罪人の涙(2/5)縦書き表示RDF


罪人の涙
作:蜻蛉



2, 罪人(2)


 須田と女は出来るだけ繁華街に出ないように裏路地を進んでいた。血みどろの女を連れて公衆の面前に姿を晒せるわけがない。須田まで被害を被っては本末転倒だ。細心の注意を払いながら、須田は目的地へ遠回りに進んでいる。須田が来たときとは水たまりを蹴る足音が一つ増えた。女は須田の早足に何事もないようについてきている。
「おじさん名前は?」
 女が身を乗り出して須田に聞いた。
「須田儀軋だ」
「ギキシ……変な名前だね。噛んじゃいそう」
「余計なお世話だ」
「あたしの名前はね、玖石澪くいしみおって言うの。学校通ってた頃は、みおちゃんとか呼ばれてたんだ」
「そうか。俺が昔飼っていた熱帯魚の名前も同じくみおちゃんだったな」
「何それ。サイアク」
「いや、可愛かったがな」
 殺したが。
 須田は言葉を飲み込んだ。口に出しても別に構わないと思うが、予想以上に楽しそうにしている澪の気分をわざわざ壊すこともない。須田は雨に濡れてぐしゃぐしゃになった髪を脳天のほうに掻き揚げる。長い髪の毛は邪魔に感じる。一仕事終えたらスキンヘッドにでもしようかと須田は思う。
 須田は辺りを見回す。澪を発見した路地裏最奥から大分繁華街の方に戻ってきてはいるが、それでもまだかなりの荒れ様だ。
 街は繁華街を中央区と呼び、近くには国道や新幹線の通る駅もある。そこから北区、東区、西区、南区と別れて行くのだが、住宅街である北区を除いた残りの三区は全てアウトローの世界だった。ベッドタウンとして盛んだった東区はその治安の悪さから人々を遠ざけて行き、区の支援を受けることが出来なくなり、次第に店じまいする店舗が町並みに並ぶようになった。それに呼応するように南区、西区と続き、中央繁華街に栄枯のすべてを握られた街だった。須田が目指す場所は南区から少し移動し、現在最も治安が悪いとされている東区の境である。元々ベッドタウンとして栄えていた街は、いまや廃れ、中央区に面する地域を残して廃墟街となっている。アウトローの住民たちは、中央区に近寄れないどころか、縄張りである東区までも制限されている。中央繁華街の景観保持のためという名ばかりの貧富差別が街を牛耳っているためだ。中央繁華街を訪れる人々の八割はこのアウトローの世界に目もくれず帰っていく。稀に迷い込んだ子どもがいるか、同じくアウトローを強いられた卑しい人間くらいが東区の奥にたどり着く。そうした悪循環の中で、この街は出来上がっていった。
 東区の最奥、この街の衰退が始まった場所を須田たちアウトローの住民は『ベース』と呼ぶ。日本語にして基地という意味で使用される言葉だ。住民はその『ベース』を中心として働く一つの組として成り上がっていた。無法地域だからといって闇商売に手を出した悪徳商業の類ではない。れっきとしたベッドタウン再興のための人員だった。しかし、一部のものが躍起して行動を起こすがために、東区再興の計画はほとんど丸つぶれになる場合が多い。いくら涙ぐましい努力をしようとも、所詮はならず者の集まりである。
 しかし昨今、その『ベース』に新しいリーダーが抜擢された。須田もその姿を見たことがあるが、四十をとうに超えたであろう初老の女性だった。若々しさなど微塵も感じさせない皺だらけの肌が妙に印象的だった。四十代の女性ともあろう人物がリーダーに抜擢されることなど『ベース』発足以来の異例であったのだが、不思議と誰も異論を唱えなかった。事実、リーダーの頭脳はそこらそんじょのブレーンよりも長けており、近日中に東区の全域統合を区に申し立てる予定であった。今までの『ベース』からでは夢のまた夢のような進歩であり、須田もそんなリーダーに従わざるを得ないのだ。
 須田は隣を歩く澪の横顔を一瞥した。この少女の保護および連行もリーダーからの指示であった。一体どのようにして澪の居場所を特定したのかは須田の知るところではない。下っ端は指を指されたほうに走り、餌を与えられればがっつけばいい。それ以上を求めることは、無粋だとも言えた。
 しばらく黙って歩いていると、唐突に澪が言う。
「ギキシは東区出身なの?」
「育ちは東区だ。出身というほど長く留まったことは無いがな」
「放浪人?」
「そうだな。ガキの頃から住居を構えたことなど無い。今はベースの近くに住んでいるが、それでも仕事で出ることが多いからな」
 ふうん、と澪は所在無さげに相槌を打つ。なんとかして話題を出そうとしているのだろうが、須田は元より口達者なほうではない。澪の性格には迷惑しないが、特に会話をしようとも思っていない。
