第101話 鉄道敷設計画
101
クロードは、先月末にレーベンヒェルム領の鉄道敷設計画を認可したのち、ブリギッタ・カーンに交渉を委任した。
マラヤディヴァ国には、北方のスコータイ国と南の都市国家シングを結ぶ鉄道路線があり、マラヤ鉄道公社という政府直轄企業が運営していた。しかし、首都クランが緋色革命軍によって占拠されていて、力を借りることは出来なかった。
やむを得ず海外に入札を呼び掛けたところ、ガートランド王国、西部連邦人民共和国、ナロール国の鉄道会社と建設会社が名乗りをあげた。
クロードが、流入する避難民の雇用確保、資本投資による経済振興、有事における兵力の迅速な展開、といった目的達成のために、ブリギッタに提示した必須条件は以下の三つだ。
「ブリギッタ。交渉先には――、
ひとつ、地元の人員を雇うこと。
ふたつ、建材を可能な限りレーベンヒェルム領、ヴァリン領から調達すること。
みっつ、一年半の工期で完成させること。
――を、約束してもらいたい」
「辺境伯様。企業連としても、1番目と2番目の条件は大歓迎よ。でも、3番目の工期一年半はいくらなんでも無理でしょう? 駅を作って鉄道で結んで橋をかけて、超タイトなスケジュールじゃない?」
「ファヴニルの脅威がある。工事は戦火で中断するかもしれないし、天災で延期したり、地盤の沈下や川の増水で足止めされたりするかもしれない。だから急ぐんだ」
「わかったわよ。やればいいんでしょう。やってやるわよ!」
かくして交渉が開始され、まずナロール国が脱落した。
ブリギッタが資料を検討したところ、首都クランで二つの塔が連なる一つの高層建築を王国とナロール国の業者が一塔ずつ受け持った際に、ナロール国側の塔が傾き修正するという信じがたい前歴があった。
他にも橋を落とす、高炉を吹き飛ばす、と、ずさんな工事が目白押しであり、まるで信用に値しなかったからである。
「辺境伯様、ナロール国は断るわ。技術力では王国に及ばず、安さでは共和国に及ばない。彼らは自分たちをサンドイッチに例えていたけれど、傷んだ具なんてあたしはいらない」
「帯に短し、たすきに長し、と。わかった、王国と共和国を相手に交渉を進めてくれ」
ナロール国は、経済大国を自称していたものの、鉄道工事だけでなく、産業自体が王国や共和国とまるかぶりする、あるいは真似たものだった。
技術力で王国に劣り、安さで共和国に劣るという窮状は、以後も変化することはなく、ナロール国はゆっくりと、しかし確実に景況が悪化してゆくことになる。
ともあれ受注競争は、ナロール国の脱落によって、王国と共和国の一騎討ちとなった。しかし、ブリギッタの父は共和国系帰化人である”楽人”の名士であり、また共和国企業連の頭目であったため、影響力は計り知れなかった。
共和国が優位のまま、もはや勝負は決したか、と思われたが。
「辺境伯様、共和国から見積もりが届いたわ」
「安いじゃないか。これで決まり、って、なんだこれ!?」
「レーベンヒェルム領がコンサルタント会社を作って、王国と共同で事前調査して設計図を組むの。情報を全部抜いた上で、王国との交渉を断り、西部連邦人民共和国の”安い労働力と建材で作れば”安価で完成するわ」
「なるほど完璧な作戦だ。ゲスすぎて言葉もない点に目をつぶれば……。いちおう確認するけど、こっちの出した条件は?」
「共和国は、かけらも呑む気がないわよ。最初からこちらを小国と見下してるんだもの」
「わかった。そんな連中と組むわけにはいかない」
ハサネ公安情報部長が独自に調査したところ、西部連邦人民共和国は、国外で安価に工事を請け負い、半ばまで完成させた後に代金を釣り上げるという詐欺行為を、世界各地で働いていた。
跳ね上がった代金を払えなかった海外の工事は、王国が尻拭いして完成させ、あるいは放置されて無残な骸をさらしているのだという。
共和国の傲慢で悪質な営業手法は続き、数年後には近隣諸国に敬遠されて、イシディア法王国等でいくつかの大規模プロジェクトを逸注することになる。
「あとは、王国だけど、見積もりが高すぎて無理よ。戦費がかさんでいる今、債権の発行もままならないし、なによりも決済用の外貨が足りない。計画の凍結を進言するわ」
国際取引や為替取引には、十分な信用があり、額面価額とおりの価値を広く認められた国際決済通貨が必要となる。
この世界の場合、絶対的な経済強国であるアメリアの通貨を筆頭に、妖精大陸連合の通貨、そしてガートランド聖王国の通貨などが続く。
西部連邦人民共和国は、威勢こそ良いものの、国際市場においては、流動性がほとんどなく、他国の通貨と自由に交換できないため、事実上紙切れほどの価値しかなかった。
そして、レーベンヒェルム領が保有する財産は、いくばくかの決済用預金を除けば、マラヤディヴァ国および西部連邦人民共和国の通貨が大半であり、鉄道敷設プロジェクトを実行するだけの外貨は、さすがに保有していなかったのである。
「いっそ物々交換でもお願いしようか。武器を鹵獲したところで、たいした儲けにならないし、工事の代金に引き取ってもらえないかな?」
