第67話 それぞれのオモイ
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)二四日午後。
クロード率いるエングホルム領遠征軍の出立準備と、レーベンヒェルム領内の業務引継は順調に進んでいた。
緋色革命軍指揮官ゴルト・トイフェルの非情な策略によって、エングホルム領から難民が流入したことにより、一事は大混乱になったレーベンヒェルム領だが、エリックたちの尽力もあり、どうにか往時の平穏を取り戻していた。
クロードが、共和国の傀儡だった代官を解任して交通網を整備したことで、領内外の交易が促進され、結果として食料と生活必需品の暴騰を避けることができたからである。
また、昨年末に完成した新式農園”セミラミスの庭園”によって、安定した食糧供給と雇用枠が確保できたという理由も大きい。
小ぶりでふぞろいといえ、大量の芋を収穫できる空中栽培プラント。病害虫に弱い作物を安定した環境で育成・収穫するガラスハウスプラント。未だ試験中ではあるが密植&自律ゴーレムによる自動運営を目指した水耕栽培プラント。耐病害虫と高付加価値を兼ね備えた新品種の開発を目指す試験区画などが、フル稼動し、食料を増産していた。
クロードたちは、難民を装った外国人には丁重に母国へとお帰り願ったものの、エングホルム領民には作物の出荷や加工の仕事を紹介することで、レーベンヒェルム領における彼らの新しい就職先と領の収益向上を並立させていた。
「と言っても、今のままじゃあ足りないよなあ。もっと大人数が働ける場所が必要だ」
連日の特訓ですり傷だらけになったクロードは、役所の執務室に座って、王国のエドガー・ヒューストンから届けられたウェスタン建設の企画書を、血走った目を皿のようにして読み込んでいた。
「――鉄道計画。用地買収は領主特権でなんとかするとしても、ある程度の完成が見込めるのが二年後? 完成してすぐにアイツに焼かれたりしたら、目も当てられないよ」
反面、鉄道が完成すれば、領内を横断できる交通手段の存在は、兵員と武器輸送の面で強力な支援効果を見込めるだろう。
どこからファヴニルが襲い掛かってきても、短時間で領軍を集結できるというメリットは、クロードにとっても、また領民の安全を守る上でも大きかった。
「……博打だけど、雇用の確保を優先しよう。鉄道計画を承認する、と」
クロードは、羽ペンで企画書にサインして所定の箱へと収めた。
「次は、ニコラス・トーシュ教授の、農作物の残渣堆肥を利用したバイオガスプラントの実験計画か。これも承認、と。液体肥料を流用した無煙火薬の開発は、え、成功したの?」
硫酸と硝酸、綿のような繊維さえあれば作れる、という知識だけは、先輩から聞いて憶えていたものの、クロードは濃度や混合割合までは知らなかった。
しかし、熟練の鍛冶屋と錬金術師、学者を集めた研究チームは、驚くほどの速度で最適解を見つけ出したらしい。
「ということは、レ式魔銃のバージョンアップと、大砲の作成が可能になるのか!」
クロードが椅子から立ち上がってガッツポーズを決めた直後、ドアが叩かれて勢いよく開かれた。
「おーい、棟梁殿。花押ちょうだいっ」
部屋に飛び込んできたのは、薄墨色の髪をポニーテールにまとめた葡萄色の瞳をもつ少女、領軍最高司令官セイだ。彼女の竹刀だこの浮いた白い手には、騎兵銃の開発計画書が握られていた。
「棟梁殿、聞いたぞ。新しい火薬が出来たのだろう? 今の銃は、馬上で使うには取り回しが悪いから、こういうのを作って欲しいんだ」
セイが持ち込んだ設計書には、七〇cm程度の短銃身かつ小口径の連発式銃が描かれていた。
「判子じゃなくて署名ね。はい、と。兵器開発部へ持って行って」
「お、おや、いいのか? てっきり、予算がなぁいって、ごねられるものだと予想していたけれど」
あっさりと開発許可が下りたせいか、面食らったセイに、クロードはうつむいて告げた。
「銃は、必要だから」
クロードは羽ペンを筆立てに戻して、窓の外、はるか遠いマラヤ海峡の向こうにあるエングホルム領に思いを馳せた。
「ロジオン・ドロフェーエフの手紙には、空を飛ぶ異形の兵について書かれていたよ。逃げ延びたエングホルム領の兵士達は、実際に蝿のような怪物や、滑空する大太刀を目撃している。撃ち落とせる手札は、今のところ銃だけだ」
クロードの知る対空戦術に、『全力射撃』というものがある。
元は、第二次世界大戦中に、日本陸軍が用いたものであり、対空兵器を持たない部隊が敵航空機と遭遇した場合に、歩兵部隊が全力で集中的に対空射撃し、これに対抗しようというものだ。
『物資不足だからって、精神論にも程があるだろう、どれだけ追い詰められているのだ、日本軍は』――と、先輩達から初めて聞いた折、クロードは気が遠くなったものだ。
