第105話 狂魔科学者の娘
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遠方で爆発音が響き、非常ベルがけたたましく鳴り響く。
ブリギッタは、即座に椅子を蹴って立ち上がり、壁に据え付けられた魔術道具である通信貝を掴んで、警備室に確認を取っていた。
「何があったの? ――そう。最優先で作業員たちを避難させて。アタシもすぐそっちへ向かうわ」
ブリギッタは、一揃えの貝を口と耳に当てて話しつつも、床に置いた鞄から簡易の布鎧と細剣を引き出して、戦支度を始めている。
「やれやれ。会議を進める時間もないとは、慌ただしいことです」
ハサネは、シルクハットをくるりと回すと、帽子のどこに隠されていたのか小ぶりのナイフと手錠が現れて、彼の手のひらに収まった。
「辺境伯様。楽園使徒を名乗る団体が、正門と裏門で平和万歳のプラカードを掲げて暴れているそうよ。詰め所に火もかけられたみたい。すぐに制圧するわ」
ブリギッタが通信貝を操作すると、警備室から転送されてきたらしい門の様子が、会議室の壁に映し出された。
共和国人か、あるいは帰化した”楽人”か……、数十人規模の中高年外国人男性が、松明や棍棒を手に暴れまわっていた。
「中高生を集めようとしたら、中高年しか集まらなかったよ。といわんばかりの、”自称”青年団体の悲哀は横に置くとして――だ」
クロードは、元々目つきの良くない三白眼を半ば閉じて、不快感も露わにブリギッタとハサネを半目で睨みつけた。
「平和を口にする割に、ずいぶんと荒っぽい活動をするじゃないか。この連中は、馬鹿なのか?」
「彼らなりの脅しのつもりでしょう。和平を結ばなければこれからも破壊活動を続けるぞ、という。小悪党じみて、浅はかなことです」
「実に共和国らしいやり口よ。共和国人にとっての平和とは、彼等が暴力で支配する圧政を指すのだから」
平然と答える二人に、クロードはしかめ面をしながら再度問いかけた。
「それでも……、ハサネとブリギッタは、和平を考慮しろと言うんだな?」
「ええ。愚か者であればこそ厚遇すべきかと。悪行の報いは、後日必ず受けていただく。私は、どんな犯罪者であっても更生を諦めません」
「辺境伯様、仮にルクレ領、ソーン領との戦闘を続行するとして、よ。動かせる兵隊はいるの? 二正面作戦は避けるべきじゃないかしら?」
「よくわからないけど、たぬは結婚に反対するたぬっ」
クロードは、三者三様の意見を受けて、ゆっくりと頷いた。
楽園使徒を鎮めるため、ブリギッタは正門に、ハサネは裏門に向かうという。
「アリスちゃんは、辺境伯様を守ってあげてね」
「いいや、アリス。正門へ行ってくれ。もしブリギッタに怪我でもさせちゃあ、あとで僕がエリックに叱られる。片付けたら、裏門でハサネの援護を頼む」
「たぬっ。お任せたぬ!」
元気よく手を振るアリスたちを見送って、クロードもまた椅子から立ち上がり、会議室を出た。
クロードは、万が一の事態を考えて、正門裏門ではなく王国が持ち込んだ模型や線路を飾ったエリアへと向かう。
模型の付近には、王国から来た技術者が集まる宿泊施設も建っていた。相手が一般的な軍人であれば民間人を直接狙うことはないだろうが、便衣兵を多用して民間人を狙った攻撃を加えるのはテロリストの定石だ。誰かが警戒する必要があった。
「まいったなあ」
クロードは、移動しながらも婚姻同盟について考えていた。
ハサネの方針は、徹底して合理的だ。騙し騙され、タヌキの化かしあいを演じて、緋色革命軍の後に制圧する腹積もりだろう。彼は、犯罪者が、罪を贖って更生することを信じていたが、野放しにするつもりなど毛頭考えていない
