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よもぎが露 ~小説 更級日記~(原文・意訳付き) 作者:貫雪
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富士川伝説

『富士川といふは、富士の山より落ちたり水なり。その国の人の出でて語るやう、

一年ひととせごろ、物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつらに休みつつ見れば、川上の方より黄なる物流れ来て、物につきてとどまりたるを見れば、反故ほくなり。取り上げて見れば、黄なる紙に、して濃くうるわしく書かれたり。あやしくて見れば、来年なるべき国どもを、除目じもくのごとみな書きて、この国来年空くべきにも、かみなして、また添へて二人をなしたり。』

(富士川と言う川は、富士の山より流れ落ちた水で出来た川だ。その国の人が出て来て語るには、

「去年のこと、ものの用事で出かけました折に、大変に暑かったので、この川の水面を見ながら休んでおりました所、川上の方より黄色いものが流れて来て、何かに引っかかってとどまっているのを良く見ると、それは反故ほご紙(書き損ねの紙)でした。川から取り上げてみると、黄色い紙に濃い赤色で美しく文字が書かれています。不思議に思いながら見ると、来年の国司のことなどがまるで除目じもくのようにすべて書かれていて、この国の国司の席も来年には空いて、守となる者が決められると書かれており、また、添え書きとして二人の人が任命されると書かれておりました。)


  ****

 私達はまたもや川に差し掛かった。今度の川は「富士川」と言う川だそうだ。この川はあの美しい富士の山から流れ落ちた水が集まってできた川なのだと言う。この辺りでは富士の山は大変霊験あらたかな御霊峰で、この川も普通の川ではないのだとこの国の人が言って来た。

「どんなに美しい山と川であろうと、山は山、川は川だ」

 いつも温厚で人当たりのいい父が意外にもそっけなくあしらおうとするのが不思議だったが、その人はそんな父のことなど意に反さない様子で私達の方に話しかけて来る。

「ま、ま、そう言わずにお聞きくださいよ。ここの川は本当に特別で、世にも不思議な事が起ったんです。それも遠い昔の話じゃない。つい最近のことなんですから」

 その人はそう、にこやかに言う。父はあまり乗り気ではなさそうだけれども荷物や人々が川を渡るのに待つ時間を退屈に持て余していた私達は、その話にとても興味を覚えてしまう。「ままの長者」の話も「竹芝寺」の伝説も、ずうっと昔の話だったのに、この川の話は最近のことだと言う。そう言う話は初めてなのだからぜひ聞いてみたくなってしまうのだ。私や姉が「聞きたい」とせがむと父は黙りこんでしまい、その人は得意そうに話を始めた。

「これは去年の話でございます。私は少々用事がありまして国の外に出かけなければならず、この川を渡ろうとここに来た時に大変暑い日でもあったので、川の水面を眺めながら一休みしていたのでございます。

 すると川上の方から何かが流れて来るのが見えました。なんだろうと眺めているとそれは川岸の石か草にでも引っ掛かって、そこにとどまっております。気になって近寄って見ると黄色い紙がそこにありました。どうやら何か書きそこなって、捨て置かれた物が川に流されてきた物のようです。手が届く場所だったので何気なく拾って見ると、黄色い紙にとても美しい文字が紅い丹ではっきりと書かれています」

 するとこけらがおかしそうに、

「それはおかしな話だ。川の中を流れていた紙であればそこに書かれている文字は水ににじんでしまっているはず。美しくはっきりしているはずがない」と言う。

「それそれ、その通りなのでございます。水の中を流れたにもかかわらず、滲みもせずに書かれたその文章をとても不思議に思いながら私はそれを読んでみました。するとそこには来年の国司のことなどがまるで除目じもくを記した正式な書面のように、整然と書き連ねられていたのでございます」

