第70話 貧乏騎士家の三男坊!?
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)三一日。
クロードは、女執事ソフィ、出納長アンセル、参謀長ヨアヒム、護衛兼マスコットのアリス、魔法支援部隊長キジーを伴って、エングホルム領へと出立した。
彼が事前に立てた作戦は、以下のようなものだ。
まず義勇兵からなる先遣隊を派遣して、エングホルム領の最南端、中立を宣言した都市国家シングの近辺に上陸し、橋頭堡を築く。
都市国家シングを背にすることで、最悪時における退路と補給路を確保し一定の勢力を築き上げ、緋色革命軍の根拠地である領都エンガに圧力をかけるのだ。
そうすれば、現在、ユングヴィ大公領とユーツ領をうかがって、北上の動きを見せているダイヴィッド・リードホルム達は戻ってこざるを得ない、というのがクロードの見立てだった。
「撤収してきた緋色革命軍の隙をついて、指導者ダヴィッドを殺害あるいは確保する。たとえ失敗したとしても、セイが率いるレーベンヒェルム領軍の本体を招き入れれば、互角以上に戦えるだろう」
クロードは、会議室に座ったレーベンヒェルム領の幹部たちを前に、黒い短髪をかきあげ、三白眼を大きく見開いて、自信たっぷりに言い放った。
「敵の正面に攻撃を加えるよりも、背後の弱点を攻撃する。これぞ、囲魏救趙の計だ」
おおーっと、感嘆の声が会議室にどよめいたが、セイだけは困ったような顔でクロードの顔をじっと見つめた。
「棟梁殿の言っていることは正しいよ。共和国がニーダル・ゲレーゲンハイトへの追撃に集中し、緋色革命軍が領都エンガから離れた今が、出兵する最大の好機だろう。だが、棟梁殿、気をつけてくれ。ゴルト・トイフェルは、恐ろしいつわものだ。強い虎を討つならば、根城である山から引き離すのが定石。勇んで踏み入れば、返り討ちに遭う可能性も……」
「大丈夫だよ、セイ。もしも、本格的な戦争になれば、大勢の人が死ぬ。その前に決着をつけるんだ」
そうセイに言いはなったクロードは、驕っていたわけではなかった。
だが、クロードと同様にファヴニルから力を分け与えられたダヴィッドの存在と、エングホルム侯爵夫妻の死を止められなかった罪悪感、大規模な内戦を避けたいという焦燥が、彼の心を強く駆り立てているのは明らかで、その事実がセイを不安にさせた。
彼女の隣では、クロードに同行する参謀長ヨアヒムが目を皿のようにして、マラヤディヴァ国近郊の地図を見つめていた。
「辺境伯様。オレたちはヴォルノー島のレーベンヒェルム領から、どうやってマラヤ半島のエングホルム領に上陸するんですか? うちには、中型の警備船程度しかありませんよ。ヴァリン公爵から駆逐艦を借ります?」
「ヨアヒム、今のエングホルム領は、ろくな海上警備もできていないようだけど、あまり本格的な軍船で乗り込んだら目立つだろう? ここは敢えて海賊のふりをしたいと思う。接収したボロ船がいくつかあったから、それを使おう」
海路要衝であるマラヤ海峡を通過する船は、なんと年間一〇万隻にも及ぶ。
マラヤデイヴァ国、都市国家シンガ、ビネカ・トゥンガリカ国などが協力して取り締まっているものの、金銭や積み荷を狙った海賊行為が横行していた。
海賊たちは、一本もしくは二本の帆柱に大三角帆を張ったダウ船などの簡素な船に、魔法仕掛けの内燃機関やスクリューを一体化させた船外機推進システムをつけて強襲し、積み荷や船員・乗客、場合によっては船を丸ごと奪い去るのだ。
海賊たちは沿岸でも略奪を働いていたのだが、レ式魔銃を揃え、訓練を積んだレーベンヒェルム領軍の敵ではなく、ここ数ヶ月は無事撃退に成功し、いくつかの船を拿捕することにも成功していた。
緋色革命軍首魁であるダヴィッドを兄にもつ出納長アンセルは、クマの浮いた目を血走らせながら、保有艦艇と軍需物資の資料にチェックを入れていた。
「領主自ら私掠船に乗り込んで強行揚陸ですか……。非常識ですが、背に腹は替えられませんね。今のレーベンヒェルム領は、先代が推し進めた軍縮の結果、海兵も軍船も絶対的に不足しています」
現在、マラヤディヴァ国が保有する軍艦の内訳は――、
巡洋艦 二隻(ユングヴィ領×1、グェンロック領×1)
駆逐艦 四隻(ユングヴィ領×1、グェンロック領×1、メーレンブルク領×1、ヴァリン領×1)
戦闘艇 一〇隻(各領×1)
警備船 二〇隻(各領×2)
というものである。
本来、護国の要として外圧をはねのける立場にあったレーベンヒェルム辺境伯領は、かつて巡洋艦一隻と、駆逐艦二隻を保有していたのだが、先代のクローディアスが、西部連邦人民共和国に媚びて、『今必要なのは軍船じゃなくて握手だ』と二年前に廃艦にしていた。
(またお前かよ。売国奴!)
