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罪人の涙
作:蜻蛉



4, 罪人(4)


 北区は住宅街なだけあり、人気チェーン店やファーストフードショップが立ち並ぶ、中央繁華街には及ばないにしても、繁華街を囲む四区の中で最も栄えた区である。いわゆるドーナツ化現象と似た構造をしており、中央繁華街に勤める八割の労働者はこの北区に住居を構えている。そのせいか、一軒家は少なく、アパートやマンションが多く目立っている。整備されたコンクリートはすっかり雨色に染まり、時間帯から北区にいる人影はまばらだった。
 須田は傘も差さずに雨の中、北区の大通りを遠慮無しに進んでいた。ベースの暗黙のルールのようなもので、傘を差す人間はほとんどいない。別段身体が濡れたところで風邪をこじらせるほど軟弱なものもおらず、眼前に叩きつけるように降る雨もうっとうしくは感じなかった。
 須田が北区に足を運んだのは一度や二度ほどだがあった。いくらアウトローと言われようとも、ベースに所属する彼らは職を持つ人間であり、北区に用事があることは度々だがあった。下らなさと言ったら子猫探しからピザの配達と、並べればキリが無いが、稀に殺傷事件の調べをするなどという警察の管轄下にまで踏み込むことがある。事件解決に一役買っている、などということは無いが、独自の情報網はもはや都市警察と並ぶだろう。その枝分かれした情報網の一つに、須田は組み込まれている。
 須田は雨を避けるように手の平で屋根を作り、黒住から渡されたメモを見た。住所を見る限り、一軒屋のようだった。北区には一軒家は少なく、探し出すのは容易だと思われたが、かれこれ探し出してから結構な時間が経っている。須田は一度ファーストフード店で休もうかと考えたが、追い払って再び住所を確認した。近くのアパートの住所を見る限りでは、この辺りのはずだった。
 そのまま十数分歩き回っていると、それらしき一軒屋を発見した。白塗りの壁に、二階には丸型の窓もついており、夢のマイホームといった言葉が良く似合いそうな家宅だった。しかし門には黄色の立ち入り禁止のテープが張られており、警察が立ち入っているのは一目瞭然だった。須田は家宅自体に用があったわけではないので、調べるだけ調べようと持ち前の身長を生かして門の上から中を覗いてみた。しかし、人が住んでいないということ以外に分かることは無く、強いてあげるならば芝生の広い庭があったことくらいだった。観賞用の植物等も植えられており、つい最近まで人が住んでいたことを物々しく語っているようだった。
 無駄足だったか、と須田は頭を引っ込めて引き返そうとした。
「おい、そこの奴、何やってるんだ」
 須田の後ろから響くような男性の声がした。須田は振り向いて、男を見る。男は自転車に跨って、須田のほうにライトを照らしている。雨合羽を着ているが、身なりからして巡回中の警官のようだった。雨の日に傘も差さず、人様の家の庭を覗いていれば怪しまれもすると、須田は今更ながらに後悔した。
「何をしていたんだ?」
 自転車を壁際に止め、警官は聞いた。須田はどう答えようか迷ったが、出鱈目を言えば後々に後悔しそうだったので普通に答える。
「猫探しだ」
「猫探し? それでこの家の中を覗いてたって言うのか?」
「そうだ。嘘だと思うのなら、ここに確認の電話を寄越してくれ」
 言って、須田はベースの電話番号が記載された名刺を警官に手渡した。ベースは公的な警察機関では無いため、仕事中に目撃されると立場が危うくなることが多々あるために、常に身分証明となる名刺を持っている。須田も慣れた手つきだった。
 警官はそれに一目通すと、あからさまに嫌そうな顔をして須田に名刺を返却する。
