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Forgotten Saga 作者:水夜ちはる

第十一章・血に塗れし都

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第2話

王国は滅びた。その証として、王族の処刑が必要だった。
その贄に選ばれたのは、王妃ディアーヌであった。薄曇のルテティアの街で、彼女は静かに断頭台の上に立つ。
一つの才能が失われようとしていた。だが、犠牲者は彼女一人ではなかったのである――。
「あー。やっぱりここだった」
 テオの店に少女が一人駆け込んでくるなり言った。メイド服を纏ったその姿はこの界隈では珍しい。メイドを雇うような富裕層が住む街ではないからだ。
「リズ? どうした?」
 レルシェルは軽く驚き、立ち上がり少女を見た。彼女は現在レルシェルの家に仕えている。
「師団司令部からは帰ったはずなのに、帰宅されないとなるとここかなあと思って来てみたら、見事に当たりですか」
 リズは呆れたように言った。
「たまにくらいいいだろう?」
 レルシェルは困ったように反論する。彼女の言葉に嘘はなく、確かに久しぶりにここに寄っていた。
「ま、それについて私がとやかく言うことはありませんが、急ぎの使いが司令部から来ていまして」
 リズは表情を正して言った。
「司令部? どんな用件だ?」
「話していただけませんでした……直接お伝えしたいと。今、外でお待ちです」
 リズの報告にレルシェルは小さくため息をついた。
「わかった。行こう。すまない、テオ。今日は顔を見せただけになってしまった」
「ああ、それはかまわんが……お前も忙しいな」
「今は仕方ない。一日でも早くテオたちが安心して商売ができるよう、私たちががんばらないとな」
 レルシェルは肩をすくめて笑った。
 テオはその笑いを見送ることしか出来なかった。
 リズはレルシェルを伴って店の外へ出た。ギャランも次いで外へ出る。
「レルシェル様はまだお飲みではないですよね?」
「ああ、残念ながらね」
 レルシェルは苦笑いをして言った。後少しでもリズの到着が遅れたら、彼女はギャランと乾杯していたところだろう。
「ならいいタイミングでした」
 リズはレルシェルの心情を知ってか知らずか皮肉っぽく言った。
 彼女らの前には軍服を着た若い士官がいた。三十に足りないだろう青年士官は敬礼をして言った。
「夜分に失礼します。総監閣下。ベルナール・ラヴェル少佐であります」
 聞き慣れない肩書きの響きにレルシェルは小さく苦笑したが、彼女も敬礼を返した。
「卿も夜遅くまでご苦労だな」
「いえ、私は当直ですので」
「それで、急な用件とは何かあった?」
 当直の士官で少佐の階級にあるならば、現場の責任者だ。何か事件が起きているならすべてを把握している必要がある。
「そうですね……ここではちょっと」
 ラヴェルは少し困った顔で言った。ここは下町の酒場の前、天下の往来である。
「そうだな。では卿も乗れ、現場に向かう間に聞こう」
 レルシェルは頷いて言った。重要な事柄なのだと用意に冊子がついたからだ。
 彼女が歩き出した先にはリュセフィーヌ家の馬車があった。リズが用意したものだ。ラヴェルもここまでリズと共にこの馬車できていた。
 ラヴェルはレルシェルの後に続いて馬車に乗り込んだ。レルシェルの対面に座った彼は、リズが馬車を走らせ始めると状況を説明した。彼は深刻に、だが冷静で的確だった。


