第127話 悪徳貴族とスカウト
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アンドルー・チョーカーは、辺境伯クローディアス・レーベンヒェルムに、ルクレ領とソーン領を制圧中の楽園使徒から侯爵令嬢を救出するのに力を貸して欲しいと請われ、事情を聞いて困惑を隠せなかった。
「なるほど、親愛なる悪徳貴族サマは、ルクレ領とソーン領を楽園使徒に、いやさ、共和国にくれてやるのが惜しくなり、さりとて、エステル・ルクレ嬢とアネッテ・ソーン嬢は自分のモノにしたいということか。なんて強欲さだ!」
チョーカーは顔を歪めて腹を抱えて笑いだしたが、辺境伯は視線を合わせたまま、相変わらず何を考えているのかわからない仏頂面で黙り込んでいる。
「わからん。なぜ小生に声をかけた? いったい何を企んでいる? レーベンヒェルム領軍ならば、その程度のことはやれるだろう?」
「検討の結果、お前の隊の力を借りるのが、もっとも確実に二人を救出できると判断した」
クローディアスの瞳には迷いがない。だからこそ、チョーカーは理解できない不安に駆られた。全身にまとわりつく悪寒を振り払うように、彼は口角泡を飛ばして、ヒステリックにわめきたてる。
「ベナクレー丘で精鋭を失ったからか。そうとも、小生が殺したぞ」
「そうだ。僕の采配で多くの仲間を失った…。商業都市ティノーの防衛陣。マラヤ半島の迅速な追撃。領都レーフォンへの潜入と先の強襲作戦。これまでの戦いを振り返れば、アンドルー・チョーカー、お前は確かに恐るべき敵だ。だからこそ力を借りたい」
「ひっ……」
その瞬間、チョーカーを貫いたのは恐怖だった。
悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムは、アンドルー・チョーカーを脅威として認めている。
商業都市ティノーを奪われた後、ベナクレーの戦いで勝利したにも関わらず、緋色革命軍の同志達は彼を露骨に軽んじるようになった。
チョーカー自身は知らぬことだが、マクシミリアン・ローグが失態の責任をなすりつけようと工作したから、という理由もある。だが、それ以上に、保守貴族勢力の首魁にして稀代の売国奴、クローディアス・レーベンヒェルムをあと一歩というところで取り逃がしたからだと、彼は認識していた。
だから、ミーナたち、ルクレ領とソーン領残党の要請を受けて、無謀ともいえる強襲暗殺作戦に参加した。かの悪徳貴族さえ討ち果たせば、再び同志達に認められ、英雄として喝采をあびるに違いないと信じたからだ。
「こいつはケッサクだ。この小生が、よりにもよって弱き民を踏みにじり、国土と資源を売りさばき、まるで生き血をすするように私腹を肥やす最低のひとでなしに、かくも認められていたとは。小生を甘く見ないでもらおう。お前のようなっ、お前のような……?」
悪徳貴族と続けようとして、チョーカーは言いよどんだ。
彼の記憶にあるクローディアス・レーベンヒェルムは、仲間を守らんと危険な弾丸へ向かって飛びこんでゆく雄姿であり、ローズマリーやユーツ領、エングホルム領の民間人を逃がすため、最後尾で果敢に戦う威容であった。
ベナクレー丘では、レーベンヒェルム領の兵士たちが命を懸けて散っていった。彼らはいったい何のために、誰のために、どのような想いで戦ったのか。
「ひひっ。ひひひひひっ。ひゃはははっ」
騙されるなと、チョーカーの心が叫ぶ。
目の前にいるのは悪徳貴族だ。だから、あらゆる行動は自動的に悪となる。
自分は正義の味方であり、気高い理想を抱いてマラヤディヴァ国を改革すべく、緋色革命軍の同志達に賛同して立ちあがったのだ。
だから、物の道理がわからぬ余人が何を言おうと、絶対に自分たちは正しい。破滅へと転がり落ちる国家を救おうとする自分たちが英雄でないはずがない。
――緋色革命軍は、正義の旗を掲げて、エングホルム領で、ユングヴィ領で、ユーツ領で何をやった?
――アンドルー・チョーカーは、商業都市ティノーで何をやった?
