第96話 告白
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 木枯の月(一一月)二六日午後。
クロードは、レーベンヒェルム領で主だった要職に就いたメンバーを、屋敷の会議室に集めた。
参加者は――。
辺境伯 クローディアス・レーベンヒェルム
侍女 レア
御者 ボー
役所出納長 アンセル・リードホルム
特別警備隊長 エリック
外交担当職長 ブリギッタ・カーン
公安情報部長 ハサネ・イスマイール
新式農園監理 ソフィ
領主付護衛官 アリス・ヤツフサ
領軍総司令官 セイ
領軍参謀長 ヨアヒム
領軍騎馬隊長 イヌヴェ
領軍歩兵隊長 サムエル
領軍魔法隊長 キジー
領軍艦隊司令 ロロン
侯爵家令嬢 ローズマリー・ユーツ
文官武官の代表者と客人を加えた一六人である。
クロードは、共和国系帰化人を代表する実業家パウル・カーンと、同盟者たるヴァリン公爵も招こうとしたのだが、あいにく先方の都合がつかなかった。
「皆、今日は集まってくれてありがとう。先日のドーネ河会戦の結果だが……」
会議の始まりは平穏だった。
潜入させた工作員たちが偵察した結果、虎の子の巡洋艦と艦隊を損なったルクレ領、当主と大軍を失ったソーン領、二領は共に混乱状態に陥っており、これ以上の戦闘続行は不可能だということがわかった。
レーベンヒェルム領から銃器を始めとする情報が流出した最大の原因――ドクトル・ビーストの焼き鏝による奴隷契約も、どうにか解呪の目処が立ちつつあり、ローズマリー・ユーツを安堵させた。
そして、最後の議題が終わったあと、クロードは一座の顔ぶれを見渡して、静かに告げた。
「今日、この場に集まってもらった皆に。明かしたいことが二つある。ひとつめは、アリスのことだ」
「たぬ」
∩の字型に形作られた席の上座、クロードの隣へ、なぜかローブを着こんだ黒虎姿のアリスが移動して、ぼふんと煙を立てた。
「よろしくたぬ♪」
一瞬前までスレンダーな黒い虎がいた場所には、腰まで伸びた真っ黒な髪と長い尻尾、金色の虎耳と猫目が愛くるしい、日焼けした肌のグラマラスな美女がローブに包まれて立っていた。
「「な、なんだってぇええええ!?」
会議室は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
アリスがドクター・ビーストの改造手術を受けた結果、人間に変化できるようになったことを知っていたのは、クロードたちマラヤ半島から帰還した面々と、レア、セイ、ハサネ、診察した医師の4人だけであり、エリックやイヌヴェたちからすれば、寝耳に水の驚嘆すべき出来事だった。
「ちっちゃくもなれるたぬ」
さらにぼふんと煙が立つと、アリスは、黒い髪と尻尾が金色に染まり、日焼けした肌も真っ白に透きとおり、幼い子供姿の省エネルギーモードへと変化した。
クロードは、サイズが合わないぶかぶかのローブを着て背中にじゃれつくアリスに、冷や汗をかきつつも説明を補足する。
「アリスは、マラヤ半島での戦闘で人間の姿に変われるようになった。医師の見立てでは、”省エネルギーモードにならない”ことを前提で、僕たちとの……、あー、うん、子づくりというか、妊娠、出産も可能になったらしい。いいか、アリス。もしそういうことになったら、絶対注意するんだぞ!」
「もう心配性たぬね。相手はクロードしかいないから、大丈夫たぬ」
事情を知らなかった会議の参加者は、目の前で見た光景に開いた口がふさがらないようだった。
「へ、辺境伯様。この情報は秘密ですか? それとも、部下たちに話しても宜しいのですか?」
イヌヴェの質問に、アリスは満面の笑顔でVサインを掲げ、クロードはしかめつらして応える。
「アリスたっての頼みだ。この件については、領に公開する」
「「わかりました」」
直後、会議参加者の大半が怒涛の勢いで手紙を書き、あるいはメモを取り始めた。
「次のデモのネタはこれで決まりだ」
「ちくしょー、悪徳貴族絶対許さねえ」
「爆発しやがれこのスカタン」
今更のことだが、レーベンヒェルム領の文武官の幹部には、首都を練り歩くデモ隊のメンバーががっつりと入りこんでいた。
「まさに獅子身中の虫ですな。お気持ちをお察しします」
ハサネが葉巻を口から外して目礼したが、彼の持ち込んだ鞄のポケットから、タブロイド誌宛ての住所が書かれた分厚い封筒が見えていた。
「ああ。僕の孤独ぶりを改めて認識したよ」
このような玩具箱をひっくり返したような騒ぎの中でただひとり、エリックだけはまるで我を失ったように呆然と黙り込んでいた。ようやく混乱に収拾が突き始めた頃、彼はぽつりと呟いた。
「アリスって、女の子だったのか。俺、今日までずっと男だと思っていたぜ」
