第102話 楽園使徒と、婚姻同盟
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クロードとアリスは、ハサネ・イスマイールによってプレハブ造りの仮庁舎へと案内された。
会議室では、暖色系のジャケットに身を包み、山吹色の髪をざっくりと結わえたブリギッタが、灰色の瞳に憂いの陰を帯びて待っていた。
「ブリギッタさん。辺境伯様をお連れしました」
「辺境伯様、怪我してるところをごめんね。どうしても聞いてもらいたい話があったんだけど、今、あたしもハサネさんも身動きが取れなくてさ。アリスちゃんもお出かけに割りこんじゃって……」
「瞬間移動を使えば一瞬だ。気にしないでくれ」
「むふん、午前中のデート楽しかったぬ。問題ないたぬ♪」
「アリス仕事が終わったら、商店街でも一緒に歩くか?」
「クロードっ、大好きたぬ♪」
ブリギッタにとっても、クロードとアリスの睦まじい様子は微笑ましかったが、事態は急を要していた。
「水を差すようで悪いけど……」
「すまない。教えてくれ。ルクレ領とソーン領でいったい何がおこったんだ」
クロードの質問に、ハサネはいくつかの資料を取り出し、説明を始めた。
先日、司令官セイ率いるレーベンヒェルム領軍は、侵攻してきたルクレ領主力艦隊と、五万人のソーン領軍団を見事に打ち破った。
「結果として、軍事力を喪失した二領では、領政に不満をもつ複数の有力者たちが武装蜂起して無政府状態に陥ったんです。特にドーネ河会戦以降、ソーン領では、”楽園使徒”を名乗る武装集団が、秘密裏に西部連邦人民共和国の武器支援を受けて勢力を拡大していました。彼らは対立する組織を武力行使でせん滅し、領の覇権を握ったんです」
「彼らは昨夜、ルクレ領でも火の手をあげて、トビアス・ルクレ侯爵の邸宅と役所を襲撃して爆破、使用人と役所職員を含め千人以上を殺害、戒厳令をしいたみたいよ」
「無体なことをする。いったいどんな集団だ?」
うつむくクロードの言葉に応えるように、ブリギッタが新しい資料をクロードの眼前に置いた。
「このアジビラを見て。指導者の青年、アルフォンス・ラインマイヤー曰く、”そもそも蛮族であるマラヤディヴァ人が貴族をかたり、国政をもてあそんだことが不幸のはじまりである。ゆえに、国境をなくして、大国たる西部連邦人民共和国の庇護を受け入れることで、誇りを持って平和と繁栄を享受しよう”だそうよ?」
クロードは、ポカンと口を開いた。アリスは目をパチクリさせている。まるで意味がわからなかった。
「いかれてるのか。こいつらは」
「”楽園使徒”は、前身である”世界樹の端緒にて大陸平和と国際友好を願う青年勇士の会”を名乗っていた頃から、ソーン領民間の一部からは、略して木っ端と呼ばれていたそうです。地元の評価も推して知るべしでしょう」
「アルフォンス・ラインマイヤーは、若者たちに絶大な人気を誇る青年団体の指導者を自称していたわ。でも、こっちの集会写真を見てよ」
「ハハッ。前列以外は、外国人と老人しかいやしない」
外国の工作員と、過激思想に狂った老人たちに担ぎ出された愚かな神輿。それが、アルフォンス・ラインマイヤーという青年なのだろう。
「心が若ければいつまでも若者、きっとこの老人方は時間が止まっているのでしょう。具体的には、14歳くらいで」
「厨二病へのいわれのない誹謗中傷はやめよう。同列に語るのは失礼だ」
クロードは、ドクター・ビーストのことを思い出した。
彼は、レーベンヒェルム領とマラヤディヴァ国にとって、怨敵とも言える悪党で、理解不能な浪漫の信奉者でもあった。
だが、あの老博士は、間違っても頭にイデオロギー以外は何もないような、空っぽな人間ではなかった。
「確かに。以後は注意します」
「それにしても、わからない。”赤い導家士”は、浸透して地盤があったし、イヌヴェやキジーは性格さえ目をつむれば優秀だ。”緋色革命軍”は、オッテルを騙ってファヴニルが糸を引いているし、ゴルトやレベッカのような恐ろしい将軍だっている。比べて、”楽園使徒”は、あまりにも、あまりにも薄っぺら過ぎる。なんでこの程度の連中が、二領も占拠できたんだ……」
クロードの呻きに、ハサネとブリギッタは顔を見合わせた。
「失礼ながら、四分の一程度は、我らが領の影響かと」
「辺境伯様。以前のレーベンヒェルム領は、あの腐れ邪竜を頂点に、西部連邦人民共和国が甘い汁を吸って、傀儡の先代領主が圧政を行い、あたしたち領民は重税と苦役に苦しんでいたわ。貴方は、この一年ちょっとで、テロリストや代官と癒着した山賊軍を追い払って、レーベンヒェルム領を本当の意味で革命したの」
