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四季樺の君
作:下土井縁



2.ドラマチックボール効果


 ピッポー、ピッポーと、笛のような、鳥声を真似たような音が青を知らせた。
 たくさんの人が一斉に歩き出し、栄人もその中に混じっては少女の元へ駆け寄る。横断歩道を渡って、人と人の間をすり抜けて、ボールの元へではなく少女の元へ行く。
 近づけば近づくほど、中学制服のセーラー服があまり似合っていない彼女の幼さと小ささが目立った。
 背が低くて幼い顔立ちの少女。

「どうぞ」

 けれど、細くて柔らかい彼女の声は見た目からくる印象を変えた。拾ったボールを優しく栄人に渡すひとつの動作、『それじゃ』と言い、何事もなかったかのように去ろうとするひとつひとつの動作が落ち着いていて、中学生にしてはどこか大人びていた。
 栄人は少女の背中に『ありがとう』と投げるが、彼女は振り向かなかった。
 ただ、肩を落として、顔を隠すように髪を手でいていた。まるで歩くのが怖いように。
 そんな少女は商店街通りを真っ直ぐ歩く。後ろを歩く栄人は彼女の背中に引かれるように、サクリサクリと、アスファルトに積もり始める雪を踏んでは少女との距離を保つ。サクリサクリと、商店街通りを歩いては夢路高校に近づいていった。
 目的地に近づくことで栄人の感情は高まる。反面、自分の前を歩く少女が気になってしょうがなかった。
 見た目は幼いが雰囲気はどこか大人っぽく、臆病な背中を持つ不思議な少女。何より栄人が一番気になったのは、ボールの持ち主が誰か知っていたように、彼女が自分と目を合わせていたことだった。

(俺のこと知ってるのかな)

 ボールを持つ左手に力が入る。彼の目はもう、夢高の黒鉄門ではなく臆病な背中しか映していなかった。
 栄人の熱い視線が少女を刺したのか、彼女は立ち止まり恐る恐る振り返った。気まずそうに表情を曇らせ、何か言いたいけど何も言えない、そんな顔をして栄人と目を合わせた。

「あ、いや、俺もこっちだから……」
「……そうですか……」

 再び歩き出し、顔を隠すようにまた髪を梳く少女。彼女の背中はやはり元気がなくて、栄人の気を不思議と引くままだった。
 それでも二人は一定の間隔で離れたまま足を運んでいく。お互い声を掛けることもなく、店の人の元気な掛け声を聞き流しながら、薄雪を蹴って夢路高校に近づいていく。

(あの子も夢高に行くのかな)

 歩いているうちに栄人は確信に近いものを得た。並ぶ店に見向きもしない、真っ直ぐ歩き続ける彼女の行き先は自分と同じ夢路高校ではないかと。
 その軽微な予感が、距離を縮めたくてうずうずしている栄人を押した。

「ねぇ! 夢高に行くんなら一緒に行かない?」

 ボールが自分のだと分かっていた理由、元気がない理由、そして、幼く見えてもどこか大人びている彼女がどういった人間なのか。栄人の気を引く要素が詰まっている少女は、また立ち止まり振り返った。
 それは先程と一緒。顔を歪ませて、何か言いたいけど何も言えない、そんな顔をしていた。
 その反応を見て栄人は断られると思った。けれど彼女は意外な反応を見せ、彼を驚かせる。

「私のこと、知ってるんですか?」
「え?」
「その、私に近づいても……何の役にも立てませんから」

 そう言い放つ彼女はまた栄人に背中を見せた。先程と違い並ぶ店を小走りに越えて行き、二人の距離をどんどん伸ばしていく。
 大抵の人間ならこの拒否を受け入れ、誘いは失敗したと諦めるところなのだが。栄人はここで言う『大抵の人間』ではなかった。

