第80話 巡洋艦奪取(アボルダージュ)作戦
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)一〇日黎明。
ルクレ領艦隊旗艦、巡洋艦”海将丸”に隠れ潜む共和国の監察官、薄桃色がかった金髪の少女は、緋色革命軍司令官ゴルト・トイフェルの危惧をまるで本気にしていなかった。
ルクレ領艦隊は奇襲を受けたものの、見張りが即時報告を上げて、上陸していた船員たちが即座に船に乗り込んで応戦の準備を整え、見事な単縦陣を敷くことができた。
一方の、レーベンヒェルム領艦隊は単横陣でゆるやかに前進してくるものの、船は小さかったりボロかったりと、いかにも泥縄で準備した間にあわせといった仕様で、隊列も微妙に不揃いかつ隙間が空いていて、練度の不足を伺わせた。
そもそも船自体が違うのだ。ルクレ領艦隊は、旗艦”海将丸”と護衛の駆逐艦という二隻の軍艦に加え、戦闘艇も武装商船も、大型弓や固定魔杖といった立派な艤装を施され、ケタ違いの威容を誇っていた。
「ゴルトの兄貴は、ドクター・ビーストの焼き鏝を使って聞き出した火薬式の大砲とやらを警戒していたけど、とても巡洋艦の装甲を撃ちぬける水準じゃないって話じゃないか。これは決まりだね。今なら浴室も無人だろうし、シャワーでも浴びてこようっか」
気配消失の魔法をかけて、帆柱の陰から戦場を覗き見ていた少女だったが、戦の結末を確信するとあくびまじりに伸びをした。
とうとう恐怖に耐え切れなくなったか、レーベンヒェルム領艦隊は大型の商船二隻を艦隊から切り離して、ルクレ領艦隊に向けて先行させた。
「ちょっと、指揮官まで無能なの? 切り札の船を盾に使ってどうしょうってのさ。すぐにやられちまって、あとは雑魚ばかりじゃん!」
少女の予想した通り、大型商船二隻はルクレ領艦隊の砲火を浴びて、たちまちのうちに大破炎上し、――爆発した。
「!!??」
距離はまだ空いていた。大量の火薬を無人の船内いっぱいに詰め込んで、魔法で指向性を制御しつつ爆破したのだろう。爆風と衝撃波に煽られたルクレ領艦隊は、魔法障壁を全力展開し、かろうじて転覆を免れたものの、大きく隊列を崩した。
桃色髪の少女は、レーベンヒェルム領艦隊の中心、本当の旗艦らしき商船の甲板に立つ、薄墨色の髪をひとつにくくった敵指揮官を人間離れした視力で視認した。
夜が明け、日の出の光を浴びて、彼女の髪が銀色に輝く。
「撃て!」
湾一帯に響き渡った、レーベンヒェルム領軍司令セイの号令が、海戦の流れを決定づけた。
彼らが保有するレ式加農魔砲の砲弾が、まるで桜花の散るがごとく飛来して、次々とルクレ領艦隊に着弾する。
少女がゴルトから事前に聞いていた通り、なるほど長射程ではあるものの、威力は必ずしも突出しているとは言えなかった。
しかし、先ほどの爆風を防ぐため消耗したルクレ領艦隊は防御障壁を維持できず、蜂の巣となって一隻また一隻と沈められてゆく。
少女はようやく理解する。レーベンヒェルム領艦隊の隊列が微妙に不揃いだったのは、大砲の射程距離に差があることを加味して、わざと空けていたのだと。
「やられた。兵器の性能差だけが勝敗を決めるわけじゃない。軍制が古いって、こういうことか、ゴルトの兄貴……」
桃色髪の少女が見ている前で、巡洋艦”海将丸”の搭乗員も、僚艦の船員もバラバラな行動を取り始めた。個人が勝手に動いているわけではなく、所属する集団や血族に従って、全体の和を逸脱するからより性質が悪い。
ルクレ領艦隊の船も、乗員たちも、誰もがトビアス・ルクレ侯爵に忠誠を誓っていたわけではなかった。侯爵自身は、領民全員の畏怖と崇敬を集める独裁者になりたいと常々願っていたが、大豪族や騎士団、有力商家の総意を反映する代表調停者という立場が現実だった。
ゆえにこそ、マラヤディヴァ国十賢家では開明派にも旧弊派にも属せず、ルクレ領は日和見の中立派に甘んじた。トビアス・ルクレは誤った野心をこじらせ、売国行為に及んでも自らの地盤を作ろうと躍起になった。そんな彼を、家臣や領民たちはどう見ていただろうか?
