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Forgotten Saga 作者:水夜ちはる

第八章・闇の中の我が身焦がせし焔

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第3話

斜陽の王国に祭上げられた『英雄』の少女。
剣と銃と魔物と陰謀のダークファンタジー!

第八章・「闇の中の我が身焦がせし焔」
冤罪により反逆者の烙印を押され、牢獄につながれたレルシェル。
その闇の中で彼女が見たものとは――?
 少女の目が大きく見開かれる。瞳孔は頼りなく見開かれ、涙が溢れて球となって飛散する。その瞳に輝きはなく、闇の中で彼女は救いを求めて宙を彷徨わせた。
「ぐっ……」
 一瞬遅れて嗚咽が漏れる。力なくあごを下げ、咳き込むと一筋の唾液がだらしなく重力に惹かれて落ちていく。その屈辱ももう数え切れない。かすむ眼で少女はそれを見た。
 長く丈夫な鉄棒の先にある大人の拳大の鉄球。それが大男の膂力で振り回され、少女の折れてしまいそうな細い腹部にめり込んでいた。
 レルシェル・デ・リュセフィーヌの肉体は普通の女性より遥かに鍛えらているが、それでもか細いの身体は少女の身体の域を大きく超えるものではない。残酷なまでの速度、重さの鉄球を受け止められるものではなかった。
「げほっ……かはっ……」
 鉄さびの味が口の中に広がる。吐くものは胃液しかなかったがそれに血が混じっていた。この拷問を受けると数日はものが胃に入れられなくなる。傷ついた内臓がすべてを拒否するのだ。また水が飲めなくなるの辛いな、と少女は思った。
 苦痛に身体を震わせる少女を見つめ、フレデリックは小さく息をついた。
 彼はレルシェルの拷問を引き受けて間もない頃、彼女にこう持ちかけた。
「あなたが何故ここに送られたか、あなたを送った者の心理と、その者が得たい答えを考えなさい。答えが真実か虚偽かはそれほど重要ではないのです。ここはそう言う場所なのです」
 その言葉の意味を、レルシェルは一瞬理解が出来なかった。だが聡明な彼女はすぐにテオドール公の求めているもの気がついた。彼が画策するものはレルシェルの英雄性の失墜である。裏切りと言う本来の彼女から程遠い印象を焼き付け、市民の支持を失望へと変えるためだ。
「こんな小娘一人に大層なことだ」
 普段のレルシェルであればそう自信を皮肉って笑ったところだ。彼女は自身の英雄性をそれほど評価していなかったからだ。しかし客観的には彼女の評価と大きな乖離があったし、テオドールの評価もやはり高く、彼と彼の一族にとってレルシェルの存在は将来の禍根と思われていた。
「なるほど、私はそれでは嘘の自白して処刑されるか、死んでもここを出られないかのどちらかだな」
 レルシェルは理解してフレデリックにそう言った。その声は実に冷静でフレデリックを驚かせた。
 王国を裏切ったと自白をすれば、軍規に従い裏切り者として処刑され、レルシェルはまやかしの英雄となり人々から忘れ去れる。自白をしなければ死ぬまで拷問を続けられ、仮に死んだとしてもなお拷問は続けられるだろう。拷問の末に死んだとなれば、レルシェルは神格化され、より英雄性は高まって彼女を死に追いやったものは非難されることになる。それを避けるために、仮に「死んだ」としても拷問は続けられるだろう。
 レルシェルは小さく笑った。人の闇とは魔物の姿よりも醜悪ではないか。
 フレデリックの提案はレルシェルに対しての慈悲だった。この美しい少女が嬲り殺しにされるのは彼としても思うところがあったのだ。
「だが私は嘘の自白などしない。この身がどうなろうとも、私と私の部下たちは王国のために戦った。祖国とその民を守るために。私だけならいい、あの戦場で命をかけて戦い、散ったものたちが裏切りと言う汚名に塗れることを私は許すわけには行かない!」
 その時のレルシェルは輝く瞳で強く言い放った。
 高潔で固く屈することのない心。不正に対し貫こうとする鋼鉄の正義。十八の少女にして立派なものだとフレデリックは思った。だが、大抵の人間は拷問を受ける中で心折れ、その瞳を濁らせて心を闇に陥とす。
