第65話 出立準備と秋一番の大事件
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)二日。
クロードは、暫定役所執務室にエリック達、レーベンヒェルム領役所の主要メンバーを招集、緋色革命軍に対抗するための、抵抗軍組織計画を打ち明けた。
旧エングホルム領に潜入するのは、クロードを筆頭に、謹慎を命じられたソフィ、アンセル、ヨアヒムの三名。更に、元オーニータウン守備隊員を含む選りすぐりの精鋭百名が同行し、約半年間の政治空白と引き換えに反攻のための橋頭堡を築くという作戦だった。
切りそろえられたトウモロコシ色の髪の下、そばかすの浮いた頬に冷や汗をかきながら、アンセルは緑の瞳を泳がせた。
「辺境伯様。つまり、ぼくたちの謹慎というのは」
「建前だ」
薄い胸板をそらせて、堂々と宣言するクロードに、ヨアヒムは朽葉色のソフトモヒカンをかきむしり、青錆色の瞳を両のてのひらで覆った。
「なぁんだ、心配して損した。って、余計酷いじゃないですか? 十賢家のお偉方からは、今は動くなって釘を刺されたんでしょう!」
「なにを言ってるんだ、ヨアヒム。レーベンヒェルム領軍は動かない。これはあくまでも有志による義勇軍だよ」
「辺境伯様が堂々率いて、参謀長と精鋭が同行する義勇軍って何なんすかね?」
「この世には、似た人が三人いるって話じゃないか。偶然って恐いね」
「凄い理屈だぁぁっ……!」
クロードの知る限り、地球史上においても、日中戦争時におけるクレア・リー・シェンノートが指揮するフライング・タイガース部隊やら、朝鮮戦争における彭徳懐が率いる中国人民志願軍やら、「そんなバレバレの義勇軍があるか」といった例は、枚挙にいとまがない。
某国の兵器で武装した、某国の軍事訓練を受けた某国人、あるいは某国からの移民ですが、親某国派の民兵であって、某国とは関係ありません!――こういった露骨な詭弁は、恐ろしいことに二一世紀になってすら通用している。
「ヨアヒム、辺境伯様の言うことがぶっとんでるのはいつものことだろ。領警察は、エングホルム領から押し寄せてくる難民の対処で手一杯だ。原因を元から断つって言うなら、俺はこの作戦に賛成する」
「アタシもエリックに賛成よ。今のままじゃ、緋色革命政府は本気で国を割るつもりでしょう。マラヤ海峡にあんな無法地帯が出来てみなさい、交通も交易もままならなくなるわよ。最悪の場合、それを口実に共和国やアメリア、ルーシアあたりが介入してくるわ。アタシは、アタシが生まれたマラヤディヴァという国が、代理戦争に巻き込まれるのなんてまっぴらごめんなの」
黒髪黒眼の領警察隊長エリックが鍛えられた両腕を組んで賛成し、外交折衝担当官のブリギッタ・カーンも、山吹色の髪に気合をみなぎらせ、灰色の瞳に確かな決意をこめて恋人に続いた。
「緋色革命軍は、すでに共和国の支援を受けていますよ」
そう断言したのは、短く刈った白髪と浅黒い肌が印象的な、この場における唯一の大人、ハサネ・イスマイール公安情報部長だ。
「潜入させた間諜が武器の供給を確認しています。共和国の目的は、マラヤ海峡周辺の南海航路を制圧し、制海権を確立することでしょう。そのために、レーベンヒェルム領を支配下に置こうとして失敗したから、次はエングホルム領……。節操のないことです」
「ブリギッタ殿、ハサネ殿。私は政治に疎い。もしも西部連邦人民共和国が、この南海域の覇権を握ればどうなる?」
薄墨色の髪をひとつにまとめ、総髪に結わえた領軍総司令セイが、葡萄色の瞳に強い炎を宿して問いかけた。
「軽いところじゃ通行料を巻き上げて、悪ければ臨検の実施や航路封鎖を行うんじゃない?」
