七.神託
「ゆうべは おたのしみ でしたね」
「言葉の意味を理解しかねます、エスト」
「ジャコーシュ、君のことは素晴らしい友人だと思っている。だがそれとこれとは話が別だ」
「…あなたは何か誤解しているようですが、私は出会いざまに首を絞められるような事をしたつもりはありません」
「嘘をつけコノヤロウ!ロザリアが許しても僕は認めん!百歩譲って一発殴らせろ!」
「理由もなく殴られるのは嫌です。何が不満なのか説明してください、あなたらしくない」
「…コロニーの人ってさぁ、その…恋愛沙汰とか経験無いのかい」
「人間関係でトラブルが発生することはありませんでした。で、それと恋愛と何か関係が?」
「…まあいいや。で、君は僕に締められる為にここへ来たのかい?」
そんな訳無いでしょう、と、ようやく首に絡む腕から開放されたジャコーシュ。
白衣のポケットから二本の平たい棒を取り出した。
「その光沢…もしかしてクリスタル・メタル?」
「ええ。少しですが、ようやく精製に成功しました。記念にナイフにしてみたのです」
それはナイフというより、医者が使うメスに近い形をしていた。刃の部分は樹脂製の鞘に収められている。ジャコーシュは一本をエストに渡した。
「へぇ、ありがとう。軽いなあ」
「私が乗ってきた脱出ポッドと同じ分子構造ですから、頑丈で刃こぼれもしませんよ」
「遊離体にした後再結合だっけ。ここまで成長させるのは大変だろう」
「機材が無い分手間はかかりましたが、量産の目途は着きました。これを応用すればナノマシンの散布が効率的に行えるはずです」
「量産か。上は色々と騒がしいらしいな」エストはやや声をひそめる。「警備部の訓練、参加希望者募ってるってのは聞いたかい」
ジャコーシュは頷いた。「工学班でも何人か行くことになっています」
「君も参加するのか」
「そのうちに。あなたは、エスト」
「この後行くことになった」眉をしかめるエスト。「僕も一応保有者になったからね、内勤だろうが何だろうが使えるものは使おうって事だろう。いざという時の為に」
「いざという時、ですか」
「ここだけの話」エストはますます声を小さくする。「地上人とアフリカシェルターのいざこざ、かなりまずいところまで来ているらしい」
エスト曰く、向こうの知り合いから送られたデータの中に、巧妙に暗号化したメッセージが隠されていたという。
表向きには一切そんな話が無いところを見る限り、情報統制が行われているのだろう。
「南米からは、地上人が「国家レベル」で何か争いを起こそうとしているって警告が来て以降、一切の通信を遮断してしまったらしい。籠城してるのか、それとも何かあったか。そしてこっちは度重なる地上人の接近。遅かれ早かれここも動かざるをえないだろう」
「まさか、コロニーが後ろで糸を引いているとか」
「どうだろう。僕ならそんなに回りくどい事をしなくても、直接手を下すけどな」
ジャコーシュはしばらく考え込んだ。確かにコロニーはシェルターを敵視してはいたが、これまで一切手を下そうとしなかった。そもそもコロニーに、兵器らしい兵器があったという記憶は無い。何かが欠けている、何かが…
「エスト」ジャコーシュは話題を変えることにした。「そのナイフですが、ちょっとした仕掛けを組み込んでみました。鞘から出して、柄の根本にある出っ張りを押してみてください」
「ええと、これか。…なんか冷たいな。冷気でも出てるのか?」
よく見ると、抜き身の刃が僅かに振動している。それを包むようにごく薄い霧が湧き出ているのだ。数十秒でそれは収まった。
「アンチナノマシン・プログラムです。コロニーで実験していたのですが、ようやく成功にこぎ着けました」
「アンチプログラムって事は、ナノマシンの動作をキャンセルするって事?」
「その通りです。平たく言えば「魔法」の無効化です」
本来はナノマシン集合体の暴走を止める安全装置として作っていたのですが、とジャコーシュは続けた。