――日々を笑って生きるレーベンヒェルム領の住民と、絶望に瞳を濁らせた緋色革命軍の統治下の住民。その差を分けたのは何なのか?
何かがおかしいという心の奥底から湧きあがる逡巡を、チョーカーは必死で握りつぶそうとした。辺境伯の怪しげな言葉に惑わされてはならない。緋色革命軍の正義は、人民通報をはじめとする海外のメディアからも賞賛されている。
完全無欠の正義に疑問を抱くなんて、絶対に認めてはならないことだ。なぜなら自分は間違っていない。間違っていないからこそ、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することが重要なのだ。さあ、現実に目を向けよう。目の前にいる男の顔を、ちゃんと見て。
その瞬間、アンドルー・チョーカーに電流のような衝撃が走った。
「お前は誰だ?」
「……クローディアス・レーベンヒェルムだが?」
クローディアス・レーベンヒェルムは、そう名乗る少年は表情を変えなかった。
ただ、驚きのせいか、瞳孔が拡大した一瞬をチョーカーは見逃さなかった。
「あ、あ。そうだったな。クローディアス・レーベンヒェルム、お前は何を望んでいる」
「囚われたエステル・ルクレと、アネッテ・ソーンを救出し、二人に自由を――、そしてルクレ領とソーン領とレーベンヒェルム領により良い明日を――、僕は望んでいる」
そうか、と。少年の返答にチョーカーは頷いた。
「部下たちと相談する。ミーナ嬢や、ミズキたち、部下の女性兵士たちと面会させて欲しい」
「すぐに準備する」
席を立った辺境伯の背中に、チョーカーは声をかけた。
「頼みがある。ローズマリー嬢に、謝らせて欲しい。叶わぬなら、せめて伝えて欲しい。すまなかった、と」
「取りつごう。必ず伝えるよ」
☆
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 芽吹の月(一月)五日夜。
アンドルー・チョーカーは、レーベンヒェルム領軍が警備する会館ホールに、クローディアス・レーベンヒェルム襲撃作戦に参加した二〇〇人近いメンバーを集めて、おおよその事情を話した。
「以上が、クローディアス・レーベンヒェルムからの協力要請だ。この話に乗るかを考える前に、小生は諸君に聞いて欲しいことがある。裏付けとなる証拠なんて何もない。だが見たところ、小生が都市ティノーとベナクレー丘で、またこのレーフォンで諸君と共に戦った今のクローディアスは、真っ赤なニセモノだ」
そう断言したチョーカーに、彼の部下たちはどよめいた。
「いつ本物と入れ替わったのかは、小生には見当もつかない。だが、そう考えなければつじつまの合わない変貌ぶりと、そう考えることで初めて合点がいく事象が多すぎる。そして、この事実はおそらく、レーベンヒェルム領の首脳陣だけでなく、十賢家当主たちと、緋色革命軍幹部、そして、西部連邦人民共和国の上層部も勘づいている。そうじゃないのか、ミズキ?」
チョーカーの問いかけに、ミズキは舌をチロリと出して片目をつぶった。
「あたし、下っ端だから、わっかんなーい」
「わかった。そういうことにしておこう」
苦虫を噛み潰したような顔で受け入れたチョーカーに、羊族のミーナはもこもこした毛を逆立てて問いただした。
「ちょ、ちょっと待ってください。今のクローディアス・レーベンヒェルムが偽者で、上の方の皆さんも気づいてるかもしれないって、おかしいです。だったら、もっと他にやり方があるじゃないですか。皆にそれを知ってもらえば、あれ……?」
ミーナも口に出してはじめて気付いたのだろう。
ホールに集まった戦友たちもひそひそと言葉を交わし、同じ結論に達したようだ。
「ミーナ嬢。もしもこの事実が広まったとしても、レーベンヒェルム領は何も変わるまいよ。確たる証拠がない、というのもあるが。あえて、本物の、と付け加えるが、クローディアス・レーベンヒェルムは領民たちから心底恨まれていた。あまりに多くの粛清を繰り返したために、彼を仇と憎むものはいても、彼の仇を討とうというものはいないんだ」
