第117話 悪徳貴族と反乱対策
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 晩樹の月(一二月)一九日。
辺境伯クローディアス・レーベンヒェルムによる総司令官セイ暗殺計画の罪を問い、囚われた彼女を救出するという大義名分を掲げて、反乱軍が決起した。
反乱軍を主導するのは、セイより直々に決起文を預かったと主張するマクシミリアン・モーセッソン隊長だ。彼は、レーベンヒェルム領南東部を預かる代官たちの支持を得て軍勢をまとめると、まるであらかじめ準備していたかのような手際の良さで一軍を立ち上げた。
旗揚げした反乱軍の勢力は急速に拡大した。わずか三日のうちに、レーベンヒェルム領の五分の一にあたる町と村が協力、あるいは占拠され、賛同する領軍兵と民間からの志願兵も合わせて兵数は四〇〇〇人を越えた。彼らは、ルクレ領、ソーン領への押さえとして建設中のグロン城塞を接収すると、悪徳貴族打倒を領内外に呼びかけた。
西部連邦人民共和国資本の新聞社、人民通報は反乱軍の決起を義挙として称え、領民の大半が賛同しているため、彼らによる政変は九〇%以上の確率で成功するだろうと予想した。
晩樹の月(12月)22日――。
マクシミリアン・モーセッソンを名乗る男、緋色革命軍から派遣された工作隊長であるマクシミリアン・ローグは、奪い取ったグロン城塞の一室で人民通報の紙面を広げながら、貴公子然とした端整な顔を歪めつつ笑いをかみ殺していた。
「計画を一か月前倒しして肝が冷えたが、さすがは俺の采配。見事なものじゃないか!」
マラヤ半島からは、避難民に偽装した緋色革命軍の工作員が数多く潜入していた。ハサネやエリックがどれだけ慎重に精査しても、網の目を逃れた間諜が少しでも入ってしまえば、あとはネズミ算式に増えてゆく。
今は亡きドクター・ビーストが作り出した、人を奴隷化できる焼き鏝が日の光射さぬ暗闇で猛威を振るい、マクシミリアンたちの工作を容易なものとしていた。またレーベンヒェルム領付近に、貴重な協力者がいたことも見逃せない。件の組織を利用することで、これほど短期間での決起準備が可能となった。
マクシミリアンに懸念があったとすればただひとつ。避難民に偽装した後続の工作員と協力組織の構成員が、レーベンヒェルム領の官憲に捕らえられてしまったことだろう。一時は証拠不十分で釈放されようとしていたのだが、どこかで情報が漏れたのか、レーベンヒェルム領の公安情報部と領警察は捜査の密度を高めた。そのため、反乱軍は決定的な証拠を掴まれる前に蜂起せざるを得なかった。
「万全な状態の戦など有り得ない。追い風はこちらに吹いている。知恵と理性に欠けた無能貴族は、顔と運だけに恵まれた小娘を処断できなかった。恐怖で引き締めるところを優柔不断なまま右往左往するなんて、ふひっ、ベナクレーの丘で見た時からまるで成長していない」
マクシミリアンは記憶に残るクロードの無様な様子をせせら笑ったが、不意に苦虫でも噛んだかのように顔を歪めた。十倍を越える圧倒的な兵力で追いつめながら、彼は標的たる悪徳貴族を討ち損じたのだ。
「違う。俺の采配は完璧だった。あれは、チョーカーのせいだ」
ローズマリー・ユーツがユーツ領の民間人を率いてレーベンヒェルム領軍の兵士たちとくつわを並べた時、マクシミリアンの同僚であるアンドルー・チョーカーは、好意を寄せる彼女を慮ったか、攻撃を中止させようとした。
結果、緋色革命軍はあわや同士討ちという混乱に陥り、その隙を敵将ヨアヒムに突かれて混戦に持ち込まれ、甚大な損害をこうむる羽目になった。
全面的に行き当たりばったりの行動を取ったチョーカーが悪い。そのように、マクシミリアンは信じていた。
