は何処にもないのだ。


 自分より強い、そのルミナスの言葉を聞いたキースは思わず口角を吊り上げる。



「はっ面白ぇ……こんな田舎まできた甲斐があったな。あ、勿論お前の様子を見に来たかったのも有るぞ」


「…………」



 しかし、ルミナスは彼を止めない。


 どうせ自分が止めても勝手に行くと判っているからだ。



「私でも視えなかったわ」


「ああ、だからこそ楽しみだ」



 永遠に強さを求め続ける男は、その身が朽ちるまで止まらない。



「これだけは約束して……死なないで」



 ルミナスは懇願するように言った。


 そんな彼女の前でキースは小さく笑い飛ばした。



「はっ。俺が負けると思ってんのか? 」


「誰も一対一の話はしてないわ。少なくとも奴らは3人いるのよ?……それに一度引いてから音沙汰が全くない。不安要素が多すぎる」



 彼女とてキースの負ける姿ビジョンは想像もつかない。


 しかし懸念する点は幾つかあるのだ。

 一つは敵の数。

 仮にあの自分より遥かに強い化物おんなレベルの猛者が十人も居たとしたら?

 それは一国と戦争すら充分に出来る戦力になるだろう。

 若しくはそれ以上の数、或いはアレが只の末端レベルの兵士だったとしたら?



(いいえ。有り得るわけないわ。そんな事有り得るならとっくにこの世界はもう……)


 この考えはルミナスの二つ目の懸念に直結する。


 ——奴らは今迄何処にいたのか?何故このタイミングで現れたのか?


 急、と言って良いほど前兆も無く突如猛威を奮った謎の集団。

 それ等の目的や行動理念が全く読め無いのだ。

 ただ暴れただけ。そう印象付けられていた。



(しかも、なんで奴らは引いていったのか。それも謎だわ)


 とは思うもルミナスも、奴らに組織ばったものが存在するのではないかと当たりをつけていた。

 あの最後に見た金髪の悪魔は伝令で、何らかの理由で連れ戻しにきたと考えるのが妥当だろう。



(圧倒的な実力の化物とその仲間の悪魔…………)



「——ッ!まさか!?」


「『魔王』か?……それはない。第一まだ復活しちゃいねぇ」



 ルミナスの言葉をキースが遮る。

 彼女の頭を一瞬過ったのは、克つて、大陸中を恐怖の底に陥れた絶対悪の軍団、魔王とその軍勢だった。

 その盟主である魔王の強さは計り知れず、勇者以外は対抗出来無い程とされている。



「でも、『白の魔王』が出たって……」



 そう、あの惨劇の生き残りの話では魔王が復活したと囁かれていたのだ。



「そんなもん敵の一人が偶々白かっただけじゃねえのか。魔王が復活してたらあんだけの被害で済んでるなんて有り得ねぇだろ」


「確かにそうだけど」



 だが、確かにキースの言う事は正論だった。

 仮に魔王が復活したならば高々街の半壊程度で済む筈がないのだ。

 しかし、ルミナスは妙な胸騒ぎがしていた。

 この件にはこれ以上関わらない方がいい、そう彼女の第六感は告げていたのである。


 まあいい、とキースは軽く咳払いして続ける。



「兎も角俺は少し味見してくるぜ。……お前が歯も立たない相手だったら少なくともハズレではないだろうしな」


「や、やめなさい!」



 キースは一息で言い終えるともう一度ルミナスの頭を雑に撫でた。

 そして、踵を返し部屋を出て行った。



(私も早く強くならないといけないわね。貴方の背中を任せられるぐらいに……)


 再び一人になった室内でルミナスは静かに決意した。



 ▼▼▼



 広大な面積を誇るアインザッツ城の一室—通称『王座の間』。

 大理石の敷き詰められた豪華な部屋には沈黙が流れていた。

 その中央に位置する巨大な木板の円卓に空席はない。

 アインザッツが誇る、『黒円卓議会第12席』全員が席に着き待っていたのだ。

 彼らが主の言葉を。



「よし。ではこれより会議を始める」



 円卓より少し離れた所に位置する一際ひときわ豪華な王座ではなく、黒円卓議会の面々同様円卓に同じ様に腰掛ける男が声を放った。



 ”恐竜人間ドラコノイド、カルシファー=アインザッツ”



 黒円卓議会の頂点トップにしてアインザッツ城主の彼は、顔の半面をレザーマスクで覆っている。

 そして隻腕。

 例の一件が与えた損害は今も尚、痛々しい爪痕を彼に残していた。



「先ず最初に断わっておくが、人間達を必要以上に殺さぬ事だ」


「————!?」



 本題の開口一番、カルシファーがそう言うや否や場の空気が明らかに変わった。


 今もまだ完調していないのにも関わらず、まるで人間を擁護するかの様なカルシファーの言い分に、円卓に着く物はみな表情をしかめる。

 何か物言いたげに身体を少し動かす者もいるが、まだ発言は許されていない。



「いや……無駄に殺すなと言っただけだ。彼等が我々の邪魔をするなら、障害になるのなら幾ら殺したって構わない。流石に俺も今回の件を流す様な深い度量は持ち合わせていない」



 カルシファーはそこで言葉を一度切り、更に続ける。



「今、この場をもって、アインザッツは『人間ヒューマン』とは完全な敵対を宣言する」



 堂々と王座の間に響いたのは完全に今後一切人間とは相入る事の無いという敵対宣言。

 その布告に円卓に座る者の反応は様々であった。

 口元に笑みを浮かべる者、ただ静かに腕組み眼を瞑る者、表情には出さず主に次の言葉を待つ者、どう嬲り殺そうか思惟を巡らせる者。

 しかしその全てが共通して、人間に対し明確な敵意を持っているのは確かだった。



「発言を許可しよう。具体的な方針は後で話すが、何か今の段階で異のある者は?」


「……ご主人様。一つ宜しいでしょうか?」



 即座に発言を求めたのは燕尾服のよく似合う老紳士、もとい吸血鬼”アガリアレプト”。

 カルシファーは彼に頷き先を促す。



「何故人間達を全て排除しないのでしょうか?」



 アガリアレプトがぶつけたのは単純にしてもっともな疑問。

 カルシファーを除く黒円卓皆みなが思っていた事を彼は代弁した。


 ——何故視界に入る事すら憚られる人間ゴミ共を一人残らず消去しないのだろうか?


 アガリアレプトの顔にはそう書いてあった。



「疲れるだろ。流石に全部殺すのは」



 カルシファーは自分でも驚く程自然とその言葉が出ていた。

 人間を全く何とも思っていないような発言。

 元人間としての感性は最早大分薄れている様であった。



「態々無駄な労力を割いて、必要以上に殺す必要はない。此方が管理・・し易い体制に持っていけばいいだけの話だ」



 成程。家畜のようなものですか、とアガリアレプトは相槌を打つ。



「そうだ。それが最善だとやった気付いたよ」



(思えば何に遠慮していたのか判らないが、そもそも俺ももう人間・・ではなかったしな……。目が覚めたら偶々、人間視点・・・・の一般的なRPGでいう悪者モンスター側だったって話なだけだ)



