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Forgotten Saga 作者:水夜ちはる

第九章・導く者のイデア

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第1話

ワルティユの監獄から救出されたレルシェル。
傷ついた身体を癒す間もなく、ルテティアでは王国軍と革命軍の決戦が始まろうとしていた。彼女はその戦いに身を投じることを決意する――。
 ルテティアから北西二十キロほどにあるフォルテールの森は針葉樹を主とした古い森であり、大都市であるルテティアから近いこともあって、ルテティアで消費される木材の半分ほどはこの森で生産されている。この森は完全に自然のものではない。この森が長い間、緑を保っていられるのはこの森で暮らすきこりたちの植林の努力の結果がもたらしたものだ。
 その森の深い場所にきこりたちの山小屋がある。山小屋と言っても大規模なもので、きこりたちがこの森で長期滞在するための施設だ。部屋数も多く二十名ほどの収容力がある。
 その一室でワルティユの監獄から救出されたレルシェルは久々の安息を得ていた。
「しかし驚いたな。毎日メニューが変わる上に、味のほうも文句がない。これならルテティアで店が開けるくらいじゃないか」
 レルシェルはスープを口にし、驚いた表情で言った。簡素な木製の器に注がれたスープはやはり飾り気のなく、野菜などはレルシェルが口にしたことがないほどの大きさで雑に切られていることもあるが、その味は宮廷の料理人が腕を振るったそれよりもレルシェルの口に合った。
 それを作ったのは傭兵の男だった。ギャランを代表とするように、その手は剣や槍を振るうために生まれた来たような無骨な男たちである。
「監獄ではろくなものを食べられなかったから、味覚が狂ったかな……」
 レルシェルはスープを見つめ、失礼なことをつぶやいた。
 それを聞いた同室のマリアは口に手を当てて笑った。
「傭兵たちは騎士とは違って従者がつきません。食料の調達もその調理も自分たちで行なうのが普通です。遠征や長期の戦場において食事は彼らにとって、最も重要な憩いです。自然に料理の腕が上がるのでしょうね。私やレルシェルなどよりずっと女子力が高いですよ」
 マリアはにこやかに笑いながら言ったが、レルシェルは少し傷ついて苦笑いを浮かべた。しかし事実彼女は料理と言ったものをほとんどしたことがない。大貴族の家に生まれた彼女は、身の回りの世話はほとんど使用人まかせだ。無論、自分で食事を作る機会などまったくなかったのだから仕方がないのだが。
「それにこのスープには私が調合した秘薬が混ぜてありますから」
 マリアの言葉にレルシェルは口に運んでいたスープを噴出しそうになった。
 レルシェルが恐る恐るマリアを見ると、彼女は満面の笑みを浮かべて懐から謎の液体を覗かせている。
「な、何を飲ませたんだ!」
「あら、拷問で傷ついた身体の治りを良くして、体力を回復させる薬ですよ。飲みやすいようにスープに混ぜてみました。うふふ」
 その笑顔が怖いレルシェルであった。
 マリア・ベネットは錬金術師である。錬金術の中には物質を調合し傷薬や病気に対応する薬品を作り出すと言う仕事もある。錬金術師のほとんどは錬金術そのものだけではなく、医術や薬学を同時に学ぶものが多かった。錬金術師の作り出した薬は効果が高く、重篤な怪我人や病人に重宝された。だがその薬が何で出ているかはその錬金術師のみぞ知ると言った事もあり、得体の知れない不気味さもあった。
「妙なものを混ぜてないだろうな……」
 レルシェルが疑いの目でマリアを見ると、マリアは平然とした顔で言った。
「まあ……知らないほうが幸せだと言うこともあります」
 まて、言ってくれ。そこまで言うならはっきり言ってもらったのほうがいい。レルシェルはそう言いたかったが、マリアは少し表情を改めて言った。