「まさか……な」
 レルシェルは愕然としながら現場を眺めて呟いた。
 端的で陳腐な言葉で表現するならば、そこには一つの死体が血の海に横たわっていた。豪奢な大理石の床は一切の血を吸い込むことを拒否し、鮮やかな染料を塗り零したかのように赤と白のコントラストを描いている。
 そしてその血を流している人物が問題だった。
 共和革命政府の代表キュメイル・オリオールだったのだ。
 先日、ディアーヌに未来を託され、この国を率いていくべき男。それが自らの地で作った海に身を沈め、息絶えていた。
 レルシェルはしばし愕然とし、そして冥福を祈るとラヴェルを見た。
「自殺ではないだろう。殺人か?」
「いえ……邸内でしたので」
 ラヴェルは濁すように答えた。
 レルシェルも彼も、ルテティアの治安を守ることが仕事だ。もちろん、その中には要人の警護も含まれる。ただ、自宅内などの個人的な空間では警護の範囲ではない。無論要請があれば、個人宅内にも彼らは仕事の権利と義務を持つが、今回はそうではなかった。つまりレルシェルたちに責任はない。彼の声はそれを表していた。
「そんなことはどうでもいい! オリオール卿が殺された理由と犯人が重要だ」
 レルシェルの声は鋭かった。その声には動揺は含まれておらず、ラヴェルを感心させた。
 この惨劇に若い貴族の上官は取り乱すに違いないと彼は予想していたからだ。
 ラヴェルもレルシェルが戦場に立って指揮を取ったことは話に聞いているが、事実ほど彼女が最前線で血と埃に塗れながら戦ったことまでは知らない。所詮、作られた英雄だとたかを括っていた。
「失礼しました。通報から我々が駆けつけたときにはこの状態でした。しかし被害者は剣を抜いておらず、周りに刃物等がないこと、傷が大きいことを見ましても、他殺と見るべきでしょう」
 ラヴェルは姿勢を正して言った。正しい推測だろうとレルシェルは頷いた。
「そう言えばここに来る途中、何度か検問があったな。封鎖を指示したのは卿だろう?」
「……はい」
 レルシェルはラヴェルの返事を聞いて小さくため息をついた。
「私を試したな?」
 レルシェルの問い掛けは厳しい音色だった。迅速で適切な現場指揮や、現状解析や無駄のない報告から考えても、彼が無能な人間にはレルシェルには思えなかったからだ。
 ラヴェルは図星を付かれ、僅かな時間途惑った。だが彼は開き直り、正直になることにした。
「はい。これから上官として仰ぐ人の為りを知っておきたかったもので」
 ラヴェルの口調は不謹慎にも思えるほど明快だった。
 それは逆にレルシェルの好奇心を刺激し、彼女は軽く笑った。
「お叱りにならないので?」
「もう慣れた。小娘が上官では納得の行かない部下も多い。そいつらを納得させるために私は実績で示さねばならない。これでも努力しているつもりなんだ」
 レルシェルは苦笑いをして言った。
「卿のような態度はむしろありがたい。変に媚びへつらってくる輩の方が信用ならないからな」
 意外な返答にラヴェルも驚き、そして好感を持った。
 ラヴェルの顔つきが変わったことをレルシェルは認めると、満足気に頷いた。この若く有能な士官に信頼を得ることは、彼女にとって有意義なことだった。
 すると入り口付近が俄かに騒がしくなった。
 現れたのはリシェール・ヴィルトールだった。今や新政府軍の最高司令官たる彼は新政府を動かす十三名からなる自由共和臨時会議の一人だ。
 なお自由共和臨時会議とは、共和制、すなわち市民の選挙による代表が選出されるまでの仮の政治体型である。各方面から代表者が十三人選ばれており、その合議によって現在の政府は運営されていた。リシェールはその中で軍人の代表と言うことになる。
「リシェール!」
「リシェール閣下!」
 レルシェルとラヴェルはリシェールの姿を見て驚いて叫んだ。
 リシェールは軍のトップ、すなわち二人の最終的な上官とも言える。しかし報告はこれからで、彼を呼んだ覚えもない。
 二人の表情を見て、リシェールは不敵に微笑んだ。
「この徹底した封鎖っぷりを鑑みるに、何かとんでもないことが起こっているに違いない。その中心はどこだと探せばこのオリオールの屋敷ってわけだ。そう難しい推理ではないだろ?」
 リシェールはそう軽い口を叩いて見せたが、そのあとで表情を真剣なものに変えて一つため息をついた。
「とんでもないことが起こっている、と予想していたが――これは予想以上のとんでもないことが起こっていたな」
 リシェールの声はいつもの軽妙さ失っていた。
 リシェールにとってオリオールは革命の同志というだけでなく、政治的、思想的な面で最も信頼できる人物であり尊敬もしていた。そしてこれから新政府の率いていく能力と人望を持った男であり、彼以外をリシェールは想像できなかった。
「しかしオリオールを抜かせないとは……どんな達人だ」
 リシェールは顎を撫でながら言った。
「オリオール卿は政治家だろう? 強かったのか?」
 レルシェルが意外そうな声で聞いた。