 ——善か悪か。


 その判断基準は結局のところ観測者の視点で変わる陳腐なものでしか無い。



「それから……ああ、名目は……そうだな、人間に虐げられていた他種族の解放とでも謳おうか。手初めにウッドベリーを完全に落とす」



 先週の一件で”オルトロス”、”ジル”、”メフィストフェレス”の三名によって、ほぼ半壊まで至った王国屈指の街ウッドベリー。

 メタトロンからの情報によると其処は今も尚、復興作業が続いている。

 カルシファーは其処を拠点とし、勢力拡大を目論んでいた。



「そしてウッドベリーを拠点とし、新たな国を建国しよう。人間以外・・・・の種族にとってとても住みやすい理想の国だ」


「それはとても素晴らしいことに御座います。ご主人様」



 金色の艶のある髪と、虹色の対の羽を持つ悪魔、”リリス”が頬を上気させながら賛同する。

 水晶のように美しい碧眼を輝かせながらカルシファーを見つめる様は、まさに飼い主に尻尾を振る仔犬。

 そんな彼女の様子を悪くないな、と思いながらもカルシファーは次の言葉を続ける。



「警告は一回限りだ。完全に我々の下に従属するというのなら、労働力として命だけは助けてやろう。もし立ち塞がると言うのなら……皆殺しだ」



 このカルシファーの言葉に黒円卓の面々は思わず息を飲んだ。


 ——ああ、この方は何と慈悲深き御方なんだろう、と。


 家畜として一生搾取され続けるだけの無価値な生か、人間ゴミとして唯一死ねる——無価値な死か、選ぶ権利を与えて下さるのだ。

 未来永劫赦される事のないことを仕出かした人間共に。



「それからウッドベリー制圧の人選だが「是非、私に行かせて頂きたいのですが」……」



 不遜にもカルシファーの言葉を遮ったのは獄炎の化身”イフリート”。

 どちらかと言えば彼はその内に秘めた凶暴性に反し、自己主張の激しいほうではない。

 それでいて且つ、自分の意見をしかと持ち合わせており協調性もある。

 何処ぞの破天荒な”猫”や”鬼”などとは打って変わって秩序を好む彼が、このタイミングで発言した事にはカルシファーすら驚かせられた。



(イフリートか……暴れるだろうな。街が再利用出来る程度に残るか心配だな)


 懸念は少なからずある。

 広範囲攻撃に長ける彼を起用する事により、街が廃墟と化す可能性が非常に高いのだ。

 今後の事を考えれば街として利用出来る箇所は利用していきたい所。

 現状アインザッツに於ける総兵力も五百と少ない。

 復興する手間も馬鹿にならず、此方側の負担を出来る限り減らしておきたいのだ。

 しかし、



(まあ……いいか。イフリートが我を出すのも珍しいし、つまらない練兵ばかり頼んでいたしな)


 そうカルシファーは思った。



「条件付きで認める。出来る限り建造物を壊さないようにしてくれ。再利用出来る所はしていきたいからな」


「有難き幸せ。必ずや御期待に応えます」


「————なっ!親父!俺にも行かせてくれ!殺し損ねた奴がいるんだ」



 まさかこうも簡単にカルシファーが許可を出すとは思わなかったジルが声を上げた。

 当時を思いだし苛立っているのか耳を少し後ろに逸らした彼女は、円卓に身を乗り出して懇願する。



 ——”《厄災猫パラノイド》ジ

 ル”。


 彼女にとってあの日は人生一の悪夢であり、最も恥辱に塗れた日である。

 姑息な手を使う劣等ニンゲン風情にまんまと陥れられ、更に自らの主を護れなかったという取り返しのつかない失態。

 己の全存在価値すら揺らいだ恥辱の日を、敬愛してやまない主に重症を負わせた劣等ニンゲン達を、ジルは思い出す。



「ジル。殺気ソレをしまい落ち着きたまえ。外で兵士が震えているぞ」



 ベレー帽を目深く被った男、食人鬼マンイーター”アスタロト”がジルを嗜める。



「——ああ……悪い」



 室内に充満した濃厚な死の臭気プレッシャーは、如何に離れているとはいえ只の一兵卒には少々生き苦しいのである。

 そしてアスタロトはカルシファーに向き直り言った。



「さて、ところでご主人様。今回は私も是非参加したいのですが……」


「待て……私が行く」



 だが、彼の言葉を鈴を振るような声が遮った。

 思わずアスタロトは眉を顰める。

 此処ぞとばかりに主張したアスタロトに被せてきたのは”メタトロン”。

 その鋭い眼孔は彼女の漆黒の装束も相間って宛らカラス

 彼女の特執すべき点は黒円卓随一の、諜報並びに情報収集担当といって良い程優れた隠密性である。

 メタトロンもまたイフリート同様自己主張の激しい方ではなかったが、今回の件を受けて彼女も人間達に対し並々ならぬ鬱憤が溜まっていたのだ。

 否、鬱憤、どころではなかった。



「……妾は我が君のそばに居られたらそれで良い」



 それを横目に腕組みしながら静かに語るは眠り姫”伊奘冉イザナミ”。

 彼女のその瞳には強い意志が込められていた。

 黒円卓一の引きこもりと名高い少女も、流石に今回の会議には出席していた。



「それは重畳ちょうじょう。伊奘冉は御館様と共に居るのが最善にして必然」



 そんな伊奘冉に底冷えのする様な声で同調したのは牛鬼の悪魔”モロク”。

 巨体であるが故、一人だけ特注の椅子に腰を降ろし会議の成り行きを静かに見守っていた。


 モロクは合理主義者である。

 感情や経験論に左右されず、非常に理性的な考えを元に行動するのだ。



(確かに、我々を含め御館様を舐め腐った劣等種族共には思い知らせねばならないが、あの日の様な事はもう二度と有ってはならぬ……)