やがてドアが叩かれ、年若い兵士が扉を開いて注進した。
「マクシミリアン隊長。閲兵式の準備が整いました」
「待ちかねたぞ。さあ革命の始まりだ」
マクシミリアンはナルシスト気味に鏡の前で一度ポーズを取った後、グロン城塞の練兵場に向かった。緋色革命軍から潜りこんだ工作員や同志が混じっていると言え、それでも二〇〇〇人を超える兵士たちが集まった光景は壮観だった。
「勇敢なる同志諸君! 我々レーベンヒェルム領軍にとって、総司令セイ様は母であり姉ともいえる大恩ある方だ。悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムがセイ様の人望をを妬み、悪辣な手腕で殺めようとした。これを許すべきか? 否、断固として許してはならないっ」
おう! と万雷の拍手とどよめきが、練兵場を揺るがした。
「領都からの秘匿情報を聞くに、クローディアス・レーベンヒェルムは、悪事が露見するやセイ様を拘束、魔術にて洗脳するという暴挙に出たという。あまつさえ凶行に安堵したか、レアという侍女を領主代行に立てて遊興に耽っている。愚かさここに極まる!」
瞬間、兵士たちの顔色がわずかに変わったことに、自身の演説に酔っていたマクシミリアンは気付づかなかった。
「われわれは、これ以上、悪徳貴族の暴政をのさばらせるわけにはいかない。人民通報の報道によれば、軍政を望む領民の声は天に轟き、地に響き渡っている。領都では連日連夜、断罪を求める大規模集会が開かれ、もはや新政権の樹立は不可避と言えよう。今こそ悪徳貴族打倒の時、共に戦おう。セイ様の為に。我々の新しい時代の為に!」
今度の拍手は若干まばらで、喝采も少なかったが、マクシミリアンは――やはり気づかなかった。
(たかが見目麗しい小娘程度を褒めそやし、偶像にすがる愚かな者たちよ。この俺が支配してやるぞ。薔薇などと持ち上げられたローズマリーに媚びを売る屈辱が貴様たちにはわかるまい。俺はものを考えないお前たちとは違うんだ。努力に努力を重ねた賢明な人間だということを、大衆迎合主義に堕落した愚民たちに見せつけてやる)
マクシミリアン・ローグは、この時、幸福の絶頂にあったのかもしれない。
彼は建設途上だったグロン城塞に細工を凝らし要塞化を図る一方で、部下たちには自由に略奪と進軍を許して兵士たちの歓心を買おうとした。
結果、反乱軍は当初の根回しもあって表向きの勢力圏こそ急速に拡大したものの、指揮統一の原則からかけ離れ、各隊が独自の判断で分散してゆくことになる。それでもマクシミリアンは、勝利を疑っていなかった。人民通報が反乱軍の大義を褒め称える以上、民衆は反乱軍に好意と愛情を抱いて協力するはずだったからだ。
(ふひっ。毎週末に領全土でデモを起こされるような悪徳貴族に、いったい誰が味方するというのか!)
レーベンヒェルム領軍の対応も遅く、キジー率いる五〇〇〇もの大軍がグロン城へと押し寄せたものの、厳重な防御や迷彩魔法をかけつつ、遠巻きに塹壕を掘ったり土のう袋を積み上げたりといった包囲陣の構築と、何かの土木工事に明け暮れているだけで、まるで交戦の意志を見せなかった。
そして、晩樹の月(一二月)二六日――。
反乱軍のスポンサーとして協力する企業や富豪、代官たちが、一斉に手を引くという連絡を秘密裏に送ってきた。
レーベンヒェルム領西部で軍を挙げた同志たちとの連絡が取れなくなり、東部各地に派遣した部隊との連絡も途絶した。
ほんの数日前には四〇〇〇人に達した反乱軍は、いまやマクシミリアンが立て篭もるグロン城塞に詰める一〇〇〇人の緋色革命軍出身の工作兵を除いて、彼の指揮下から離れてしまった。
(何故だ? いったい何が起こったというのだ?)
