第21話 侍女たちの前奏曲(プレリュード)
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復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 晩樹の月(一二月)八日。夕刻。
青い空が徐々に茜色に染まる中――。
メイド服を着た少女、レアはクロードを抱きしめたまま、肩まで伸びた青い髪をなびかせて、舞うようにはたきを繰り出し、襲い来るテロリスト“赤い導家士”達を地に叩き伏せた。
先ほど「傷は浅い」と激励したものの、クロードの容体は悪化していた。
意識が朦朧としているのか、目の焦点もあわず、よく見えていないようだ。
鎧を身に着けていたといえ、ダヴィッドによる殴打の直撃を受けたのだ。
正常ならば機能するはずの、契約神器の加護や防御術式が欠落したばかりか、反動でショック症状まで引き起こしている。
「ファヴニル。これが、盟約を交わした相手への仕打ちですか」
おそらくは、ファヴニルから力を引き出そうとした瞬間、強制的に経路を絞られたのだろうと、レアは推測した。
(あたたかい、です)
細い体と、ほんの少しだけついてきた筋肉。
砕けた鎧越しに、クロードの心音が聞こえてきた。
失いたくないと、レアは願った。ひきかえに、今まで積み上げてきた全てを、失うことになったとしても――。
「領主様、力をお借りします」
唇を重ねる。
魂を同調する。
刹那。レアが見たのは、夕暮れの小さな部屋だ。
様々な機材と、溢れんばかりの書物や小物、衣装が詰め込まれた混沌とした空間で、見たことのない六人の少年少女……。
否、“面影に見覚えのある”一人の少年と、初めて見る五人の少年少女が楽しそうに騒ぎながら笑っている。
主観となる視点はクロードだ。
決して彼や彼女に届かないという諦観と、いつか並びたいという憧憬を抱いて、少し離れて見ている。
(本当に、すっとこどっこいなんですから)
視点に向けられる柔らかな視線は、とっくにクロードを仲間だと認めているのに。
そんな幸せな光景を、胸の奥底に刻み込んで、レアは瞳を閉じた。
「同調終了。魔力経路の仮接続とエラー修復を確認。オールグリーン。領主様の容体は安定」
瞳を開き、唇を離す。
淡い光に包まれて、胸から腹にかけて負った打撲傷の癒えたクロードが、真っ赤な顔で大気に溺れる魚のように、口をパクパクしながら硬直していた。
「領主様。緊急事態につき、人工呼吸に準ずる応急手当を行いました」
読唇術で読み取るに、心肺蘇生法で大事なのは心臓マッサージの方だ、なんて的の外れたツッコミを入れているようだ。まるで無粋ないつも通りの反応に、もう大丈夫だろうとレアは胸をなでおろす。
(ひょっとして、私と同じ、はじめて、だったのかしら?)
唇から全身に奔った小さな熱を、レアは、気付かなかったことにした。
援軍のうち、冒険者と共和国企業連の私兵団を除いた大半、農園で働いていた農民や、町の領民達はまともな武器防具もなく、ただ気合いだけで戦場に出てきている。
彼らを支援しなければ、多くの命が失われるだろう。
「クローディアス・レーベンヒェルム。人民の敵めっ」
「おのれ、辺境伯。悪徳貴族がっ」
レアとクロードを包囲した赤い導家士たちは、遠巻きに矢を放ったが、新しく魔術文字を刻んだ、矢よけの加護に弾かれて、二人に届くことはない。
「まだわからないのですか……。今、領民に敵対しているのは、他ならない貴方達だということに」
「我々に従わない人民は人民などではないっ。悪質な反革命分子だ」
「貴方達はそうやって、都合のいい幻想に逃げこむのですね。いいでしょう。私は私の大切な人を守ります」
レアは複数の魔術文字を綴り、祈るように指を折って、手のひらを重ねた。
「連続鋳造。――“エンチャントアーマー” 重ねて連続鋳造。――“エンチャントウェポン”」
戦場の一角で、大きな鬨の声が響き渡った。
突如として、数十人もの農民たちが一斉に光り輝く鎧をまとい、彼らの手には槍や弩が現れたのだ。
丸腰の非武装と侮って、罵詈雑言を浴びせながら武器を手に突撃したテロリストたちは、農民たちによって逆に叩きのめされ、ほうほうの態で逃げ出した。
クロードとレアを包囲する赤い導家士のひとり、幹部級だろう壮年の男が、恐怖に顔をひきつらせながら、焔を灯した杖を手に近づいてきた。
「小娘、い、いま、なにをした!?」
レアは応えない。ただ、はたきを手に、クロードの前に立ちふさがるだけ。
「あの規模の魔術を、盟約者でもない人間が使えるはずがない。お前はいったい何者だ!?」
「ただのメイドです」
「黙れ魔女っ。そんなメイドが」
壮年の魔術師は、最後まで言葉を続けることができなかった。
叫びとともに放った巨大な火球は、クロードが作り出した土の壁に阻まれ、直後に壁の陰から踏みだした彼の拳が、魔術師の腹部にクリーンヒットしたからである。