が、意外や意外、この戦術、ベトナムのクァンガイ陸軍中学などで教壇に立った旧日本陸軍関係者から、南ベトナム解放民族戦線の参戦兵たちに正式戦術として受け継がれている。彼らはベトナム戦争で、自動小銃による全力射撃を敢行し、アメリカの航空機やヘリコプターに無視できない損害を与えたという。
「空対空戦闘をやろうにも、アメリアやルーシア製の飛行ゴーレムなんて高価すぎて買えない。高射砲の自力開発には時間がかかる。だったら、魔法で防御しながら、地対空戦闘で対応するさ」
「ははっ。棟梁殿も強引だなあ。ところで、話は変わるが、ソフィ殿は今日も、農園で魔導機器の点検か?」
セイの質問に、今度はクロードが目を白黒させた。
「うん。引継に行っているよ。どうかしたの?」
「ちょっと逢引に誘おうかと、ね。たまには、二人で一緒にお茶を飲むのもいいだろう。アリス殿が言っていたぞ、こういうのを女子会というのだろう?」
なぜ男子のアリスが女子会を語るんだ? と、当人が聞けば「たぬー!?」と絶叫必至の誤解に首を傾げつつも、クロードは了承した。
「いいんじゃない。レアには遅くなるって伝えておくよ」
「そうだ。棟梁殿、もうひとつ聞きたかったのだが、いいか?」
「なに、あらたまって」
「農園の愛称”セミラミスの庭園”だが……、どういう意味だ?」
☆
同日、夕刻前。
女執事ソフィは、”セミラミスの庭園”という愛称を与えられた、レーベンヒェルム領の新式農園を見回っていた。
空中栽培用の器具、育苗機、肥料製造機、水耕栽培装置……、偉大なる冒険者、ニーダル・ゲレーゲンハイトの娘、イスカがもたらした膨大なマジックアイテムを組み合わせ作り上げた無数の魔導装置。
それらに刻まれた魔術文字を、入念にチェックしてゆく。
「もう大丈夫、かな?」
ソフィは、ガラスハウスに映る自分の姿を見た。
赤いおかっぱの髪、黒く大きな瞳。橙色の上着と若草色のベストは豊満な胸に押し出され、臙脂色のキュロットパンツからは瑞々しい太ももが伸びている。
しかし、華やかな印象とは裏腹に、ガラスが映し出した少女は、まるで水底の石のような重い空気に沈んでいた。
「どうして、こうなっちゃたんだろう? ダヴィッドさんも、レベッカちゃんも、どうして、あんなことができるんだろう」
ソフィの知る彼らは、ごく普通の少年少女だった。
彼女は、五年前、ダヴィッドが父親のリードホルム卿と折り合いが悪かったことを覚えていたし、三ヶ月前に再会したレベッカがまるで人が変わったようで、寒気がするような恐ろしい視線を向けてきたことも、強く印象に残っていた。
それでも、エングホルム領から逃げてきた人たちが訴えるような、残忍で残酷なやり方で侯爵夫妻の処刑を行い、恐怖政治で圧制を敷くような人間に変わり果てたのだ、とは思いたくなかった。
「おねえちゃんのつもり、だったんだけどな」
五年前、本物のクローディアス・レーベンヒェルムとファヴニルが起こした簒奪で、全てが変わった。
身寄りのないエリックを、家出したブリギッタを、父を殺されたアンセルを、焼け出されたヨアヒムを庇い、支え続けてきたのはソフィだった。
「クロードくん、わたしは……」
そして、一年前、再びすべてが変わった。
悪徳貴族と邪竜に拉致されたソフィは片目と視力を奪われ、影武者として入れ替わったクロードによって救われた。
ソフィから見たクロードは、ひどくアンバランスな少年だった。
幅広い教養と卓越した判断力、決断力を持ちながら、何者かへの劣等感に苦しみ、自罰的な態度に終始する。
あるいは、裏返しなのかもしれない。決して届かない誰かと肩を並べる為に、あらゆる知識を貪欲に学習し、瞬時に状況を把握、最適解を導き出そうとする。
どちらにしても危うくて、命と目の光を取り戻してくれた恩義を返すために、ソフィはクロードの傍らで、彼を見守ろうと思った。
それが、もう嘘に変わってしまったことを、ソフィは知っている。
彼は間違わない。心が折れても、身体が膝をついても立ち上がり、まっすぐに光射す白い道を歩き続ける。
レアは、彼が力を得ることを心配しているようだったが、ソフィは杞憂だと断言できた。
一年間、クロードの隣で見続けたのだから。収穫に喜ぶ笑みを、テロリストに怒る憤怒の瞳を、失われる命を嘆く慟哭を、そして穏やかな日々に安らぐ横顔を。
「好きだよ。だから、もう傍にはいられない」
ソフィは、思う。自分はクロードに相応しくない、と。
彼には、レアがいる。万能といって良いほどの才覚をもち、無私の心で支える侍女が――。
彼には、アリスがいる。可愛らしい容姿と、無垢な心で周囲を和ませ、笑顔をもたらす女の子が――。
そして。
「ソフィ殿、どうかな? お茶でも一緒に飲まないか?」
セイがいるのだから。