「ブリギッタ殿の仰るとおりですね。人の交通を制限し、各種資源の輸送を管理下におさめ、輸出入すら共和国の意のままとするのが目的でしょう。聖王国をはじめとする資源輸入国家群は絶大な被害を受け、世界各国と交易を行っている浮遊大陸のアメリアだって無傷ではすまない。それ以上に、我々、大陸南部諸国の生殺与奪が共和国に握られますよ。……いっそ早めに降伏して靴を舐め、ダヴィッド・リードホルムと協調をとる、という選択肢もありますが」
ハサネの提案に、クロードは顔をしかめて、上着のポケットにひそませた、ロジオン・ドロフェ-エフからの手紙を握り締めた。
「ハサネ所長。やつらは、多くの人の命を犠牲にした。緋色革命軍との同盟や共闘は有り得ない。やつらは倒す」
クロードは、断固として宣言した。彼の鬼気迫る表情に、一瞬、執務室が静寂に包まれる。
「わかったぬ。たぬも一緒についてくたぬよ。共和国からも敵が来るたぬ? クロードは、女房役のたぬが守ってあげるたぬ」
沈黙を破ったのは、今までそっぽを向いて、会議に関心があるのかも定かでなかった、もこもこした黄金色の獣、アリスだった。
「アリス。嬉しいけど、それじゃ領の防衛が――」
「棟梁殿、アリス殿の同行を認めてくれ。レーベンヒェルムの地は、私が必ず守ってみせる。相手が軍なら負けはしない。契約神器と盟約者については、これまで回収した神器を、エリック殿たちに分配すればいい。御身を守れ。棟梁殿の命が失われれば、この地方は滅ぶぞ?」
「それは……。うん、緋色革命軍のことを教えてくれたのも、アリスだものな。わかった」
セイに説得されて、クロードは頷いた。
ロジオン・ドロフェーエフから届いた手紙を持ち込んだのは、アリスとイヌヴェだった。二人とも、赤い導家士の傭兵であった彼とは面識があり、緋色革命軍について書かれた手紙を、本物だろうと証言した。
もっとも、手紙の真偽を問わず、クロードは旧エングホルム領へ自ら赴くことを決めただろうが。
『オッテルなんていない。ダヴィッド・リードホルムのちからは、ファヴニルとおなじものだ』
根拠も由縁も不確かで、しかし、日本語で書かれた一文は、クロードを動かすのに十分だったのだから。
(ファヴニルの犠牲は食い止める。それが、僕の役目だ……!)
今、クロードの心は、ファヴニルへの激情で占められていた。
だからこそ、冷静であれば気づいたはずの、ある事実を見落とした。
少なくとも二人、同じように読める可能性がある者がいることを、失念していたのだ。
異世界からの来訪者にして領軍総司令官であるセイは、控えていた女中レアと何やら小声で打ち合わせていた。
そして、クロードと同郷の異世界人、ササクラに師事した少女ソフィは、乱れた赤いおかっぱ髪を整えもせず、大きな黒い瞳を閉ざし、両手を豊満な胸の前で握りしめたまま、一言も発言することはなかった。
☆
義勇軍の派遣を決めた後、クロードたちは軍需物資の準備や、仕事の引き継ぎ作業に追われた。
公安情報部長ハサネは、国外も含めてあらゆる情報を収集し、出陣に備えた。
そして、規模としては小さいものの、その後の歴史を一変させる、あたかも台風のような大事件が起こる。
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)一〇日。
はるか東方の、ガートランド聖王国ニューカルナフィア州にて、共和国とナラール国の共同工作部隊が、遺跡から発掘されたばかりの第五位級契約神器の強奪を謀ったのだ。
ロジオン・ドロフェーエフが知る平行世界の歴史では、ある少女がその神器と契約し、聖女と祭り上げられて、非業の死を遂げるまで戦い続けることになる。
……が、この世界で契約を結んだのは、まったく別の少年だった。
王国公安警察の協力者と目される少年は、混乱の中で、共和国およびナラール国の工作部隊を壊滅させた。
更には、偉大なる冒険者、共和国軍閥領袖エーエマリッヒ・シュターレンの懐刀であるニーダル・ゲレーゲンハイトと交戦し、彼をも撃退したのだ。
二〇歳に満たぬ少年が、シュターレン領最強の工作員から、大金星を上げた――そう素直に、世間はとらえなかった。
