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  KOOL 作者:宮森
■ 02 ■


 終業式は三十度を越える真夏日だった。しかしどれだけ蒸し暑かろうと、しがない公立高校に空調なんて贅沢品は望むべくもない。開け放った扉からかすかに吹き込む風だけを頼りに、ゆるめたネクタイの隙間から手扇で風を送り込むくらいが関の山だ。即席大型サウナと化した体育館の床に、全校生徒千余名の汗がしたたる。
 苦行に近い二時間が過ぎた頃、ようやく校長が禿頭を下げて正面の壇上を降りた。時折耳にする『一丸となって』という言葉があるが、今こそ生徒一丸となって生活指導教官が発する『以上をもちまして、終業式を終わります』というシメを待っている状況と言えよう。もうここまできたら、いっそ俺が言ってやる、と熱気にゆだった脳みそは支離滅裂な思考を始める。本当にそろそろ終わってくれないとあぶないな、と他人事のようにほんのり思った。
 夏休みを目前にオアズケをくらった高校生たちの我慢が限界を超える寸前で終業式は終わり、あとには汗だくながらも晴れ晴れとした笑顔が残った。浮き立つ心のままに夏休みの予定や別れの挨拶が交わされ、高揚が暑さをつかのま忘れさせてくれる。白い入道雲と青い夏空のコントラストが美しい。
奈瀬なせー」
 開放感にひたっていると、同じクラスの幸村圭次ゆきむらけいじに声をかけられた。同じクラスになったのは三年になった今年が初めてだが、ある出来事を境に意気投合してしまい、最近では何だかんだで一緒に居ることが多い。
「奈瀬、加藤が探してたぜ。職員室に顔だせってさ。何かした?」
「ん、たぶん進路だろ。この前白紙で提出したから」
「えええ、ナンでまた」 
 小柄な幸村は、ちらっと上目遣いに僕を見上げた。
「……べつに。浮かばなかったから書かなかった」
「ンなのテキトーに書いときゃいいのに。お前ってヘンなとこで真面目だもんなあ」
「一つくらいないの、って聞かれたよ。これって複数あるのが普通なの?」
「あんまし深く考えてねーんじゃねぇかな、みんな。それよりさ、午後から空いてる? またちょっと付き合って欲しい所があるんだけどなあ」
「やっぱりあのテの店?」
 聞くと、幸村は「新しいトコ見つけたんだ」とニシシと笑った。「俺、飯食って着替えてから行くからさ。二時間後でいい? 駅前で待ち合わせ」
「いいけど。俺、普段着だからね」
「あ、奈瀬はそのまんまでジューブン。じゃ、あとでな」
 何が十分なんだ、と思ったけれど追求する代わりに軽く手をあげて見送った。元陸上部の幸村はアスファルトの照り返しをものともせずに、さっさと走って行ってしまった。
 僕は、職員室に顔を出そうか一瞬だけ迷い、そのまま帰ることにした。まだ当分、白紙が続くだろうなという確信に似た予感。
 これがもしかして、自嘲とか無常とか云うモノだろうか。
「なんだか新鮮だな」

 家に帰り着くと叔父がいた。正確に言うなら、玄関先で不審者まがいにうろうろしている男がそうだった。
 一瞬声をかけるのをためらったほど見事な紅薔薇の花束をかかえた叔父は、主観的には笑えたけれど客観的には非常にさまになっていた。この男は普段の格好があまりにもだらしないせいか、たまにまともな服装をすると必要以上に絵になる。きちんとしたシャツを着込み、髪を整えて立っていると平凡な住宅地では浮いてしまうのだ。さらに今日は、真っ赤な薔薇がそこにトドメを刺している。格好いいのは結構なことだが、放っておくとご近所の噂になりそうだ。こういう場合はさっさと声をかけて、家の中に隔離してしまうに限る。
「上がらないの?」
「一貴!」
 声をかけると、助かった、と言わんばかりにシドはほっとした顔になった。
「母さんいないの? ん、いるじゃん」
 玄関の鍵はかかっていなかった。ドアノブをまわしながら、我ながら意地の悪い声が出た。
「入る? それとも帰る?」
「入る」
