――ああもう、どうしてこうなっちゃうんだろ。
春日ひなたはベッドに腰掛け、おそらく今日最大であろうため息を吐きだした。
めんどくさそうな視線の先にいるのは、まるでおとぎの国の王子様みたいなフリフリの付いた服を着た、あなたイギリス人ですかとついつい突っ込みたくなるような、金髪くせっ毛の青い瞳が印象的な青年。推定年齢17歳。どこからどう見ても王子のコスプレをしているとしか言いようのないこの青年、確か名前はローレンスといった気がする。
「……で、あなたは私に、悪い魔女にさらわれた婚約者を救って欲しい。と、そういうことでいいのね?」
ため息混じりに確認してみると、ローレンスはシュークリームを頬張りながら、こくりこくりと頷いた。
このコスプレ王子によってもたらされた、非現実的としかいいようのないある意味怪奇現象であるこの面倒事に、ひなたは自分の運のなさをつくづく嘆くしかなかった。
全てはあの時あの瞬間、変な誘惑に負けてしまったのが悪かったのだ。というのも、話は今朝までさかのぼる。
数日前に好きな男の子に勇気を出して告白したはいいが、あえなく撃沈してしまったひなた。あまりのショックにひどく落ち込み、ここ数日間は沈んだ日々を過ごしていた。ひなたは今朝もいつも通りに家を出て、そしていつもと同じ通学路を歩いて登校していた。が、この通学路には人生最大の難所が待ちかまえていたのだ。それは――
「いってきまーす」
告白して振られた相手、水谷陽の家の前を通過しなければいけないことだった。しかも、グットタイミングというかなんというか、今日に限って陽が家から出てくるという心臓にものすごーく悪いハプニングが起きてしまった。
だから、ひなたは逃亡してしまったのだった。いつもは絶対に通らない、裏道へと。
もうとにかく陽から遠ざかることしか頭になかったひなたは、いつの間にか見知らぬ場所へと迷い込んでしまっていた。
そこには古びた洋館が建っていて、庭には雑草が生い茂り、埃がかった窓から少しだけ確認することのできる館内は、とても人が住んでいるとは思えないくらいに荒んでいた。
ひなたはまるで何かに引き寄せられているかのように、硬く閉ざされた門へ近寄ると、格子を掴んでガチャガチャと揺さぶってみた。しかし、そんなことで開くはずもなく、なんだか気味も悪いので、ひなたはここから早く離れようと背を向けた。
でも、何だか気になる。そう思いふと振り向いてみれば、門のすぐ傍に一体の王子の格好をした西洋人形が、こちらに腕を伸ばすような姿で横になっていた。まるで、ここから出たいよと語りかけてくるようで、思わず、ひなたは手を伸ばしてその人形を取ってしまったのである。
さあ、それからがもう大変。結局学校へは遅刻するわあれだけ避けていたのに掃除当番で陽と一緒になってしまうわで。でも、もっとありえないような事が、起こったのである。
夜になって勉強しようと机に向かっていたひなたの目の前で、王子の人形が人間へと姿を変えたのだからもう頭の中は大パニック。小一時間ほど失神した後、今のような落ち着いた状態へとなったわけだ。
ローレンスは図々しくもシュークリームを要求し、さらには頼みごとまで押し付けてきた。その頼みごとこそ“婚約者救出”である。ちなみに、ローレンスの婚約者の名はアンジェラというらしい。
「そうと決まれば、早く探しにいこうよ。私明日も学校あるから、夜更かしなんてできないからね」
というか、早く解決してこの王子とおさらばしたいとかいうのが本当のところ。
「だったら、僕のしもべを呼ぼうじゃないか。僕の白馬は空を飛べるんだ」
「……はいぃ?」
意味不明なことを口にするなり、ローレンスは机の上にちょこんと飾ってあった白い馬のマスコットを撫ぜた。すると、途端にマスコットは巨大化して本物の白馬に成り代わり、不思議な事に純白の翼まで背に生やしているではないか。
「ちょ、ちょちょちょ、ペガサス〜!?」
あまりにも驚いたため、ひなたは腰を抜かしてぺたんと床に座り込んでしまった。
「さあ、ニンジンはあるかな?」
星がきらめく夜空を、頭の先にニンジンをぶらさげて駆けるペガサスの姿が、この日多数目撃されたという。
そんなこんなでどうにかこうにか、悪い魔女のいるという家の庭に降り立ったひなたとローレンス。
目の前に建つかなり見覚えがありすぎる魔女の家に、ひなたは正直がくぜんとしてしまった。
「……ここ、水谷君のお家じゃない」
「待っていろアンジェラ。この僕がきっと君を魔女から救いだしてみせるよ! さあ、突入だー!」
「って聞いてないし!」
もの凄いハイテンションで堂々玄関から侵入しようとしたローレンスを必死に引き戻し、ひなたはなんとか庭の隅にあったハシゴで、ローレンスがあそこだと指差す部屋の中を窓越しに覗いた。
「……あ、あれは」
「ぬおッ、我が愛しのアンジェラが憎き魔女に……!」
「魔女って、この子はくるみちゃんだよ。くるみちゃんはただの――」
「くるみちゃん? そうか、魔女の名はクルミチャンというのだな。なんて末恐ろしい名なんだ」
――いや、ちがうちがう。てか、何かもう話し噛み合ってないから。
こんなアホは放っておいて、ひなたは考えた。明日、どうにかくるみちゃんに接近して、王女の人形を手に入れようと。
そして翌日。
「え、お姫様のお人形さんをかしてほしいの?」
「えーっと、そうなんだぁ―……あはは」