 モロクは思考する。

 彼もまた、可能ならば今直ぐにでも報復として打って出たかった。

 一人残らず捻り潰し、人間という種自体を今滅させたかった。

 だが、同時に感情に流されると碌な事が起きないとも理解していた。

 カルシファー有りきのアインザッツ。

 カルシファー有りきの黒円卓。

 全てが彼を中心に回っている。



(今は攻めではなく守に重点を置かねばならん)


 合理主義者故の歯痒い思い。

 モロクは自然と拳を強く握り締める。

 だが、自分が同胞達の暴走した際の歯止ストッパーにならないといけない事を思うと少し冷静になれた気がした。


 だが、モロクには気に掛かる点があった。



(しかし……御館様は何を焦っておられるのだ)


 些細な変化では有るが、ルシファーの言動にモロクは違和感を感じていた。

 まるで何かに追われている様な、そんな感じがしたのだ。



(一体……)



「ご主人サマ。ニンゲン共の相手なラ私ガ適任カト存じまスガ」


「では私はこの命に変えても、ご主人様の御側で御護りします」



 葛藤するモロクを尻目に”狂骨”、”リリス”と次々に名乗りを挙げる。



「——まあ、少し待て」



 そんな彼等をカルシファーは身振りを交えて軽く制止した。



「ジル……殺し損ねた奴とは先日言ってた妙な女の事か?」



 そしてジルに問い掛けた。



 カルシファーは先日、ジルからあの日の報告を聞いていたのだ。

 その際にリリスに呼び止められる直前に戦闘していた妙な女の話を聞いた。

 あたかも自分の攻撃が何処に来るのか予め判っているような避け方。

 完全に此方の攻撃に反応出来ていなかったにも関わらず、間一髪で避けるそれはまるで未来予知だったという。

 更に人間程度と侮っていたとはいえ、ジル相手に一分も持ったという地力。

 最終的には腰を抜かして殺す直前だったらしいが、人間にしては中々強い方に入るのは違いない。

 なのでカルシファーも少しは気になっていたのだ。



「うん。次は直ぐ殺せる。だから……」



 そう言うジルの言葉は紛れも無く事実だろう。

 二度目の奇跡はない。

 何処の誰だか分からないが、珍妙な能力のお蔭で命拾いしただけに過ぎないのだ。


 未来が予知できる?だから何だ。

 対応出来ない速度で攻撃すれば良いだけの事。

 殺気だけで足腰立たなくなる様な脆弱な人間が奇跡を二度も起こす訳がないのは道理だ。



「んーそうだな。確かにこういう役割はお前が一番適任かも知れないな」


「じゃあ……」



 カルシファーがそう呟くとジルは期待に目を輝かせる。

 派手な広範囲攻撃や魔術を持ち合わせていない、純粋な肉体の力に頼るジルならば建造物等の被害少なく街を制圧出来るかも知れない。

 そういったメリットが確かに彼女にはある。



「——だが、ジルには今回別にやってもらう事がある」



 しかし、カルシファーは彼女に別の仕事を任せようと考えていたのだ。



「周辺の獣人集落への伝聞に行って欲しい。ほら、面識有る方があっちもやり易いだろ?」


「うーー…………」



 少し不満気に頬を膨らませるジル。

 感情の起伏が分かり易いのも猫の性分か。

 そんなジルを楽しそうに見ながらカルシファーは口を開いた。



「次の機会は用意するから今回は我慢してくれ」


「……わかった。やる」



 渋々ながらもジルは同意する。

 彼女とて主人の命令に背く迄の理由が無かった。



「さて……多少話は逸れたが、ウッドベリーには黒円卓から四名、それと兵隊三百騎で行って貰う」


「なんと」



 イフリートが驚くのも無理はない。

 アインザッツ城の残存兵力約五百の過半数を上回る三百。

 それに加え黒円卓議会の三分の一の四名。

 ウッドベリーを落とすには明らかに過剰な戦力だったのだ。

 だが、当然その過剰戦力にも狙いがある。

 今回は言わばパフォーマンスだ。

 敵に、どのような巨大戦力を相手にしているかを認識させる目的も有るのだ。

 少し頭数が少ない気もするが、実測した人間達の程度からすればアインザッツの兵士一人とて充分脅威となる筈である。



「人員は、イフリート……アスタロト、メタトロンそれからモロク、この4人だ」



 イフリート以外はあまり派手な攻撃のない面子。

 尚且つ抑え役としてモロクの名が上がる。



「その使命果たしましょう」


「ふっ……有難うございますご主人様」


「——了解しました」


「委細承知。ご期待に存分に応えましょう」



 任務に選ばれた者が口々に了承を述べる中、


(……まあ何かあってもモロクが止めてくれるだろう)