「ねえねえ、あたしがあそこで何をしてたのかとか、どうしてあんなところにいたのとか聞かないの? そういうことが問題だからあたしを捕まえに来たんじゃないの?」
 須田は肯定も否定もしない。すべてはリーダーの指示なのだから。
「そういうことはリーダーがやることだ。俺は言えば、ヤクザみたいなものだ。経過になにがあろうと結果があれば良い。それで金が稼げるならな」
「随分現金な性格だね。そんなんで人生楽しいわけ?」
 澪は心底呆れたように言う。
「人生を楽しめる希望は生まれた瞬間に失った。アウトローで楽して暮らそうものなら、いつ寝首をかかれるか分からん。それに、そのことについて貴様に言う権利があるのか?」
「あたし? まあ、南区に逃げてきてからお金に困ったこととか無かったし、強いて言えば資金調達がいちいち面倒くさかっただけで不便はし無かったよ。服装もほら、制服だし。いつだって繁華街に行けるもん」
 須田は資金調達という言葉に意識を傾けた。そして、先ほどの澪がしていたことを思い出す。
「まさか……金が必要になる度にあんなことをしているのか?」
「そりゃね。お金が無いと生きていけないし」
「死体はどうしてる」
「死体は放置してる。今日だって、あのままだし。……あ、お金持ってきて無いや」
 澪は立ち止まってポケットを漁る。だが、遠目に須田が見ても何かが入っているとは思えなかった。
「どうしよう。今から取りに行ってもおっけー?」
「駄目だ。今すぐ向かう」
 澪はチッと舌打ちして、再び須田の横につく。
「まあいいや、また取りに行けばいいし。今はお風呂のほうが入りたい」
 須田はそう言う澪を見て、気楽なものだなと思う。東区が廃れて行った最中では風呂など三日に一度、最悪一週間清潔にすることなく働いていた覚えもある。時代錯誤だが、こうして風呂にありつけるのは幸運だと思ってもらいたいと思った。なんにせよ、今のまま澪を出歩かせるわけにもいかないために、風呂へと連れて行くことになっただろうが。 
「血って臭いんだよね。今までは返り血浴びないようにしてたのに、ギキシが驚かすから。この制服まだ使えるかなあ」
 雨で滲み軽いマーブル模様になった血痕を摘んで顔をしかめながら澪が言う。そんな澪を傍目に見ながら、須田は一つの仮定を立てた。
 澪は人殺しに対して何の感情も抱いていない。殺害した死体よりも金銭のことを気にかけ、自分の身の危険よりも服装のほうを気にする。これが澪にとってテレビで放送された何ら関連性のない事件だったならばその態度も納得できる。だが、その罪を犯したのは確かに澪である。自分の犯した物事をスルーするにはあまりにも事が大きい。それをいとも簡単にやってのける澪を、須田は危険だと感じた。
「血の臭いは、雨で流れるから気にするな。血痕は諦めろ」
 気になったが、須田はあえて関係の無い話に付き合う。澪は須田のデリカシーに欠けた言葉に口を尖らせる。
「あたしこのまま血だらけで生活するのは嫌だよ。やっぱり帰ってお金持ってきていい? 新しい洋服買いたい」
「我慢しろ。向こうにつけば衣服の一着や二着くらい用意してもらえるはずだ。それに貴様の金は貴様のものではないだろう。奪った金は二度と使うな」
 澪が不服だと言わんばかりに言う。
「なんでよ。使わないと生きていけないじゃない。それに今はもう元々持ってた人のものじゃないし。金銭は回り回って行くんだよ」
「その中でもルール違反というものはある。安心しろ、リーダーのことだから、お前を生かすならばそれなりの待遇は保障される」
 その言葉に澪の表情は厳しいものに一変する。須田は当然の反応だと思った。こんなことを言われて正気な人なんていないだろう。
「え、何。あたし死ぬかもしれないの?」
「分からないがな。まあ、殺すのであれば、もう俺が貴様を手にかけている。安心していいと思う」
「良かった。あたしまだ死にたくないし」
 澪が安堵の吐息を漏らす。
 須田はこんな自己中心な少女に殺された先ほどの中年男性が可哀想に思えてくる。財布に札を入れていただけで殺害の対象になる。殺した少女は毛ほどの痛みも感じていない。そして少女は死体を放り出して、傲慢にも死にたくないと言う。須田は自分が大金を持ち歩いていたならば、今この場で殺されていたかもしれないとありもしないことを考えた。そして須田は、聞いてみたくなった。
「貴様は、自分が死にたくないから他人を殺す。そうだな?」
 澪は勿論と言わんばかりに頷く。
「では、向こうに着いたとき貴様が殺されると断定されたらどうする。無論、俺は貴様を逃がさないよう全身全霊をかけて捕縛するとする」