「ちょ、ちょっと待って! 俺君のこと知らないけど、何の役にも立てないってどういうこと!?」

 否。小走りな少女を全速力で追いかける彼は、空気を読めないただの馬鹿なだけかもしれない。

「ねぇー! 待ってよー!」

 二人の間にはもう奇跡の球道はない。あるのは冷たく吹く冬風と粉雪だけだった。
 その遠い距離を栄人は踏む。踏んで踏んで、少女との伸びた距離を縮めていく。

「君が俺のこと知ってたんじゃないの?」

 距離が距離でなくなった時、少女は栄人に追いつかれて手を思い切り掴まれた。
 得体の知れない少年に話し掛けられ、追いかけられ、自分を知ってるのではないかと聞かれ急に腕を掴まれたのだから、彼女が怯えるのは当然だった。

「は、離してください! 私貴方のこと知りませんから……!」
「え、だってボール拾ってくれた時、俺のだって分かってたよね?」
「あれは――――」

 怯える少女が得体の知れない少年から逃れようと暴れるのも当然だった。それが凍ったアスファルトの上でのことだったら、彼女が足元を奪われることも頷ける展開だ。
 冷たい地面へ吸い込まれるように背中から落ちていく少女。彼女には栄人の『危ない!』という声が聞こえたような気がしたが、もう遅かった。
 固く目を閉じて痛みを受ける覚悟でいた。必死に梳いていた髪も泥雪を被ることになると覚悟した。
 けれど、そうにはならなかった。

「…………ご」

 それは、栄人が少女の下敷きになったから。
 少女の下へ飛び込んだのだろう、彼の前身の跡は伸びて、薄雪が積もる商店街通りに無様な模様を作っていた。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 この街への第一歩を踏み外したように、栄人はまた冷たいアスファルトの上でうつ伏せになってしまった。背中に小さい少女を乗せて、まるでどこかの、空想の世界にいる亀のように。
 飛び上がる少女。何度も何度も謝ってはその亀を揺さぶった。

「だ、大丈夫だよ……俺が急に――」

 少女の髪につくはずだった泥雪を顔につけて、栄人は彼女を安心させようと笑顔を作る。それでも少女は顔を曇らせ、また意外な反応を見せて栄人を驚かせた。

「肩! 左肩大丈夫ですか!?」

 栄人の顔につく泥よりも、服についている汚れよりも、彼女を乗せた全身よりも、少女は左腕を心配そうに見ていた。
 先程まで落ち着いていた彼女の空気は一変、大慌てで『どうしよう! どうしよう!』と鞄をあさり、小さい絆創膏を見つけては『こんなもの何の役に立つんだ』と肩を落とす忙しさだった。
 少女のひどい変わりようはおかしかった。今彼女に必要なものは痛みを堪えて笑う自分じゃないと分かれば、栄人がやることはひとつだった。
 顔についた泥雪も濡れた服も気にせず、ただ一心に。
 投げるだけだった。

「全然大丈夫」

 いつものフォームで投げるフリを見せた栄人は、左肩をブンブン回してニカリと笑った。
 それを見て少女の直感は働いた。
 彼は自分の世界に少ない、『いい人』であると。

「……あの、さっき言ってたことなんですけど……駅前で派手に転んでたから、目に入ったんです。貴方のこと」

 栄人はブンブン回していた左腕をピタリと止める。
 冷静に考えれば、あんなに派手に転んだのだから目立たなかったわけないだろう。それを、自分のことを知っているかのように目が合っていたと勘違いし、その上強引に追いかけたこの事実。栄人は顔の熱を一気に上げて。

「それで立ち上がって、今みたいに投げて、左腕確認してて」

 恥ずかしくて恥ずかしくて、少女の顔が見れなくなっていた。

「そのフォームが今と同じように凄く綺麗で、思わず見惚れちゃったんです」

 そんな恥ずかしい勘違いをしてしまったのも、彼女が自分を見ていた理由が他に思いつかなかったくらい、ボールがドラマチックに転がったせいだ。

「それでボールが転がって、絶対貴方のだと思ったんです。なんか、勘違いさせちゃったみたいですみませんでした……」

 けれどこの勘違いがなければ、二人の距離は縮まらなかった。







ご縁山
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