 カルシファーは甘い考えをしていた。



「出立は明後日、急になるが準備しといてくれ。今回は俺は出ない。そこで指揮は基本イフリートに執って貰う。いいな?」


「了解しました」



 皆が頷いたのを確認すると、カルシファーはそこで一度言葉を切った。



「……さて、この件は以上。それからアガリアレプトにも別にやって貰う事がある」


「何なりと」



 カルシファーは今一度椅子に座り直し、懐から書簡を取り出した。



「出立と同時にこれを国の王都に……いや、王に届けろ」



 そう言いながら円卓の上に書簡を滑らせた。


 受け取ったアガリアレプトはその書簡を手に取り注視する。

 手触りで分かる上質な紙に、印刻が確りと為されているそれは薄い栗色をしていた。何かの文書であることは間違いない。



「ご主人様、お聞きしても宜しいでしょうか?」


「降伏勧告書だ。別にもうこそこそやる必要はないし、邪魔な人間が居たら殺しても良いぞ。その辺りの判断は任せる。まあ無いとは思うが危なかったら直ぐ帰って来い」


「了解致しました」



 この国に対して一度だけの降伏勧告。

 昨日のうちにカルシファーが考えて書き上げていたものだった。

 これで完全にアインザッツは後に引けなくなる。

 だが、



(だがそれでもいい)