「でもあなたの身体のために調合しました。王宮錬金術師としての私が保証しますよ」
 その言葉にレルシェルは文句が言えなくなった。
 レルシェルはじっとスープを見つめた。美味しそうな香りがするし、実際先ほど味わって美味しかったのだが、「知らないほうが幸せ」なものが入っていると思うと躊躇する。
 だがレルシェルは覚悟を決めて、一気のそのスープを飲み干した。
「そんな一気に……あなたは胃腸だって良い状態じゃないんですよ。もっとゆっくり食べないと……」
 マリアは半分叱るように、半分呆れた口調で言った。
 レルシェルはスープが胃に納まるのを感じると、誰のせいだと言う顔でマリアを見た。
「マリア、薬は薬で飲む。苦くても不味くてもかまわない。食事に混ぜるのは止めてくれ。気持ちの問題だと思うが、せっかくの味がどこかに行ってしまう」
 レルシェルは訴えるように言った。マリアはそのレルシェルがどこかおかしく見えて、笑顔で「はい」と答えた。
「しかし、随分と食べられるようになりましたし、顔色も良くなりました」
「ああ、みんなのおかげだ」
 レルシェルが救出されてから数日が経つ。約二ヶ月にわたる監禁拷問によってレルシェルの心身は疲弊し、自分の足で立つことすらままならない状態だったが、マリアの治療とレルシェル自身の本来の生命力で、驚異的な回復を見せていた。
 それでも彼女の全身はあちこちに包帯が巻かれ痛々しい。特に美しい顔の右半分を覆う包帯がそれを強調していた。
「せっかくフェデルタもいることだし、久しぶりに剣を合わせたいな」
 レルシェルは言ったが、マリアは呆れてため息をついて腕組みをした。
「そんな姿でまともに剣を握れるものですか。今のあなたなら私の短剣でも勝ててしまいますよ」
 マリアの言うことはレルシェルにも十分理解できた。レルシェルは右手を握ったり開いたりして感触を確かめる。不調は明らかだった。痛みは残っているし元の力が戻っているようには思えなかった。
 二人がいる部屋にノックが響いた。
「レルシェル、いいか? 話がある」
 ドアの向こうの太い声はレルシェルが聞きなれた声だった。
「ギャランか。大丈夫だ」
 レルシェルは即答して、マリアが焦った。レルシェルは包帯に寝衣と言う状態だったからだ。とても人前に出られる格好ではない。
 当然ギャランはレルシェルの声を聞いて部屋に入ってくる。
 マリアは顔に手を当てて嘆いた。入ってきたギャランもレルシェルの姿を見て思わず手を顔にやり、レルシェルから視線をはずした。
「何だギャラン、卿は顔に似合わず純情だな。マリアが私のことを女子力がないと言うので試してみた。どうだ?」
 レルシェルは笑って彼を挑発した。
 レルシェルは寝衣一枚で、素足は大きく露出しているし衣服に覆われた部分も体のラインがはっきりと出ている。公人としてのレルシェルは清廉そのものだが、身内に対して彼女はやや砕けた悪ふざけを振舞うことも少なくない。
「バカ、俺は妻子持ちだ。不貞は働かん。お前、少し性格が変わったか? とにかくちゃんと服を着ろ。と言ってももう遅いか……話ってのはお前に客人が来ている」
 レルシェルはギャランに家庭があることを知っていたが、意外にも律儀な男だと思って感心したところに客人といわれて驚いた。ギャランの大きな体の後ろには、傭兵ではない正規の士官の軍服を着た男がいたのである。
「ば、ばか。それを早く言え!」
 レルシェルは慌てふためいたがもう遅い。
 ギャランの後ろにいた将校――レルシェルも一度だけ会ったことがあるのだが、元第三師団参謀のペーター・シトロエンはレルシェルの姿に唖然として敬礼も忘れていた。
 一つため息をついたマリアがそっとレルシェルの肩にガウンをかけたが、言うまでもなく遅きに失した。


 レルシェルはシトロエンを待たせた応接間に入った。
 本来はベッドで休んでいるべきだとマリアは言ったが、彼女自身は体調の戻りに実感があり、着替えを済ませて彼女らしい颯爽とした足取りで応接間へ向かった。
