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Forgotten Saga 作者:水夜ちはる

第十二章・大戦前夜の断章

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第1話

かつてない規模の戦争が始まろうとしていた。
その足音は確かなものであったが、未だルテティアの街には平和の灯が点っていた。
戦争前夜のひとときが、そこにあった。
 ルテティアの城壁は高く、その上からは広くガリアの平原を見渡すことが出来る。
 およそ四〇〇年前にフェルナーデ初代国王ル・アーシェルが築いて以来、幾度となく改修が施され今のような高く立派な城壁へと変わってきた。
 そこから見下ろせば、混沌としながらも活気に溢れたスラム街を間近に、遠くには緑豊かな田園風景が広がっている。
 アーシェルの時代に比べれば、土地の開発も進み農業技術も上がったことから支えられる人口は格段に増えた。増えた人口はさらに農業を拡大させ、農業以外にも市場規模を広げて国を豊かにした。
 大陸各地からの人口流入も増え、ルテティアは大陸でも比類なき大都市へと成長した。
 しかし近年では穀物をはじめとした収穫高は下がっていると言う。
 増えすぎた人口による大地の疲弊。食料供給のための多毛作と居住区域と農業用地の確保を目的とした治水工事は土地を急激に痩せさせた。また近年続いている冷涼な気候は農作物にとって良い要因とは言えない。
 それでもなお、太陽の日差しが豊かな日には緑が鮮やかに広がり、その風景は見るものの心を癒す清涼剤となる。
 レルシェルは今、慣れ親しんだ北壁の城壁の上に立ち、その光景を見つめていた。
 夏の緑の風が彼女の金の髪を撫で、緩やかに柔らかに揺らしている。
「やっぱりここだったか」
 不意に声がかけられ、レルシェルは振り向いた。聞きなれた声だった。
「フェデルタ」
 現れたのはフェデルタ・コンラートだった。
 レルシェルとは幼少期より生活を共にする、血のつながりはないが最も親しい家族の一人だった。
「やっぱりとはどういうことだ?」
「昔からそうだ。お前は落ち込んだときには大体ここだ」
 フェデルタの言葉にレルシェルは自分を見透かされたように感じて軽く赤面した。
「落ち込んでいるように見えたか?」
「落ち込んでいないように見えたと思うか?」
 レルシェルの問いにフェデルタは問いで返した。その皮肉っぽい言い回しは彼の特徴で、この人付き合いが苦手そうな青年は、それでいて人の機微を見るに長けている。特に長く付き合いのあるレルシェルのことならまさに『手に取るように』だろう。
 レルシェルは呆れたようにため息をついた。
「何だお前は……私をからかいにきたのか。慰めにきたんじゃないのか」
 怒った様に、拗ねたように言う。一瞬だが、その態度は普段凛々しく振舞う彼女よりずっと幼く見えた。
「何もお前が背負い込むことはないと思うぜ」
「まあ……分かっているつもりだが」
 レルシェルははっきりとではないがそう答えた。
 フェデルタは頷いた。
「そうやってセリオスは壊れてしまったんだ」
「陛下が?」
「俺も直接それを見ていたわけじゃないがな。王は国を自由に出来るが、王は国に起こることの責任を負わねばならない。あいつはそれに真面目すぎた」
 セリオスは若くして国王の座を受け継いだとき、腐敗した王国の政治を正そうとした。彼にはその気概と才覚があった。しかし事は上手く進まなかった。王は国の主権を持つとはいえ、フェルナーデほどの大きな国をひとりで動かすことはできない。多くの大臣やそれに連なる官僚。それらに張り付いた煤をすべて払うには一人では到底追いつかなかった。
 その間にも様々な陰謀と悲劇が起こった。
 その度にセリオスの精神は削られていった。臣民を愛する彼の心は、却って彼自身の心を傷つけたのである。
 その間、彼は二度も妻を失った。
 そして彼はついに改革の刃を納め、国王の責を放棄したのだ。
 さらにはディアーヌの死。彼女自身が望んだこととは言え、さらにセリオスの傷を抉ったことだろう。
 あの日、セリオスは親友たるフェデルタ一人を呼び、ただ酒に溺れた。
