第115話 悪徳貴族と家庭内戦争
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 晩樹の月(一二月)一九日朝。
緋色革命軍と、ルクレ領、ソーン領有志による襲撃事件の動揺も冷めやらぬレーベンヒェルム領に、更なる激震が走った。
領主であるクローディアス・レーベンヒェルム辺境伯が、領軍の声望を一身に集める司令官セイを危険視して暗殺を企んでいるという怪文書が流布されたのである。
オーニータウン以来の側近であるイヌヴェは、同日未明、領内巡察の夜営中に不明勢力の襲撃を受けて意識不明の重体となり、サムエルもまた寝所を爆破されて火傷を負った。キジーもまた参謀本部への出勤途上で狙撃されたが、凶弾が逸れて危うく難を逃れた。
これらの顛末は、領軍の水晶玉や魔術符といった通信端末で砦や城塞に通報され、まるであらかじめ準備されていたかのように、セイ救出の大義を掲げた反乱軍が各地で挙兵した。
領都レーフォンでは、領主弾劾を求める無許可デモ隊が列を為して行進。『今こそ暗黒の暴君を打ち倒し、光をもたらすべし』と手に手にロウソクを掲げ、領旗や国旗を焼き捨て、一部の工房や商店で略奪を行っていた。
キジーは狙撃犯を捕まえて官憲に引き渡すと、上を下への大騒ぎになった参謀本部でハサネと合流し、ありったけの資料を掴んで馬を駆り、領主館へとやってきたのだという。
食堂で事情を聴いたクロードは思わず言葉を失った。ようやく絞り出した一言は、まるで冴えないものだった。
「……性質の悪い陰謀だ」
「そんなことわかってますよ。御丁寧に領主館への通信が妨害されていましたし、だいたい何ですかあの趣味の悪いキャンドルデモはっ。百歩譲って領旗はまだしも国旗を焼いた挙げ句に略奪だなんて? あんなことをするデモ隊、今まで見たことありませんよ。外国人がやってますって自白しているようなものじゃないですか!」
おそらく実行者たちは、レーベンヒェルム領では週末毎に領主への抗議デモが行われていると、字面だけで知っていたのだろう。さしずめ情報源は、共和国資本が発行する人民通報か。
まるで火にかけたやかんのように気を吐いて憤慨するキジーから引き継ぎ、ハサネが火のついていない葉巻を指で回しながら現状を補足した。
「爆破犯と狙撃犯は何者かによる魔術洗脳を受けていました。彼らは辺境伯様名義による、印刷された命令書を懐に隠していました。雑な工作ですが、彼らにとっては瑣末なことなのでしょう。――重要なのは、根も葉もないでっちあげを騒ぎたて、万分の一でも真実であるかのように偽装すること。セイ司令は領軍に慕われています。まるでアイドルのように愛されていると言ってもいい。現実に司令の親しい部下が害されて、領都では騒ぎが起こっている。それだけで、騙されるもの、偽りと知ってなお騙された振りをするもの、領政に不平不満を持った輩が雪崩をうって動きだすことでしょう」
ハサネが鞄から地図を取り出してテーブルに広げ、朱色の筆で丸印を書きこんだ。数は都合、三〇程度。
「今確認が取れている武装蜂起した領軍の砦です。各地に点在していますが、特に東部が多いですね。反乱軍の参加者は推定三〇〇〇人。今後更に拡大すると予測されます」
「三〇〇〇人だと、領軍全体の一割以上じゃないか!?」
「た、大変たぬっ」
地図を覗きこんでいたセイの顔色が青白く染まり、アリスが尻尾を逆立てて右往左往と跳ねまわる。
クロードは下唇を舐めた。不思議なことに、彼の心は沸騰するように熱く煮えたぎっていたのに、頭の中は雪でも降ったかのように冷たく醒めていた。
「ハサネ、反乱軍の動向はわかるか?」
「半数は個別に領都に向かって進軍しています。そして、もう半数は組織だって合流し、領東部防衛の要として建設中のグロン城塞に向かったようです」
「ああ、あそこなら東西を川に挟まれているから船を使った合流も簡単だろうし、湿原に囲まれているから守るに堅い。更には領境にも近くて、いざとなればソーン領、ルクレ領からの援軍も見込めると。……参ったなこれは」
