4.優しい戦場
「あれ? ひぃちゃん!?」
「柊! どうしてここにいるの!?」
二つの高い声がした。声のする方へ向けば、そこには夢高の制服を着た女子生徒が二人、驚いた表情で立っていた。
一人は頭の高い位置に結ったお団子を揺らして、一人はオシャレな黒淵メガネを掛け直して二人に近づいてきた。お団子頭の女子生徒は『なんで! どうして!? なんでなんで!?』と声を上げて焦るが、眼鏡をかけた女子生徒は自分を抑え、冷静を装いながらも柊の元へ歩み寄った。
自分を抑えられない賑やかな女と、必死に理性を保とうとする女。性質はどこか真逆のように見えるが、共通点はあった。
それは、二人とも美人であること。
「夢高に進学、決めたの!?」
「ち、違うよ……見に来ただけ」
「でも、ずっと夢高に近づかなかったくらいなのに! 進学、前向きに考えるようになったんでしょ?」
「そういうわけじゃ……」
二人からの質問攻めに柊はオドオドしながらも答える。彼女の口からその答えを聞きたくて周りが見えていなかった二人は、隣にいた栄人を視界に入れるのに少し時間がかかってしまったくらいで。
「へー、珍しい。ひぃちゃんが男と一緒にいるなんて……彼氏?」
「違うよ!」
「榎、からかうのはよしなさい」
反対に栄人が、この二人が柊の何なのかを知るのに時間はかからなかった。
夢路高校の門を潜ったばかりの位置から見える、大きく張られた垂れ幕に答えがある。『特別進学科二年 千歳椿さん 全国模試総合成績一位』『体育科二年 千歳榎さん テニス国体優勝』『音楽科一年 千歳楸さん 全日本フィギュアスケート選手権優勝』は、柔らかい冬風になびいていた。
「ていうか君、何で全身濡れてんの? 大丈夫?」
「さっき、転んだ私を助けてくれた時に――」
「ほら、じっとしてて」
眼鏡を掛けた女子生徒は鞄からハンカチを取り出し、栄人の服についた凍った汚れを拭き始めた。彼女から漂ういい匂いは栄人の鼻をくすぐり、彼の心を一瞬、ドキリとさせた。
(本当に綺麗な人なんだな……)
黒淵メガネから覗く彼女の細目は端正な顔立ちに合っていて、彼女のストレートロングの髪は艶やかに流れていた。こんな美人を間近で見るなんて初めてのことで、栄人は緊張しながらも彼女が汚れを拭き終わるまで少しの間、固まって待っていた。
隣にいる榎と呼ばれた女子生徒は『私も一応タオル持ってるけど、これ今超汗臭いから止めといたほうがいいね〜』と言いながら、持っているタオルをブンブン振り回し、顔をクシャッとさせて笑った。
(テレビで見たままのキャラクターだ)
栄人はふと、先日見た榎のニュースを思い出した。画面で見た時も今と同じように賑やかで、顔をクシャッとさせて明るく記者たちに対応していた。そのありのままの姿が今、栄人の目の前にある。
「校舎見に行くの? 案内しよっか?」
「い、いいよ……! 二人と一緒にいたら目立っちゃうし……本当に、中入ってみただけだから」
「……そう。じゃぁ、私たち野球部見に行くから」
「うん」
「ひぃちゃん! 今日のご飯大盛りにしといて! 超お腹減ったから!」
「うん」
柊は弱々しく、去っていく二人に手を振った。栄人も軽くお辞儀して、二人の背中を見送る。
「……えっと、分かったと思うけど、さっきの私のお姉ちゃんたちで、眼鏡掛けてたのが椿ちゃん、お団子してたのが榎ちゃんて言うの」
『ニュースで報じられてるとおり、二人とも美人でしょ』と付け加え、柊は上辺だけの笑顔を栄人に見せた。
千歳姉妹――父親は超一流企業の代表取締役で、長女椿は勉学、次女榎はテニス、三女楸はフィギュアスケートと、それぞれのフィールドでトップを走るセレブなスーパー女子高生美人姉妹。
この姉妹を有名にしたのは三女の楸。彼女が十三歳の時、世界ジュニアフィギュアスケート選手権で優勝したことで、ニュース番組は彼女を取り上げ続けた。氷上を華麗に舞う姿だけでなく、白くてニキビひとつない肌、長くて綺麗にウェーブのかかった髪、大きな瞳をもったその美しい容姿からも『氷の妖精』『氷上の舞姫』などと日本を騒がせたのが発端だ。
彼女たちの名前にある四季の字。春、夏、秋と続くスーパー女子高生美人姉妹の末っ子にあたるだろう、冬の字を持つ『柊』を、皆想像し、期待した。『どんな子なんだ』『どんな特技を持っているんだ』『きっと三人の姉たち同様、素晴らしい才能を持った子に違いない』皆口を揃えて言っていた。
「……私は普通なの」
柊は立ち尽くし、彼女たちの偉大さを記した垂れ幕を見ては呟いた。
「みんな、私がお姉ちゃんたちと一緒の夢高に入って、凄い成績を残すこと期待してる。でも、私何も取り得ないし、背も小さくて童顔で、小学生に間違われることもあって、お世辞でも美人なんて言えない。本当にあの人たちと姉妹なのかって、よく聞かれるくらい……」
悲しそうに、自分を蔑む柊。
「明日、最終進路調査でね。志望校書いて提出しなきゃいけなくて……ずっと、お姉ちゃんたちのいる夢高は避けてたんだけど、いざ締め切りが近くなると……なんか、来てみたくなっちゃって……馬鹿だよね。ここに来ても、比べられて辛い思いするだけだって……」
栄人の中ですべてが繋がった。
彼女の背中が臆病だったのは周りの目を恐れていたから。姉たちの通う夢高、柊にとって敵だらけの戦場、そこに足を踏み入れることを恐れていたから。柊が栄人に『私のこと知ってるんですか?』『私に近づいても、何の役にも立てませんから』と言ったのも、栄人が姉目当ての男だと思ったのだろう。
「落胆する目を向けられるばかりだって、分かってるのに……」
周りの目を遮るために、そうやってまた髪を手で梳いてしまうことも栄人は知ってしまった。
それを知った途端、栄人は右手を伸ばして柊の手を掴んだ。髪を梳いていた手を急に掴まれて柊は驚くが、栄人の手が温かかったから、自然でいられた。
「……ガッカリしないの? 本当の、末っ子『柊ちゃん』を見て」
「ガッカリしないと思ったから、俺に名前教えてくれたんでしょ」
「…………うん」
柊が言っていた『いい人』と言うのは、自分を姉たちと比べない、本当の『柊』を受け入れてくれる人のこと。
柊は、栄人が想像も出来ないくらいに辛い経験をしてきたのだろう。歩くことすら臆病になるほどその傷はまだ癒えていない。それでも、あのカリスマたちの妹だとすぐに分かる名前を栄人に打ち明けた。
「ありがとう。たくさんの勇気を、俺に使ってくれて」
柊の『いい人枠』に入れた。それはとても光栄なことだったと気づき、栄人は優しく柊の手を握り締めた。
その手はやはり温かくて、温かすぎて、柊の目に涙を浮かばせた。
「もうちょっと、夢高にいようか」
敵だらけの戦場のはずだった。けれど柊の傍には、強い味方がいた。出会ってまだ数十分でも、安心して身を任せられる心強い味方が。
「……うん」
柊がこの戦場にもうちょっといたいと思えたのは、彼がいたから。 |