 僕は笑いをかみ殺しながら玄関を開けて叔父を通した。三十路をとおに越した男が、中学生みたいに浮き足立っているのはなんとも奇妙だ。間違っても可愛げがある、なんて呼べない男だけど、さすがに笑っちゃまずいだろう。良心に従い本音はそっと胸の中に仕舞いこみ、僕はひとりで自室へ向かった。着替えを片手に風呂場にいく途中リビングを横切れば、今度はお見合いめかしく緊張した面持ちで十花の前に座るシドが見えた。
 おおかた、写真のモデルを頼みに来たのだろう。半分血のつながった姉を女神のごとく崇拝する弟は、五十本以上はありそうな薔薇の花束を手渡していた。その顔が安堵と歓喜に笑み崩れるのを見届けて、僕はシャワーを浴びることにした。
 さっぱりしたところでTシャツとジーンズに着替え、スポーツドリンクをあおって一息ついた。ふたりがいるリビングは冷房が入っているため閉め切られている。耳をすませると話し声がしたが、内容までは聞き取れない。気にしないことにして、昼飯を済ませることにしよう。冷蔵庫を物色するとサラダと枝豆のスープがあったので、あとは適当にトーストでも焼けばいいか。邪魔するほど無粋じゃないぞ、とつぶやいてキッチンでそのまま食べることにした。
 食べ終えた食器を洗っているといい時間になったので、財布だけを尻のポケットに突っ込んで家をでた。駅までは自転車でせいぜい十分という距離だ。外は雲ひとつない快晴で、きつい日差しが容赦なく降り注いでいた。僕は影になる場所を選びながらのんびりと自転車をこいだ。
 どうしてそんなにお母さんがスキなの?
 と、昔聞いたことがある。多分、出会って間もないころだ。叔父のストレートな愛情表現は、当時小学生だった僕には信じられないことばかりだった。厭わしいというよりは恥ずかしい、という気持ちが強かったように思う。たとえば僕に好きな女の子がいたとして、その女の子に対して叔父のようなアプローチが出来るかといえば、とんでもない。考えたこともない、同じことをするくらいなら屋上から飛び降りるほうがましだ、くらいには思っていた。早い話、まだまだ、好きな相手にはやさしくするより意地悪したい年頃だったということだ。だから、叔父の存在はある意味僕にとっては脅威であり、同時に理解できないながらも無視もできないという、ひどく中途半端なものだった。
 どうしてそんなに、と聞いた僕はちょうど反抗期で、馬鹿にしたような口調の裏で子供らしい独占欲がはたらいていた。
 お前もいつかわかるさ、と。
 叔父はにやっと笑って言った。そのいつかがいつなのかはわからなかったし、今もわからないけれど、大人になるのも悪くないかもしれないな、と思わせてくれたことは確かだった。
 ぼんやりとした、頼りがいのない期待感。
 あるいは、期待なんてみんな、そんなものなのかもしれないけれど。
 そんなことを思い出しているうちに駅に着いた。駐輪場で自転車に鍵をかけていると、仕掛け時計のオルゴールが聴こえてきた。駅の時計は一時間ごとにイッツ・ア・スモールワールドのオルゴール・アレンジが鳴り響く仕様なのだ。設計者が悪いのかよほど税金が余っているのか知らないが、ものすごく趣味が悪いと思うのは僕だけだろうか。
 それはそれとして、駅で待ち合わせ、といったら仕掛け時計の下で落ち合う、というローカルルールがある。ぴったり約束の時間に到着してセオリー通りに時計の周辺を見渡すと、その一角に遠巻きの人だかりができていた。
「奈瀬くん」
 人だかりの中心になっていた人物がこちらにむかって手を振った。「こっちこっち」
 呼ばれて無視するわけにもいかず、僕もちょっと手を上げて合図した。「おまたせ」
 野次馬の好奇心と羨望と嫉妬の眼差しがちくちく刺さる。値踏みされているようで、あまりいい気はしない。なんだ彼氏待ちかよ、というぼやきが聴こえて今度は吹き出しそうになった。世の中、知らないほうがいいこともある。
「どう?」当の本人は全く意に介した様子もなく、黒いスカートの端をすこし持ち上げてみせた。絵本かディスニー映画でしか見たことがない仕草だ。
「暑くないの?」僕は一番気になっていたことを聞いた。
「もっと他に言うことは」
「目立つね?」
「もっと、他に、ないのか」
 服を替えると中身まで変わるのだろうか。作った可愛らしい声のまま、友人は凄んだ。僕はあらためて幸村圭次の格好を観察した。
 足元は編み上げのショートブーツ。スカートは膝丈で、ベルトマークしたウエストからふんわりとふくらんでいる。その形から察するに、スカートの下には半球形を維持するためのアーマチャーが必要だろう。パフスリーブの袖にもスカートの裾にも黒いレースがあしらわれていて、襟元には薄紫色のリボンがタイの代わりに結ばれていた。
「そのカツラじゃコスプレにしか見えないと思うけど」
「ウィッグ!」すぐさま鋭い訂正が飛んだ。
 幸村は今、銀髪にピンクのメッシュが入った、ロリポップキャンディみたいなウィッグをかぶっている。おまけに首元とおそろいのリボンで髪を左右の耳の上、高い位置で結んでいる。ちょっと正気では考え付かない斬新な髪型だ。
「ありがたいツインテールだぜ。マニア垂涎のアイテムじゃねぇか。ロマンがわかってないなぁ、ロマンが。だいたい、お前がこの前のドレスは好みじゃないなんて言うから、わざわざシックめのエレガントな黒で統一してやったんだぞ」
「戻ってるよ、口調」
 幸村ははっとして口元を押さえ、それからもう一度表情をつくった。その顔にも丁寧に薄化粧がほどこされ、睫毛にはマスカラ、唇にはグロスが塗られている。
「行きましょ、奈瀬くん。買い物に付き合ってくれる約束でしょ」
 よくやるなあ、というのが本音だったけど、こちらに向けられた流し目はなかなか本格的で、妖艶だった。
 幸村は黒いレースの日傘をさした。僕はキャップを目深にかぶって歩き出した。街路樹のそばを通ると、蝉の鳴き声がした。
 相変わらず、すれ違う人には振り返られ、通行人からはちらちらと見られている。なかには、携帯電話のレンズを向けてくるような大胆なやつもいたし、一度はいかにも怪しそうなプロダクションから声をかけられたりもした。
「わりと大手ね、今の」
 幸村は強引に渡された名刺をゴミ箱に破り捨てながら言った。ゴスロリやコスプレの雑誌を何冊か出している出版社なのだそうだ。スカウトはまったくちぐはぐな格好をした幸村と僕を見て、少しまごつきながら友人に名刺を渡して口説き、ご丁寧なことに僕にも違う名刺をさしだした。幸村が取り付く島もない態度だったので早々に解放されたが、僕は白紙のままの進路希望を思い出してしまい、なんとなく苦い気持ちになった。
「でも本当に目立つね、その格好」話題を変えてみる。
「目立っているのは奈瀬くんもだよ」くすっと笑われた。
「そりゃあ、今の幸村と一緒ならね」
「ちがうよ、鈍いなぁ。奈瀬くん、自分のことにあんまり興味ないでしょう。別に頭悪いわけでもないのに、どうしてそういうこと言うかな。それとも嫌味か? 進路にしたって、お前なら選択肢なんて山ほどあるだろうが。真面目なのかこだわりなのか知らねえけど、どうでもいいとか、そういうのだけはやめろよな」
 僕はすこし驚いた。幸村にしては珍しく、はっきりと棘のある言い方だった。彼は口にしてから、しまったというように舌打ちしてそっぽを向いた。普段の彼はそういう突っ込んだことを言わない男だ。ただでさえ格好が格好な上に、らしくない物言いをされて、僕は返答に詰まった。
「ごめん、今のは俺が悪い」いつもの癖で髪に手をやろうとした幸村は、ウィッグに気づいて中途半端に上がった手を所在なげにおろした。
「別にどうでもいいと思ってるわけじゃないけど……、幸村は卒業したらどうするの?」
「俺は工学部に入ってエンジニアになる」
 即答して幸村はすこし照れくさそうに笑った。
 まだ見慣れない、見慣れた友人の顔を見て、僕はほっと詰めていた息をはきだした。
 ――が、長い睫毛とうるんだ唇のままで「そろそろ着くぜ」と男言葉を使う様子はどうにも倒錯的で落ち着かない。そういう趣味はないつもりだったんだけど。
 目のやり場に困って視線をあげると店の看板が見つかった。ゴシック・ロリータとパンクファッションが専門のセレクト・ショップのようだ。ここにたどり着く前に何人かのそれらしい通行人とすれ違っていたので、頭の中である程度内部の予測をたてる。
 手動の重いドアを開けるとその先は別世界だった。空気の中に目に見えない濃密な何かが漂っているような。まずひとりきりなら入ろうと思う類の店ではない。
 僕はおとなしく幸村を先に店内に通し、その後につづいた。店内は黒と紫を基調にまとめられていた。それほど広くもないスペースにごちゃごちゃと品物が詰め込まれている。そういうアレンジなのだろう。冷房が入っているのはありがたい。店で売られているものが、黒い服やフリルやスカルマークや深紅の薔薇や十字架や蜘蛛のモチーフやその他もろもろのオカルトチックなアイテムなどではなく、犬猫であればもっとありがたいのに、と思わないでもなかったけれど。
 訪れる客は、幸村に近いスタイリングが大半を占めていた。これは男性がスカートをはいているという意味ではなくて、女の子が幸村と同じカテゴリのファッションに身を包んでいるという意味だ。
 中にはもちろん男性もいた。しかし、彼らはスカートを穿いているわけではなく、レザーやスタッズといったパンクっぽい格好が多い。やはりここでも幸村のスタイルはマイナなんだな、と認識する。ただし、彼は一見しただけでは少女、しかもかなりの美少女にしか見えないので、本当にマイナなのは僕の方かもしれない。
「ねえねえ奈瀬くん。これ、似合うかな」
 幸村が僕のTシャツの裾を軽くひっぱって声をかける。彼の手にあるワンピースは、僕の目には明らかに装飾過多に見えるのだけれど、なんとなくそれをストレートに伝えるとまずいことになる、程度の予測はついた。前回、初めてこの手の店を一緒に訪れ、同種の質問をされて思ったままを口にしたらしばらく口をきいてくれなくなったからだ。同じ轍は踏むまい、と自分に言い聞かせる。
 ワンピースは蝶の模様が入った黒のレース。ちょうど今彼が着ているものと同じくらいの丈だ。
「かわいいんじゃない? でも今の幸村ならもっとシンプルな服も似合うと思うけど。せっかく綺麗なんだから」
 言葉を選びながら、本音もミックスさせつつ、いつもの格好のほうが好きだと主張してみる。と、幸村は片手を口にあてて、もとから丸い目をさらにまんまるにしてみせた。目がでかい。
「奈瀬くんが女子に人気ある理由、わかった気がするわぁ」
「なにそれ」
「そのギャップ! やっぱりこう、きゅんとくるのはそういう温度差なのよねえ。その顔でそういうこと言っちゃうんだ、みたいな。罪作りだなあ、うんうん。でもたしかにこのワンピだと甘くなりすぎちゃうかも。返してくるね」
 幸村はひとりで何かに納得していたが、戻ってきてからもまだにやにや笑いを浮かべていた。チェシャ猫みたいだ。ちょうどヘアカラーもお揃いだし。
「奈瀬くん、それわたしに言う分にはいいけど女子に言ったら誤解されるぞぅ。男のわたしでもテンション上がったからね」
 何のキャラだよ、と突っ込みたくなったが幸村を喜ばせるだけの結果に終わりそうなので僕は大人しく黙った。本人も言うとおり、今日の友人はいつも以上にハイテンションだ。幸村の言葉に、そばにいた男性客がぎょっとして彼を振り返った。もちろん、そんなことを気にする幸村ではない。
「ねえねえ、他人の目から見たらどんなカップルに見えてるんだろうね。奈瀬くんなんて、彼女の趣味につきあっているやさしい彼氏だよ、絶対」
 幸村は完全に笑っている。今度は口元に手をあててニシシとわらう犬のキャラクタが浮かんだ。
 僕はしばらく考えてから「カップルに見えないんじゃないかな」と正直に答えておいた。



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