 と、カルシファーは考える。


 次に事を起こせばアインザッツの名は全土に轟く。

 そうすれば敵味方中立問わず何らかのアクションを仕掛けてくる筈である。

 懸念は確かにある。

 他プレイヤーの存在、「ヴァルハラ」と呼ばれる大型アップデート内容、数百年間の世界の進化。

 しかし、何処かそれを楽しみにしている自分もいた。



「後、オルトロスはイフリートに代わり残った兵力の再編と練兵を、伊奘冉以外は交代で城周辺の哨戒を行うこと」


「分かりました」



 秀れた索敵能力を持つメタトロンが一時的に抜ける事は痛いが、仮に誰か侵入者が現れてもアインザッツにとって到底脅威にはなり得無い。

 比較的戦闘能力の低い伊奘冉を除き、他の黒円卓の面子でも充分に対応可能なのである。



「以上で会議は終わる。解散していいぞ。あ……最後に伊奘冉は夜、部屋に来る様に」


「「「————!?」」」



 カルシファーのこの発言に一早く反応を示したのは女性陣だった。



「おお、我が君。遂に妾と……!!」



 頬を染めて目を輝かせる伊奘冉。



「くっ……ご主人様!私は!!私はお呼び頂けないのでしょうか!」



 それとは対に、小娘如きに先を越されたとばかりに焦るリリス。

 そして互いに牽制し合い、事態の動向を見守り口元を噛みしめる他の女性達。

 場に異様な緊張が走った。



「色々と準備をして行きます故、の刻辺りで宜しいでしょうか我が君」



 精一杯の妖艶な笑みを浮かべ、更に火に油を注ぐ発言をする伊奘冉。

 そして彼女は驚愕しているリリスを勝ち誇ったかのように一瞥し、目尻を下げた。

 部屋の空気は今にも凍りそうな程急速に冷えていく。



「待て待て待て。勘違いしてる様だが違うぞ。別の要件だ」


「……へ?」



 だが期待に目を輝かせる伊奘冉に対し、カルシファーの返答は実に呆気ないものだった。



「まあその時に言う。時間はそうだな、亥の刻で問題ない」


「わ、わかり申した……」


「ふっ。そんな事だろうと」



 落胆した表情で言う伊奘冉と、それを目を伏せ軽く鼻で笑うメタトロン。

 伊奘冉は彼女を無言で睨む。



「そうよね。よくよく考えたら伊奘冉には色々(・・)足り無い所もあるし……ご主人様が閨に誘うだなんて訳ないわね」


「幼児体系だしな」



 その横から更に、リリスとジルからも小馬鹿にした様な声が上がった。



「なっ!?き、き、貴様ら!」



 三人からの嘲笑受け頬を紅潮させる伊奘冉。

 彼女自身気にしている事だから尚更タチが悪かった。

 身体は怒りで小刻みに震えている。

 しかし直ぐに一度大きく深呼吸して、そしてボソッと呟く。



「……揃いも揃って無駄に乳ばっかり大きくなった年増共め。我が君も若くて感度の良いおなごが良いに決まっておるわ」


「そうだよ。腐った果実と新鮮な果実、どっちを食べるかの簡単な話だもんね〜」


「——なんだと?」


「あぁ?」



 ここで今まで無言を貫いてきたメフィストフェレスからの援護射撃が加わった。

 あの日散々泣き腫らしたメフィストフェレスだったが、今は軽口を叩ける程度には復活していた。

 無論、それは第三者から見た表面上の彼女にしか過ぎないかも知れないが。


 メフィストフェレスが口論に参加した事により、より一層剣呑な空気が部屋中に漂っていく。



「あら〜もしかして聴こえなかったの?歳の所為で耳が遠くなったんじゃないのおばさん達」


「これ、あまり事実を言うでない。いらん癇癪を起こすかもしれぬぞ」



 事実黒円卓議会女性陣5名の内、伊奘冉とメフィストフェレスの両名は見た目が飛び抜けて若い。

 創造された時期も比較的新しいのだが、創ったカルシファー本人からしてみればこれといった理由は特になかった。

 単なる趣味の話だ。

 しかし、肉体的な面での彼女達の間にある溝はどうやら深いらしい。

 尤も第三者からすれば何方も見目麗しい少女達に変わりないことに違いないのだが。


 二人からの明らかな煽りを受けてメタトロンの蟀谷こめかみに青筋が立つ。



「小娘共が」



 同時に円卓が小刻みに揺れ始め、彼女の周辺では小さなつむじ風が巻き起こる。



「……へぇ————あまり無茶したらお身体に障るんじゃない?」



 小首を傾げ、眼を細めながらメフィストフェレスが言った。



「確かにそうね。コレのお蔭で最近肩凝りが激しくてね……まあ貴方達には生涯無縁の話だけど」



 横からリリスがその形の良い乳房を自ら触りながら吐き捨てる。



「チッ」



 伊奘冉とメフィストフェレスは短かく舌打ちをした。



 売り言葉に買い言葉。

 より一層、円卓越しの睨み合いが鋭さを増した。



「…………」



 そんな光景を、以前も観たな、とカルシファーは何処か遠い目をして見ていた。



(仲良くしろとまでは言わないが、せめて普通にしてほしいな)


 そう、何故か女性達はあまり仲が宜しくない。

 そんな設定組み込んだ筈もないのだが、よく言い合いをする。

 どうしたものかとカルシファーが頭を悩ませていると、意外な所から声が上がった。



「お前ら見苦しいぞ。同じ黒円卓に身を置く者同士、下ら無い事で争うな」



(お、良い事言うな)


 円卓に腰を降ろし、事態を静観していたイフリートである。

 醜い女達の争いをみるに見兼ねて口を開いたのだ。

 会議が終わったとはいえ、主人であるカルシファー及び黒円卓が一同に集まる場。

 その崇高な場で女々しく騒ぎ立てるのは相応しくないと、暗にイフリートは注意を促したのである。

 流石はイフリートだとカルシファーは改めて彼の評価を上げた。


 

「そんなに言うのならご主人様に誰が良いか決めて貰えば良かろう」



(いや、その発言はないかな)


 すかさず評価を下げるカルシファー。



「そうね。それなら公平だわ」


「うむ。いいじゃろう」


「いや全然良くないだろ」



 カルシファーはそこで漸く言葉を発した。



「俺がお前達に望む事はただ一つ。——仲良くすることだ。分かったら帰ってそれぞれ明日の準備でもしろ。以上」



 多少強引に言葉を切る。


 より屈強で秀れた軍隊に必要不可欠なものは団結と士気である。

 個の力だけでも充分に屈強な黒円卓議会ではあるが、集まれば更なる力を持つことが出来る。

 彼女らとて普段の歪み合い程度で実務に支障をきたすほど愚かではないし、確りと弁える。

 しかし彼女らの創造主たるカルシファーにとって何より、軽い罵り合いとはいえ、彼女達の喧嘩は見ていてあまり楽しいものではなかった。

 喧嘩を見るより仲良くしているのを見る方が微笑ましいのは当然である。



「え〜」



 メフィストフェレスが不服そうに声を上げる中、カルシファーは円卓を立つ。

 後を追う様に残っていた男性陣も席を立ち、広間には女性陣だけが残る形となった。



「…………」

「……なによ」

「おばさん」

「無乳」



 彼女達が何時も仲良くなるのはまだ当分先の話である。

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