ニーダル・ゲレーゲンハイトなんて、恐れるに足らず。
盟約者ですらない遺跡荒らしの強さは、詐術に過ぎなかった。
そのように受け止められた結果、ニーダルの命を狙って、共和国内外から呆れるほど大人数の暗殺者が送り込まれて、狂騒劇が始まった。
「ニーダル・ゲレーゲンハイトが、ガートランド聖王国で素人に敗北した……という噂が立っています」
七日後、領主館の応接室で、尋ねてきたハサネから報告を受けたクロードもまた、ついにこの日が来てしまったと天を仰いだ。
「なんてこった。金髪爆乳の美人? 楚々とした大和撫子? どんな相手に痴情のもつれをやらかしたんだよ」
クロードは、メロドラマ風の絶望と渇望を歌い上げる挿入歌が流れる中、ニーダルが交際相手にナイフで横腹をメッタ刺される光景を、瞼の裏でありありと思い浮かべることができた。
が、ハサネは否定した。
「いえ、相手は男です」
「男の娘にまで手を出したの? どれだけ業が深いんだよ!」
あの先輩はいったいどこの地平を目指しているんだ? と、勘違いしたクロードは、思わず白目をむいて泡をふきだした。
「辺境伯様。信じられないのも理解できますが、戦場の真ん中で堂々決闘を果たした、とのことです。目撃者によると、相手は眼鏡をかけた大柄な少年だったそうです」
「……残酷な話だけど、きっとチャンスなんだろう。共和国は、動かせる手駒を、ニーダル・ゲレーゲンハイトにぶつけるはずだ。エングホルム領に乗り込むには、今しかない」
「わかりました。計画は続行します。続報が入り次第、お伝えします」
ハサネの去った応接室で、クロードはソファから立ち上がろうとして、がくりと膝をついた。
彼には、ニーダルを倒したという少年の容貌に、心当たりがあったからだ。
「会計先輩、アンタいったいなにやってんだぁあッ!?」
あのファヴニルを相手に二度も引き分けて生存し、痛撃を与えたニーダル・ゲレーゲンハイトこと、演劇部長、高城悠生は、この世界でも有数の戦闘能力保持者と考えて良いだろう。たいていの相手に不覚はとるまい。
しかし、と、クロードは、前提を放棄する。
演劇部会計こと、赤枝基一郎だけは例外だ。高城部長と赤枝会計は、無二の親友で、好敵手なのだから。
「こ れ だ か ら、川原で殴り合いをするのが友情だって信じてるリア充はおかしいんだっ」
クロードは想像する。
夕暮れの河川敷で、部長と会計が爽やかな挨拶を交わす。
『うほっ、いい親友』
『殴り合いを、やらないか』
このあと滅茶苦茶どつきあった。
なんて、考えるに阿呆なことを、やらかしたに違いない。
「異世界までやってきたのに、あの先輩達、まるで変わっちゃいない。それでも、無事で良かったよ」
これで二人、生存を確認できた。
(まだ逢うことは叶わないけれど、ファヴニルとの決着をつけて、もしも生き延びることができたなら、きっと)
クロードは、夕刻までに業務を終えると、いそいそと皮鎧と短剣を身につけた。
古代遺跡で特訓するのだ。鎖による拘束や、火矢等による攻撃だけでは、同じファヴニルから力を与えられたダヴィッドを相手に、どこまで通じるかわからなかった。
農園での戦闘で、一度見せている以上、次の戦いでは対策を立てられている可能性がある。
「僕も、強くならないと」
「力を望まれるのですか、領主様」
玄関の前で、しずしずと歩み出たのは、桜色の貝の髪飾りをつけた青髪の侍女、レアだった。
彼女は、赤い瞳に珍しく緊張を浮かべ、大小一揃いの日本刀をクロードに差し出した。
「レア、これは、どうしたの?」
「こちらの打刀を雷切、こちらの脇差しを火車切と申します。粗雑な模造品ですが、貴方に、この力をお伝えします」
部長&会計「「俺達の決闘については、エピソード『守護者』をよろしく」」
下端「でも、僕の予想、当たらずといえど遠からず、ですよね?」
部長&会計「「( ̄▽ ̄;)」」