「世界各地でテロリスト相手にドンパチやってるアメリアじゃあるまいし、そこそこ平和な王国が買うわけないでしょう。夢みたいなこと言ってないで現実を直視して。…あら?」
「どうしたんだ、ブリギッタ。おや、待てよ」
クロードとブリギッタは、同時にはたと気がついた。
「「武器庫のこやしになってる契約神器!」」
クロードたちは、これまで赤い導家士や山賊軍と戦い、多くの盟約者達を打ち破って武装解除させた結果、第五位から六位級の契約神器を大量に所持していた。
しかしながら、契約神器とは、ただの武器ではない。自ら盟約者を選び、契約を結ぶ意思持つ兵器なのだ。
ゆえに、契約神器を保有しても、レーベンヒェルム領に契約を結べる主は少なかったため、宝の持ち腐れとなっていた。
「パパの伝手で売ってくる!」
「大量の外貨ゲットだぜ!」
こうしてレーベンヒェルム領は、使えない兵器の一部をアメリア合衆国や妖精大陸連合諸国に売却することで、鉄道敷設と運営のための予算を得た。
泡をくったのは、これまでクロードが戦ってきたテロリストと、彼らを秘密裏に支援していた西部連邦人民共和国の地方軍閥である。特にイシディア方面に潜んでいた赤い導家士の残党は、この頃奪還作戦を目論んでいたものの、実行に移す前に売却されたため、断末魔の呻きをあげることになる。
史実において、赤い導家士を崩壊に導いた著名人として、本拠地である浮遊要塞を陥落させたニーダル・ゲレーゲンハイトや、最後の大規模反乱を鎮圧したイシディア法王国騎士コーネ・カリヤスクの名前があげられることが多い。
しかし、あえて付け加えるならば、赤い導家士の拡大期に痛恨の一撃を与え、イヌヴェ、キジーをはじめとする有能な人材と、大量の契約神器を奪ったクローディアス・レーベンヒェルムのことを忘れてはならないだろう。
少なくとも、この時期、クロードは、マラヤディヴァ地方近郊に潜むテロリストたちの熱い視線を一身に集めていた。
―――
――――
復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)二八日午後。
クロードは、アリスを伴ってオーニータウンの市街地を訪れた。
鉄道敷設工事全体の契約締結こそまだだったが、準備工事の契約はすでに結ばれて、作業員の宿泊施設の建築や、各種建設機材の運搬がすでに始まっている。
王国は、マラヤディヴァ地方へ進出する足掛かりになると見て、営業に熱心であり、模型モデルや線路の実物などを持ちこんで展示していた。
「クロード、鉄の棒が並んでいるたぬ。あれが線路たぬ?」
「そうだよ、アリス。あの鋼でできたレールの上を列車が通るんだ」
「じゃあ、下にある木の板と小石は何たぬ?」
「木は枕木、細かく砕いた石はバラストだよ。どちらも、列車の重みや走行の衝撃からレールを守るそうだ」
「ほぇええ。あ、猫さんがいるたぬ。親子で可愛いたぬぅ♪」
近所の野良猫なのか、母猫が展示された線路の傍で子猫たちをあやしつけていたのだが、アリスを一目見るなり、雷に撃たれたかのように一番小さな子猫をくわえて逃げ出した。
「猫さんたち、行っちゃったぬ」
「げ、元気出せ。お腹が減ったんだよ、きっと」
「クロード、なぐさめてくれるたぬ?」
「ああ。売店で果汁でも買うか?」
「じゃあ、さっきの母猫さんみたいに、たぬを甘噛みするたぬ」
「できるか!」
「なんでたぬ!?」
うなじを見せて抗議するアリスと、真っ赤になって抵抗するクロードに向けて、何者かが念写器を向けてパシャリと撮影した。
とっさに振り返ると、ハサネ刑務所長が音もなく近くまで忍び寄っていた。
「悪徳貴族、仕事中にイチャコラする。来週のメイン記事は決まりですね」
「ハサネ。内職で週刊誌に情報を売りつける刑務所長ってどうかと思うよ」
「失敬な。辺境伯様、これは内職ではなく、れっきとした趣味です!」
利益ですらなく、趣味で領主のスキャンダルを売る公安情報部のトップという惨状に、クロードは天を仰いだ。
「ハサネのおいちゃん、あとで念写真を分けて欲しいたぬ」
「ふふふ。アリスさんの頼みとあれば仕方がない。なんならここでブチュっといきます?」
「キス、たぬ? 恥ずかしいたぬ……」
「よーし、ハサネ所長。そこを動くなよ、外れるから」
額に青筋を立てたクロードが足先で魔術文字を刻むのを見て、さすがにからかい過ぎたと思ったか、ハサネは真顔に戻った。
「お二人とも、こちらへ。ブリギッタさんがお待ちです。昨日、ルクレ侯爵が暗殺されました」
クロードの目から温和な光が消えて、三白眼に強い灯火が宿る。
アリスもまた微笑むのを止めて、鼻を三度鳴らした。
「どうした、アリス?」
「ううん。尾行されてる気がしたぬ。でも、気のせいだったみたいたぬ」
三人は警戒しつつ、屋内へ向かって歩き出した。
非常に優れた聴覚、嗅覚をもつアリス。異常なまでに勘の良いハサネ。探査魔術を駆使するクロード。彼らの認識から逃れるのは、並大抵のことではなかった。
しかし、物陰から三人を窺う視線の主は、見事にその高いハードルを突破していた。
「……さて、いつまでも隠れているわけにはいかないけれど、どうしたものかしら?」