第147話 悪徳貴族と怪物災害
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楽園使徒代表アルフォンス・ラインマイヤーと、彼が盟約を交わした第六位級契約神器ルーングラブは、邪竜ファヴニルによって赤黒い肉塊へと変えられた。
生まれおちた新しい生命は、ただ強くなることを望んだ。だから、ルーングラブが有していた異能を拡大し、他者の持つ武器だけでなく、知識や技能を取り込むことにした。
かつてアルフォンスであった肉塊は、軍事キャンプに寝泊まりしていた楽園使徒の同志や傭兵たちを飲み込んで、勇猛な武人からはその力と武器の使い方を、魔道に通じた術者からはその魔力と術理を吸収した。
すなわち、己とは異なる他者が積み重ねた経験を、思い出を、人生を、生命を、自らのものとして同化したのだ。
紅茶と牛乳を混ぜれば、ミルクティーになる。レモン果汁と炭酸水を混ぜれば、レモンスカッシュになる。では、ミルクティーとレモンスカッシュを混ぜれば――?
肉塊の略奪は、アルフォンスという個人の境界を塗り潰すには十分過ぎた。
それでも、赤黒い肉塊には、まだ指の爪先ほどの理性が残っていた。だからより合理的に強くなるために……、付近の山中に住む獣や、古代遺跡から這い出てきた徘徊怪物を喰らい始めた。
逃げまどう野生の鹿、猪、熊に触腕を伸ばして侵食し、恐れを知らぬキメラやゴーレムを押しつぶして溶解する。
結果、肉塊の精神構造は劇的な変貌を遂げて、文字通りに人間ではなくなった。
「AAAAAAAAAAAAAッ」
食べたい。もっと食べたい。そして強く、どこまでも強くなりたい。
もはやアルフォンスとしての記憶すら消失した肉塊は、原始的な衝動に駆られるがまま更なる獲物を求めて北上し、二人の兵士と遭遇した。
「敵の襲撃かと来てみれば。なんだアレは、スライムなのか?」
「なんて大きさだ。まるで血の湖じゃないか。南の本部はどうなってるんだ?」
元は志を同じくした戦友だったが、忘却した肉塊にとっては物足りない食料としか映らなかった。
アルフォンス自身が願ったからか、ルーンバングルの機能か、はたまたファヴニルの悪戯か――。肉塊は、生物のもつ強さを、数字として認識することができた。
肉塊が観測したところ、自身の強さが一〇〇〇を越えるのに対して、二人の兵士はたったの五に過ぎなかったである。
とはいえ、それでもエサには違いなく、食べることで新しい技能や貴重な魔法を習得できる可能性があった。
そして何よりも、肉塊は多くの犠牲者を取りこんだことで質量が増大し、その巨大な体躯を動かすために、膨大な熱量と魔力を必要としていた。
「一度当たって強さをはかろう。俺が前衛だ。お前はマスケットで援護を頼む。なぁにスライム相手なら楽勝さ」
「ふ。オレの射撃に見惚れるなよ。無事片付けたら飲みに行こう。いい店を知ってるんだ」
男たちは互いに励まし合い、アタッカーとサポーターに分かれて挑んできた。
「AAAAAッ」
だから肉塊は、後衛の兵士が銃を構えて引き金を引く前に、湖のような体躯から土石流のような顎を伸ばして上半身を食いちぎった。
「ひぎっ!?」
「なっ!?」
その弱さゆえか。
前衛を務めた兵士は仲間の安否を気にして振り返り、肉塊が身体から生み出した端末、赤黒い人形によってばっさりと斬られた。
「やめろ、うっ、たすけ。ぎいいいいやああああ」
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAッ」
倒れた兵士から骨のくだける音が響く。四肢をもぎ、胴をすりつぶしながら侵食し、同化する。
いまや血の湖となった肉塊は歓喜の叫びをあげながら、消えゆく命を捕食した。
もっと、もっと。もっともっともっともっともっと……多くの食料が必要だ。