 レルシェルがワルティユに囚われて二ヵ月余が経つ。尋常ならざる拷問の中、この地下監獄で彼女の瞳から輝きは確かに失われた。だがまだ心は折れていなかった。なんという想いの力だ。フレデリックは感嘆し、おかしな尊敬の念が生まれていた。
 また一つ、鉄棒がレルシェルの薄い腹部を襲った。息が詰まった彼女は悲鳴を上げることすら適わず激しく咳き込んで呼吸を乱した。
 フレデリックは立ち上がりレルシェルの前に立った。
 彼はレルシェルの黄金の髪を無造作に掴むと、強引に顔を上げさせる。レルシェルの視界にフレデリックの醜悪な表情が入ってくる。荒い息のレルシェルは視線を逸らさずにフレデリックを見返した。もはや声を出すことも億劫な彼女の精一杯の意地だ。
 この少女が英雄たる理由は類稀な剣技や指導力ではない。清廉公正で協力な政治力でもない。この何者にも屈しない強靭な精神にある。皮肉なことに現時点でレルシェルの英雄性をこのフレデリックが一番理解していたといえよう。
 フレデリックは心の中に昏い焔を灯した。
 ならばこの娘をどうしても屈服させてやろう。どうしたらこの娘が屈服するだろうか。彼は枯れた欲望の中に久しぶりに水を注ぎ、薄ら笑いを浮かべた。
 彼の部下の大男が鉄球がついた鉄棒を振りかぶる。
 レルシェルの顔が恐怖に引きつる。
 鉄棒は無慈悲に打ち込まれた。闇に少女の悲鳴が響いていく。


 レルシェルは自らを吊るす鎖を揺らして目を覚ました。
 薄暗く湿気を伴った不快なその牢獄は彼女が長い時を過ごす場所となっていた。
「う……」
 彼女は小さく呻く。体力の限界まで連日拷問を受ける彼女は、大抵意識を失ってここへ運ばれる。それは悪夢すら見ないほどの深い眠りだった。
 ざわ、と言う多数の気配を彼女は感じた。
 あの気味の悪い黒い小人たちだ。彼らは時折現れて、彼女の身体にまとわりついて彼女の身体を弄ぶ。彼らの存在は彼女以外認識する者はいない。それが幻なのか夢なのか、彼女にもわからなかった。
 だが、この日彼らの動きは違った。いつもなら無秩序に身体にまとわりついてくる彼らは、彼女を取り巻いて眺めやるだけだった。
 レルシェルはいつもと雰囲気が違う事に驚きの表情を浮かべていた。
 そのレルシェルは彼らの奥にさらに気配を感じた。この暗闇の中でさらに闇を凝縮したような黒い塊。レルシェルはそう感じた。
「……何者だ?」
 レルシェルは恐る恐る声を出した。多分に緊張が含まれたその声は、その闇に対して彼女は本能的に恐怖を感じていたからだ。
 深い闇に波紋が生まれる。闇が揺らぎ、そこから白い顔が浮かんだ。続いて手足が浮かび、やがてそれは少年のような形を浮かび上がらせる。髪と瞳は漆黒のように深いが、肌はそれと対照的に青白い。美しい少年だった。彼は整った顔をしており、年の頃は十二・三と言ったところであどけなさを残している。
 彼は漆黒の髪をかき上げると、レルシェルを見て唇の端をゆがめて挑発的に笑った。その笑みを見て、レルシェルは息を忘れるほど畏怖を感じた。このあどけない少年からとてつもない力を感じたのだ。
「わが名は『闇の王』<ザ・ダーク>。その名の通り闇を総べる王だ」
 彼の声は見た目に準じた少年のそれだった。だがその声は氷の刃のように冷徹で鋭利だった。
「闇の王……だと?」
 レルシェルは目を見開き、何とか声を絞り出した。
 少年は頷いた。
「君たちには魔物や魔族を率いる王と言った方が話が早いかな? つまり魔王。もっともこちらの世界にも王が何人もいるように、僕は魔王の中の一人にすぎないのだが」
 少年は冷たく笑って言った。
 レルシェルは美しい少年を見つめて驚いた。彼女たち、聖杯の騎士は魔物と戦っている。魔は人の心の闇に付け入り人の身体を魔物化させて人を襲う。しかし彼らがどこから来て、何の目的でそれをしているのかわかってはいなかった。この少年はその魔物の王を名乗った。小柄な少年の姿だが、確かにその言葉に足る力を感じる。魔物の気配を感じた時のはるかに強い感覚だ。
「私を……魔物にするつもりか」
 レルシェルは唸るように言った。
 その言葉に闇の王の少年は驚いた顔を見せた。
「君を魔物にするか。それはそれで面白いが、いささかもったいない」
 彼は愉快そうに言うとレルシェルに近づき、その幼い手でレルシェルの美しい曲線を描く顎を持った。