そして、と、チョーカーは胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。
「もしもこの事実が広まった場合、緋色革命軍の、”一の同志”ダヴィッド・リードホルムの大義名分が崩れてしまう。十賢家の政治が行き詰まり、停滞した国政を打破するために挙兵したというのに、別人がより革新的な政治を行っていました、では、面子も何もあったものではない。あくまでクローディアス・レーベンヒェルムは旧態依然とした暴君であり、悪政を敷いているということにしなければならんのだ」
ここに集まったメンバーは、元ルクレ領やソーン領の領民が大半だ。緋色革命軍の思想にはなんら共感を覚えていなかったため、そういうものかもしれないと納得した。
「でも、もしチョーカーさんの推測が正しかったら、なぜレーベンヒェルム領は事実を明かさないんですか? 悪名をかぶりつづける理由なんてないじゃないですか?」
「小生にもそれがわからん。戦中だから混乱を避けたいのか、色々と考えてみたのだが、いまひとつ決め手に欠けるのだ」
一番ありそうだとチョーカーが感じたのは、今の影武者が己自身をも滅ぼそうとしているから、だった。
だが、そんなはずはない。そんな理不尽なことがあってはならないと、チョーカーは推理を放棄した。
「そうして気付いたのだ。クローディアス・レーベンヒェルムの正体とか、緋色革命軍の大義や理想とか、西部連邦人民共和国の思惑とか、そんなもの小生の知ったことかあ!」
ついでに、戦略もなにもかも根底から投げ捨てた。
「ミーナ嬢、小生は貴女のために、エステル・ルクレを、アネッテ・ソーンを救いたい!」
「は、はい。はぃいいいいい!?」
ふわふわの髪から伸びる丸まった角の下、ミーナの顔が火にかかったヤカンのように熱を出して真っ赤に染まった。
「クローディアスが何者だろうが関係ないし、口先だけは御大層で結果の伴わない理想やイデオロギーなんぞカスだ。好いた女のために、姫君を助ける方がずっとカッコいいだろうがっ」
「チョーカー隊長。だったら、なんで隊長は緋色革命軍に入ったのですか?」
付き合いの長いひとりの戦友からの質問に、チョーカーは胸を張って答えた。
「いい女をものにしたかったからだ!」
「やっぱりだめだ。この隊長!」
部下たちが揃ってずっこけるのも意に介さず、チョーカーは熱弁を振るった。
「だいたい今、緋色革命軍で理想をまるで神像のように崇めたてている連中だって、最初はなんとなくかっこいいからとか、女性にもてそうだからとか、一旗あげたいとか、正義漢ぶりたいとか、そんなくだらん理由で入ったんだ。だったら、小生がよりカッコイイ方を選んで何が悪い!」
「そういう問題じゃないでしょ、隊長!」
「だったらお前たちはどうする。小生と一緒に、救出作戦に参加してくれるか!?」
「もちろんです隊長!!」
拳をふりあげ、熱狂的に叫ぶ仲間達を見て、ミーナは顔を染めたままあたふたして黙りこみ、ミズキは爆笑して歓声をあげた。
「チョーカー隊長。サイッコー!」
取り引きの結果、作戦後の仲間たちとの解放といくばくかの報酬を約束したアンドルー・チョーカーは、クローディアス・レーベンヒェルムの手引きでローズマリー・ユーツと再会した。
会談は、わずか数分で終わった。思い切り頬を叩かれ、涙ぐむ彼女に二度と近づくなと言い渡されたが、チョーカーの心はどこか晴れやかだった。
そして、出立の日がやってきた。芽吹の月(一月)七日早朝。
アンドルー・チョーカー率いる侯爵令嬢救出部隊は、レーベンヒェルム領の目付役と合流した。
待ち合わせの場所に現れたのは。
「目付役の貧乏騎士家の三男坊、クロード・コトリアソビだ。よろしく」
「お付きの侍女、レアです」
「可愛いぬいぐるみのアリスたぬ。ミーナちゃん一緒に遊ぶたぬ♪」
「なんだそれはー!」
この日。非常識な軍人として世に悪名を轟かせるアンドルー・チョーカーが、自身以上の非常識と出会った忘れ難い日となった。