事情を知ったクロードは、涙を流しながら胃を抑えたが、無いものはどうしようもない。
レーベンヒェルム領には、新たに軍船を建造するための造船所もなければ、購入する宛てもなく、更には予算もなかったため、クロードは民間から商船や輸送船を買い上げて改装するように指示した。
マラヤディヴァ内戦の緒戦は、こういった各領の事情もあって陸戦に終始し、ほぼ海軍の目立たない戦況で推移することになる。
☆
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)三日。
クロード達、レーベンヒェルム領軍を中心とする自称、義勇兵団は海賊から分捕った五隻の簡易木造船に乗り込み、旧エングホルム領の漁村ビズヒルの港に接舷した。幸運にも同業と思われたのか、それとも冴えないボロ船に価値を見出さなかったのか、海賊に襲われることはなく……、更には緋色革命軍が軍主力を北上させたことにより、一切の海上戦闘もなく無事上陸に成功する。
後世において、ヨアヒム参謀長渾身の奇策と謳われ、あるいは内戦を激化させた地獄への一策とも謗られる、博打じみた上陸作戦はこうして成功した。
(ダグラス・マッカーサーの仁川上陸作戦……)
クロードは、朝鮮戦争においてマッカーサー率いる国連軍が北朝鮮軍の補給路を分断して反転攻勢の契機となり、同時にマッカーサー自身が増長によって失脚する遠因ともなった、地球史上の上陸作戦を脳裏に思い浮かべたが、すぐに忘却してしまった。
眼下に広がる漁村は炎に焼かれ、緋色革命軍の暴徒に追われた幼い少年が、彼に助けを求めてきたからだ。
「たすけて、たすけてよ。ぱぱとままがころされちゃう。たすけてっ」
クロードは、レアより預かった二振りの刀、雷切と火車切を振るって義勇兵団の陣頭で奮戦、緋色革命軍の新兵器を破壊して、漁村ビズヒルを彼らの魔手から解放した。しかし、広場に据え付けられた松明の炎に照らされた、村長をはじめとする村人たちの顔色は、まるで夜闇のように悪かった。
「救われたことには感謝します。しかし、この村にはもはや何もありません。若い男は兵隊として、若い女は奴隷として連れ去られ、老人と子供しかいません。食糧や衣服すらも奪われ、もはや死を待つばかり……」
「アンセル。余分に積んできた食糧、衣類と毛布を分けてくれ、怪我人と、子供たちは?」
「リーダー。そう仰ると思って、準備していました。すぐに手配します。怪我人はソフィ姉さんが看ています。アリスさんが子供たちに遊ばれ、ゴホン。子供たちと遊んでいます」
クロードはアンセルの報告に頷くと、村長に尋ねた。
「女性たちがさらわれた場所に心当たりはありませんか?」
「ほ、北方の商業都市ティノーで奴隷市場が開かれていると、緋色革命軍の兵士たちが言っていました」
「ヨアヒム。次の目的地が決まったぞ。明日には、半数を連れて発つ」
「へいへい。リーダー、買うんですかい?」
おどけたように肩をすくめたヨアヒムに、クロードは唇を吊り上げた。
「マラヤディヴァ国じゃ、人間を商品として認める法律があったのか?」
「まさか」
「僕たちは、革命軍を自称するテロリストと、彼らに協力する犯罪者を鎮圧するだけだ」
「違いないすね」
クロードとヨアヒムは、互いの細い腕をがっしりと噛みあわせた。
村長は、訝しげに眼を細め、目の前の傭兵服に身を包んだクロードを伺った。
「貴方達は、いえ、貴方はいったい誰なのです」
「僕は――」
クロードが浅く息を吸い、用意していた脚本を語り始めた時、広場の外側で「アリスちゃん、そっちへ行っちゃ駄目」というソフィの声が聞こえた気がした。
「貧乏騎士家の三男坊で、この義勇兵団を率いる代表……」
「クロード・コトリアソビたぬ♪」
がっくりと膝をついた代表の肩の上に飛び乗って、丸くなった金色のぬいぐるみじみた獣は、そう高らかに宣言した。
(イスカちゃんから聞いたのかぁああっ)
――
―――
クロード・コトリアソビという指導者の素顔は、マラヤディヴァ内戦、最大の謎の一つとして後世の歴史家を悩ませることになった。
レーベンヒェルム領、エングホルム領に留まらず、マラヤディヴァ国中を探しても、コトリアソビ家という騎士家は存在していない。
しかし、アリス・ヤツフサの発言は、漁村ビズヒルを中心に数多くの日記や記録に残されており、また義勇兵団を率いた指導者は、レーベンヒェルム領軍参謀長ヨアヒムでも出納長アンセルでもなく、謎の二刀流を用いる魔法剣士であったことが戦場で確認されている。
この義勇兵団に同行した元オーニータウン守備隊魔法支援班長キジーが、小説として自らの体験を発表した際には、クロード・コトリアソビを辺境伯が取り立てた侍従として位置付けていたが、実在は確認されていない。
いわゆる……トンデモ理論のひとつに、「クロード・コトリアソビは、クローディアス・レーベンヒェルムの名乗った偽名だ」というものがある。
かの悪名高い辺境伯が、自ら事態収拾のためエングホルム領に乗り込んだという、非常識な説である。この説について、インタビューを受けたブリギッタ・カーンは、こう答えたという。
『あの戦闘センスのない辺境伯様が、二刀流なんてできるわけないでしょ』
内戦終結から五○年後のマラヤディヴァ国では、クロード・コトリアソビとは、でっちあげられた架空のリーダーである、と主張する自称リベラル派の学者と、実在を主張する歴史学者との間で、激しい論争が繰り広げられている。