「東区の外れもんか。北区までわざわざ猫探しに来たってのか? 嘘はいかんよ嘘は」
「嘘だと? それは俺が嘘が死刑制度より嫌いだと知っての発言か?」
「君の事情なんか聞いちゃいない。で、本当のところどうなんだ。知っているとは思うが、この家は最近一家殺害事件が起きた現場でね、あまりものを物色してもらうと困るんだよ」
「分かっている。そのことはリーダーから聞いている。俺はただ、この家の飼っていた猫を探しているだけだ。だからいないものかと覗いた」
「この家の飼っていた猫? ああ、そういえば一匹保護されてたって話はあるな」
「どこに保護されているか知らないか?」
「待て待て、なんのために殺害された家族の猫なんて探してるんだ。最近は動物を虐殺して快楽を得る殺人者だっている。そう易々と動物の身柄を渡せる時代でもないんだよ」
 言われて須田はなんのために猫を連れて帰るのか聞いていなかったことを思い出す。須田なりになんのためかと考えたが、結びつきを見つけることは出来なかった。
「……必要だから、では駄目か」
 警官は呆れてため息をついた。
「今は愛玩動物を守る法律があってね、君らのように信用の置けない人物に引き渡すくらいなら保健所で一生を過ごしたほうが良いんじゃないかと思うよ、私は」
 このままでは最も的確な情報を持っていると思われる警官からの情報をみすみす手放してしまう。須田はどうしたものかと視線を彷徨わせていると、家の表札が目に入った。その瞬間、須田の中で何かがカチリと音を立てた。
「……実は、その猫を引き渡す相手がいる」
 視線は表札に向いたまま、警官にそう言う。警官は今更なんだと言わんばかりに、一応といった感じで「誰?」と問うた。
「親族だ。恐らく、自ら取りに行くとマスメディアが騒がしくなるのがイヤだったんだろう」
「依頼主がいるのか?」
「知らん。俺はリーダーの言う事に従っているだけだ」
「それじゃあどうしようもない。私たち警察が、証拠を何よりも重視するのは知っているだろう?」
「ならベースに問い合わせろ。証拠はそれで良いだろう」
「う……む」
 警官は口ごもる。よほどベースと関りあいを持ちたくないのか、答えを濁した。
 しばらく警官は迷っていたが、ついに諦めたのか、親指を立てて、自分の後方を指差した。
「そこを真っ直ぐ行った先に、動物を保護している保健所がある。そこで聞いてくれ。あと、見つかったら必ず保健所の人に身分証明書とその名刺を渡せ。ただで引き渡してくれるわけが無いからな」
「良いのか? 警察は証拠を重視するんじゃなかったのか」
「どうせ保健所で記録が作られるから、君が何かしでかして死体でも見つかったらすぐにこちらに連絡が行くさ。ま、そこは愛護団体に任せよう」
「適当だな」
「下っ端だからな、私は」
 警官は人当たり良く笑った。どこの世界でも、下っ端は辛いらしかった。
 須田が礼を言って去ろうとすると、警官がそれを呼び止めた。
「ああそうだ、君、人気が無いところをむやみに歩かない方がいい。東京都の連続殺人事件は知っているか? その事件も一家殺害でね、公にはしてないが、この家を襲った犯人と同一犯じゃないかとうちでは噂されてる。だとすれば、近くに殺人鬼がいるかもしれないからな」
「だからこんな雨の中、巡回しているのか?」
「そうだ。私も恐いが、仕事だからな」
「そうか。だが、滅多なことが無ければ出くわしはしないだろう」
「……どういうことだ?」
 警官は怪訝な顔をして尋ねるが、須田はそれには答えないで歩を進める。最後に、後ろでに手を振って須田は言った。
「道中気をつけろ。雨で路地が滑っているからな。自転車じゃ転ぶ」
 雨は降り続いている。灰色の空から降ってくる銀色の針が、容赦なく須田の身体に刺さる。須田は今日、久しぶりに傘を差したいと思った。

 

 ―――



 湯船から上がった澪は、そこに置いてあった適当なバスタオルを手にとって身体を拭き、同じく放り出されていたやたらとしっかりとしたカッターシャツと、それに全く合わないジャージのような寝巻きを身に着けた。流石に下着は貸してくれなかったらしく、ざらざらとした布の生地が素肌に直に当たって気持ち悪そうに身をよじらせた。
 風呂場は改装されたあとにつけられたものなのか、建物の外観にそぐわない立派なユニットバスだった。しかし、あまりに丁寧に掃除されているようにも見えるが、実際は全く使われていないだけであった。黒住専用のものだが、黒住自身が風呂嫌いなために使用されることは稀でしかない。澪はそれを汚さぬようにと、後始末はしっかりとやっておいた。血が流れていくのを見て、同時にその時の感覚も流してしまった。
 濡れた髪の毛を丹念に拭いて水気の残らないようにする。ドライヤーは無いかと目で探したが、風呂さえ使用されていないここでそんなものがあるわけもなかった。
 澪は火照った身体のまま、バスタオルを肩にかけて黒住のいる部屋への扉を開けた。
「おう、上がったかい」
 黒住が書類を纏めながら、横目に澪を眺めて言う。上から下まで舐めるように視線を移動させ、卑下た笑みを浮かべると、書類を置いて頬杖をつく。
「あんた、良い身体してんねえ。それで男を釣ってきたのかい?」
「馬鹿にしないで。あたしから手は出すけど、あたしに手は出させないし。ギキシはどうしたの? 風呂空いたから伝えようと思ったのに」
「須田は仕事に出した。何、夜には帰ってくる。それまであたしらはここで有意義な雑談、ってわけだ」
「ふうん、まあどっちでもいいけど」
 言うと、澪はソファーに腰掛ける。
「しっかし、『あたしに手は出させない』ねえ。殺人者になると、そんな錯覚までしちまうもんなのかねえ」
「錯覚……?」
「そうさ、錯覚」
 黒住はマルボロの箱を開け、中身が無いことに一つ舌打ちして部屋の隅にあるゴミ箱に放り投げた。そして、また一つ新しい箱を引き出しから取り出して、一本取って咥える。
「例えば、猟銃とサバイバルナイフを持った狩人が、野犬と戦ったとき、あんたはどっちが勝つと思う?」
 澪はその犬と人間を想像して、頭の中でシュミレートしてみる。
「そりゃあ狩人でしょ。武器持ってるし、その手のプロでしょ、狩人って」
「何故そう思う?」
 黒住が煙草に火をつけながら言う。
「え……? 何故ってだから……」
「何故武器を持っていて、その手のプロだから野犬に勝てると思うんだと聞いている」
「だって、普通そうじゃない? 確かに猿も木から落ちるって言うけれど、そんなの確率の問題だし」
 澪が言うと、黒住は皺の多い顔をさらに歪める。心の底が凍てつくような笑みを浮かべる黒住を、澪は氷の彫刻で出来た顔の妖怪かと思い、思わず身を震わせた。煙草の火が自然と消えてしまいそうだった。
「正解は無理だ。何故なら、狩人は名前の通り『狩るもの』に間違いはないが、この場合、野犬のほうも『狩るもの』だからだ」
「狩るもの……」
 澪はその胡散臭い言葉を復唱する。
「そう。野犬は狩るものだ。ハイエナのごとく群れを成し、人間の喉笛を噛み切っちまう凶悪な生きもんだ。それに対して狩人は、その野犬に対抗する術こそあれども、圧倒的に数で劣る。野犬は数を作るからね。相当になれば、人間に対抗する術なんかありはしない」
「だったら狩人だって数をそろえればいいじゃない」
「現実的じゃないねそれは。狩人は基本的に単体だ。まあ、火炎放射器でも持っていれば話は別なんだろうが。逆に言えばそうでなければ狩られちまうってこと」
 ふうん、と澪は適当に相槌を打つ。澪は特別話に耳を傾けてはいない。漠然とその結果を聞いていただけだった。野犬に火炎放射器が有効ならば、それを用意してから狩りに行けばいいのだから。
 しかし、ここで黒住が澪の今最も懸念していることを口にした。
「そして、これをあんたと警察に置き換えるんだ」
 その瞬間、澪の心臓が跳ねる。身体の中の血管が凍りつき、猛烈な熱さを感じる。澪が現在最も恐れているのは警察であることは間違いない。捕まれば須田の言うとおり、牢獄にぶち込まれ、無期懲役以上の刑罰を食らうことは目に見えているからだ。
 澪にはまだやらなければならないことがあった。それまでは、警察に捕まるわけにもいかないし、死ぬことも許されない。無意識のうちに、澪は黒住の一挙一動に集中し始めていた。その様子を黒住は不謹慎にも楽しげに見ている。
「あんたは殺人鬼だ。もうそう言っても過言じゃない人数を殺してきただろう。しかし、そこまでの手練のあんただって警察には適うことは絶対無い。言い切ってやる。絶対無い。警察が役に立たないなんてのは虚言だ。ありえない。警察は犯罪者に対して世界最強だ。そしてそれを敵に回してるあんたは世界最弱。だから錯覚」
「そんなこと……」
「ククッ。ついでに言っておいてやるけど、あんたじゃベースの男たちにも適わない。奴らは究極的に狩るものに徹してるからな。その身なりで一歩でも外に出てみろ。あっという間に食われちまうぞ」
「そんなこと――無い!!」
 澪は思わず怒鳴っていた。頭の中が煮えきった湯のように熱く、音を立てている。衝動的にテーブルの上にある花瓶に手を伸ばし、寸劇の動作で黒住に向かってそれを投擲した。それはもはやうららかな日の下で生活してきた少女のものではない。完全に人を殺すことに慣れた人間の動きだった。放物線など描かない。黒住の白髪が目立つ頭蓋を真っ赤に染めんと直撃するように計算しつくされた規則的な回転。
 だが、それを何も無かったかのように黒住は空中で掴む。そして、もう一つの手で咥えていた煙草を澪に投げる。澪の頬を掠め、途端に勢いを無くした煙草は死んだように床に落ちた。
「…………今、あたしを殺していたらあんたはどうなっていた?」
 怒ってもいなければ、嘆いてもいない。黒住は能面を被っていた。澪は火傷した頬に手を当てて黙っている。
「弱い、弱いな玖石澪。後先考えず罪という石を積み続けるその腐りきった人間性。やはり更正させてやるしかないようだね」
 澪は言葉を発せ無い。不甲斐無さを感じているわけではなく、ただ単純に、『殺されなかった老婆に対して苛立ちを覚えていた』だけだった。
 面白い、本当に面白いと黒住は思う。年若い少女が内に秘めるどす黒い殺意と不気味な形をした心の仮面が、目に見えて分かる。しかしそれはあくまでも人間のものであるという僥倖。歪ではあるが、熱して叩けば直らないことも無いだろうと黒住は目測を立てた。 
「良い餌になりそうだ……」
 黒住は知らずと思考を漏らしていた。澪は怪訝な顔で「何それ?」と聞いたが、黒住はしらを切った。












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