第135話 悪徳貴族と魔術塔”野ちしゃ”
135
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)二四日。
オズバルト・ダールマン一党が、二人の侯爵令嬢が囚われた魔術塔”野ちしゃ”を掌握してから四日が経っていた。
そして今、魔術塔が建てられた標高二○○○mを越える山脈の稜線は血生臭い戦場となっていた。
「進め進めっ。どれほど堅牢な要塞であろうと、空と陸からの攻撃には耐えられない!」
ルクレ領とソーン領の軍服を着た一○○○人の兵士たちが、目的地へと続く曲がりくねった一本の道を駆け上がる。
しかし山上から耳をつんざくような轟音が響き、野戦砲から放たれた砲弾が容赦なく彼らを吹き飛ばした。
「からだが、ばらばらに。こんなひどい……」
「魔術師隊は早く爆撃を開始しろ」
空飛ぶ箒に乗った飛行魔術師部隊は、野戦砲が据え付けられた魔術塔へと近づこうとする。
しかし飛行部隊は山上に渦巻く強風に煽られてコントロールを失い、西にあるがけ地へと転落するか、東を守る魔杖隊の対空砲火を浴びて儚くも撃墜された。
「駄目だ。近づけない」
「仲間達の犠牲を無駄にするなあ」
陸戦隊は戦友を生きた盾にして進軍を続け、どうにか数十人が魔術塔に近い尾根まで辿りついた。
そこで彼らを待ち受けていたのは、まるで雪のように白く輝く毛並みをした一匹の犬だった。
「アォオオオン」
白犬は、まるで兵士たちの未来を悼むのように一声鳴いた。
直後、犬の身体は膨張し、毛並みは銀色の光を帯びる。爪はナイフよりも鋭くとがり、牙はまるで鍛え上げられた剣のようだ。
「うわあああっ」
マスケット銃を構えた小隊が、一瞬のうちに魔犬の爪に引き裂かれて潰えた。
「こいつは、契約神器か!?」
勇敢にも槍や剣で抗おうとした部隊は、得物ごと歯で噛み砕かれた。
武器を捨てて逃亡を図った者たちは、防衛についた共和国兵に狙い撃たれて火だるまとなり、あるいは氷漬けにされて絶命した。
山上での惨事を知りもせず、山の麓では豪奢な馬車に乗った貴族がひとり喚いていた。
「何をしている。早くエステルとアネッテを引っ張ってこんか。なんのためにこれだけの兵士を集めたと思っておるのだ……」
貴族の名は、ヨーラン・カルネウス伯爵。
彼は、ルクレ侯爵家とソーン侯爵家の血を引く名門貴族であり、楽園使徒に協力して他の貴族を売ることで命脈を保っていた。
だが、レジスタンスの活躍でアルブ島が攻略されるや、勝機ありとみて再び裏切ったのだ。
「彼女たちを殺せば、わしが、このヨーラン・カルネウスが二領の王になれるのだぞ!」
「うっわー。思っていた以上につまらない理由だ」
馬車を守っていた衛兵たちの首が宙に飛んで、鮮血が窓を覆い隠した。
がちゃりと扉が開けられて、ヨーランの前に道化師風の衣装を着た野趣あふれる青年が現れる。
「な、なんだ貴様。暴徒か。か、金ならいくらでも用立てて」
「話す時間ももったいないや。殺っちまおう」
青年、ライナーの大鎌が一閃し、ヨーランの首をはねた。
「よーし。皆、撤収だあ。景気づけに鍋を食おうぜ鍋」
「ライナーさん。ここは南国なんで冬でも鍋は暑いです。あと、ちゃんと遺品は回収してください。資料にするんですから」
「えー、面倒くさいなあ、もう」
ライナーは、麓に潜んでいた部下や逃亡者を追撃する部下たちと合流、ヨーラン伯爵の遺品をかっぱらって魔術塔に帰還した。
彼は、ヨーラン伯爵の首を放り捨てて返り血のついた手と顔を洗い、仮の本陣であるテントへ報告に走る。
そこでは、上官であるオズバルト・ダールマンと、彼が盟約を交わした第五位級契約神器ルーンビースト”銀”が待っていた。
「というわけで、御頭。今回襲ってきた敵はヨーラン・カルネウスというケチな貴族でした。ルクレ領とソーン領がなぜ小領に甘んじていたのかよくわかる。兵士にどんな勇者が居ても、率いる将軍がアレじゃあどうしようもない」
