27、襲撃の夜
目を逸らすのは、意識的な行為ではない。
負い目、恨み、悔恨。どれも正しく、間違っている。
トコヨは元護衛、今でも走組指導者として精を出すイイルを避けるために口を開いた。
「ヨウシン伝説が、始まるそうですが」
「……ああ。行く前に、参ろうかと思ったンだが」
「──そう、でしょうねえ……私も、そうですから……」
苦く口元を緩めると、目の端で相手が動きを止めるのがわかった。イイルが参るのは、病で亡くなった彼の妻、アンソクの母親。トコヨが手を合わせていたのは護衛で死んだ夫、ヒヲの父。彼は、任務で命を落とした。その任務はイイルも参加していた。彼が死んだとき、イイルはトコヨよりもその側にいた。
だからといって、羨望以外の感情はそこでは生まれようがない。
そういうことではない。
「どうぞ……ごゆっくり」
立ち上がると同時に世界が揺れる。視界が不愉快に白く濁る。
「おい? どうしたィ!?」
腹痛、眩暈、頭痛。呪わしい感覚に襲われて、トコヨは地面に膝をつき、両手で顔を覆った。質のいい織衣装が土で穢れる。
「ただの眩暈で候イます」
「そんなわけねえだろう! 顔色がひどいじゃねえか。肩を貸せ、送る」
「大袈裟な……不要な事」
「嫌なら、誰か呼んできてやる。マシロあたりがいいかィ」
拒絶しても、イイルは引かない。トコヨにはそれが苦しい。まるで、あの、全てが焼け落ちた日のようで。
「要らぬと言っているでしょうが……!」
マシロにも夏流しを楽しむ権利はある。愚かなのは己だ。ヒヲの織衣装をどうしても完成させたくて、連日明け方まで作業していた。くだらぬ事。
許して、許してくれませんか。
こんなはずじゃなかったのです────
いい訳、贖罪、責任転嫁。誰が責めているのかすら、もはやわからない。
※
接点がなかっただけで、よく知っていた。
走組で、同年代、少し年上の護衛の青年は努力家かつ才能があった。当然村で評判よく、人気があった。
トコヨはといえば、歩組の添え花。花歩きで大輪や引き立て役を目指すこともない、織衣装作りに熱意を向けるような少女時代。
たまに、学び舎などの道すがらイイルとすれ違う時に、こっそりと目で追ってみるくらいであった。
誰にでもある、憧れのようなものだ。
他の少女たちのように意図を持って誘いかけるような勇気も熱意もなく、少し変わり者だと言われながら、織衣装と向き合うような日々だった。
一度だけ、不意に言葉を交わす機会があったことを覚えている。
正月、年が変わる前に若者だけで集まり、食事やすごろくをする場がある。その帰り、なぜか周りに囃し立てられて、トコヨはイイルに家まで送ってもらうことになってしまった。
『おい、うらやましいこった! 村一番の美人だぜ』
『代われよイイルー』
『トコヨ、いいなあ〜あたしも狙ってたのに』
『偶にはがんばんなよ?』
当然自分は真っ赤になってしまい、イイルは決まり悪げにしていた。そんなだから上手く会話も繋がることはなく、家に帰り着いた後で、もっと器量のいい娘が良かっただろうと申し訳なく思ったくらいだ。
その後は偶に挨拶をするくらいで、その度に少し面映い気持ちを抱きながらも、自分は一つ年上の一番話しやすかった青年と結婚し、イイルは病弱だが心優しいアンソクの母親と結婚した。
夫が亡くなったとき、同じ任務を遂行していたイイルに謝罪された事もあったのだろうが、確かな記憶には残っていない。信じてはいなかったが、ある程度の覚悟はしていたから。護衛は危険な仕事で、夫は優しすぎるところがあり、出て行くたびに不安を抱えていたことは事実だった。
だからといって、その出来事が自分を変えなかったわけではない。
世界が、少しぼやけるようになり、心が定まらぬことが増えた。倒れるまで織衣装に打ち込みたい時もあったし、何もしたくないときもあり、家や村から逃げ出したいと思うこともあった。あの頃それを引き止めたのはヒヲではなく、おそらく環境や常識だった。
決定的に壊れたのは、六年前、箱舟襲撃の夜だった。
鐘が激しく鳴り響き、夕暮れが夜に消える寸前、何かが焼ける匂いと煙が辺りに満ちていた。
苦しい。
その意味が、よく理解できない。
伝達が走り回り、風の宮に避難するよう叫び、誘導している。
足がふらふらとそちらへ向かう。風足を使って安全な道を歩くも、安定せず、落ちそうになる。
足りない。
どうやって風の宮まで着いたのか記憶にない。
護衛達が総出で守る本殿の中に縋る様に視線を走らせる。人、村人、泣き声、祈る声、血、煙、暗闇。うるさい。いらない。ほしいものが、見つからない。
足りない、何か、
『トコヨ! ハツを知らないっ!? ねえ、あの子、いないの、帰ってきてないの、遊びに行ってて、それで……!』
?