台詞とは裏腹にクロードの態度には余裕があった。反乱軍の少なさにむしろ安堵すら覚えていた。あるいは、先の襲撃事件でミズキから警告を受けた時点で、すでに窮地を覚悟していたのかもしれない。そうだ、彼女は名乗りをあげると同時に、極めて重要な情報を暴露していた。
『実際、この領の警戒網は厳重だったよ。”避難民に紛れて入りこんだまではいいものの、あたし達以外は全員とっ捕まった。”おかげで良い迷彩になったんだけどね。はじめまして、クロード・コトリアソビさん。イスカが世話になったようだね。あいつの姉貴分のミズキだ』
ミズキは、レーベンヒェルム領が捕まえた偽装避難民の中に緋色革命軍の工作員が含まれていること。加えて、これまで受け入れた避難民の中に、同様の便衣兵が紛れ込んでいる可能性を示唆していた。
「ハサネ、この一件は先日からの特命捜査と関係があると思うか?」
「確実に」
ハサネは弄んでいた葉巻の吸い口を切り、マッチで火を点けようとして、レアとソフィに左右の腕を取り押さえられた。
「待ってください。これは、つい手がすべって」
「ハサネは調査の続行を頼む。進捗によっては、禁煙を命じるからそのつもりで。皆、今日の休みは返上だ。参謀本部へ急ごう。キジーは至急、首脳陣を集めておいてくれ」
「禁煙ですって!? こ、この悪徳貴族っ」
「今すぐに向かいます」
ハサネは名残惜しそうに葉巻を仕舞って中折れ帽子をかぶり、キジーは手早く書類をまとめて部屋を出た。
クロードたちもまた出立の準備をはじめたが、不意にセイが制止した。
「棟梁殿、三〇分でいい。私に時間をくれ」
「……セイ?」
☆
クロードと同席を求められたレア、ソフィ、アリスの三人は、セイに誘われるまま中庭に移動した。
太陽の光を浴びて色とりどりの花が咲き乱れる中庭は、まるでレーベンヒェルム領の未来を暗示するがごとく雲に遮られ、その輝きを曇らせた。
セイは僅かな時間うつむいた後、葡萄色の瞳に並々ならぬ決意をこめ、両手でクロードの肩を掴んで告白した。
「私を処断しろ」
「絶対に嫌だ」
セイの願いも簡潔なら、クロードの返答も明白だった。
「セイ、馬鹿なことを言ってないでさっさと行くぞ。今は一刻を争うんだ」
「馬鹿なことを言っているのは棟梁殿だ。すでに血は流された! もう後戻りは出来ないんだ。私の過ちだ。私という神輿を担げば、棟梁殿に挑めると証明されてしまった。頭にとってかわりうる二番手など無用を通り越して有害だ。たとえ乱を治めても必ずしこりが残り、軍閥化が進む。いずれ必ず再び多くの血が流れるぞ」
「セイ」
クロードは震えるセイを抱きしめて、あやすように背中をさすった。
「落ちつけ。動揺するのはわかる。割とピンチで、僕だって混乱してる。けど、こういう時こそ冷静さが必要なんだ」
「私は、……冷静だ」
セイはクロードの腕から、温もりから逃れるように抱擁を振り払った。
「反乱軍はいまでこそ領軍の一割だろう。だが、時間をおけばおくほど膨れあがるぞ? 兵を犬死にさせるつもりか? 戦費はどうなる? 私たちが夢見た平和は、静寂な世界はどうなる? だから――私に命じろ。死ね、と。秩序を守るため、悪しき芽を摘むための礎になれと。大丈夫だ、レア殿が棟梁殿を支えてくれる。アリス殿が軍を率いてくれる。ソフィ殿が豊かな未来を共に築いてくれる。私はあとを託すことができる」
「……セイちゃん、わたしたちを馬鹿にしてる?」
ソフィの手が風をきってセイの頬をうち、パン! と高い音が曇天の下に響いた。
「ソフィ殿。私は、正しいことを言っているぞ」
「そうかもね。わたし、そういうのわからないし。だから、正しいとか間違ってるじゃなくて、セイちゃんの言ってることが気に入らない」
「ははっ、そうか。あいかわらず度し難いほどのわからず屋だな。わたしも、ソフィ殿のそういうところが大っ嫌いだ」
「うん、だから夕暮れでもないし、河川敷でもないけど、喧嘩しようよ。セイちゃん」
「勝手ことをぬかすなっ」
慌てて止めに入ろうとしたクロードとレアを突き飛ばし、セイとソフィは殴り合いを始めた。互いの頬をうち、花壇を踏み荒らし、木々の枝を折りながら容赦なく技を極めようとする。