「エリックっ! アンタ、どれだけ目が節穴なのよ!」
恋人のブリギッタに襟首を掴まれて折檻される哀れな犠牲者を見ながら、会議室参加者の多くがそーっと上座を伺ったのは言うまでもない。つい先日まで気づかなかっただろう人物が、いかにもすました顔で座っていた。
「……ひと息入れるか」
「お茶を用意します」
「お菓子もすぐ準備するね」
レアとソフィが手早く淹れたお茶とクリームを添えたスコーンを配って回り、ヒートアップした会議室にもようやく平穏が戻ってきた。
両腕のないクロードは、カップに口をつけることもなく、深く息を吸って、しぼりだすように吐いた。強張った唇を無理やりにほどいて、言葉を紡ぐ。
「ふたつめだ。ここにいる僕は、クローディアス・レーベンヒェルムの影武者、真っ赤な偽物だ。本物は昨年、復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 紅森の月(一〇月)二日に、ファヴニルによって暗殺されている」
瞬間――。会議室は、凍りついた。
「どうしたんだ? 外へ連絡しないのか?」
十数分前までとは対照的に、誰もが口を閉ざし、瞳を見開いたまま瞬きすら止めた。
「嘘、でしょう?」
ただひとり。部外者であったローズマリー・ユーツだけが、黒い髪を振り乱し、両手で胸を押さえながら、愕然とした表情でクロードを見つめていた。
「……ローズマリー嬢、気分がすぐれないのなら別室で休んでくれても構わない」
「い、いいえ。じ、じじょうを、事情を教えてください」
「わかりました。では、僕が初めてこの世界に来たところから……」
クロードは、訥々と語り始めた。
今さら隠すことなど何もなかった。自分が異世界の平凡な学生であったこと。ファヴニルとの出会い。影武者を押し付けられた最初の契約。部長、ニーダル・ゲレーゲンハイトとの再会、そして邪竜と結んだ新しい約束のこと――。
「今から二年後、復興歴一一一二年/共和国歴一〇〇六年 晩樹の月(一二月)に、ファヴニルは僕を殺し、レーベンヒェルム領を……いや、おそらくマラヤディヴァ国を手中に収めようとするだろう。ずうずうしい願いだとはわかってる。だが、どうか、僕と共にあいつを討って欲しい」
「ふざけないで!」
深々と頭を下げるクロードに、ローズマリーは激昂した。
「勝てるわけがないでしょう。邪竜ファヴニルは、マラヤディヴァ国だけじゃない。西部連邦人民共和国も、アメリア合衆国も放置していたんですよ。それを貴方の様な忌まわしい偽者が倒す? 思い上がりもほどほどになさい!」
両親と兄弟姉妹、親しい者たちの死。信じていた婚約者の裏切り。刻まれた焼き印の欠片。ずっとずっと溜めこんでいた真っ黒な感情が、彼女の精神を塗りつぶした。
ローズマリーは、皿からスコーンを切り分けるナイフを掴んだ。修羅の形相で、両腕のない少年をにらみつけ、凶器を手にゆっくりと歩き出す。
「貴方の身勝手で、多くのひとが死んだ。父も、母も、ユーツ家の皆も。マクシミリアンお兄様だって裏切った。死にたいなら、貴方だけが勝手に死ねばいい。いいえ、貴方を殺して首をファヴニルに差し出せば、この戦いも終わるのでしょう?」
クロードは、受け入れるようにローズマリーを正面から見つめた。
レアがそっと肩に手を重ね、ソフィが傍らに立った。
アリスの猫目が剣呑な光を宿して大人モードに変わるも、席を立ったセイが彼女の伸びた爪を掴む。
「これですべてが上手くいく。死になさいっ!」
ローズマリーが右手に持ったナイフを腰だめに構え、走り出そうとした瞬間、ヨアヒムが彼女の空いた左手を掴んだ。
「それで、ローズマリー・ユーツ侯爵令嬢。アンタはリーダーを殺して、ファヴニルの奴隷に、いえ家畜になりに行くんですかい?」
「……。あ、れ?」
ヨアヒムの言葉は端的で、だからこそローズマリーは自らの矛盾に気がついた。
切れた目じり、血走った瞳、彼女の顔にはりついた鬼面が剥がれ、かすかな音を立ててナイフが絨毯の上に落ちた。
ヨアヒムと同様、会議参加者の大半がローズマリーの元へ駆け寄っていた。アンセルはナイフを回収し、礼服のベルトに挟んだ。彼は暴発した侯爵令嬢をなだめるように、真実を言葉にのせる。
「ローズマリー嬢。順番が逆なんです。ファヴニルは最初からここに居た。マラヤディヴァ国は邪竜を討てなかった。ある国は利用し、ある国は無視した。そして運悪くこの世界にやってきたリーダーは巻き込まれ――」
アンセルは、両手と膝を絨毯について、深々とクロードに向かって一礼した。
「ぼくたちは、貴方を利用した。謝罪します。ぼくたちは、知っていたんです。貴方が、本物のクローディアス・レーベンヒェルムでないことを」