「陛下は大丈夫なのか?」
 レルシェルは心配そうな表情で訊いた。
 フェデルタは腕を組み、視線をやや下げて答えた。
「あまり大丈夫とは言えないかもな。ただ俺にもどうすることも……」
 フェデルタは気休めを言わなかった。気休めを二人の間では必要としていない。
 レルシェルは唇をかんだ。
 落ち込むレルシェルをフェデルタは軽く小突いた。
「お前は他人のことを心配していられるほど余裕があるのか?」
「なっ……陛下のことを心配して何が悪い!」
「そりゃ悪くはないが。それより自分のことをしっかりしろ、と言っているんだ」
 レルシェルがフェデルタを見上げて文句を言うと、そこにはぶっきらぼうなフェデルタのいつもの顔があり、だがその瞳にはレルシェルを心配する瞳があった。
 不器用な男なのだ。
 レルシェルはフェデルタのその表情を見て、なんとなく彼が言わんとしていることを理解した。
「実のところ……落ち込んでいはいる。だが、自分でも思ったよりは落ち込んではいないんだ」
 レルシェルは正直に答えた。
 これまでと違うレルシェルにフェデルタは不思議そうな顔をした。
「私は今までたくさんの人に幸せになってもらいたいと思っていた。いや、すべての人に幸せになってほしいと思っていた。そう思って必死にやってきた。だがそれが傲慢であることを私は気付いたんだ」
 レルシェルは遠い景色を見つめて言った。
「私の手はすべての人を拾い上げるほど大きくはないし、すべての人を拾い上げるほど力もない」
「おい、レルシェル――」
 心配そうに声を上げたフェデルタを遮って、レルシェルは拳を彼の胸に当てた。
「まあ、聞け」
 レルシェルの顔には微笑みが浮かんでいた。
 フェデルタが驚いているとレルシェルは言葉を続けた。
「でも私は絶望してはいない。私は、私の手でも救えるものが居ると信じている。この弱い手でも守れるものがあると信じている。私は強くないから、守れる人は少ないかもしれない。だから、私はこれからは私の大切なひとを守るために戦おうと思う」
 レルシェルの声色はいつものように明瞭で強いものだった。言葉だけを聞いたなら、弱気になっていると思われても仕方がない。だがフェデルタはレルシェルの中にはっきりと強さを感じていた。
 しばらくの間、フェデルタは驚いた表情をして固まっていたのでレルシェルは不満気な顔で声を荒げた。
「なんだ? 私はそんな変なことを言っているか?」
 フェデルタはレルシェルのむくれた顔を見て驚きから苦笑いに表情を変えた。
「いや、そんなことはない……そんなことはないが」
「が?」
「お前は大切な人が多そうで大変だな、と思ってな」
 フェデルタの率直な感想にレルシェルは目を丸くした。
 そんな表情のまま、二人はしばらく見つめあい、どちらかと言うわけでなく噴出した。
 フェデルタも彼にしては珍しく声を上げて笑った。
 フェデルタは笑いながら思った。
「お前はお前が思っているほど弱くはない。すべてを守ることはだれにだって出来やしないが、お前はお前が思っている以上に多くの人を守っているはずだ」
 フェデルタはそれを言葉にはしない。できない。言ったところでレルシェルは喜ばないだろうとも思う。レルシェルは今、自分の弱さを自覚しているならばそのままのほうがいい。それはより彼女を強くするからだ。
「……行くか」
 フェデルタがレルシェルを促しながら言った。
 レルシェルは頷いて彼の後に続いた。
「フェデルタ、いつも、ありがとう」
 レルシェルは遠慮がちに、少し途惑いながら言った。
 フェデルタはそれを聞いて驚いた顔で振りかえった。
「なんだ? 変なことを言うな、気持ちわるい」
 フェデルタは無愛想に言った。それを聞いたレルシェルの顔が見る見る真っ赤になっていく。「失礼なことを言うな! 今ものすごく失礼なことを言ったぞ!」
 怒りに任せたレルシェルの絶叫が北壁に響き渡る。いつものレルシェルの声だ。
 フェデルタはにやりと笑い、そそくさと拳を振り上げる少女の前から逃げ出すのであった。
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