「駄目たぬ。今は喧嘩してる場合じゃないたぬ。たぬにだってわかるたぬ。やめるたぬっ」
大人モードのアリスが必死で二人にしがみつこうとするも、ソフィに足を刈り取られて転び、セイには襟首を掴まれて放り投げられと散々な目にあった。
「も、もうおこったぬ。本気たぬ。手加減無用たぬ!」
アリスは服を引きちぎり、全長五mの黒虎に変化して、ソフィとセイに躍りかかった。
「ふしゃあああっ」
「アリスちゃんは黙ってて」
「人の喧嘩に割りこむな」
アリスの突進を前に、ソフィとセイは互いの両手を上下に重ねながら器用に側面に入りこみ、勢いを逸らすようにして二人がかりで投げ飛ばした。
「た、たぬー!?」
「アリス、危ないっ」
彼女が投げられた方向が薔薇区画だったから危なっかしい。クロードはタックル気味にアリスにぶつかって勢いを殺して、土にまみれて彼女の下敷きになった。
「く、クロード。大丈夫たぬ?」
「どいてくれアリス、重い」
「たぬーっ。ひどいたぬ。女の子に絶対言っちゃだめなセリフたぬ。クロードのバカーっ」
虎のまま、金色の猫目から涙を流してさめざめと泣くアリスの下から這い出して、クロードはふらふらと喧嘩を続けるソフィとセイに歩み寄った。
そっとレアが進み出たが、クロードは腕を交差して制止した。
「散々カッコワルいところ見せてきたけどさ、やっぱりカッコイイところも見せたいじゃないか」
「領主さま」
そう言ってクロードは、ソフィとセイに割りこんでボコボコに殴られ始めた。
「レアちゃん、アレってカッコイイたぬ?」
「はい。私には」
「たぬう」
掌を固く結んで目を潤ませるレアを見て、アリスはやってられないとばかり、ぬいぐるみの姿に変化した。ほんの少しだけ同感だったけど、先ほどの重い発言で帳消しにする。
「ぷんすかたぬ」
でも、と、アリスは思った。クロードはどうにかして良い方向にまとめるだろうと。それだけは彼女も信じることが出来た。
ソフィとセイは互いに顔を腫らして息を切らせながらも、クロードによって腕を掴まれて止められた。しかし、二人はなおも口角泡を飛ばして意地を張り合った。
「肉体は朽ち、魂は巡っても、士の心は受け継がれる。いかなる汚名を被ろうと、それによって信じる正義の体現がかなうのならば、私は構わないのだ。ソフィ殿には、どうしてそれがわからないっ……」
「姫将様としては正しいんだろうね。でも、そこにセイちゃんはいるの?」
「私の有無など関係ない。明日百人を殺さぬ為に、今日一人を殺す。それが正しい為政者というものだ!」
そう叫んだセイの唇に、クロードは赤いミミズ腫れやら青痣やらでカラフルに染まった身体から手を伸ばして、指を一本当てた。
「忘れたか、僕は悪徳貴族だ。正しい為政者なんて知ったことか。僕の望む静寂な世界には、セイが必要だ。だいたい、す、大切な女の子を助けようとして何が悪い」
「むきゅう」
セイは茹でたタコのように上気して、腰砕けになってその場にへなへなと崩れ落ちた。
「お前たちは本当に、私を姫将として扱わないのだな」
「友達なら当然でしょう?」
「今更たぬ」
セイは膝に登ってきたアリスを抱きしめ、ソフィのふくよかな胸に埋もれるようにして涙をこぼした。
厚い雲が流れて、再び陽光が踏みしだかれ荒らされた中庭を照らし出す。だが、クロードにとって一番大切な花は、依然輝いていた。彼は抱き合って泣く三人を見てもう大丈夫だと判断し、痛む足に力を込めて立ち上がった。
「領主さま」
「レアは皆を診てくれ。遅れても構わない。僕だけでも会議は十分だ」
「ですが、お怪我が」
クロードは、わざとらしく咳き込み、無駄に決め顔をつくって宣言した。
「傷は男の子の勲章だ」
「……」
見え見えの強がりは、さすがにレアでも庇えないほどにカッコ悪かったが、彼女は指摘しなかった。
「今、時間は黄金よりも貴重だ。誰が黒幕で誰が協力者か知らないが、このツケは高くつくよ」
クロードの瞳が、まるで灼熱の焔のようにギラギラと燃えていたからだ。