勝ち戦のうちは良い。勝っている間は、不都合な現実を無視しても、果実を得られるのだから。しかし、負け始めた途端に、甘い汁を吸うことだけを目的とした烏合の衆は四分五裂を繰り返す。
「あっちのレーベンヒェルム領艦隊は、なに、あの高すぎる士気と一糸みだれぬ行動は? きたえられたアイドルオタクかっての!?」
少女の指摘は、いくぶん嘲弄混じりであるものの、正鵠を得たものだったろう。
セイという司令官がもつカリスマと才能に寄りかかっていたものの、領兵たちは所属する家や集団、出身の利害にとらわれることなく、ただレーベンヒェルム領を守るために一丸となって戦っていた。
「他の船に比べて、”海将丸”への攻撃が甘いね。砲撃がきかないので諦めたのかな? そんなはずない。イスカの話じゃ、クローディアス・レーベンヒェルムは、あのニーダルさんの友達だ。しかもおにいちゃんおにいちゃんって、イスカの慕いっぷりから見てかなりの変人に違いないんだ。……まさか!?」
クロードが聞けば抗議必須の思い込みから飛躍して、桃色髪の少女は、ほぼ正確にセイの作戦を把握した。
少女がマストを飛び降り船倉に駆け込むと同時に、トビアス・ルクレ侯爵は、手に持った魔符で巡洋艦の前方魔力障壁を衝角に転用、変化させて突撃し、レーベンヒェルム領旗艦商船”銀将丸”を撃沈した。
しかし、時すでに遅い。ダウ船やボートで接舷したレーベンヒェルム領の兵士たちは、鉤付き縄や熊手を使って船体にとりつき、よじ登っていた。
ルクレ領兵士たちは、足並みを乱したまま槍や弩で応戦するものの、レーベンヒェルム領の艦船からライフル銃の援護射撃を浴びてバタバタと倒れてゆく。
少女がありったけのマスケット銃を背負い、侵入してきた兵士たちを無力化しながら甲板に戻った頃には、すでに相当数が艦内部に入りこんでいた。
「やられた。連中、最初からこの船を分捕るのが目的だったんだ。動きが止まった? もう機関室を押さえられたのか!」
旗艦はすでに掌握され、トビアス・ルクレもまたセイによって太刀を突き付けられ、降伏を迫られている。
桃色髪の少女はマスケット銃を構え、目の端で別の階段から上ってきた侍女を見つけた。青い髪、赤い瞳、戦場のど真ん中だというのにエプロンドレス姿。妹分から話に聞いたレアという侍女に間違いないだろう。
「ちょっと様子を見させてもらおうかな」
少女が、マスケット銃をセイの眉間に向けて視線を固定すると、レアがはたきを投げつけてきた。その一投で射線は封じられ、歪んだ銃身を補正しながら撃ちこんだ弾丸は、見事はたきに防がれた。
「あたしは特務部隊”殺戮人形”のロットナンバー三番。イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイトの姉貴分さ」
そして彼女は、堂々と名乗りをあげた。
☆
「イスカって、誰のことだ? ……あ、アリス殿の親友か!?」
セイが予想もしなかった名乗りに気を取られた瞬間、三番と名乗った少女はマスケット銃を撃ちはなち、駆け寄ろうとしたレーベンヒェルム領兵士二人の脚をわずか一弾で穿ちぬいた。
彼女は、袖から放った鋼糸をからみつかせ、トビアス・ルクレを死地から引きずりだすと、背負ったマスケット銃を使い捨てながら撃ち放つ。
まるで花が咲くように白いマズルフラッシュが焚かれ、木々の葉が舞うごとく黒の煙が甲板を覆ってゆく。轟音が響くたび、レーベンヒェルム領兵は手足を撃ち抜かれて転倒する。
少女の乱入によって、極めて限定的ながらも甲板のわずか一区画に限っては、攻守が完全に逆転したのだ。
「セイ様、さがってください。彼女は、危険です!」
見えないはずの煙の中を、レアは的確に突っ切って、三番の少女へと挑みかかった。
「あちち、やるねえ。侯爵のおっさん、早く転移魔術の巻物で逃げちまえよ」
「さっきからやっておる。術者に妨害されてるんじゃ!」
レアははたきで打ちかかるも、三番目の少女は弾切れになったマスケット銃を投げ捨て、ナイフを引き抜いて応戦する。
「降伏してください。イスカちゃんのお姉さんと言いましたね。こちらは貴方達の命まで取るつもりはありません」
「こわいこわい。レアさん、イスカはアンタを褒めてたよ。優しくて、なんでもできるステキなひとだってさ」
「そのイスカちゃんのお姉さんがどうしてルクレ領に味方するのですか?」
少女のナイフが円を描いてレアの鼻先をかすめ、レアはたきでそれをいなしながら少女の胸元を狙う。
二人の奇妙な剣戟は煙を裂いて続き、火花を散らしながら舞い踊った。