「それはつまり「システム・マスタードラゴン」の停止を目的に?」
「ええ、しかしそれがまずかったのでしょう。実験は中止させられ、私は再調整を受けることが決まりました。再調整を受ければ自我が失われ、完全にシステムの端末となってしまう。それで私は逃げるしか無かったのです」
「…つまり、これがあれば」エストは貴金属の光沢を放つナイフを眺めた。「マスタードラゴンを止めることが出来るのか」
「この大きさでは無理でしょうね。大木ほどのサイズならばわかりませんが」
「そんなに大きいのか、マスタードラゴンは。変わったコンピュータだな」
「巨大なのは稼働体だけです。本体は元々コロニー管理システムを改造したもので、小さな球体だと聞いています。実際に見たという者はいませんでしたが」おまけにシステムの開発者たちは何故だか地上に追放されたそうです、とジャコーシュは付け加えた。
「じゃあその開発者とコンタクトを取れば、システムの弱点とか分かるんじゃない?」
「百年生きている私から見ても随分昔のことですから、もう不可能でしょう。…そのナイフは護身用にでもしてください、万が一の時にはあなたの身を守ってくれるでしょう」
「万が一、ね。起きない事を祈るよ」
「そうですね。…ところでエスト、ロザリーがどこにいるか知りませんか?医局に行ったら欠勤だと聞いてきたのですが」
エストの眉がきりきりと上がる。
「…このナイフ、人に向けたらどうなるか実験したかい?」
「だからどうして怒るんです」
やはり生身で外気に触れたのはまずかったらしい。
日焼けしたように皮膚は真っ赤になり、頬にはぽつぽつと吹き出物が浮いている。
処置もそこそこに医局を退出し、ロザリアは部屋に閉じこもった。こんな顔で出歩いて人に見られる訳にはいかない。腫れが引くまでは引きこもるつもりでいた。
「ロザリー、いますか?」
最悪、よりによってあなたが来るなんて。
ロザリアは鏡を見た。とても見られた顔じゃない。
「いるけど出られないの」
「お渡ししたい物があるのですが」
少し間があった後、ドアの向こうから返事が来た。
「ごめん、そこに置いといてくれるかしら。どうしても出られないのよ」
「…分かりました」
「ごめん、やっぱりちょっと待って」
と、ドアが10センチほど空き、中から真っ赤に腫れた腕が差し出された。と、その腕が捕まれる。ロザリアは引っ張り出されるかと焦ったが、相手にそのつもりは無いらしい。
「こんなになって…やはり外は危険でした、あなたを連れだした私の責任です」
「ちょ、離して。勝手に防護服脱いだ私のせいだから」
すみません、と腕が放される。暫しの沈黙の後、扉の奥から声がした。
「…それで、渡したいものって?」
そこで、ジャコーシュは先ほどエストに渡したナイフの片割れを出した。ロザリアはしばらく手の中で弄んで、鞘から刃を抜いた。
「切れ味良さそうなナイフね。メスに使おうかしら」
「それもいいですが、護身用に持っていてください。この先何があるか分かりませんから」
「分かったわ、ありがとう。…あなたからのプレゼントなんて、ミミズ以来じゃない?」
それはもう忘れてください、とジャコーシュは恥ずかしげに言った。
「貰いっぱなしで悪いわ。何かお礼しないと」
「でしたら」ジャコーシュがおずおずと提案する。「またいつか、ユグドラシルを見に行きませんか。今度はちゃんと防護服を付けて」
ロザリアがくすくすと笑い、いいわ、と答えたとき、けたたましい警報音が鳴り響いた。
先立つこと数週間前。
いつもと変わらずアネイルの片隅で守りについていたラルが、突然行方をくらました。
彼がいないのを不審に思った交代番は、仲間と共に探し回ったがいっこう見つからない。やがて日は落ち、町が闇に包まれても若者は戻らない。
次の日も、その次の日もラルは戻らなかった。町の人々は神隠しにあったと口々に噂し、老いた親は自慢の息子が魔物にさらわれたと涙した。