「人間とは酷いことをするものだ。この美しい顔が汗と脂で見る影もない……もっともこれはこれで趣のある姿かもしれないが」
 少年は皮肉を込めたような笑みを浮かべた。
「何のつもりだ?」
 戒められたレルシェルに逃れるすべはない。彼女は必死の表情で少年を睨みつけた。
 少年はレルシェルを見下ろして、にやりと笑った。
「取引をしたい」
 少年は言った。レルシェルは驚いた顔で少年を見上げた。
 取引と言っても虜囚の身であるレルシェルに交渉できるものなど何一つないはずだ。
 少年は真顔に戻って言った。
「我々魔物は元来こちらの世界に存在するものではない。こちらの世界に現存する魔は四百年前に起こった『蝕』による世界の接触の時にこちら側に侵入したものの末裔か、肉体を持たずに霊体のみでこの世界に侵入し、人間などにとり憑いたものかのどちらかだ」
 少年の声はその姿や声色にそぐわず冷淡で落ち着いたものだった。
「僕もこうして闇の深い場所、そしてあちら側に近い場所にはこうして存在できているが、ここを離れてしまってはそうもいかない。宿る肉体が欲しいのさ。そのかわり僕は僕の力を君にかそう」
 その闇とは物理的な闇だけではないだろう。心理的な闇。ここではそれも深まる。レルシェルはそれを悟った。
「私の肉体を貸せと?」
 レルシェルの答えに闇の王は少し目を大きくして喜んだ。少女の察しの良さに驚いたのだ。
「僕はそこまで図々しくはないよ。君の身体を一時的な宿り木にしたいだけさ。来るべき『蝕』に備えてね」
 闇の王はおどけるように言った。
「『蝕』……?」
 レルシェルは聞きなれない言葉に眉をひそめた。
「そうだね、そこから説明しよう。四百年余りの周期で、この世界と僕らの世界は交わりを得る。それが『蝕』と呼ばれる現象だ。『蝕』は互いの世界の力を混ぜ合わせお互いに欠けているものを補填しあう。こちらの世界に足りない魔力、魔法の力だったり、僕らの世界に足りない理力、錬金術だったりね。それ自体はあまり問題ではないが、世界が交わるとき、お互いの世界に住む者たちも交わると言うことだ」
 闇の王は一息つくと右手を掲げた。その右手は闇の炎を纏っていた。決して大きな炎ではないが、その炎に宿る力はすさまじいものだ。レルシェルは本能的にそれを感じた。
「魔族の中にはその世界の交わりに乗じて、この世界を牛耳ろうと考えるものがいる。我々の力は君たちの力よりもはるかに強いから、そう考える魔王がいるものもわかる話だ」
 レルシェルは確かにと思う。聖杯の騎士と言う精鋭であってもただの魔物と打ち合うのが精いっぱいだ。レルシェル一人ではメフィストに魔物化されたルクレール候と戦うには荷が重すぎたし、フェデルタやマリアが戦ったと魔獣はそれ以上だったと言う。そんなものが攻め入ってきたとしたら人の軍隊ではどれだけの抵抗ができるであろうか。下手をすれば人間の世界は滅びかねない。
 レルシェルは闇の王を見た。少年の姿をした魔王は漆黒の瞳でレルシェルを値踏みするように見つめていた。
「なるほど……それで我々の世界に侵略をしようと言う魔王の一人と言うことだな、あなたは」
 レルシェルは冷静な声で言った。その言葉に少年は驚きの表情を浮かべた。レルシェルの察しの良さに感嘆すら覚えていた。
「ご名答だ、レルシェル・デ・リュセフィーヌ。君は僕が思ったより頭が良いようだな」
 その上からの物言いにレルシェルは若干の不快を覚えた。
「そんな取引に応じられるか。この世界を侵略しようとする魔王ならばなおさらだ!」
 レルシェルは強く言った。彼女は騎士である。彼女は守るべきものを持っている。それは国であり民だ。守るべきものが魔物に蹂躙されると言うのであればそれは耐えがたきことである。
「たしかにそう答えるだろうと思っていた。だが頭のいい君のことだ、もう一つの考えが浮かんだのだろう?」
 闇の王は笑って言った。
「『蝕』が始まり、魔族の侵略が始まったとしたら、それに対抗する力が必要だ。たとえ魔王だったとしても、力ある者が味方であれば戦い方がある、と」
 闇の王の言葉にレルシェルは戦慄した。闇の王の言葉は正確に彼女の考えを読み取っていたからだ。この小さな少年の姿の魔王にはどれだけの知性が宿っていると言うのか。
「どうだろうか? 我が提案は。このままではこの国は魔の者に蹂躙される運命であろう。ならば僕と手を組み、まずはこの国を君が手に入れ、その上で来るべき魔の者との戦いに挑むべきではないか? レルシェル・デ・リュセフィーヌ」
 闇の王の言葉にレルシェルは目を見開いた。
「私が、このフェルナーデを?」
「ああ、君にはその器がある」
 闇の王は満足そうに頷いて言った。
 レルシェルは憔悴しきった体の中で、頭の中だけが鮮明になって行くのを覚えた。
 現在フェルナーデは革命に揺れている。彼女の元には情報が入ってきていないので推測だが、レオンの革命勢力はその勢いとリシェールらの指導力によってさらに戦火を拡大するだろう。現王セリオスは器量と能力はともかく、精神的外傷によって政治を放棄してしまった。またテオドールなど、政治の中枢を担う者たちは互いの権力闘争と権益の拡大に忙しく国をまとめる気概がない。このままでは『蝕』があろうがなかろうがフェルナーデは亡ぶであろう。そのフェルナーデをまとめ上げ再建、または新たな国家として立ち上げ、民衆を率いるのは誰か。
「それが私だと……言うのか?」
 レルシェルは愕然とした表情でつぶやいた。
 震える彼女の頬に、金色の髪がまとわりついた。もう何日も洗っていない、汗と脂に塗れた髪だ。こんな汚らわしい女に誰がついてくると言うのだ。レルシェルはそう思い自虐的に微笑んだ。
「僕と組むなら、この苦痛も屈辱も不快さも、一瞬にして消え失せるぞ」
 レルシェルの心理を察した闇の王は言った。
 この牢獄から、この拷問から、逃れることが出来る。それはなんという甘美な響だろう。レルシェルは思った。
 レルシェルは音もなく笑った。視線は地面を這い、金色の髪が零れて彼女の表情を隠す。闇の王は怪訝そうに彼女の様子を見つめた。
「……断る」
 レルシェルは低く言った。
 闇の王は驚いた顔で彼女を見た。
「あなたは魔物の王だ。魔物は私の守るべき民を殺した。私は魔物から民を守るべく、我が王より剣を賜った騎士だ。その私があなたと手を組むことなどありえない」
 レルシェルは顔を上げ、闇の王を睨みつけた。その瞳には久方ぶりの光が宿っていた。この闇の中でも爛然と輝く強い光だ。
 闇の王は驚いた顔でレルシェルを見つめた。
 なんという意思の力だ。なんという純粋な心だ。闇の王は感嘆の吐息をつき、深い闇の瞳でレルシェルの瞳を見つめた。
「なるほど……君の意思は良くわかった。素直に尊敬したよ。この境遇の中で揺らぐことのないその鋼の精神。僕が見込んだだけのことはある」
 闇の王は常に浮かべていた笑みを止めていた。真剣な眼差しでレルシェルの姿を見る。闇の王は白い手を伸ばして再びレルシェルの顎を持ち上げた。
「だがな、レルシェル・デ・リュセフィーヌ。君が今以上の苦痛と困難に遭った時、僕のことを思い出すがいい。僕は君と言う存在だけで手を貸したくなった。君は本当に魅力的だ」
「私は、拷問などに屈しない」
 レルシェルの瞳に宿る炎は闇の王には眩しかった。彼は目を細めると言った。
「拷問などではないさ。そんなものに屈するなら興ざめもいいところだ。君はこの先も魔物と戦うのだろう? それはこんな拷問など比べ物にならないほどの苦痛を伴う戦いだ。君の身体もちろん、君の仲間も当然傷つき、または命を失うだろう。それはこんな苦痛と比にならない」
 闇の王はそう言うとレルシェルに背を向けた。
「また会おう、レルシェル・デ・リュセフィーヌ。君はやはり清廉で潔白が良く似合う。いつまでもそれを失わないでくれよ」
 彼がそう言うと、彼と彼を取り巻いていた闇の眷属たちの気配が消えて行く。
 牢獄に薄闇と静寂が戻った。何事もなかったかのようだ。
 レルシェルの身体が震える。彼女の身体を戒める鎖が鳴った。
「夢……だったのか?」
 レルシェルはつぶやいたが、それを彼女は否定した。闇の王との会話は鮮明すぎるほどに記憶に残っている。
 『蝕』と『魔王』――。
 それだけが牢獄の冷たい空気に触れて、レルシェルの脳裏に鮮明に張り付いていた。
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