「事情があるんだ。そっちもそうだろう? アンタ、いったい何者なんだ?」
「領主さまに仕えるメイドです」
「嘘だね……! 情報ってのは、その気にならなきゃ得られないものでね。無邪気なイスカにとって、アンタは素敵なおねえさんだ」
「嬉しい言葉です」
「けどね。こうして薬物と魔術で強化されたあたしと互角に斬り結び、いまじゃ珍しい鋳造魔術の使い手で、十人分の事務作業をひとりでこなして、ダンジョンから掘りだした資材から育苗機を組み上げる手腕の持ち主。ねえ、おねえさん、ただのメイドと言うには、いくらなんでも万能すぎやしないかい? いったいアンタは何者なのさ」
レアは、少女の問いかけに答えられない。
「アンタは強すぎるのさ。まるでニン……」
「レア殿、合わせてくれ」
問答の途中、海風によって煙がわずかに晴れて、セイが太刀を手に突っ込んできた。
二人が十字に重ねた攻撃に、少女はかろうじてナイフで捌いたものの、太刀とはたきを受け止めきれずに得物を落として体勢を崩す。
「レア殿の強さが不思議か? ならば、人生の先達として教えよう。女の子は恋をすることで強くなる!」
「こ、コイだって!?」
予想外の言葉に少女は動揺する。周囲を見渡せばルクレ領の兵士たちは皆拘束されてしまっている。
残されたのは、茫然自失といった風のルクレ侯爵と、桃色髪の少女だけだ。そろそろ潮時かと彼女は覚悟を決めた。
「イスカ殿の姉君。貴殿の名前は何と言う?」
「あいにく名前を許されない身分でね。三番目でも、オニンギョウでも、好きに呼ぶといい」
少女の返答に、セイは青に染まりつつある濃紫の空を見上げた。星はすでに見えず、しかし薄い三日月がいまだ天に座している。
「月は、貴殿にははかなげで似合わないな。ミヅキ、……ミズキ。よし、今後私は貴殿をミズキ殿と呼ぼう。白い花を満面に咲かせる美しい木の名前だ」
「……。ありがとう。もらっておくよ。そして、ごめん」
謝罪は、誰に向けたものだったのか。
少女、ミズキは、水夫服の胸ポケットから掴みだした魔符を噛み破った。
瞬間、巡洋艦の船内数か所で火の手があがり、彼女はルクレ侯爵の襟首を掴み、爆音に乗じて海へと身を躍らせる。
「ミズキ殿、命を粗末にするな!」
「セイさん、薄幸の美少女だと思った? 残念、あたしって諦め悪いんだよ。レアさん、また闘おうね。今度は勝ってみせるから」
ミズキが落下したのは、接舷したレーベンヒェルム領のダウ船だ。船体から伸びた一本マストを蹴って、巡洋艦を包囲する他の船へと飛び移ること数回、遂には転移魔術妨害の範囲内から脱して、ルクレ侯爵と共に蒼穹へと消えて行った。
「……ミズキ殿。自ら美少女を称するとは、なんて残念な娘だ」
「そして、恐ろしい娘でした。ですが、セイ様、彼女に命を奪われた兵は一人もいません。それだけは、助かりました」
「機密であった銃の流出、ルクレ侯爵の捕縛失敗、ミズキ殿――。いくつかの懸念はあるが、巡洋艦は無事奪取した。皆の者、勝ち鬨をあげよっ。我々の勝利だ!」
昇陽が照らし出すボルガ湾に、雷鳴もかくやという歓声が響き渡った。
ボルガ湾海戦は、レーベンヒェルム領艦隊が商船三隻が沈没し、流れ弾を受けた多数の商船、海賊船が小破、中破したものの、ルクレ領艦隊の旗艦である巡洋艦”海将丸”を拿捕、駆逐艦、戦闘艇、武装商船合わせて七隻を轟沈させるという大勝利に終わった。
ミズキの爆破によって、”海将丸”は一か月程度の修理が必要となったが、航行には辛うじて問題なく、無事領都レーフォン近くの港に繋がれた。
領都レーフォンは、セイの勝利に沸いて喝采が木霊した。セイも、ロロン提督も、サムエルも心地よい眠りに就くことができた。この日までは……。
翌日、木枯の月(一一月)一一日午前。
領境界を偵察中のイヌヴェ隊から、ソーン領の騎士団が侵攻中との急報が入る。その数、なんと五万人。続けて役所に入った急報が、レーベンヒェルム領軍を震撼させることになる。
「グェンロック領と相対中の緋色革命軍ですが、一部が反転して南進、マラヤ半島の先遣隊との連絡が途絶しました」
「棟梁殿に救援を送る。船の準備を急げ」
「大型船の飛車丸、角行丸は沈没。中型以上の商船はいずれも中破しています。小型船のピストン輸送では、どれだけの時間がかかるかわかりません。セイ司令、そもそもうちの領軍は二万です。五万の敵を相手に軍を分ける余裕はあるのですか?」
「ゴルト・トイフェル。これが、本当の狙いだったのか」
破滅の音は止まらない。宿命の輪は廻り続ける。ただひたすらに。