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不定期更新です。
前作「セルフディストラクション」に引き続き、結構エグイ表現を使う予定なので、苦手な方はご遠慮ください。

罪人の涙
作:蜻蛉



1, 罪人(1)


 幾百の雨粒が須田儀軋すだぎきしの肩を打っていた。
 漆黒の外套を纏い、同じく黒一色の背広に赤いネクタイ。髪の毛は雨で濡れてだらしなく垂れ下がっている。ミラーサングラスを着用し、暗闇の中であえて更に暗い視界を進んでいる。
 辺りには闇が蔓延している。都会の煌びやかな蛍光類はここまで届いてこない。眼を凝らさなければ何も見えないほどだ。須田は先ほども歩行中に落ちていた廃材に足をぶつけていた。痛みなど毛ほどのものでもなかったが、そうして歩行を止められることには苛立たしそうに舌打ちを繰り返している。
 繁華街のすぐ横に入った裏路地に須田はいる。ゴミのため場のような場所で、立ち並ぶ飲食店が出した残飯の入ったディープブルーのポリバケツや、色彩を気遣う余地の無い灰色の壁が左右に挟み込むように並んでいる。ポリバケツには猫やカラスに荒らされぬように最近では錠前が設置された。人という生物に被害が出なくなった変わり、行き場の無い猫やカラスは大勢死んだだろう。奥に進んで行く途中、その手の死骸は何匹か見かけていた。須田はそれを厭わず哀れみもせず、アスファルトの一部として踏みつけてきた。
 さらに奥に進んで行く。換気扇や通気孔が壁一面に設置されている。生暖かく、時に火傷するほどの熱さが須田の顔面を遠慮なく襲う。生ゴミの腐臭やプラスイオンの塊で立ち込めた空気は呼吸するのに難しい。表情は変えず、坦々とした行動でハンカチで口を押さえる。
 曲がり角は多くない。入り組んだ路地裏は時に玄人でも迷うことがある。外の光の世界と比べ、こちらは出口の無い迷宮のようだ。人っ子一人は無論、『深淵』と呼ばれる場所までたどり着くと、迷い込んだ生物すら気配を見せない。強いてあるものを言えば、『生きているもの以外』ならば少なくは無い。
 鼻を劈く生ゴミの腐臭が一層強くなる。須田はうっ、とくぐもった声を上げる。換気扇や風の流れ、ビル間風の影響からここ周辺には異臭が流れ込んでくる。それも最も奥ともなると、空へ流れるのを待つしかないのが酷いところだ。
 須田は落ちていた廃材を蹴飛ばし、目の前の廃屋を見上げた。築何十年とかそういうレベルの建物ではない。傍から見ればガラクタで出来上がった創作物のように見えるほどに脆い外見をしている。階段に差し掛かったところで、足元が不安になる音を立てる。相撲取りが通ったら間違いなく壊れるだろうな、と須田は思う。
 ギシギシと音を立てる廊下を渡り、『203』と書かれたプレートの前に立つ。元はアパートだったのだろうが、いまや廃屋だ。誰が住もうが違法なだけで大家に金を渡す必要は無い。裏路地に廃屋があるというのもおかしな話だが、追いやられたものの末路がそこにはある。家にしろ、人にしろ。
 須田は何の躊躇も無く、ドアをノックした。不毛な行為とも思えた。相手に礼儀など尽くす必要もないし、もとよりこんな場所に人が住んでいるという観念の元行動していることすらおかしいのだ。
「おい、誰かいるんだろう。開けるぞ」
 そう須田が声を掛けると、中からかすかだが人の気配がした。ものの擦れ合う音もした。須田は有無を問わずにその扉を蹴り破る。何の抵抗力も無く、呆気なく扉は奥へと大量の埃を立てて倒れた。
「だ、誰か! 助けてくれぇ!」
 部屋の奥から男性の助けを求める声が聞こえる。どうやら危ういタイミングに出くわしたようだった。特に急ぎ足にもならず、須田は埃を被るのに気を取られもせず部屋に足を踏み入れた。
 部屋の奥の光景。それに須田は一瞬眼を疑った。
 女がいた。それもまだ義務教育すら完了していないくらいの若い女だ。証拠に服装は高校か中学のそれだ。薄汚れてしまっているが、紺色のスカートやブレザーは学校指定の制服と酷似している。袖には校章つきのボタンがついている。紛れも無く十代の女だ。
 そしてその下に組み伏せられている太った中年の男性。立派だっただろう背広姿は煤や埃で見る影も無い。ところどころ廃材に引っ掛けて破れてしまっている。男はなんとか、といった様子で女の腕を取り押さえていた。
 女の手には妖しくライトを反射しているナイフが一本。ここの台所にあったものであろうか、刃渡りは違法の十五センチを超えていない。果物ナイフの類だろう。だが、それでも一人の男を刺し殺すには十分な武器。逆手で男の顔面を突き刺そうと狙いを定めている。
「……あ」
 女が須田に気付いてか細い声を上げる。その視線を追うように男も須田のほうを見た。
「――おっ、おい! 助けてくれっ!」 
 男は須田に助けを求めようとナイフを握っていない方の手を離し、須田のほうに差し伸べる。だが、それが命取りとなる。
 女は自由になった片手で流麗とも取れるような動作で男のもう片方の手を弾き、ナイフを一瞬にして男の胸に突き立てる。室内には男の悲鳴が上がる。女は男は勿論のこと、須田すらも無視して一気にナイフを心臓に沈めた。須田もそれを演劇でも見るかのような目で見つめている。今更女を止め、警察を呼んだところで手遅れだろう。そう判断したのだ。
「……助けてあげないの?」
 女は疑惑の目を向けて言った。
「完全に心臓を貫いているだろう。手遅れだ」
「へぇ……でも、今すぐ救急車呼べば助かるかもしれないよ?」
「こんな暗がりの道に救急車など入れるものか。そんなに助けたいのなら自分で背負って行け。俺は知らん」
「なら放っておこ。どうせこんなところになんか誰も来ないだろうし」
 男は事切れていた。白目を剥いて口から血を流している。心臓部分からはまだ止め処なく血流がどくんどくんと脈打っている。女はナイフを引き抜き、ほとばしる鮮血に目もくれずナイフを制服の裾で丁寧に拭ってから台所に戻しに行った。
「おじさん何しにきたの? あたしを捕まえに来たならさっさとそうした方が良いよ。そろそろ逃げる予定だから」
 女が須田のほうを向いた。そこには少女の微笑があり、ステンレスのキッチンに腰掛ける女はやはりまだ子どものようだった。清閑な顔立ちだが、どこか幼げ残る童顔。みずみずしい若い頬の左側、そこに深い切り傷の跡が一つあった。それを隠すように左側の前髪だけが不器用に伸ばされている。今須田が見た行動とは裏腹に、そういう部分は年頃なりに気にするようだ。
 須田は女の外見から目を離し、制服の裾についた校章を見た。
「都内の……進学校に通っているのか?」
 女はその問いの意味が解せなかったらしく、眉を細めていぶかしげに須田を眺める。
「別に……おねえちゃんの部屋から奪ってきただけ。結構保温性あるしね、制服って」
「家出少女か?」
「そ。どうせ家にいたって迷惑かけるだけだし。で、どうでもいいけどおじさんは何をしにきたのって聞いてるんだけど」
「そんなことは貴様が良く分かっているだろう」
「……あたしを、捕まえに来たんだ?」
 女が悪戯に笑う。表情から垣間見て、この女は警察の存在を鬼ごっこの鬼とかと勘違いしているのではないかと須田は思う。
「ふうん。じゃああたしとおじさんは敵だね」
 つまらなそうに足をぶらぶらと揺らす。須田はそれをおもむろに眼で追いながら首を振る。
「そうでも、無いかもしれないぞ」
「ん? どういうこと?」
「単純なことだ。俺は貴様を警察に突き出すつもりもなければ、殺しに来たわけでもない」
「じゃあ何しに来たのさ」
「貴様に、同行を求めに来た」
「同行? どこに行くの?」
「それは貴様が同意したら教える」
 女は視線を左右に彷徨わせ、迷っている。そのうち、女は値踏みするような眼で須田を見て言った。
「おじさんは、良い人? 悪い人?」
「それは世間的に見てか、それとも俺自身が判断してか」
「もちろん、世間的に見て」
 須田は少しも考える間を取らずに答えた。
「ならば悪い人だ」
 女は満足げに頷くと、キッチンから飛び降り、須田の前まで歩いてくる。ニヤニヤと笑みを浮かべている様は、本当に子どものようだった。
「ならおじさんはあたしの味方だ。良いよ、ついて行ってあげる。で、どこに行くの?」
 須田は笑った。女があまりに好奇心に輝いた眼をしていたからだ。須田は一通りどこに行こうかと考えた後、こう言った。
「とりあえず血を流しに、風呂にでも行こうか」












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