 レルシェルたちとペーター・シトロエンはいささか微妙な関係にある。シトロエンの元上官である第三師団司令のオーギュストは先のヌーヴェルの戦いにおいて反乱軍に大敗を喫し、レルシェルが陰謀によってワルティユに囚われる直接の原因を作った。シトロエンはそのオーギュストの参謀である。
 その彼はレルシェルを直立不動で待っていた。レルシェルを迎えた彼の緊張した面持ちで、レルシェルは彼が敵ではないことを悟った。
「私も人の子。卿がオーギュスト将軍に私を貶めるよう進言したのであれば、私も心穏やかではないが、わざわざ出向いてくるとはそう言うわけではない、と証明したいのだな?」
 レルシェルの言葉にシトロエンはつばを飲み込み、跪いて頭を垂れた。
「オーギュスト将軍の暴挙を諌められなかったのは、幕下にあった私にも責任があることです。あなたがどれほど我々を憎悪し、嫌われても私に返す言葉はありません」
「まったくだ。第三師団の幕僚だったと聞いたときには叩き斬ってやろうかと思ったぜ」
 ギャランが声を荒げて言った。しかし彼は一息つき、太い腕で腕組をするとレルシェルを見た。
「だが、この男は総崩れになる第三師団の最後尾に立って、最後まで師団の退却を支援したそうだ。第三師団が辛うじて組織として退却できたのはこの男の力によるものだ。それにルテティアでもレルシェルの投獄を反対して動き回ったって話だ。それで煙たがれて第三師団から追い出されたんだと」
 レルシェルはギャランの言葉を聞いて頷いた。彼は元傭兵であり、部下のほとんども元傭兵である。彼らの情報収集力は高く、正規の兵よりも柔軟で広い情報源を持っている。レルシェルは彼らの働きを高く評価していた。
 レルシェルは頷き、シトロエンにソファに座るように勧めた。山小屋の応接間には古いがしっかりしたソファが備えてあった。
 二人は向き合って座ると、レルシェルは言った。
「それで、ここに来た理由を伺おう。まさか私に謝罪をするためにここにきたわけではないだろうし、私がここにいることを何故知っているかを知りたい」
 シトロエンは頷いた。
「はい。しかしその前に……あなたは再び戦場に戻る気が、いえ、王国のために戦うつもりがおありでしょうか?」
 シトロエンは痛々しいレルシェルの姿を見て心配そうに言った。レルシェルは着替えたと言っても、軍服やドレスと言ったものではなく、身体に極力負担のかけないゆったりとした衣服だ。美しい顔も包帯で半分が覆われている。
 レルシェルは小さく笑うと、包帯に覆われていない左目でシトロエンを強く見つめた。
「私の生まれたリュセフィーヌ家は王国開闢以来の重臣であり、代々フェルナーデ王の重用を受けて栄光ある地位を保ってきた。リュセフィーヌ家は武門の家、その大恩に報いるには王の剣となって戦うしかない」
 レルシェルはそこまで厳しい表情を作って言った。
 だが、ふっと力を抜くと柔らかな表情になって微笑んだ。
「と言うのは建前だ。もちろんそう言う気持ちがないわけではないが、誤解を恐れずに言えば正直肖像画くらいでしか知らない先祖のことなど二の次だ。私は今の陛下のことを支えたいと思うし、王都は生まれ育った町で、もちろん愛しているから守りたい。そのために私は剣にでも盾にでもなれるし、この身体が傷つこうともかまわない。私は戦うことしか能がない、その才能も小さなものだから先の戦いにも敗れ、たくさんの部下を失ったが、それでも陛下が、王国の民が私を必要としてくれるのであるなら私は戦いに臨むだろう」
 レルシェルの言葉は強く勇ましかった。だがそれを言う彼女の顔はとても柔らかで和やかなものだった。それでも強い意志の力をシトロエンはしっかりと感じた。シトロエンは圧倒され、しばし言葉を失ったが彼は彼の役目を忘れていなかった。
「なるほど、あなたがディアーヌ様やフィルマン閣下がこの戦いにおけるカギだと言われるのも判る気がしました」
「ディアーヌ様とフィルマン将軍が?」
 レルシェルの問いにシトロエンは頷いた。
