第136話 悪徳貴族と不可能作戦
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 芽吹の月(一月)二五日。
アルブ島攻略から始まったレジスタンスの快進撃は、とどまることを知らなかった。
アンドルー・チョーカーやロビン少年が率いる義勇兵団は、すでにルクレ領、ソーン領の沿岸都市一帯を楽園使徒の圧政から解放し、街では歓喜に湧く領民たちの声がこだましていた。
しかしこの日、アマンダ・ヴェンナシュをはじめ、港湾都市ヴィータの工場に集まったレジスタンス指導部の顔色は決して良いものではなかった。
作戦会議への参加を頼まれたクロード、レア、アリスの三人が、覆いをかけられた荷車を引きながら現れると、はりつめた彼女たちの表情がわずかに緩んだ。
「ようこそ、クロードさん。レアさん、アリスさん。全員揃ったようだから始めるよ。ドリスは議事録をお願い。できるね?」
「はい。母さん」
アマンダが開会を宣言し、工場内に机と椅子を並べて設えられた会議区画で、レジスタンスの今後を決める戦略会議が始まった。
「まずクロードさんとレーベンヒェルム領の助力に感謝します。おかげで崩壊寸前だった私達レジスタンスも持ち直し、確固たる基盤を得ることが出来ました」
クロードたちは、深々と頭を下げるアマンダとドリス、ロビンやミーナに恐縮したが、同席したミズキは満面の笑顔でちゃちゃを入れた。
「いや、本当にクロードさんが手綱を握ってくれて助かったよ。この馬鹿隊長ったらチョーシにのって、手当たり次第に攻めようとしたんから。ほうっておいたら、今頃どうなってたことやら?」
「ば、馬鹿もの。あれはそこの悪党に花を持たせてやっただけだ。小生は高度の柔軟性をだな」
「ウソです。チョーカーさんは反省するです。ミーナだって怒ります」
「そ、そんなあ。ミーナ殿まで……」
がっくりとうなだれるチョーカーだったが、アルブ島攻略直後に見せた彼の天狗ぶりは酷いものだった。
手当たり次第に女の子に声をかけてはセクハラをし、補給や兵站をまるで考えずに戦線を拡大しようと高らかに演説をぶちまけて……。結局、致命傷になる前にミーナとクロードとミズキにキレられた。
『もう二度とチョーカーさんとはデートに行きません』
『支援をやめるぞ』
即座、チョーカーが二人に土下座を決めたあたり、彼もまた進歩しているのかもしれない。
なにせミズキの場合、無言でマスケット銃を持ち出して、彼の頭に風穴を開けようとしていたのだから。
『ちぇっ。殺し損ねた』
『み、ミズキ。冗談だろう。な、本気で言ってないよな。ぎゃあ、銃口を向けるなあっ』
レジスタンスがそんなコントに明け暮れていた一方、楽園使徒も悪知恵だけは働くようで、焦土作戦の準備を進めていたらしい。
交戦圏にあった内陸の村や町がいくつか焼かれたものの、彼らの蛮行は支持勢力を更に減らしただけですぐに止まった。
クロードのアドバイスに従って、アマンダたちレジスタンスが沿岸都市を狙い次々と陥落させたからである。
港という交易の拠点があり、更には制海権をレーベンヒェルム領が握って通商破壊もままならぬ以上、レジスタンスには船を使った自由な移動と補給が約束される。
更には、二領の北と東をレジスタンスが解放し、西にはレーベンヒェルム領、南にはビネカ・トゥンガリカ国が治める現状、楽園使徒の支配圏はいまや袋のネズミと言えた。そんな狭い場所で町や村諸共に食糧を焼き、井戸に毒を流しても彼ら自身の首を絞めるだけだ。
「チョーカー隊長も反省したようだし、ミズキもミーナもほどほどにしてやりな。一昨日だって、流通の要である街の解放に目覚ましい活躍を見せてくれたんだ。ロビンもなかなかの指揮ぶりでね、穀倉地帯の町を無事押さえることができた。この二つが揃った以上、食糧の心配は当分なくなった。楽園使徒との戦いは優勢だよ。私も、連中の情報調査能力がここまで低かったなんて誤算だったよ」
楽園使徒の情報源はいわゆる山師や詐欺師のたぐいであり、レジスタンスに対してもまるで方向違いの対策に終始していた。
彼らはあたかも魔女狩りのように無実の者に罪を着せ、印象操作で善人を悪人にみせかけるといったデマゴーグには極めて長けていたものの、それだけだったのだ。
無論、二領の内部抗争を悪化させて漁夫の利を得たり、レーベンヒェルム領を内戦に追い込んだりしたように、使い方次第では恐ろしい能力には違いないのだが……。あまりに嘘とデタラメをばら撒いて口封じや情報統制に明け暮れていたがために、もはや楽園使徒の構成員自身が虚構と現実の区別がつかなくなっていた。