神隠しから4日後の夜半、ふらりとラルが家に戻ってきた。心ここにあらずといった青白い顔をして。
悲しみの余りげっそりとやつれた両親は、息子を抱きしめて喜んだ。騒ぎを聞いた近所の者たちも駆けつけて彼を介抱した。彼は少し衰弱が見られるものの、怪我も無く五体満足だった。よく帰ってきてくれた。皆はらはらと涙を流した。だが。
「俺は、神の塔に行かなくちゃ」ラルはぽつりと言った。
町の人々は顔を見合わせた。なおもラルは続けた。抑揚のない、感情のない声で。
あの日、空から背に翼ある者が降りてきて、彼を迎えに来たと言った。魔物の誘いと思った彼は剣を向けた。しかし翼ある者たちが彼を見ると、抵抗する力が抜けていった。彼らは動けなくなった腕を取ったが、そこで一旦意識が途切れてしまった。
目を覚ますとそこは神殿のような部屋の中だった。彼は寝台に寝かされ、白い衣に身を包んだ翼ある者たちが周囲を行き交っていた。その姿、顔かたちは皆一様に美しく、おとぎ話の天使のようだった。
目をこらしてよく観察しようとしたが、目にゴミでも入ったかのように痛む。視界がぼやけ、思わず目を閉じた。
擦ろうとしたその手を何者かが止め、彼の目蓋をめくり、水を差した。急に痛みが引く。にじんだ視界に映されたのは、黒い長髪をなびかせた天使。
天使は彼の手を取り、鈴の鳴るような声で告げた。
「汝は神に選ばれし勇者なり。闇に光をもたらし、人の子を守る力を与えよう」
その後また気を失った彼は、いつのまにか町のはずれに立ちつくしていた…。
「天使は神の塔に来いとも言った。神が導いて下さると」
不安そうにざわめく人々。年老いた母親は、不安そうに彼の手を取った。
「勇者って言ったって、なんだってお前が。きっと夢を見ていたんだよ」
母親の声は震えていた。一人息子が帰ってきたと安心した途端、訳の分からない事を言い出したのだからその不安も仕方ない、町の人々は胡散臭げに顔を見合わせた。
「俺も最初は信じられなかった、けど」ラルは母の肩を抱いた。「母さんが毎朝お祈りしている神様が、俺みたいなただの田舎ものを選んでくださったんだ。何か深い訳があるに違いないよ」
皆、顔を見合わせた。確かにラルは町で一番信仰深いしっかり者だ。幼い頃から体の弱い父親の分までよく働いた。少し呑気なところはあるが、弱い者に優しく、他の兵士がそうするように、戯れに小さな動物や魔物をいじめるような事も決して無かった。ましてや、今までラルが嘘をついた事など一度もなかった。そんなラルを、町の誰もが信頼していた。
言っていることは夢物語そのものだが、嘘つきと言い切るのは酷な気もしたのだ。
「どうしても行くのか」それまで黙って寝台に横たわっていた父親も口を開いた。「俺は納得できないが、それでお前の気が済むなら行くがいい」
「父さん」
「旅の糧なら心配するな、少ないが蓄えが無いわけじゃない」
「親父さんとお袋さんの事は俺らが面倒見る」騒ぎを聞いて集まってきた町の人々は口々に言った。「お前はその神の塔とやらに行って、本当のことを確かめてこい」
「本当に勇者だった日にゃこのアネイルも大騒ぎになるな、あっははは」
「まぁともかく、無事に帰ってこいや」
半信半疑のなかで、ラルは翌朝町をたった。父親の使い込んだくさりかたびらを着込み、武器屋で買った鋼の剣をたずさえて。
彼の本名は、リバスト・ラル・クルトスと言った。
幸いラルは…リバストは近隣の港町から巡礼者の船に乗り合わせることができた。船旅と陸路を経ること3週間、彼ら巡礼者の集団は聖職者の築いた集落に辿り着いた。巡礼者の世話をする宿が軒を連ねる奥、ひときわ大きな石造りの建物には、集落をまとめる神官らがいた。
神官達は自称勇者、自称巫女に散々手を焼かされてきた。大層な装備に身を固め、やれ神託を受けた、やれ前世の因縁が云々と胡散臭い捏言を吐き、ちゃちな作りの「御聖蹟」をこれみよがしに見せびらかす。しかしいざ神の塔へ赴くと、扉は決して開かれない。全てはでっちあげ、デタラメだった。メッキの剥がれた詐欺師たちは這々の体で逃げ出す有様だった。この手の狂言にほとほと困り果てた神官達は、塔への巡礼をとりまとめることにした。巡礼者たちが勝手に神の塔に近づくこと自体を禁じたのだ。彼ら自身、元々神を奉じて勝手に住み着いたということは棚に上げたまま。
リバストは船の中でそれを聞き、迂闊に神託の話をすることを止めた。彼は只の敬虔な巡礼者として一行に混じり、神官に率いられて塔に向かった。
一行は塔から少し離れた巡礼者用の祭壇から祈りを捧げていたが、隙を見てリバストは集団を抜け出し塔に駆け寄った。門らしき構造物に近づくと、壁に不可思議な文様がある。文様に触れると、青い光が点った。何かの仕掛けが発動したのだ。
認証システムが起動する。四角い文様が青く光り、頭上から声がした。
《認証ぷろぐらむ起動、網膜ぱたーんヲ確認シマス》
リバストは驚いて見上げた。そこには玻璃の球のようなものがあった。中には魚の目玉に似た丸いものが動いていて、そいつとリバストの目があった。
《管理者番号10012835、本人デアルコトヲ確認シマス》
鈍い音をたてて扉が開かれる。もうもうと埃が舞う。
慌てて追いかけてきた神官二人がリバストを捕まえようとするが、目の前で開かれるゲートに唖然とし、そろって腰を抜かした。
リバストは彼らに小さく頭を下げ、ゲートをくぐる。
「と…塔が開いた!」
彼を追ってきた巡礼者たちも続こうとするが、リバスト一人を飲み込み、ゲートは透明な扉を閉ざした。追って、重々しい扉が閉じられる。
「――勇者だ」
誰かが言った。勇者だ、神託を携えた勇者だったんだ。どよめきが広がっていった。
神官達はぶざまに腰を抜かしたままだったが、一人がふらふらと立ち上がり神殿に向かって駆けだした。
神託の勇者が塔に入ったことを伝えるために。
既に夜になったが、塔の周囲は神官と巡礼者で溢れかえっていた。
魔物よけの篝火が煌々と焚かれており、その周りで神官達は落ち着かなげに歩き回ったり、草を引きちぎって時間を潰していた。
巡礼者は、神官達からひとまわり遠い所に陣取って塔を見守っていた。なかにはリバストと行動を共にしていた者もおり、彼がいかに温厚かつ勇敢かと語り聞かせたり、なかには彼の同胞と偽りそのおこぼれにあずかろうとする、はしっこい者もいた。
やがて夜空に半分の月が昇ったころ。
唐突に塔の上空が光り輝いた。稲光のような閃光は、居合わせた人々の目をくらませた。しかし、目蓋を薄めて彼らは懸命に見た。月の光をかき消した真夜中の太陽がしずしずと降りてくるのを。
光は巨きな竜のかたちをしていた。翼を広げて、眼下に世界を睥睨して。そして光のなかから一人の人間が現れる。リバストだ。リバストは、あの古ぼけた鎖帷子も鋼の剣も身につけていなかった。
竜の手の内に、金でも銀でもない色をした何かがあった。それは竜の手を離れ、リバストの体を包み込む。それは4つに分かれた。一つは頭。一つは体。一つは左手。それぞれ不思議な形の防具へと形を変えた。
最後の一つは右手へ宿った。それは長く延びていき、やがて不可思議な形の剣になった。
「奇跡だ…」誰かが呟いた。
リバストは光に包まれたまま地上に降り立った。まっすぐに太陽を――竜を見上げて。
『勇者よ』それは声であり、声でなかった。居合わせた人間全ての脳に直接語りかけてきた。『そして人の子らよ』
人間達は膝をつき、竜を見上げた。糸の切れたあやつり人形のように。
『時は来た。立ち上がり、魔を断て。闇を払い、世に光を満たせ』
竜は厳かに言った。それは神命であり、光の言葉であった。
『我は竜の神、光の命持つものなり』
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