「西部連邦人民共和国の腐敗も極まっているが、どの国も汚れた権力者という輩は変わらないな。マラヤディヴァの貴族が無力な少女を狙い、侵略者たる我々が彼女たちを守るなど皮肉以外の何物でもない。外の状況に変化はあったか?」
オズバルトは頬に刻まれた痛々しい裂傷を指先で撫でて、深いため息をついた。”銀”は主の傍らで興味無さそうに丸まっている。ライナーは鞄から部下たちがまとめた資料を引き出した。
「レジスタンスの攻勢でまた二つの町が落ちました。アルブ島が分水嶺でしたね。楽園使徒も長くもって半年か一年か。共和国本国はすでに連中の切り捨てを決めているようです。アルフォンス以外の幹部たちは、いざとなればレーベンヒェルム領に亡命政府を立てようって息まいていますぜ」
「受け入れられるはずがない。レジスタンスを支援しているのは、他でもないレーベンヒェルム領だろうから」
オズバルトの指摘は、ライナーにとって驚くべきものだった。
彼はぽかんと口をあけて、手を振り回しながら反論する。
「そ、そうなんですかい? でも確か悪徳貴族は先代のトビアス・ルクレ侯爵、マグヌス・ソーン(バンディッド)侯爵と戦って、二領旧政権とは敵対していたんじゃないですか。その意趣返しとして、楽園使徒と通じた婚約同盟を結ぼうとしているんじゃ……」
「ライナー。これは、ただの消去法だよ。レジスタンスはどのようにしてアルブ島に乗りこみ、一○○○人以上の島人と政治囚を連れて脱出したのか? 沿岸の都市を立てつづけに陥落させた部隊は、どのようにして兵站を維持しているのか? こう考えてみれば、周辺海域の制海権を握ったレーベンヒェルム領の協力が不可欠だろう?」
オズバルトは、ライナーから受け取った資料を読み返しながらこう付け加えた。
「そもそもだ。ライナー、お前がクローディアス・レーベンヒェルムならば、楽園使徒なんぞと組みたいか?」
「嫌です。あいつらはつまらない」
ライナーは上官からの問いに、率直な答えを返した。
オズバルトもまた部下の意見に頷いて賛同する。
「確かにつまらんよ。あれらは生きることへの真剣さが足りん。あのように軽薄だから、複数の勢力に節操なく媚びを売る。そうしてあらゆる陣営からいいように利用されて棄てられるのだ。自業自得というものだ。この私と同じように」
うれいに満ちたオズバルトの前で、ライナーは呆れたような顔で手をぱたぱたと振った。
「まぁた御頭の自虐が始まった。退路は俺達がちゃんと確保しておきやす。しかし意外ですね。御頭がこうまで偽物のニーダル・ゲレーゲンハイトにこだわるなんて。貴方の後任、クラウディオ・アイクシュテットは”赤い導家士”の総首領を討つのにやっこさんと共闘したと聞いた。ひょっとして後輩へのおせっかいってやつですか?」
「そうではないが、あやつの偽物がうろついているとなれば、私も思うところはある」
”処刑人”とは、西部連邦人民共和国を牛耳る独裁政権にして宗教団体『パラディース教団』。その教主直属の粛清部門を束ねる長に贈られる称号だ。
オズバルト・ダールマンは死病を患い、また教主と敵対する前教主派の不興を買ったが為に、一線を退いていた。
「私の契約神器が、元は部下の遺品だということは話したか」
「ええ。教団の命令に反したため、貴方に粛清されたとか」
「そうだ。あの娘は”シュターレンの雪解け”で裏切った。彼女は武器すら持たぬ民を救おうとして、私に殺された」
およそ六年前の復興暦一一〇五年 共和国暦九九九年 涼風の月(九月)。
恐怖政治への抗議に集まった民衆は、悪臣ホナー・バルムスの支配下にあった共和国政府パラディース教団によって惨殺された。
しかし、ニーダル・ゲレーゲンハイトを擁するシュターレン軍閥が彼らを保護したことから、虐殺は半ばにして失敗に終わる。生き残った者たちはパラディース教団の非道を世界中に訴えた為、西部連邦人民共和国は国際社会から大きな批判を浴びることになった。