なぜ楽園使徒は誤報と偏向報道のいちじるしい人民通報を主要ソースにしているのか? かつてレーベンヒェルム領は首を傾げたものだが、真実はどうということもない。楽園使徒が頼みとする情報源の中では、人民通報がまだマシな部類だったというだけだ。
「いいニュースはここまで。次は、悪いニュースだよ。昨日、ヨーラン・カルネウス伯爵率いる一〇〇〇の兵が魔術塔”野ちしゃ”に攻撃を加えるも、オズバルト・ダールマン一党によって完膚なきまでの返り討ちにあった」
アマンダの報告に浮ついていた会議区画が静まり返り、ドリスが走らせる羽ペンの音だけがかすかに響く。
「アマンダさん、詳しい状況はわかりますか?」
クロードが沈黙を破って口火をきった。
「カルネウス伯爵は危険人物だったからね。念のため、飛行可能な使い魔を複数飛ばして監視していたよ」
アマンダは、クロードたちの前で説明を始めた。
カルネウス軍が空と陸から進軍したこと――。
飛行部隊が強風に煽られてがけ地に転落し、無事だった者も対空砲火を浴びて撃墜されたこと。
陸戦隊が野戦砲に狙い撃ちにされ、辛うじて生きのびた者も何かによって皆殺しにされたこと。
そして、伯爵自身も盟約者らしい人影によって殺害されたこと――を。
「ジャミングが酷くて、陸戦部隊がどうして壊滅したのかはわからない。確認できたのは、現在魔術塔には、最低でもルーシア国製の圧縮魔力砲が一○門、地対空誘導魔杖が三〇杖は用意されている。敵兵力はおよそ一〇〇人。盟約者は第五位級と第六位級が一人ずつだね」
「なんだアマンダ殿、たいした相手ではないではないか? 魔術塔周辺は未だ楽園使徒の勢力圏だが、前線を押し上げている今なら近づくことも可能だ。小生が陣頭に立ち、レジスタンスの総力を挙げて進めば……おうっ、ミーナ殿、いたい痛いつねるのはやめてっ」
余計な口を挟んだチョーカーがミーナに黙らされるのを横目で見ながら、クロードは嘆息した。
二領最大のレジスタンスといっても、動員できる戦闘員はそう多くはない。年若いロビンさえ指揮官として用いなければならないほどにひっ迫していた。
「もしもチョーカー隊長が言うように正攻法で一本道を歩めば、砲火を浴びてカルネウス軍の二の舞だ。今レジスタンスが優勢に見えるのは、勝利しているからだ。もしも一度負けたら、あるいは勝っても継戦能力を失えば、必ず手のひらを返す勢力や楽園使徒になびく勢力が出てくるぞ」
「クロードさんの言う通り、私達は崖っぷちなのさ。命を賭けることは惜しまない。けれど、投げ捨てるわけにはいかない」
「ミズキさん。改めて申し訳ないんだけど、オズバルト・ダールマンについて詳しく教えてくれないか?」
クロードの質問を受けて、ミズキは困ったように鼻の頭をこすった。
「あたしは下っ端だし、軍閥が違うからたいしたことはわからないよ。それでもいいなら……」
「構わない。彼の上陸阻止に失敗した今、どんな些細な情報でも貴重だ」
「オズバルト・ダールマンはパラディース教青年団の出身なんだ。ああ、青年団って言うのは、若手エリート団員を集めた青年組織でね。今の教主が出身だっていうのもあって、強力な派閥があるんだ。もしも教団の高級幹部を目指すのならば、まず青年団に入団して卒業後に入信するのがセオリーだって言われているよ」
「そ、そうか」
そういった生臭い事情は、地球もこの世界も変わらないらしい。
レーベンヒェルム領ですら派閥争いがあるのだから、当然と言えば当然かもしれない。
「順調に出世街道を進んでいたオズバルトは、五年前に”シュターレンの雪解け”が起きて突如転落した。なんでも部下が裏切ったとか噂されているけど、詳しいことはあたしも知らない。結果として彼は汚れ役の粛清部門に左遷されて、――でも、そこで名を挙げた。教主にとって目障りな軍閥の、汚職や禁呪の研究、臓器売買といった悪行を片端から摘発したんだ。やりすぎたのか、対立派閥に睨まれてまた左遷。最近じゃ緋色革命軍や楽園使徒のような、表沙汰にできない勢力との交渉役をやっていたよ」
ミズキの回答に、クロードだけでなく、アマンダやチョーカー、ドリスまでがあんぐりと口を開けた。
クロードの膝の上で丸くなっていたアリスは、あくびをかみ殺しつつ呟いた。
「オズバルトさんって、いいひとみたいたぬ」
「んー。品行方正な紳士で、民衆からはまるで正義の味方みたいに慕われていたみたいだよ。でもさ、たとえばクロードさんとこのルールバ、ごほん。セイちゃんを、緋色革命軍や楽園使徒側から見たらどう映ると思う?」
「ああ、うん」
「小生たちにとって最悪の敵だな……」
ミズキの話を聞く限りではあるが、オズバルト・ダールマンは善人なのだろう。