吐瀉物を撒き散らして倒れる魔術師を見捨てて、赤い導家士の構成員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「やったぞ、レア。会計先輩直伝、正拳突きだ」
拳を高々と挙げて、クロードは元気そうに飛び跳ねている。
どうやら本当に、怪我の心配はいらないようだった。
「領主様、ストレートでは?」
先ほどの直線的な殴打には、回転がなかった。
「……あっ、あれ? そうだっけ」
――
―――
間近で見れば命の危機だったが、遠目からはただいちゃついているだけに見えるクロードとレアの姿に、パウル・カーンは戦場で張り詰めていた相好を崩した。
特別に親しい使用人なのか、あるいは正式に交際しているのか分からないが、どうやらクロードには想い人がいるらしい。
ブリギッタとの婚礼を断ったのは、そういう理由かと納得し、パウルは老いた目を細めた。
「辺境伯殿は無事か。……久しいな、ダヴィッド」
「懐かしい顔だな、カーンのおっさん。アンタは味方だと思っていたんだがな」
かつて、このレーベンヒェルム地方の役所で出納長を務めたボリス・リードホルムの遺児にして、いまはテロリスト集団“赤い導家士”の構成員に身をやつした青年、ダヴィッドのことをパウルは昔から知っていた。
「私もだよ。ダヴィッド。パトロンが手を回したのだろうが、なぜこのような暴挙に出た? 領主は変わり、領民も変わりつつある。君達の本願は叶った。もはや変革は成立しつつある」
パウルも所属する、共和国企業連の重鎮のひとり、ヘルムート・バーダーは、マラヤディヴァ国における“赤い導家士”の非合法活動を支える、最大のスポンサーであり、後ろ盾だった。
領再興を志す反骨心旺盛な辺境伯を、共和国思想に凝り固まったヘルムートが忌み嫌うのはわかる。しかし、“赤い導家士”側には、農園を焼き、街を荒らす理由などなかったはずなのだ。
「びょうっ! オレ達の思い通りにならないものが、どうして変革なものか!」
パウルは理解した。理解してしまった。今の辺境伯が、真の意味で改革者であればこそ、改革を騙る“赤い導家士”たちにとって、許されざる天敵となってしまったのだ――と。
「自称とはいえ、革命家が変革を恐れるのかね? で、あれば、君達はただ停滞したまま、乾いてゆくだけだ」
「枯れ果てるのは、おっさんのような年寄りだ。若いおれたちには無限の力と可能性がある!」
ダヴィッドは吼えるように叫び、逃げ出したテロリストの剣を拾い、力任せに斬りつけてきた。
パウルは、涼しい顔で腰に差したサーベルを抜き放ち、勢いを逸らして軽く受け流す。
「その力と可能性を、どうして調和と協調に使おうとしない?」
「ほざけっ」
幾度か剣を交えるも、老練なパウルの剣さばきは、既に契約神器の加護を喪失したダヴィッドを寄せ付けない。
単純な技量だけなら、クロードと比較するのも馬鹿馬鹿しいほどに巧みだった。
パウルは、複数のフェイントを交えてダヴィッドの剣を引き寄せ、サーベルで絡め取るようにして、弾き飛ばした。
しかし、ダヴィッドもまたタックルじみた突進を強行し、パウルの傍をすり抜けていった。
「ブリギッタ、おてんば娘め。いま父が迎えに行く。生きておれよ」
パウルは、ダヴィッドを追わなかった。
彼は、“赤い導家士”を討つためではなく、娘を助け出すためにここに来たのだから。
―――
――
その頃、レーベンヒェルム領の古代遺跡では、黄昏に染まる戦場を、金銀の糸で織られたシャツを着た見目麗しい少年が、上空に飛ばした使い魔の目を通して俯瞰していた。
「レア。馬鹿なやつ。本当にあいつを選ぶなんて」
呆れたように、艶めいた唇を歪ませて嘲笑う。
少年、ファヴニルにとって、クロードの生死は、究極的には問題なかった。
ニーダル・ゲレーゲンハイトを討つための準備はすでに整っていて、ペナガラン要塞をはじめ、複数の拠点に罠を張り巡らせ、魔力の外部貯蔵も万全だった。
たとえクロードが自害しようと殺されようと、決戦に勝利したあとで、ゆっくり新しい盟約者を探せばいい。
(たとえば、あの赤い髪の女とか、ね)
ただひとつだけ。ファヴニルは、先ほど見えた景色を無視できなかった。
「あの六人が、クローディアスの宝物で憧れで、劣等感とコンプレックスの原因なのはわかる。……でも、どうして其処に、ニーダル・ゲレーゲンハイトがいるんだ?」
クロードは、ファヴニルに心を閉ざしているから、たとえ盟約を交わそうとも、深層心理までは見通せなかった。
レアは、クロードが心を許していたからこそ、あの一瞬だけ覗き込めたのだろう。
そこには、若き日のニーダルと思しき少年の姿があった。
「どうしようかなあ?」
レアは、ニーダルに取り憑いた、レプリカ・レヴァティンの危険性を承知している。
いわば、神器と盟約者を狩るため無差別に吹き飛ばす、導火線に火がついた動く爆弾のようなものだ。
暴発の危険性がある以上、たとえ昔の友人だと知っても、クロードの傍には招くまい。
ファヴニルはどうか?
