第150話 悪徳貴族と不死の軍勢
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 霜雪の月(二月)二八日。
太陽が南の空にさしかかる頃、クロードと三領軍はソーン領北部バナン川流域の湿地帯で血の湖の待ち伏せに成功した。
「目標、”不死兵”。撃てぇ!」
怪物災害を鎮めるために馳せ参じた三万人の兵士たちは、総司令官セイのかけ声のもと、血の湖が変化した数千体もの赤黒い人型の軍勢に対し、果敢に小銃と大砲を浴びせかける。
「AAAAAAッ!」
三領軍が放つ無数の弾丸が、骨と血と肉と粘液で塗り固められた人型兵士の群れを貫き、着弾した大砲の破片が胴や四肢をえぐる。
しかし、赤黒い兵士たちは動けなくなった仲間の肉を喰らい、瞬く間に損傷を埋め尽くして回復した。
契約神器・魔術道具研究所が不死兵と呼んだのも無理はない。この兵士たちは一にして全、全にして一、すべてを駆逐しなければ決して滅ぶことはない。
「だが、数は減った。第二射、構え。撃てぇええっ!」
不死兵がびしゃびしゃと水音を立てながら泥地をじりじりと進む中、半包囲した三領軍は再び火線を放った。
今度の砲弾は赤黒い兵士の軍勢中心に直撃して、一体の不死兵が四散した。一部の肉と骨片は泥の中へと落ちるも、大部分はまるで最初から無かったかのように消えてしまった。
「続いて第三射っ」
グロン城塞跡に残されていたマクシミリアン・ローグが考案した防衛陣は、セイの目から見ても見事なものだった。
沼地を通るわずかな小道を自軍で確保して、丸太や土のう袋を沈めて足場や防塁をつくる。
そうして銃と大砲で波状攻撃を仕掛けるのだ。たとえ少数であっても、大軍を相手に十二分に戦えたに違いない。
結果は、クロードの命を受けたキジーの水攻めで、城塞もろとも本陣を沈められ、マクシミリアン自身も人質で無理やり戦わせていた少年兵によって致命傷を負うという無残なものだったが――
「アルフォンス・ラインマイヤー。お前は、棟梁殿を、戦うのが好きではなく勝つのが好きな輩と評したそうだな? 大間違いだよ。勝つのが好きな男であれば、ああも不利な戦いをずっと続けられるものか。クロードは、戦いそのものを嫌っているんだ。しかし、どれほど和を尊んでも、殴って奪って火をつけてくる脅威がいるのなら、もう勝つしか選択肢がないだろう――? だから私は共に進むのさ。この故郷と、家族を守るために!」
四射、五射。銃撃と砲撃は絶え間なく続く。
小山ほどもある圧倒的な質量と捕食したモンスターから奪った魔術耐性によって、火も毒も契約神器による砲撃すらも、あらゆる攻撃を受け付けなかった血の湖だが……、スライムから軍勢に分裂したことによって状況は劇的に変化した。
一人の労働者が一本のシャベルで丘を平原と為すのは、困難だろう。
しかし、もしも丘が数千のブロックに分割されていたら? 労働者とシャベルが三万人分あったらなら? 大砲などの支援体制が万全なら――?
「いまだ。やっちまえ、サムエルのおっさん!」
「でかしたキジー。最高のタイミングだ」
キジー率いる魔術工作隊が湿原に埋め込んだ氷結魔法陣が起爆して、不死兵を氷漬けにする。
サムエルが指揮する砲兵部隊は、共食いで回復するまでの一瞬の時間を狙って、凍結した赤黒い軍勢を狙い撃ち、粉々に吹き飛ばした。
無敵を誇った防御力も、分散してしまえば減衰する。
反面、不死の軍勢の攻撃密度と多様性はスライムとは比較にならず、自らの肉体を剣や槍、斧に変化させて斬りこみ、あるいは弓や銃を形作って魔力の矢や弾丸を放って三領軍に応戦した。
魔法攻撃をエリックたちが受け止めるも、前衛の不死兵は沼地を踏みわけて前線を押し上げてくる。
「ふん、想像したほどじゃないわね。捕食した人間や徘徊怪物から能力を奪うって話でしょう? これじゃあ、赤い導家士と戦った時の方がよっぽど怖かったわよ」
今回の怪物災害鎮圧は、レーベンヒェルム領にとっても総力戦だ。
久方ぶりに戦場に立ったブリギッタは、小道を伝って防塁に飛び込み、接近する不死兵の小隊に対して真っ向からサーベルで斬りかかった。
彼女は兵士が腕から伸ばした肉の剣や骨の槍を潜り抜け、魔獣の遺骸で作られた斧を踏み台にして、余人が見惚れるほどの速度で一体、また一体と八つ裂きにする。
「アルフォンス・ラインマイヤーは、どうやら強さというものを誤解しているようです」
ブリギッタの背後では、珍しく、本当に珍しく軍服を着たハサネがナイフを閃かせ、再生を繰り返す赤黒い兵士の手足を落とし、あたかもダンスのステップを踏むように首を刎ねていた。
「ハサネさん、誤解ってどういうこと?」
「そうですね。ブリギッタさんは、小兵と大丈夫、速度に長じる者、技で魅せる者、力で制する者、いったい誰が一番強いと思います?」
「ああ、そういうことか。アルフォンスのやつは、地下遺跡に潜るのに、重戦士と軽戦士と魔術師と治癒師、いったい誰が最強かって考える馬鹿なんだ」
「おおかた、自分なら何でもできると決めつけて、単独で潜って死ぬタイプですね」
「違いないわ」
今では休日に潜る程度になったが、ブリギッタもまた現役の冒険者だ。
エリックは盾役として防御を固め、ブリギッタは足を活かして攻撃、アンセルが戦場を俯瞰しながら矢を射かけ、ヨアヒムが付与魔術での支援とかく乱を担当する。
昔は主力攻撃手と治癒担当を務めていたソフィが、クロードパーティに加入してしまったので、こうやって少しずつ探索範囲を広げてゆくのが、ブリギッタたちのやり方だった。
「ひとたび死地に入れば、探索隊は一蓮托生の運命共同体。小兵には小兵の、大丈夫には大丈夫の戦い方がある。剣も槍も槌も弓も等しく重要。速度を活かすも、力も圧するも、技で封じるも、千差万別の戦い方がある。ごちゃまぜにしても意味がないのよ!」
人間以上の膂力と速度で振るわれる剣も、槍も、斧も、人間の技とは釣り合っていないがゆえに大振りで、ブリギッタをかすめさえしない。
身長体重、腕の長さに足の長さ、筋肉のつきかたが違えば、おのおの最適な戦闘方法は変わるだろう。
技能を奪った? 知識を奪った? ああ、自分のものですらない能書きが増えたところで、いったい何の役に立つというのか。
魔力を付与されたブリギッタのサーベルが、美しい弧を描き、赤黒い兵士の肉を裂いて骨を断つ。
「どうやら表層の真似事だけは出来ているようですが、内実は抜けがらです。アルフォンス、ひょっとして経験まで混ざって意味を失いましたか? ああ――ツマラナイ。生きながら死んでいるなんて、殺す価値さえないじゃないか」
ハサネのナイフが一閃し、小道に這い上がろうとした不死兵の首が一斉に飛んだ。
ハサネの技は、リーチに劣り、汎用性など欠片もないただの殺しの道具だ。それでも、彼自身が磨き上げた唯一にして無二の戦闘術だった。
「ハサネさん。前から聞きたかったんだけど、あなた、昔、どこかで暗殺者とかやってなかった?」
「気のせいでしょう? 暗殺者なら、ほら、あそこに現役がいるじゃないですか?」
「ミズキさん? うわぁ」
ブリギッタが、呻き声をあげたのももっともだった。
ミズキは、半包囲網の射線からギリギリ外れた最前線で、型落ちしたマスケット銃を手に、瀑布のように弾丸を叩きつけていた。
「アハハッ。いいね、こいつはいい。撃っても撃っても倒れないなんて最高だ! 私はただ撃ち殺したいだけで、簡単に死んでほしくはないんだからっ」
ミズキが撃ちだす鉛玉を全身にあびて、不死兵が一体また一体と消えてゆく。
それでも、赤黒い兵士たちは同胞から肉と命を奪って白煙の中を進み、防塁に取りつこうと進軍を続けた。
そこに真の恐怖が待っているとも知らず――。
「貴重な魔術素材だ。はぎとれ、奪ええっ」
「もっとだ、もっとよこせえ」
「吐き出せ。金だ。金が必要なんだあああっ」
共食いの果てに小道へと辿り着いた不死兵に、ルクレ領、ソーン領出身の冒険者が殺到する。
格上のモンスターを、数の暴力で狩り殺すのは冒険者のお家芸だ。
弾幕で撃ち減らされ、軍勢の体裁さえ保てなくなった孤独な怪物たちは、各個撃破されて生きながらにして解体された。
その凄惨さは、間近で見ていたロビン少年が、思わず抗議の声をあげるほどだった。
「チョーカーさん。止めなくていいんですか? あれはさすがに人間としてどうかって」
「仕方なかろう。コトリアソビ達の研究の結果、やつの細胞が錬金術の触媒として有効だと証明されてしまった。ロビン、彼らも生活のため真剣にやっているんだ。止めてやるな」
「で、ですが」
思わず駆けだそうとした純粋な少年の肩を、アンドルー・チョーカーは強く掴んだ。
「セイという女が言っていただろう? これが意志を重ねるただの人間の力だ――と。この戦場には色んな意志が渦巻いている。軍人としての責務を果たそうとするもの、故郷や愛する女のために戦うもの、小生たちの如く正義を掲げるもの。中には、あの冒険者たちのように、楽園使徒の革命ごっこで父母を殺されて、生活の糧を得るために戦っているものだっている。そして、重ねるということは、一体化することじゃあ、ないのだ」
チョーカーは思う。
楽園使徒の首魁たるアルフォンス・ラインマイヤーは、きっと自分と異なる価値観の一切を認められなかったのだろうと。
だからこそ、粛清部隊である懲罰天使を組織して抵抗運動を弾圧し、レーベンヒェルム領にも争いの火種を撒き散らした。
彼の理想が西部連邦人民共和国の如き独裁国家であり、彼の夢が教主の玉座にのぼることならば、なるほど当然の選択だったかもしれない。
だが、マラヤディヴァ国の民衆にとって、アルフォンスのくだらないごっこ遊びにつきあう義理など最初から有りはしない。
「さすがはチョーカーさん、やっぱりチョーカーさんは凄い方です」
「ふん。当然だ。小生こそは、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することを惜しまぬ最高の軍略家だ。きゃつらとは格が違うわ。励めよロビン、ひゃあっはっはっ!」
ロビン少年の輝く瞳にあてられて、アンドルー・チョーカーは声高らかに笑いながら考えた。
果たして、己とアルフォンスにいったいどれだけの差があったのか――? ぽつりぽつりと天から降り注ぐ雨が、彼の頬を濡らす。呟いた言葉は誰に届くこともなく、喧噪のなかへ消えていった。
「アルフォンス。貴様と小生の始まりにそれほど差があったとは思わん。だが、貴様はたかが力なんぞのために人間性を投げ捨てた。我々は貴様にとって、道に転がる小石だったかもしれないが、踏みつけようとして転んだのは、そちらの勝手な自業自得だ」
時刻は正午。天を厚い雲が覆う中、不死兵たちもようやく敗勢を受け入れたらしい。
赤黒い兵士たちは一体化し、ぐずりぶちゅりと禍々しい音を立てながら、再び血の湖として生まれ変わる。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」
湿地に叩きつけられる雨音さえ塗りつぶすよう咆哮をあげて、ここに最悪の怪物災害は再誕した。
そして、その膨大な質量ゆえに、沼地にはまって動けなくなった。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!?」
「第三フェイズ開始! ソフィ殿、頼んだぞ」
「うん、セイちゃん、クロードくん。見ていてね」
三領軍後方に作られた簡素な神殿で、降り注ぐ雨の中、ソフィが祖霊に奉じる舞を踊る。
ヴァン神教の神官が、イシディア法教の僧侶が、神々に祈りを捧げる。
その治癒術式の内容は――すなわち解呪。
不完全な人間と神器の融合体が引き起こす爆発という未曾有の災害を防ぐために、クロードが考案した奇策とは、すなわちアルフォンス・ラインマイヤーを救うことだった。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」
血の湖が沼の中で暴れる。
小さな津波のように沼地が波立つ中、スライムの上部に青年の上半身が現れて叫んだ。
「フザケルナヨ、くろーでぃあす・れーべんひぇるむ。おれさまノちからハ絶対ニ奪ワセナイ!」