狼狽するマクシミリアンたちの前に、騎乗した、というより、馬に乗せられたという表現がしっくりくるもやし男がひとり、レーベンヒェルム領軍の包囲網から進み出た。
「貴様は、悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルム!?」
☆
時は少しさかのぼる。
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 晩樹の月(一二月)一九日。
クロードが反乱軍対策に専念する間、領主代行に侍女のレアを任命したという事実は、レーベンヒェルム領を震撼させた。
ルクレ領、ソーン領との政略結婚が噂される今、事実上の正妻として選ばれたのだという噂が尾ひれ背びれをつけて駈け廻ったからである。
レアのファンクラブだけでなく、ソフィ、セイ、アリスのファンクラブも急いで大規模デモ計画をぶちあげ、今はそれどころじゃないと気づいて、原因である他所者の暴徒と反乱軍に激怒した。
領役所は成立から短いこともあって、草創期に十人前以上の仕事をたったひとりでこなし、そればかりか現在の官僚システムの骨組みを作った”伝説の先輩”を尊敬していた。また領軍は、レ式魔銃の開発に関わり、以後も魔道技術の専門家として無色火薬の安定や巡洋艦の機関保全などに影ながら影響を与えていた”偉大なる技術者”に敬意を払っていた。
つまるところ、レアの領主代行就任に未曾有の衝撃が走ったのはファンクラブ界隈だけであり、役所にも領軍にも文句をつける者はいなかった。そして、レアはセイ、ソフィ、アリスに若干水をあけられていたものの、それでも四人そろってファンクラブの名前があがるほど領民たちに人気があり、就任はむしろ歓迎されていた。
「ひょっとしたら、辺境伯様よりずっと頼れるかもしれないぞ」
「やっぱり代表は愛らしい方が、やる気が出るってものさ」
領民たちの反応を知ったクロードは、便所の中で泣いた。
しかしながら泣いてる時間も惜しいのが、レーベンヒェルム領を取り巻く現在の情勢だった。
クロードは、まず即時動員可能な兵士たちの半分、五〇〇〇人をキジーに率いさせ、ゴニョゴニョと策を授けて陥落が予想されるグロン城塞へ送り出した。
「なんてブラック。無茶ぶりにも程がある。司令が女神なら、リーダー、貴方は悪魔ですよ。ええ、やりますとも。やってみせますとも。でも勘違いしないでくださいね。貴方の為じゃなくて、司令の為に行くんですからね!」
「キジーのやつ。そこまで念を押さなくてもいいじゃないか……」
「今のやりとりは、まさか」
「たぬー!? クロード、ひょっとしてオトコノコに興味があるたぬ?」
「セイ、アリス、いったい何を言ってるんだ?」
と、クロードには意味不明な問答があったものの、キジーは大軍を率いて東部へ、アリスとセイも少数ながら部隊を伴って西部へ向かった。
そして、ソフィは職員に買い出しを頼んで、馬車にありったけのお土産を詰めていた。
「オーストレームさんにはこのお茶菓子、ブロムダールさんにはこっちのお酒、カールソンさんにはこのお薬……。うん、準備万端。クロードくん、わたしたちも行こう」
「お、あ、うん、そうだね」
クロードとソフィが担当するのは、ヴァン神教などの宗教勢力や冒険者ギルドなどの互助組合、さらに各町村の長に会って協力を取り付けることだった。
ソフィは先日まで新式農園の監理者を担当していて、農作物の流通を通して多くの有力者とよしみを得ていた。そして、どうやら恐ろしいことに、彼女は交渉相手の好物や趣味を大方把握しているらしい。
馬車に揺られながら、クロードは向かいに座った、赤いおかっぱ髪と大きな黒い目が愛らしい少女に尋ねた。
「ソフィは、人と話すのが好きか?」
「うん。クロードくんは?」
「僕は苦手だよ」
屈託のないソフィの反応に、クロードは思わず視線を逸らした。
「話をしても人の本心なんてわからない。はは、見てくれ。僕は臆病で震えるほど怖いのに、人前では平気な振りを演じてる」
クロードの手足は小刻みに痙攣していた。絶対にキジーやセイ、アリスの前では見せることができない姿だった。
反乱を十日で終わらせると彼は豪語した。だが、本当は逆なのだ。その短期間で終わらせられなければ、役所と領軍が試算した通りにレーベンヒェルム領は戦火に焼かれ、数え切れない人命が失われることだろう。
クロードは、ソフィに甘えていると自覚しつつも、恐怖を押さえつけることができなかった。
そんな彼をふと、甘い匂いと柔らかなぬくもりが包んだ。
ソフィが立って隣に座り、クロードを抱きしめていたのだ。
「大丈夫。わたしが、わたしたちがついてる。それに、クロードくんは臆病なんかじゃないよ。やせ我慢かもしれない。無謀だったかもしれない。でも、そんな貴方に助けられた人々が、女の子がここにいる」
「ソフィ……」
「わたしはあなたを幸せにする。絶対に諦めない」
クロードは彼女に身を委ねるように、瞳を閉じていたからわからなかった。
そう告げたソフィの横顔は悲愴で、しかし、とてつもなく美しかった。