ニーダルと戦う上で、クローディアスは生きている方が望ましいが、生存は絶対条件ではない。
知己であったというのなら、娘ともども拘束して、人質として使ってもいい。
しかし、人質である以上、ニーダルを殺す瞬間まで、生かしておく必要があるのが気にかかる。
一番厄介なのは、万が一救出されて、連携をとられた場合だ。
単純な火力だけなら、ニーダルは、ファヴニルに匹敵する破壊力を持っている。
土壇場におけるクロードの判断力と勇気は、決して馬鹿にできない。
そして、支援役に娘が入った場合、面倒さは更に倍になる。
「イスカといったか。まさか千年前、ベルゲルミル様のパートナーを務めた方と、互角の狙撃手がいるとはね」
では、片方を殺すべきか?
イスカだけ殺した場合、ニーダルがレーベンヒェルム領にやってくるかは未知数となる。
クロードだけ殺した場合、致命的ではないものの、ファヴニルの力が低下するので旨みもない。
予定は狂ったものの、赤い導家士を最初に当てて正解だったと、ファヴニルは嘆息した。
戦力を調査してみれば、クロードもイスカも、ニーダルとは引き離して置くに越したことはない。
「ニーダルは今どこに? ふうん、そう選んだのか」
ファヴニルがプランを修正しようと悩み始めると、不意に遺跡の中で奇妙な魔力反応を感じた。
ニーダルを待ち受けるため、大量の罠を仕掛けていたから、誤作動を起こしたのかと疑ったが、それにしては、あまりに規模が大きすぎる。
「あれ? あれれ!?」
反応を調べるために、ファヴニルが瞬間転移した場所は、はじめてクロードと出会ったフロアにほど近い、遺跡奥の一角だった。
「……し、しにたくないたぬ、しにたくないたぬ……」
そこにいたのは、人間ではなく、漆黒の毛並みをもった大柄な虎だった。
頭や胴には無数の傷跡、左足には矢傷を負い、喉奥を切り裂かれて、今にも息絶えそうだ。
「こいつ、異世界から招かれたのか? 先代のクローディアスが作った出来損ないの魔法陣と儀式が、ボクの仕掛けた罠に反応して、予定外の機能を発揮した?」
とはいえ、召喚されたのは人間ではなく、道具、機械でもない。
ある意味では、ファヴニルと近しい魔術的な存在で、破壊を目的として生み出されたモンスターのように見えた。
「幸先がいいね。いい贄だ。こいつの魔力を喰らえば、外部貯蔵の魔力量がもう少し増やせそうだ」
天使のような笑顔で、悪魔のようなドス黒い意思を抱いて、ファヴニルは止めを刺そうと右腕を振り上げた。
「ひとりぼっちで、しぬのはいや、たぬ……」
まったく聞いたことのない別世界の言語だが、翻訳の魔術は正常に機能して、黒い虎が絞り出した、最期の言葉をファヴニルは理解できた。
彼は、止めを刺そうとした手を、虎の大きな口腔の中に突っ込んで傷を癒し始めた。
「ヒトならば弄ぼう。でも、ヒトでないのなら、ボクが愛する理由も憎む理由もない、か」
少なくともニーダルとの決戦に備え、クロードやイスカを牽制する程度の役には立つだろう。
「ねえ、生きたい? だったら、キミの執念を見せてくれ。名も無き虎よ」
新しい来訪者が生み出す因果とは?
次は、赤い導家士側に、ちょっとカッコイイ? 登場人物が出てくるかもしれません。