「オリオールは元軍人だ。元々は軍政が専門だが、リオンの軍学校では白兵戦闘で彼の右に出る者はいなかったらしい」
 リシェールが答えると、レルシェルはディアーヌを処刑したときのオリオールの太刀筋が非常に様になっていたことを思い出してなるほどと思った。
「ではやはり犯行者はよほどの手だれ……か」
 レルシェルが唸るように言うと、オリオールの遺体のすぐ近くで傷口を見ていたリズが立ち上がった。リズはいつの間にかその場所にいて、レルシェルたちは軽く驚いた。そして器用なことに血の海の裂け目に立っている。
「これが暗殺であれば、オリオール様の強さであったり、犯行者の実力は特に意味はありませんよ」
 リズは落ち着いた口調で言った。同じ年頃の娘が、これだけの血を見たなら発狂しかねない。しかし彼女はおびただしい血の海に囲まれながら極めて冷静だった。
「どういうことだ?」
 ラヴェルが訝しがって訊いた。
 リズは僅かに微笑むと答えた。
「では実践してみましょう」
 彼女はそう言うと身軽に血の海を飛び越えて三人に近づいた。小柄な彼女が跳ぶたびにメイドドレスがひらりひらりとなびいた。
 少女は柔らかな表情を浮かべながらゆっくりと歩いて行く。
 ほとんど距離がなくなったその刹那。
 ラヴェルの首筋には刃が迫っていた。その鋭い切っ先は彼の皮膚からほんの僅かの距離である。
 彼は何が起こったのか理解できなかった。ただ死が迫る光景に驚愕と戦慄を覚えた。
 刃を持っているのはリズだった。柔らかな表情のまま、殺気など微塵も感じさせずに命に王手をかけている。
 リズはにこりと笑うと刃を引いた。しかし生きた心地がしないラヴェルは青い顔で小柄な少女を見つめた。
「失礼しました……少佐さん」
 リズは短刀を納めて深々とお辞儀をした。
「暗殺者は標的を殺すのに、決闘をするわけではありません。戦いに勝つ必要すらないのです。暗殺者にとって任務の成功とは、標的が『死』に至ること。今のように子供や女性を使い、対象を油断させたかもしれないし、毒や薬で動けなくしてから殺したかもしれない。一人では無理な標的であれば勝てる人数で。方法はどうであれ……おそらくオリオール様は『抜く』ことすらなく、殺されたのでしょう」
 リズは可憐な容姿とは裏腹な、冷たい声色で言った。
「君は……一体……」
 正体を知らないラヴェルはやっとのことで口を開いた。
 リズは首を傾けて微笑んだ。
「リゼット・ド・ヴィリエ。リズとおよびください。今はレルシェル様に仕えるメイドですが、聖杯の騎士も兼ねています。かつては……暗殺者として生きていたこともあります」
 ラヴェルは憮然とリズを見つめた。この幼い少女の過去に何があったのか、彼の創造の範疇にはなかった。
「でも……」
 リズは振り返ってオリオールの遺体を見た。
「このご遺体を見る限り、暗殺者と言っても確かに『手だれ』で間違いないかと」
 リズの声には幾分かの緊張感が含まれていた。レルシェルはそれを明敏に感じ取る。
「それはリズよりも強いかもしれない……そう言うことか?」
 彼女はリズの実力を良く知っている。それゆえの質問だ。リズはフェデルタを除けば聖杯の騎士中でもトップクラスの実力を誇る。
「少なくとも、私よりは」
 リズの答えにレルシェルは戦慄した。
 レルシェルはリズと毎日のように剣の稽古をしている。それは生死を分ける戦いとはまた違うのだろうが、剣の速さと正確性ではリズが、反応力と腕力でレルシェルが勝っており、その実力は伯仲している。しかし、それはリズが「片手」のときである。実戦でリズは短剣を両手に持って戦う。リズの最大の特徴は、その両手を片手のときとまったく変わらない精度で操れることだ。
 両手を使ったときのリズにレルシェルはまぐれでも勝ったことがない。
「……そいつを放って置くわけには行かないな」
 レルシェルは緊張感を多分に含んだ声で言った。
 リズの言葉にあるようにだが、一人で勝てない相手であれば複数を持って当たるべきだ。これは決闘や試合ではない。
「レルシェル様。それは違います」
「リズ?」
「暗殺者は『剣』や『弾』の様なものです。たとえそれがどれだけ鋭くて凶悪なものだったとしても、それを折るだけでは解決とはいえません。剣が折れたなら、次の剣を用意すれば良いだけなのです」
 リズの言葉にレルシェルは頷いた。
「わかった。暗殺を依頼したものを見つけなければならない。そう言うことだな?」
 レルシェルの答えにリズは微笑んで頷いた。
 その表情は僅かに曇りがあった。その曇りは彼女の過去に由来することだろうとレルシェルは感じた。
 リズは暗殺者だった。幾つか手にかけた命もあることだろう。彼女の言うように彼女は依頼者の『剣』になっただけだ。しかしそれを理由に彼女は赦免を求めているようには思えなかった。
 この時、レルシェルはその表情についてリズに問うことはなかった。
 彼女自身が語りだすまで、問うべきではないと思ったからだ。

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