「それが、任務を受けた理由ですかい?」
「我ながら軟弱なことだろう?」
「まさか。そんな情け深い貴方だからこそ、俺たちは助けられたんだ」
ライナーは知っている。オズバルトが教団の汚れ仕事を請け負いながらも、高潔な精神を保ち続けたことを。だからこそ、彼は一刻も早く上司を本国で休ませたかった。
「本物のニーダルは今本国のネメオルヒス地方で戦闘中だ。マラヤディヴァ国でうろついているのが偽者なのは、誰よりも俺たち共和国軍人が一番よくわかっている。どうせさっきのヨンパチ・コモネウスみたいな小物に決まってまさあ」
「ヨーラン・カルネウスだ。憶えるに値する名前ではなさそうだがね。ひとつ気になることがある。報告書に書かれた目撃情報を読むに、なぜ偽者のニーダルは槍ではなく剣を用いるのだろうか」
「そりゃあ、真似るためでしょう? やっこさんと戦って、いい勝負に持ち込んだヤツはたいてい知っている。ニーダル・ゲレーゲンハイトは槍の名手だが、本当に怖いのは槍を捨てた時だって。俺も本国でクラウディオがまとめた極秘資料を読みましたよ。やっこさんが使う炎の剣がどれだけ恐ろしい代物か書かれていて……はいぃ!?」
ライナーもまたオズバルト同様に、不自然さに気付いた。
「そうだよ、ライナー。炎の剣、近接戦闘からの爆破魔術、女連れ。ここまで踏み込んだ情報を知っている者はそう多くないはずだ。もしも偶然で無かったとしたら、偽者は確かな情報源を得ている。怪しいのは、我々と対立する前教主派の軍閥が緋色革命軍に派遣し、今はレジスタンスに協力しているという工作員の女。そして……」
「まだ、いるんですかい?」
「クローディアス・レーベンヒェルム。彼が契約した邪竜ファヴニルは、ニーダルと二度戦い引き分けたという。偽者のニーダルは、レジスタンスとレーベンヒェルム領によって意図的に創られた偶像ではないか? ライナー、決して甘く見てはならない。現に今、彼らはルクレ領とソーン領を飲みこもうとしているのだから」
オズバルト・ダールマン一党は、確かな地の利を得た。
標高二○○○mの断崖絶壁に建つ魔術塔までは、がけをよじ登るか山を大きく回り込む形で敷かれた一本道を利用するしかない。陸からの進攻は多大なリスクを負うだろう。
かといって空から侵攻をしようとも、強風にさらされて気球による接触は不可能。飛行魔術で乗りこもうとしても対空砲火で撃墜できる。高価な飛行ゴーレムと運搬用の設備があれば別だが、レーベンヒェルム領がそんな目立つものを外国から買い付けたという記録はない。
「クローディアス・レーベンヒェルムが話に聞いたとおりの悪徳貴族なら、婚姻同盟を結んでエステル・ルクレ、アネッテ・ソーンをおのがものとした後、混乱で弱体化した楽園使徒との同盟を解消し、レジスタンスをも討ち破ってルクレ領とソーン領を平らげるだろう。だが、我々が姫君二人を掌中に収めたことで、彼奴は別の心配をする羽目になる。我ら西部連邦人民共和国が彼女たちを使って傀儡政権を立てるのではないか、とな。我々の推測した通り、偽者のニーダルが連中の手駒ならば、近いうちに必ず攻めてくるはずだ。ライナー、防備をいっそう固めよ」
「さすがは御頭。見事な慧眼ですぜ。部下たちにも伝えまさあ!」
戦いの予感に高揚しているのか、うきうきとした足取りで本陣を去るライナーを見送りながら、オズバルトはまったく別のことを考えていた。
それはまったくもって合理的でない、主観に満ちた推測だった。もしも、万が一、天文学的な確率で、偽者のニーダルが本物と同じ精神性を有していたとすれば――。
「政治も権力もしがらみも一切合財関係なく、エステルとアネッテを救いに来るだろう。あれはそういう男だ。私は、偽物に期待しているのか? 本物を相手につけることが叶わなかった決着を」