幸い土曜日だったため、ひなたは朝から水谷家に出向き、近くの電柱の影に隠れてくるみが出てくるのを待ち伏せていた。すると、どこかに出掛けようとしていたのか、丁度よくくるみが出てきたのである。
「どうしてアンジーのこと知ってるの?」
……アンジーとは、アンジェラのことだろうか。と内心首を傾げつつ、ひなたはとりあえずクラスメートのお兄さんに聞いたんだと嘘をつく。
「ふうん……1日だけならいいよ」
「え、いいの?!」
「うん。ちょっと待ってて」
そう言って、くるみはパタパタとスカートをひらめかせながら家の中に戻っていき、数分後にアンジェラを抱えて再び出てきた。
「あ、ありがとう!」
素直にそれを受け取り、ひなたはかなり喜びながら帰宅した。きっと、お姫様の人形を持ちにやにやしながら爆走する中学生は、行き交う通行人から見たら危ない子だったと思う。
「ローレンス! アンジェラ連れて、きた……よ」
自分の部屋に帰るなり、ぜぇぜぇ息を切らしたひなたはベッドに倒れ込んだ。それからぷっつりと意識が切れ、いつの間にか爆睡してしまったらしい。気がつけば、空はもう夜模様一色だった。
うーん……、と目を擦りつつ、ローレンスの姿を探してみるが、彼はどこにもいなかった。代わりに――
「あら、ようやく目覚めたのね。ごきげんよう、ひなたさん」
お姫様の格好のまま人間の姿になっているアンジェラが、にこりと微笑んでいた。その笑顔が、とても可愛らしい――じゃなくて。
ここは、単刀直入に本題でいこう。そう考え、ひなたはきりだす。
「あの、アンジェラさん。あなたの婚約者だっていうローレンスが心配してました。一緒に国に帰ってあげてください」
すると、アンジェラは面倒そうな顔になる。
「嫌よ。だって、私ここの生活が気に入ってしまったんですもの」
「あの、そんなこと言わずに……」
「嫌ったら嫌よ。それに、私あの超ナルシスト王子が大嫌いですの。ああもう、思い出すだけで虫ずが走りますわ。いくら言っても無駄よ。私はこちらの世界で、陽様と幸せに暮らすと決めましたの」
つまり、水谷陽に惚れたがために帰りたくはないと、そういうことらしい。
と、その時。
「うははは、ローレンス様が帰ったぞ〜」
というどうでもいい大声を発しながら、なんて間が悪いんだか王子が窓から帰ってきた。その腕には、表紙に王国の絵柄が描かれた古びた分厚い絵本を抱えて。
オロオロするひなた。それもそうだ、この状況は最悪そのものなのだから。
「ア、アンジェラ!」
「……ローレンス」
嬉しそうに涙をにじませる王子様に、わかりやすく顔を歪め嫌悪を表すお姫様。
その後、帰りたくないと言い張るアンジェラと何故だとしつこいローレンスの喧嘩が勃発し、ひなたは眠れない夜を過ごしたのだった。
翌日の朝、くるみが陽を引き連れてアンジェラを受け取りにやってきた。どうやらこの兄妹は人形の秘密を知っていたらしく、人間の姿になっている異世界の王子と王女の姿を見てもそれほど驚きはしなかった。ただ、ローレンスの顔が腫れぼったく傷だらけなのには少し驚いたようである。
「それで、僕らはどうしたらいいのかな」
「え?」
「いや、だからさ。このままアンジーを春日さんのところに置いておくわけにもいかないし」
「あッ、そ、そうだよね」
正直、振られた相手とその妹がこの部屋にいる状況はつらい。ひなたは内心ドキドキしまくり、もう心臓が破裂してしまいそうだった。
「帰りたくないってのを、無理矢理連れ帰るなんてひどすぎよ」
「そうですわ、私は絶対にラインハート王国になんか戻りませんから。やっぱり、クルミは私の心強い味方ですのね」
「当たり前よ、アンジー。こんなわがままナルシスト王子になんか構うことないんだから」
「い、言わせておけば貴様! 私はラインハート王国第一王子“素敵な貴公子”ローレンス様だぞ! 口のきき方に気をつけよ!」
「はッ! なーにが“素敵な貴公子”よ、コスプレ変態ナル野郎のくせに」
「なんだと……貴様、女だからと容赦はせんからな! 王族侮辱罪でギロチンの刑に処してやるぅ!」
ギャーギャー。部屋中に響き渡るくるみ&アンジェラとローレンスの言い争い。
ひなたと陽は耳を塞ぎながら、とりあえず興奮しまくる三人を止めようとした。が、その時――――
「きゃっ!」
「うわあ!」
突然、昨日ローレンスがあの洋館から持ち帰ってきたという古びた絵本がまばゆい光を放ち、部屋の中が黄金色に包まれたではないか。
そして、やがて光が薄れてひなたが目をあけた次の瞬間、目の前に広がっていた光景は――……
「……なにこれ」
白い雲が浮かぶ青々とした広い空。風はそよそよ心地よく、温かな太陽はまぶしくて。足下の原っぱには、綺麗な花がどこまでも咲き乱れている。遠くには高い山脈が見えて、その麓に立派なお城が建っていた。優雅に野原を駆ける馬の群れ、色鮮やかな鳥達、そして見たこともないような生き物。
わあ、なんて素敵な場所なの――じゃなくて!
明らかに、ここはひなたの部屋でなければ日本でもない。こうして、望みもしないのにひなたとその他もろもろは古びた本に吸い込まれ、ローレンスとアンジェラの住まう世界“ラインハート王国”へとやってきてしまったのである。
これから始まるであろう異世界でのありえなく夢のような物語は、いったいどういった結末になるのだろうか。
それはまだ、誰も知らない。
今はただ、ローレンスの嬉しそうな笑い声とひなたの悲しい叫びだけが、すっきり快晴な王国の空にこだまするだけであった。
END |