あれ。
やっぱり、
見つからない見つからないいないみえないいるはずなのにあるはずなのにわたしのわたしのわたしのわたしの────
ぼやけていた世界が、ざらざらとほころび始める。意味を成さない音が喉をつく。
『────!』
耳も目も壊れたようだった。上手く音が拾えず、視界が濁り、地面が揺れている。仕方がないと思う。それでも迎えにいけないわけじゃないのだし。大丈夫大丈夫、すぐに行くから待っててね。
邪魔なナニカを力任せに振り切って足を動かす。
高台の、階段の上から見える炎。
馬鹿みたいにけたたましい音。
『おいっ、駄目だ止めろ! まだ奴ら残ってる!』
──ねえ、放っておいたワケじゃあないのよ。
つかれていたの。
おしごとしなくちゃいけなくて。
おとうさんいなくなってしまったから、しかたなくて。
ねえ?
いつも、夕ごはんおそくなっても、だいじょうぶだったよねえ?
おてつだいしてくれることも、じゃまにならないようにしてくれることも、あたりまえだよねえ?
べつに、ほかの子ほどかまってあげられなくてもヘイキだったよねえ?
迎えにいかなくてもちゃんとかえってきて、ぼんやりしてるから、わたしがあなたすら時々めんどうだったっておもってたこととか、あなたがよる寝ているときすすりないていたことに本当はきづいてたりとか、それすらうっとうしいとおもってたこととか、そういうこと、ぜんぜん、しらなかったよねえ────?
『お……わかってンだろう! お前だって、もう! 今悔やむな生きろ! お前のせいじゃねえよ!』
そう、そう。
わたしのせいじゃない、わたしのせいじゃない、わたしのせいじゃ ── ?
肩を掴まれる。
護衛の青年。護衛。夫。父親。あの人の、
『ははさま』
「ひっ───!」
壊れた。破壊された。打ち砕かれた。粉々に。バラバラに。グチャグチャに。
幻想。妄想。ヒヲも、夫もぐるぐるととめどなくトコヨを責めている。絶叫する。身体が信じられないほど震えて、歯ががたがた鳴る。ヒヲを探しに行こうと、死んで詫びようと、家に戻ろうとする。だが行けない。引き止められる。夫が罰を与えている。恐ろしい、怖い怖い許して、ゆるしてくれませんか、こんなはずじゃなかったのです、
『トコヨ!』
「────」
抱きしめられていた。
温かく、視界が透明に戻った。声が聞こえる。夫ではなく、別の声。
イイル。
『悪かった。お前の夫をあの時助けられなかった……その後も、何もしてやれなかった。だが、生きてくれねえか。今更だが、ずっと気に掛けていた。餓鬼の頃からだ。後悔してるとか、そんなわけじゃねえけど、頼むから……! ヒヲは、俺が探して来てやる、絶対連れて帰ってくる、信じてくれ!』
その言葉を、信じたわけではないと思う。
もう、誰だって裏切れなかった。
その資格がなかった。イイルだってわかっていただろう。
──恐ろしいほど凄絶な夜、燃える村を眼下に見下ろしながら、呆然と思ったことを、覚えている。
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