クロードは、ファヴニルを事実上追放し、明文化されていない共和国の特権を法律によって規制することで、支配層から切り離したのである。
現在のレーベンヒェルム領は、いわばクロードという代表領主を据えた、有力者たちによる合議制という政治形態に変わっていた。
「辺境伯様、貴方の手腕は見事なものだった。思想宗教地縁血縁を問わず、法と道徳を守る限り平等に登用した。私の様な身元が定かでない者でさえも、ね。今では元テロリストも、元代官も、元山賊や元海賊さえも、心ある者は、我々に協力しています。皆が、レーベンヒェルム領の一員となったのです」
「あたしや、パパのような、共和国からの帰化人、”楽人”だってそうよ。不法な特権はなくなったけど、共和国から命令されていた上納金を支払わなくて済むようになったから、むしろ前よりも儲かっているくらい」
「ですが、そういった貴方の法治こそを忌む者たちがいるのです」
「偉大なる共和国民の血をひき、進歩思想を体現する我らパラディース教徒を、マラヤディヴァの如き小国民と同列に扱うことこそが、道徳的退廃であり、差別の極みであるってね」
それは、世界の中心が自分たちであると妄想する、根拠なき選民思想だ。自己の無謬を信じるがあまり、正誤を絶対に疑わない。
もしも現実と一致しないのであれば、現実の方が間違っているからぶち壊せと公言してはばからない。そんなイデオロギーに縛られて、むしろ積極的に信仰する者たちがいる。
「……そうか。死んだマグヌスが過剰に外国人を優遇していたから、ソーン領へ流れていたのか。共和国は、野心を捨てちゃいない。植民地の夢よ、もう一度、か。ちくしょうめ、本国へ帰ってほしいところだな」
「”楽園使徒”の構成員なんて、本国に戻れば、それこそ差別対象で、最下級の底辺よ。わかってるからこそ、他国人という生贄を欲するの。残念なことだけど、利益を欲して協力するマラヤディヴァ人だっているわ。国も領主も信じるに値しないなら、金と権力だけが未来を保証するのだから」
先代の悪政下で、辛酸をなめながら生き延びたブリギッタの言葉が、クロードの胸に沁みわたった。
「もう四分の一は、緋色革命軍でしょう。彼らが共和国の支援の見返りに約束した権益はほとんどが空手形で、まるで利益になっていません。共和国が想像していた以上に、ダヴィッド・リードホルムは虚栄に溺れ、レベッカ・エングホルムとゴルト・トイフェルは有能だった、とでも評すべきでしょうか」
「緋色革命軍の本質は、ファヴニルの玩具だよ。あいつは、共和国なんて財布程度にしか考えちゃいない。そうか、だから共和国の連中は、より軽い神輿を選んだのか」
「本来ならば、右派も左派も、目的は自国の隆盛であり、採る手段の違いに過ぎません。”より安定した社会を目指すための社会制度を支持する層”と”より充実した未来を目指すための社会変革を支持する層”の違いです。”自国よりも外国を優先すべきなどと主張する外患誘致の輩”など論外も論外、確かにこっ派とでも呼ぶのが相応しい愚者でしょう。……ですので、辺境伯様、彼らと組みませんか?」
「……はあっ!?」
クロードは、ハサネの質問を聞き誤ったかと、一瞬自問自答した。
「な、なんで、僕たちが楽園使徒なんかと組むんだよっ」
「戦う理由がないからよ。レーベンヒェルム領は、緋色革命軍と同盟を結んだトビアス・ルクレ侯爵と、マグヌス・ソーン侯爵と戦った。けれど、今や二人は死んで、別の集団が二領を支配しようとしている。敵の敵は味方、とまではいかないけれど、停戦を考える価値はあるでしょう?」
「あ、あっ」
ブリギッタの提案は、もっともだった。クロードの胸でざわめく、凄まじいまでの違和感を無視すれば。
「昨夜、楽園使徒から密使が来たの。
”平和を愛する我らは、これ以上の戦火拡大を望まない。ついては、十賢家のルクレ家最後の生き残り、エステル・ルクレと、ソーン家最後の生き残り、アネッテ・ソーンを差し出すので、婚姻同盟を結び、レーベンヒェルム領が後ろ盾となって自治を認めて欲しい”
だってさ。どうする? 結婚して、戦争を止める?」
「たぬっ? け、けけけけっこんたぬっ!?」
知恵熱が出ていたのか、隣で真っ赤になって伏せっていたアリスが、手足をばたつかせてあたふたするのを横目に、クロードは絶句した。
「先ほど、楽園使徒が躍進した原因の半分は、我々と緋色革命軍の影響だと申し上げました。ですが、責任も原因も、元を正せばルクレ領とソーン領にあります。我々には、時間が無い。邪竜ファヴニルに決戦を挑む前に、緋色革命軍だけは制圧しなければなりません。この程度の輩ならば、放置しておけば自滅して弱体化するでしょう。旧政権の血縁者を娶れば大義名分だって得られる。……組むのも、ひとつの選択肢だと思いますよ」