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公募落選作

あと十分

第23回小説の虎の穴応募作
テーマ「5分間のドラマ」
「閉店まであと十分しかないのに」
 デパートの紳士服売り場で、カトウは腕時計を見ながらため息をもらすように呟いた。閉店を知らせるおなじみの曲が流れ始めた時、一人の男がふらっと売り場に入ってきたのだ。年は六十代くらい、恰幅がよく、ゆったりとしたズボンにサンダルというラフな格好。大きな白い紙袋を肩に担ぐように持っている。カトウがこの男を見たのは今日が初めてだ。しかし今日だけで少なくとも五度はこの売り場に顔を見せている。
 男が入ってくる直前、カトウは閉店準備に取り掛かろうとしていた。デパート内には客も少なくなり、経験的にも売る時間ではないと判断した。しかし客が入っている手前、商品を片付け始めるわけにもいかない。
 カトウの勤める紳士服売り場は、グレードの高い商品を扱っている。見た目で判断するのはいけないことだと思いながらも、この男はこの店にはそぐわないと考えていた。
 それにカトウは男の別の目的を疑い始めていた。
 万引きをするのではないか。最近では高齢者の万引きが増えている。閉店間際は店員の数も少ない。男は長い時間このデパートをうろうろしている。最初から買うつもりは無いのだろう。
 カトウは男を凝視しないように、それでも視界には入れつつ、レジの操作をする。
 男は並んだ商品を眺めながらゆっくりと歩いている。カトウに目を向けることは無い。妙に落ち着いた雰囲気だ。たまに生地を確かめるように手を伸ばす。
 逆にカトウは落ち着きをなくし始めていた。
 このまま放っておいて良いものか。もし男が事に及べば面倒なことになる。帰る時間も大幅に遅れることだろう。あの紙袋に入れるつもりだろうか。もしかするとほかの店でもう盗んだ物が既に入っているかもしれない。しかし疑ってかかって、何も出なければ責任問題だ。思い切って何か声をかけてみるべきか。いやむしろ何があっても見て見ぬふりをするか。頭の中で、自分が辿るべき道を探し、行ったり来たり。
 男は歩みのペースを崩さない。ゆったりとした動きが、カトウをさらに苛立たせた。
 隣の売り場から女性店員がやってきた。小声でカトウに声をかける。
「カトウさん。あの人……」
 神妙な顔つきだ。
「やっぱりそうか。気になっていたんだ。もうやった後か?」
「やった後? 買った後の間違いでしょう」
 訂正が何を指しているのか、カトウにはピンとこなかった。女性店員は続けて言う。
「あの人、福の神ですよ」
「福の神?」
 カトウは目を見開いた。その噂は聞いたことがあった。数年に一度、高額商品を大量に購入する客がいて、デパート内では福の神というあだ名をつけて呼んでいた。あの男がそうだったのか。男を見直してみると、不思議なことに福の神そのものに見えてきた。気が付かなかったが耳たぶも大きい。
 女性店員がささやく。
「あの人、まだ買っていませんよ。買わずに帰っても、その後数年は姿を見せないという噂ですけど」
 カトウは焦った。
 そんなことなら早めに声をかけておけばよかった。福の神を簡単に帰すわけにはいかない。万引きを疑ったことも後悔した。罰が当たらなければ良いが。
 早歩きで男の元へ近寄り声をかけた。
「お気に召すものが見つかりましたか?」
「いや、いい商品が多くてね。なかなか決まらないよ」
 振り返った男の物腰は柔らかく表情も柔和で、福の神と呼ばれるだけはある。
「そうですか、どうぞごゆっくり御覧になってください」
「しかし、もう時間が無いのでしょう」
 男は店内に流れる音楽を見上げた。
「また今度にしますよ」
 ここで帰らせてはいけない。男の今度は数年後だ。この売り上げチャンスを逃すわけにいかない。
 カトウは腕時計に目をやり、力強い口調で言った。
「いえいえ、何をおっしゃいます。閉店まであと五分もありますよ」

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