善人であっても、いや、善人であるが故に、幾度裏切られてもパラディース教団に忠誠を尽くす。
クロードが想像する限り、アンドルー・チョーカーのように融通が利くとは思えなかった。
「アマンダさん。一応、エステルさんとアネッテさんを解放できないか交渉してみてください」
「わかった。どうにか繋ぎをつけて使者を送ってみる。でも、私達も上陸を邪魔しようと海賊みたいな真似をしたからね。望みは薄いと思う」
「たとえ交渉が不成立でも、オズバルトの立ち位置が見えます」
「どういうことだい?」
「実は、時間さえあれば、魔術塔”野ちしゃ”を落とすことは簡単なんです」
クロードの自信に裏打ちされた発言に、アリスとレア、ミズキを除く全員が凄まじい変顔を披露した。
「ど、ど、ドドド、どういうことだコトリアソビ!?」
「そんな、これだけ要害をどうやって打ち破るんだい?」
「さすが兄さんが憧れたクロードさんです」
「アリスちゃんの言う通り、ただの悪党じゃなかったです」
きらきらと目を輝かせるレジスタンスメンバーの前で、クロードはこともなげに言い放った。
「レジスタンスとレーベンヒェルム領で山の麓を制圧して、水と食料を断って放置すればいいんですよ」
「……最悪だこいつ」
「そういえば、時間があればって条件付きだっけ」
「さすが兄さんが一筋縄でいかないと恐れたクロードさんです……」
「そのやり方だとエステルちゃんたちが危ないじゃないですか、この悪党!」
案の定、非難囂々だった。ただひとりミズキだけが得心したかのように呟いた。
「クロードさんって、遊戯でニーダルさんたちが速攻潰してビリになるくらいだもん。そりゃあ、ねえ」
彼女が妹分のイスカから聞いたところによれば、クロードはエンゲキブで行われた大抵のゲームで最下位だったらしい。
が、チーム戦ともなれば、本人は気付かずとも非常に重宝されてひっぱりだこだったそうだ。つまるところ、クロードは時間さえ与えれば、大抵の戦力差をひっくり返す才覚がある。だからこそ、それを知っている友人たちは、彼が戦略優位を確保する前に粉砕にかかるのだろう。
「で、クロードさん、時間のない今はどうするんだい? 楽園使徒との婚姻交渉は月末でもうすぐだ。アマンダさんたちレジスタンスとの伝手を得た今、いっそ同盟を結んで姫君たちを確保、即座に同盟破棄って選択もアリだと思うよ」
「エステルさんとアネッテさんが、オズバルトたちからレジスタンスか楽園使徒に解放されたなら、その手段も考える」
直後クロードは、レアに袖を引かれアリスに爪をたてられて脂汗を流した。
そんな三人の様子を見ながら、ミズキは意地の悪い笑みを浮かべる。
「それはどういうことかな?」
「だからオズバルトたちの立ち位置を図る必要があるんだ。二人が楽園使徒ではなく、共和国の手に落ちたことで状況は変わった。最悪、彼らは楽園使徒が進める婚姻同盟を無視して、共和国軍を引き入れる可能性がある」
「お見事、ひゃくてんまんてんっ。現教主はこれ以上のマラヤディヴァ国への介入を望んじゃいない。大陸平和運動祭やら文化博覧会やら、”シュターレンの雪解け”の傷を帳消しにするためにやるべきことが山ほどあるからね。でも、あたしが所属する前教主派は違う。更には凋落した旧派閥、四奸六賊の後援を受けていると噂のウド・シュバーツヴルツェル枢機卿はトンだ過激派だ。エステルちゃんたちの確保を大義名分に軍を動かしかねない。もちろん、マラヤディヴァ国を制圧するために、ね」
ミズキの口調からして、彼女は自身の所属する派閥やウド枢機卿を好いていないのだろうとクロードも理解した。
唯一の救いは、オズバルト・ダールトンが所属しているのが、前教主派でもなくば、四奸六賊でもない、彼らと対立する現教主派であることだろう。
「そういうわけで、エステルさんたちの身柄がオズバルト一党の手から離れる。あるいは、別のより良い見通しが立たない場合は、予定通り魔術塔の攻略作戦を実施します。といっても、陸戦は論外だ。カルネウス軍が失敗した以上、道に地雷魔法陣を敷設するような、より大規模な迎撃態勢をとられる可能性が高い」
「かといって空路は無茶だ。箒や気球じゃ近づけないんだよ」
「コトリアソビよ。強力な防風と矢除けの加護を付与された飛行ゴーレムでも用意するか。ないだろう。そんなものがあるなら、お前ならとうに使っているはずだ」
アマンダとチョーカーの剣幕にクロードは席を立って、運び込んだ荷車に近づいた。
「レーベンヒェルム領から、ある試作機が届きました。このままだと使い物になりませんが、きっとこの不可能な作戦を遂行する為の鍵になります」
クロードは、ばさりと覆いを取り払った。荷車に置かれていたのは、異形の自転車だった。