 レルシェルの元にもカミール・デ・フィルマンと言う男が王都の防衛の司令官として就いたと言う情報が伝わっている。ディアーヌがレルシェルの救出を指示し、ギャランらを動かして現状に至っているが、レルシェルはフィルマンと面識がなかった。
「しかし今度の戦いは敵味方合わせて二十万に近い大会戦だと言う。現状、私の持てる戦力はこのギャランが率いる傭兵一五〇名と王国から離反した騎士が五十名程度だ。そんな我らが戦局を左右するような働きが出来るであろうか?」
 レルシェルの言うことはもっともだ。王国軍十二万、反乱軍七万と言う数字に対して彼女の持つ戦力はあまりに小さい。シトロエンは頷いた。
「確かに今回の戦いにおいて、あなたの持つ戦力は小さなものです。しかしあなたは兵力以上にすばらしい武器をお持ちだ。それは今、あなた以外では持ち得ない」
 シトロエンの言葉にレルシェルは首をかしげた。
 シトロエンは苦笑を浮かべると困ったような口調で続けた。
「あなたは自分以外のことであれば的確に物事や人物を捉え評価し、正しい判断と行動が出来る人なのに、自分のこととなると何もわかっていないようですね。いや、失礼な言い方だったかもしれませんが、外から見ているとそんな風に思えます」
 シトロエンは物腰柔らかな口調と人格の持ち主だが、その実言いたいことはしっかりと言う男である。上官の器量によっては煙たがられることも多々あっただろう。
 シトロエンは表情を引き締めるとレルシェルを見つめて言った。
「あなたの最大の武器は、あなた自身の存在なのです」
「私自身……?」
「はい。あなたが王国の側に立って戦場にいること、それだけであなたには価値があるのです」
 シトロエンの言葉をレルシェルは黙って聞いた。本当にそんな価値が自分にあるだろうか、レルシェルは自問した。
「どうだろうか? 私は反逆の疑いがかけられた。仮にそれまで私を支持してくれる市民や将兵がいたとしても、彼らにも疑問が生まれただろう。彼らがこれまでどおり私を信じてくれるだろうか?」
 レルシェルの不安はシトロエンを頷かせるものだった。
 彼女の人気は彼女の能力、政治力や統率力そのものと言うよりは彼女が持つ純粋性、公正性によるところが大きい。腐敗した王国中央の指導者の中で彼女の清廉さは極めて異質であり、そこが市民や下級の将兵に支持されていた。真意はともかく、「裏切り」と言う濁りは市民が抱いている彼女の印象、彼女の純粋さに影を落としているのは確かだろう。
「ここからは私の考えではなく、ディアーヌ様とフィルマン将軍の策……いえ、これは作戦と言うよりは演出ですな。あなたがテオドール公の陰謀にかかったことすらも利用するそうです」
 フィルマンはにやりと笑って言った。
 レルシェルは目を大きくして驚いた。
 だが一つ息をつくと彼女は決心をした。これがあの聡慧な王妃のシナリオの中の出来事であるならば乗るべきだ。また王妃の策に乗ることは監獄から助けだされた恩を返すことになるだろう。いやあの王妃であればレルシェルが監獄に囚われた事もシナリオに組込み、利用するというのはいかにも彼女らしいとレルシェルは思った。
「わかった……ディアーヌ様が何を考えているのか、私の知恵の及ぶところではないが、この王国の危機に私が必要とならば出来ることがあれば何だってしよう」
 レルシェルは力強く言った。その声と彼女の表情にシトロエンはちょっとした感動を覚えた。全身どこかしら負傷の様子が伺える彼女の健康状態は決して良い状態だといえないだろう。体力も万全でもない。だが彼女の表情と言葉からは強い意志の力を感じたからだ。先に述べた彼女の純粋さや公正さは彼女を表す上で特筆する点であるが、この意思の強さも彼女が周りの人間を惹きつける力の一つか。シトロエンは満足そうに頷いた。
「それでは作戦の概要をお伝えしましょう」
 シトロエンはやや興奮気味にそう言うと、懐からディアーヌとフィルマンが作成した資料を取り出して広げた。
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