ブリギッタの方針は、よくわからない。彼女は共和国系帰化人の血を引くが、だからこそ共和国人が帰化人たちを差別し、侮蔑していることに反発している。今回の婚姻同盟も、感情的には納得していないのに、別の思惑で推進しているように見えて、妙にちぐはぐなのだ。
「パウルさん経由で、共和国から圧力もかかっているだろうけど、それが最大の理由なら最初にぶちまけるだろう。ブリギッタが、商売の邪魔だからとか、企業の儲けが減るから、じゃなくて、わざわざ二正面作戦を避けるべきだからなんて、一般論をあげたのがらしくない……」
クロードが王国人の宿泊施設がある一角に到着すると、いかにも工事作業員といった装いに扮した十人程度の一団が、マスケット銃らしい長筒や弩をもって近づいてきた。
残念ながら、正門と裏門への攻撃は陽動で、本命の工作員たちはすでに作業現場内へ入りこんでいたらしい。
「ここは、関係者以外立ち入り禁止だ。何者かは知らないが、お引き取り願おう」
クロードが立ちはだかると、頭目らしい剣呑な目つきの男が、ダミ声で名乗りをあげた。
「我々は反貴族主義、反資本主義を掲げる平和団体、楽園使徒だ! レーベンヒェルム領は寛容なる共和国の手を払って、悪しき王国の靴をなめた。この暴挙を阻み、正義を明らかにするため、我らは立ち上がったのだ。独立こそが真の地方分権であり、最高の経済政策である。今こそ罪深き地は、悪徳貴族の支配から解放されて、偉大なる西部連邦人民共和国の庇護の元に入らなければならない」
クロードは鼻で笑った。楽園使徒の言い分はまるで筋が通っていない。それっぽい文面を並べ立て、共和国にひれ伏せとわめいているだけだ。
「それのどこが独立だ。お前たちの行為を、正しくは売国と言うんだよ。……ひょっとして、”楽人”じゃなくて、共和国人か? マラヤディヴァ国の法において、外国人の政治活動は禁止されている。不法侵入、器物破壊、暴行未遂、その他諸々の現行犯だ。拘束して官憲に引き渡す」
楽園使徒の構成員たちは、領主であるクロードの顔を知らないのか、恐れるでもなく逆上して怒鳴り始めた。
「怪我人が偉そうに」
「物陰で震えておればいいものをっ」
「おいキサマ、外国人は政治に一切口を出すなと言うのか。そんなことが許されると思うのか?」
クロードは、ゆっくりと間合いを計りながら、足先で文字を刻んでゆく。
両手がない以上、これまで以上に戦闘は不利になる。時間を稼ぐか、心理戦で精神の均衡を崩すか、いずれにせよ慎重を期す必要があった。
「旅行者が、他国で現地の法に縛られるのは当然だろう? 少なくともレーベンヒェルム領では、外国人の政治活動の自由は、”マラヤディヴァ国の政治的意思決定、又はその実施に影響を及ぼす活動等を除き”保障されている。論点をすり替えるな。お前たちを拘束するのは、不法の現行犯だからだ」
楽園使徒の頭目も、クロードが援軍を呼ぶのではないかと警戒しているようだ。
ひとまずは、会話を交わしつつ、様子を見るようだった。
「正義は、法を超越する! 大国である西部連邦人民共和国の意向と、小国に過ぎないマラヤディヴァ国の法、どちらを優先すべきか頭の悪いお前でもわかるだろう?」
「他国の主権を侵害する。それを侵略というんだよ。正義を訴えたければ自分の国でやれ。ああ、それともお前たちの国は、”自国民が自由に発言できないほど”に、野蛮で遅れた国なのか?」
「黙れぇええっ。おまえたち、このクソガキをやっちまえっ」
クロードの煽りは、想像以上に効果絶大だった。足先で魔術文字を刻んで、前方の土を隆起させた壁をマスケットの弾丸がかすめ、隠し持っていたらしいパイプ爆弾が投げつけられて壁面にひびを入れる。
「ちいっ」
同時に放ったクロードの雷矢が、四人に命中して麻痺、あるいは昏倒させた。しかし、敵はまだ六人も残っている。
「魔術師か? ガキひとり殺したところで問題ない。見せしめに血祭りにあげろ」
「鋳造魔術が使えないのは厳しいな。僕は、弱いっ……」
クロードは、楽園使徒を宿泊施設の反対側に誘導するように、逃げ出してみせた。
よほどにプライドが傷つけられたのか、怪我人の子供ひとりすぐに片づけられると踏んだか、残り六人全員で追いかけてくる。
緋色革命軍から仕入れたのか、あるいは複製したのかは不明だが、マスケット銃の弾道はぶれて、弾丸はまるで当たらない。クロードは弩の矢を火球で迎撃しつつ、また二人を雷矢で倒した。
「あのガキにパイプ爆弾をぶちかませ!」
「それは、まずい」
再び、火薬の入ったパイプ爆弾が投げつけられた。
投手が付与魔法で筋力を向上させたのか、パイプは多少の距離もものともせずに飛来し、クロードが楯となる土壁を生み出す前に着火して釘や鉄片を撒き散らした。
クロードは、とっさに足元に衝撃を生みだして跳躍、爆風と破片の雨から逃れたものの、受け身がとれない。
「遮蔽物のない作業場で、飛び道具と戦うよりマシだ。このまま着地すれば資材倉庫の側だ。アリスたちが気づくまでの時間くらい、稼いでみせるさ」
そう呟いて、着地の痛みをこらえようと奥歯を噛みしめたクロードだが、落下した資材倉庫側の地面の感触は、ポヨンという妙な弾力性がある不可解なものだった。
「ひゃんっ」
「え?」
「ど、どこを触ってるのよスケベ。ちょっと目を閉じてなさい」
「わぷっ」
クロードが、これまで聞いたことのない女の子の声だった。
そもそも台詞の意味がわからない。触ろうにもクロードは腕が二本ともないのだ。
地面に仰向けに倒れたクロードの視界は、妙にひんやりとした手で塞がれて、外されると見たこともない少女が傍らで見下ろしていた。
おそらくは10代半ば。薄紫色のショートカットの髪と、わずかにつりあがった同色の瞳。不自然なほどに白い肌が印象的な、青く輝くワンピースドレスを着た小柄な少女だ。彼女は、頬を真っ赤に染めてぷりぷりと怒っていた。
「怪我がなくて良かったけど、なんてところに落ちてくるのっ。地面と同化してるひとがいるかもって、学校で教わらなかった?」
「そんな学校は聞いたこともないし、地面に同化してるひとなんて、そうそういるわけないっ!」
楽園使徒とは別の意味でツッコミどころ満載の少女の発言に、クロードは思わず叫んでいた。
「そうね。これがカルチャーギャップというものね。勉強になるわ」
「いいから逃げろ。殺されるぞっ」
クロードが、芋虫のようにのたうちながら立ち上がる時間もなく、楽園使徒が追う方角から銃声が二発響いた。
「よせ、その子は関係ないっ!」
クロードの絶叫は遅すぎた。弾丸はすでに発射されている。動かない的を狙った弾丸のうち一発はそれるも、もう一撃は不幸にも少女を直撃し、彼女は貝のように小さな手のひらで受け止めた。
「……っ」
「奥義『水鏡』」
少女の手のひらが、まるでスライムのように一瞬だけ溶ける。弾丸は勢いを失って落下して、同時にクロードを追う楽園使徒の射手が、まるで撃たれたかのような衝撃を受けて崩れ落ちた。
「びっくりした? 運動エネルギーを魔力に変えて、そらすのよ。慣れたら反射だって出来るわ。パパと戦ったのなら見たでしょう。物理攻撃を無力化する粘液は、私の一八番を、機械的に再現したものよ」
「君は、いったい?」
「ドクター・ビーストなんて世間様に触れまわってた大馬鹿者の娘、ショーコ。身内の恥を止めてくれてありがとう。お礼に、義手を届けに来たわ」
そう言って、ショーコと名乗った少女は、寂しげに微笑んだ。