「その時は……どうしようかな」
 予想外に、澪は額に手を置いて考え込んだ。須田はてっきり即答すると思っていた。
「なんかね、ギキシはあたしと同じ臭いがするから殺したくないし、殺されたくない。共食いが嫌なように、そんな感じかな」
 須田は精悍な顔つきになる。今この少女が何を言ったのか理解出来なかった。誰と誰が同じで、どのように同じだというのだろうか。今まで須田は人を殺したことなど無いし、これからも殺さないだろう。それは、形式上の話ではあったが。
「俺は貴様とは大きく異なる。人をこの手にかけたことは確かにあるが、殺したことは無い」
「何それ。哲学?」
 澪が馬鹿にしたように言う。
「そうだな。その通りだ。なあ、貴様は人が殺され、殺す世界をどう思う」
「どう思うも何も、ここでしょ。東区は色んな殺人鬼が潜んでるって、昔親に聞いたことがあるし」
「違う、この質問は精神論的なものだ。要約して言ってやれば、貴様のいる現状に、貴様はどういう感想を抱いているのかということだ」
 澪は再び考え込んだ。その時、澪は無意識のうちに左頬の深い傷痕をなぞっていた。バーコードを読み込むように、傷痕から何かを読み取っているようにも見えた。濡れた髪の毛からぽたぽたと雫が落ちたが、もう濡れて不便に思うところは無い。
 須田は自分の問いが十七やそこらの少女に聞くものとしては、少し抽象的過ぎただろうかと言った後、後悔した。
 やっと澪は考えを纏めたのか、神妙な面持ちで考えを口にする。
「……別に、どうも思わないかな。なるべくしてこうなったって感じだし、今更罪悪感を感じろとか言われてもぱっと来ないしね」
 もうどうも思っていない。考えた末に出た結論がそれだった。須田は頭が痛くなった。それが救いようの無いもので、呆れたわけではない。あまりに想像通りだったからだ。
 少女は、罪悪感を感じていない。
 須田の歩幅が自然と大きくなった。早くリーダーの元へ行きたいという思いがあった。一時も早くこの少女から離れたかった。澪はあまりに須田と対照的過ぎたのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。早いって」
 澪がばしゃばしゃと音を立てて横に急ぎ足で並んでくる。
「な、何? あたしの答えが気に入らなかったからって怒ってるの?」
「……」
「何よ。ギキシって以外に短気だね。人の意見なんて千差万別でしょ? あたしにギキシの意見を押付けないでよ」
「……」
 言うことは的を射ている。しかし、須田は憤慨に身を任せているわけではないし、澪の言うことは間違っている。
 人の意見は千差万別だが、世界の真理はいつだって一つだと須田は信じている。須田は横でぐちぐちと言うことを絶やさない澪を早足で追い抜き、その正面に立った。澪は驚いて立ち止まれず、そのまま須田の胸の顔を埋めるようになる。
「いいか、良く聞け」
 その有無を言わせない迫力のある声に、澪は尻すぼみになる。
「貴様は罪を犯した。本来ならば、豚箱に叩き込まれ、一生臭い飯を食って生きていくことになっていたはずだ。だが、それを俺が阻止し、こうして安全な場所に連れて行ってやろうとしている。分かるな?」
「それは……まあ」
「忘れるな。貴様は死にながら生き続けている。今から行く場所は、そんな人間が集まる場所だ。だが、その中に一人として罪を背負わない奴はいない。そして貴様はその中に入っていく。これがどういうことか分かるか?」
「ど、どういうこと……?」
「誰かが殺し殺される世界に、罪悪感が、悲しみが無いのは幻想だ。それは痛みから逃げたい奴が作り出した幻想世界だ」
 澪は唖然としている。須田はそれでも良いと思う。リーダーはこのことを見越している。ならば、どうにかするつもりなのだろう。
 須田は身を翻し、呆然としている澪の肩を掴んで前を向かせた。一見して見分けが付かない瓦礫の中を須田は指差した。澪はそちらに誘導されるように足を進め、その姿を目にした。
 それは真四角の要塞だった。ビル街であった東区の中でも最も小さい建物であり、小さな床屋ほどの面積しか無さそうな外観を持つ。しかし、その軒先には不恰好な看板が掲げられていた。不良がスプレーで看板に色々なアートを連ねている中、一際目立つように真っ赤な文字が書かれていた。
「ここが、ベースだ」
 須田は後ろから澪の肩を叩いて言う。なんだか自慢できるようで、須田の声は楽しげだった。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう