■ 09 ■
五分の短い休憩のあと、加藤に代わって教壇にはリーダーと姫が立っていた。
「みんな、椅子だけ持ってもっと前へきて」夏木が手招く。
一分ほどかかって全員が適当な位置に陣取ると、九条がチョークで黒板に大きく『キャンプ・ミーティング』と書いた。結局、クラスの三分の二にあたる二十人が集まっていた。この中で、加藤が言うように「余裕」なのは旧帝大、早稲田、慶応といった難関校すべてが合格圏という噂の夏木と、受験勉強そのものに縁がなさそうな九条の主催者組くらいだろう。
その他大勢は、塾や家庭教師や両親といった物理的な障害と、自分自身という精神的な障害をどんどこ乗り越えて今日ここに集っている。心なしかみんなの目、特に男子の目には「なにがなんでもキャンプに行ってやる」という闘志が宿っている気がする。より正確を期すならば、「なにがなんでも姫とキャンプに行ってやる」となるところだ。
当のお姫さまは、普段と変わらないペースでどんどん黒板に文字を埋めてゆく。チョークをもつ指と白い手首に視線があつまる。その手が止まるまで、みんなは静かに大人しく待っていた。五、六分を要して黒板に既決事項、未決事項、仮の予定を書ききり、姫はコトリとチョークを置くと、ハンカチで白くなった指先をぬぐった。
「ありがとう、璃桜」
それまでいくつかメモをとっていた夏木が顔をあげ、九条を労った。それに豪奢な笑みが返されて、目撃した連中から男女を問わず、思わずといったため息がもれた。
「それじゃあ、始めようか」
リーダーの声に、ぼうっと姫を眺めていた男子も居住まいを正した。夏木は自らも椅子を引き寄せて座ると、一度クラスをざっと眺め渡した。
「まずは、集まってくれてありがとう。今日初めて補強に来た人たち、ようこそ。常連のみんな、今日もおつかれさま。緊急連絡網で伝えたとおり、来週末にクラスキャンプを計画しています。三年のこの時期にキャンプなんて狂気の沙汰だと思われているかもしれないけど、否定はしない。わたしたちはこれから夏休みの貴重な二日間をつぶして、湖畔のペンションにこもって、好き勝手なことをする。でもそのためには、成績を落とすわけにはいかないし、ご両親を説得してもらわくちゃいけないし、なにより自分が後悔しないようにしなくちゃいけない。勉強は今まで以上に手をぬけないよ。もちろんキャンプへの参加は強制じゃない。今の話を聞いて気が変わった人がいたら、このまま帰ってくれてかまわない」
ここまで一気にしゃべって、夏木は数拍の間を置いた。辞退者はゼロ。どうやらこのメンバーは全員参加らしい。どんな形であれ、男子の九割は姫とのお泊りに高校生活を捧げているから戦わずして戦線離脱などありえないし、両親の説得に失敗した成績不振者や家族旅行でキャンプに参加できないやつらは今頃涙をのんでいるだろう。ちなみに、三年の夏がまだ終わっていないというツワモノもごくごく少数ながら存在する。
また、他方の女子はというと。
「ぜったい行く。夏木くんとキャンプ行くもん!」
「わたしだって行くよ。勉強もがんばるし、誰にも文句なんて言わせない。せっかくリーダーが計画してくれたんだから、絶対楽しいよ」
「彼氏の誕生日だけど、誕生日は来年もある。でもリーダーやみんなとのキャンプは今回が最後! 比べるまでもないよ、そんなの」
つぎつぎに、わたしも、わたしも、と声があがる。軽んじられている彼氏さんの立場がまったくない。思わず、比べてやれよと内心つっこむ僕である。
「わたしも楽しみにしてる」
そう言ったリーダーは、普段大人の前では見せないような、いたずらっぽくて心底愉快そうな笑顔だった。その余裕の受け答えはときどき男達を戦々恐々とさせる。きっと今、クラスの半分は夏木が男でなくてよかったと胸をなでおろしているはずだ。
「とりあえず名前と人数の確認がしたいから、今から回す紙に自分の名前とメールアドレスを書いてほしい。簡単に既決の事柄から確認していこうか」
僕は黒板の文字を見た。横書きの日本語は硬筆の手本のようだ。いつ見ても、姫の字は溜息が出るほど流麗。
三つある大分類のうち、『既決事項』と書かれた下には、キャンプの日取り、場所、集合時間、現地へのアクセス方法といったベーシックなアイテムが並ぶ。
「キャンプは来週の土日を使って一泊二日。泊まる場所は、九条璃桜さんの叔父上が管理していらっしゃるペンション。来週末は特別に貸切にしてもらえるそうだ。現地集合で集合時間は十時。詳しい場所は地図をメールに添付しておくけど、車が必要な場合は相談して欲しい。キャンプ場の近くにはちょっとした湖と綺麗な川が流れていて、去年お邪魔したときは、七月だったけど川辺で蛍が見られたな。ペンションはすごく快適で、いただいた食事も美味しかった。今回は一日目の夕食と二日目の朝食を用意してもらえる。部屋は全室シャワーとユニットバス完備だけど、それとは別に大きな露天の温泉もあるよ。まずはここまでいいかな」
温泉というキーワードに「おお」と声が上がった。
「女って温泉好きだよな。混浴だったら俺も好きだけど」
幸村が耳元でぼそぼそと囁いた。
「三鷹に言ってやろ」
「え、ちょ、まじやめて」
前を向いたまま冗談で言ったら本気で焦っていたので、尻にしかれてんな、と可笑しくなった。
「昼飯は?」
発言したのは、自他共に認める姫ファンの横田か。リーダーが一足早く姫と一つ屋根の下の夏休みを過ごしたと聞いて、心中穏やかではなさそうだ。
「うん、考えたんだけどね。せっかくみんなでキャンプに行くんだから、自炊も醍醐味かなと思うんだ。もちろん、三食はきついし、せっかくペンションでも食事を用意して下さるから、昼食だけ作るのはどうだろう? ちなみにこれは既決事項じゃなくて、提案だけどね」
夏木は黒板を振り返り、『仮の予定』を親指でさしながら説明する。夏木の提案に女子の全員が賛成し、料理の腕に多少なりとも覚えのある男は、ここがポイントの稼ぎどころだと判断して膠着した戦況の打破を狙う。この時点で自炊派の勝利が確定し、僕をはじめとするペンションのお昼ごはん派の希望は切なくついえた。民主的な多数決とは、マイノリティの意見が一顧だにされないシステムだということに思いを馳せてみたりみなかったり。
結局、メニューは満場一致でカレーに決まった。
「ここでもう一つ提案があるんだ。キャンプして普通にカレーをつくるのもいいけど、せっかくだからゲームをしないか。簡単なイニシアチブ・ゲームを」
す、と夏木は黒板の文字に意味深な視線を投げる。クラス中の視線がつられてそちらへ動いた。こういうパフォーマンスがずば抜けて上手いのも夏木の強みだ。
イニシアチブ・ゲーム。
初めて耳にするカテゴリのゲームだった。それはほかのクラスメイトも同じらしく、みんな夏木の説明に耳をすませる。
「シミュレーション・RPGの野外ゲーム版、とでも言ったらいいのかな。五人一組のグループ単位で役割分担を決めてカレーをつくる。火をおこすところからスタートして、ゴールは食事の後始末まで。調理器具はペンションのものを借りられるし、材料は必要なものと分量を伝えれば、これも用意してもらえる。そうだよね?」
最後は姫への確認だった。姫はかるくうなずいて肯定した。
「ここまでは、キャンプに行って普通にカレーをつくる場合と変わらない。違うのは役割分担。このイニシアチブ・ゲームで用意されている役割は三つ。シェフが二人、ネゴシエーターが二人、それからリーダーが一人だ。五人一組でグループをつくった後は、それぞれが自分の役割を演じながら料理を完成させる。一人につき一役。今日集まったのはたまたま二十人ぴったりだけど、当日の参加者の総数が五で割り切れなかったら、六人のグループになる。もちろん、その場合はハンデがつくけどね」
リーダーがしゃべっている間に、姫が黒板に、
・シェフ(2)
・ネゴシエーター(2)
・リーダー(1)
と書いた。
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