その果てにこそ、おのれが目指した夢がある。
「AAAAAAAAAAAA……」
血の湖は、生物の気配をさぐりながらゆっくりと北上した。
不定形生物であるがゆえに悪路をものともせず、野生の獣を取りこんだがゆえに嗅覚や聴覚も鋭敏だ。
そんな肉塊にとって、先ほどの兵士を偵察に送りだした隠し砦を見つけることなど容易かった。
「おい、なんだありゃあ? まるで血の湖じゃねえか。迎撃準備だ。弓手は火矢で足をとめろ。魔術師隊と魔力砲で撃滅するぞ」
隠し砦の指揮官は、横領で他国の正規軍を追放された傭兵だった。
彼は金に汚く、民間人への略奪や犯罪も辞さない悪党だったが、指揮の手腕は確かだった。
楽園使徒の構成員さえもアルフォンスに掌を返す中、あくまで契約を守ったプロ意識は讃えられてしかるべきだろう。
砦に敷かれた防衛陣も模範といって良かった。もしも肉塊がただの巨大なスライムなら、ここで討ち果たされていたかもしれない。
「AAAAAAAAAAAAAAッ!」
血の湖が、一〇〇を越える赤黒い兵士へと変化する。
それらの端末は、取り込んだゴーレムの装甲やキメラの怪力を有し、人間から奪った最強の技能と魔法を駆使する無敵の軍勢だ。
一にして全。全にして一。
ただひとつの意識によって支配された群れは、完全なる連携で隠し砦へ襲いかかった。
火矢を矢除けの術でそらし、氷柱や雷光を魔法障壁で受け止め、こぼれた砂糖の山にたかる蟻のように砦の人間達を食い破る。
「隊長、矢も銃弾も通じません」
「撤退しましょう」
「もう囲まれてる、逃げ場なんてどこにもないぞ」
「いやだ死にたくない。こなくそおお!」
砦の砲手が、やけっぱちに放った魔力砲のエネルギー弾が着弾し、何体かの端末を吹き飛ばした。
肉塊は、ストックしていたいくつかの生命が失われたのを感じる。しかし、予備はまだまだあるし、現在進行形で増加中だ。
「AAAAAAAAAAAッ!」
「非戦闘員は逃げろ。悪徳貴族でも緋色革命軍でも誰でもいい。必ずこの怪物のことを伝えるんだ」
隠し砦の指揮官は優秀だった。
生きたまま貪り喰われながら、古参の傭兵たちと共に死力を尽くして退路をひらき、同胞が生きのびるためのわずかな時間を稼いだ。
そして、血の湖もまた歓喜した。
指揮官という生き餌がもっていた、端末を効率的に動かす知識と技能は貴重なものだった。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ」
肉塊は、俺サマは最強だと歓声をあげた。
アルフォンス・ラインマイヤーは、願いを叶えて比類なき強さを得た。他の何もかもと引き換えに。
☆
復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 霜雪の月(二月)二三日早朝。
クロードが転移したレーベンヒェルム領軍司令部の会議室は、張りつめた剣呑な空気に満ちていた。
「待たせたね。ヨアヒム、報告を頼む」
「おいす」
ヨアヒムが壇上にのぼり、経緯の説明を始めた。
彼は、アーロン・ヴェンナシュに客将として同行し、その目で新たなる脅威を目撃した。
レーベンヒェルム領、ルクレ領、ソーン領からなる三領軍が、”血の湖”と兵士たちに呼ばれる巨大なモンスターと接触したのは、二日前の霜雪の月(二月)二一日午後のことだ。
幸運だったのは、最初に遭遇した部隊を率いる将が、アンドルー・チョーカーだったことだろう。
本人曰く武勲を飾ろうと――、自分勝手に突出したところで発見し、銃撃も魔法攻撃も効かないと見るや、すべての物資を投げだしてルーンホイッスルを吹き鳴らして加速、全速力で離脱した。
友軍の中には彼を臆病者と笑う輩もいたが、大局的見地からすればまさに最適解だった。
報告を受けたアマンダはただちに情報を伝達、三領軍は進軍を停止して警戒態勢へ移行した。
ナンド領や近隣諸国から出稼ぎにきたいくつかの傭兵団が命令を無視して呑みこまれたものの、血の湖との初戦を最小限の被害で切り抜けることができた。
「イヌヴェ隊が保護した楽園使徒の生存者からの聞き取り調査と、チョーカー隊の交戦結果をまとめた結果、次のことがわかりました。
ひとつ、血の湖は、人間と同等の知恵を有している。
ふたつ、血の湖は、スライム状のモンスター形態と、血泥の軍団という形態を使い分け、また両方を維持することができる。
みっつ、血の湖は、人間とは比較にならない質量とパワーを有し、更に魔法と武器の扱いにも長けている。
よっつ。血の湖は、物理攻撃を受け付けず、極めて死ににくい。
以上の点から、参謀本部が過去の怪物災害を参照したところ、血の湖は犠牲者の生命力と能力を得ているのでは? という仮説がたてられました」
ヨアヒムの報告に、室内が戦慄する。
「なんだよ、これ、反則じゃないか」
「どうにもなりませんの?」
会議参加者がそろって頭を抱える中、クロードは堂々と言い放った。
「ああ、厄介だ。だから攻略法を考えよう」
不穏な報告にも関わらず、絶望など欠片も感じさせないトップの姿勢が、動揺した列席者を沈黙させる。
「自信満々でよく言えるわね?」
「ローズマリー嬢、勝ち目がないわけじゃない。思い出して欲しい、僕たちの戦いはいつだってギリギリだった。特にドクター・ビーストとオズバルト・ダールマンは、今でも勝てたのが不思議なくらいだ。それでも僕たちは乗り越えてきたじゃないか」
クロードが名を挙げたのが緋色革命軍と共和国の将だったのは、彼なりの気づかいだ。
オーニータウン防衛戦から始まって、エングホルム領遠征、ベナクレー丘撤退戦、ボルガ湾海戦、ドーネ河会戦、レーベンヒェルム領内戦、昇葉作戦……、どの戦いだって紙一重だった。
ここに集まった者たちは、それらの危機を乗り越えてきた万夫不当の勇士なのだ。
積み重ねた経験が、窮地にあってなお苦難に立ち向かうための、希望の光と熱を灯す。
「それに忘れてないか。ここにいる僕はスライム退治のベテランだ」
そうして続く言葉で、聴衆の高揚は北海の水底ほどに冷え込んだ。
「レアさん、クロード、……辺境伯様と青いスライムの対戦成績はなんだっけ?」
「はい。一昨日で0勝ひゃ」
「待つんだレア。それにエリック、百戦以上だぞ。これだけの戦歴を重ねれば、もうスライムバスターとか、スライムデストロイヤーを名乗っても許されるはずだ」
「申し上げますが、遺跡で倒されたり、駆逐されたりしているのは領主さまの方です」
「何が凄いって、それだけ戦って一勝もできていないってのが凄いよな」
「そ、そんな」
会議が横転しているのを把握して、壇上のヨアヒムが咳払いした。
「縁起が悪いのでリーダーには引っ込んでいてもらうとして、いま優先するべきは血の湖についての情報収集と分析です。持ち帰った念写映像やレポートは、契約神器・魔術道具研究所で検証中。なんらかの糸口が掴めたら、ソフィ姐さんとハサネさんから連絡が入ります。次は、今後の楽園使徒への対応と兵站についてアンセル出納長からの報告です」
ヨアヒムがアンセルに報告のバトンを引き継ごうとした時、会議室の扉がやや乱暴に叩かれた。
「辺境伯様、お待たせしました」
「クロードくん、解析が終わったよ。驚かないでね、今、お客様が来てるんだ」
飛び込んできたハサネとソフィの慌てた様子に、クロードたちははてと首を傾げた。
この緊急時に来客など、歓迎できるものではないはずだが……。
促されて入室したのは、薄紫色のショートカットの髪とアーモンド形の同色の瞳、透き通るように白い肌が印象的な、青く輝くワンピースを着た少女だった。
「クロード、お久しぶり。ショーコだよ」