 こけらの言葉にその人はかえって夢中になって話を続け、こけらと父は困ったような顔をする。

「しかもそこにはこの国は来年国司の席が空くので新たな国司が任命されると書かれています。しかも添え書きとして二人の国司の名前が書かれていたのです」

「あら、それはいくらなんでも変だわ。国司は一つの国に一人しかなれないもの。一つの国に二人も国司がいるなんて聞いたことがないわ」

 本当の話ではなかったのかと、私も少し興ざめな思いでその人に聞き返した。すると姉が、

「いいじゃないの。ただのお話なのだから」

 と言い、継母も「そうね」と言って笑っている。父とこけらは「やれやれ」とでも言いたそうな顔で諦めたように顔を見合わせた。

「そう慌てないでください。この話は続きがあるんです」

 話している男はとても自慢げに楽しそうにしている。


  ****

『あやし、あさましと思ひて、取り上げて、して、をさめたりしを、かへる年の司召つかさめしに、この文に書かれたりし、一つ違はず、この国の守とありしままなるを、三月みつきのうちに亡くなりて、またなりかはりたるも、このかたはらに書きつけられたりし人なり。かかることなむありし。来年の司召などは、今年、この山に、そこばくの神々集りてないたまふなりけりと見たまへし。めづらかなることにさぶらふ」と語る』

(不思議な、おかしなこともあるものと思って、その紙を取り上げて、干して乾かし、しまっておいたのですが、次の年の除目には、この文に書かれていた事がなに一つ違うことなく一致して、この国の守になると書かれていた人が任命させました。しかも、それから三カ月たたずに国司が亡くなりまして、変わって国司となられた方も、その傍らに書かれた名前の人だったのです。そんな奇妙な事もあるものです。来年の司召などは、今年、この山に、多くの神々が集まってお決めになっている事でしょう。珍しい事もあるものです」と言った)


  ****

「私も不思議だ、変な事もあるものだと思いながらも、その不思議な紙を放っておく事も出来なくて、その紙を干して乾かし、そのまま持ち帰ってしまっておいたのです。そしてどうなる事かと思っていたら、なんと、次の年の除目に、あの紙に書かれていた事が一つとして違うことなく、本当になったではありませんか! いや、驚いたのなんのって」

 その人は少し大袈裟なくらいの身ぶりで胸を手で押さえ、目を丸くしてそう言った。

「一つとしてって。二人の国司の名前はどうなったの?」

 その人の話ぶりの巧さに、私もついつい聞き返してしまう。

「それなんでございますよ。私が本当に驚き、不思議に思ったのは。新しい国司がこの国に就任して三カ月もたたないうちに、その国司は突然亡くなってしまったんです」

「え?」これには私だけでなく、聞いていた皆が驚いてしまった。

「お気の毒な……。その国司はどうして亡くなられたのかしら?」

 姉がそう聞くとその人は、

「突然のご病気だったそうです。下向なさる前から風邪気味ではあったそうなのですがこちらに来てからも体調がすぐれなくて、それでも赴任したばかりなのだからとご無理をなさったようです。旅の疲れに御病気が重なったんでしょう。倒れられると間もなくお亡くなりになったそうです」

「人の命とは、はかないものなのね」姉が感慨深くそう言うにもかかわらずその人は、

「しかもその人に変わって国司になられた人は、やはりその紙に亡くなった方の隣に名前が書かれた人だったのです。まったく奇妙な事もあるものです。この富士の山は神々が集まる特別な山ですから、きっと来年の司召のことなども神々が集まってお決めになることと思いますよ。いやいや、珍しい事もあるものでしょう?」

 と、なんだか自慢そうに富士の山を指差しながらそう言った。

「本気で聞く話ではないな。除目は殿上の方々が熟慮したうえでみかどがもったいなくもありがたくみことのりを発せられて任ぜられるものだ。いくら富士の山が珍しい山だからと言って、帝がお決めになることを勝手に知ったり、人に知らせたりするはずがない」

 珍しく父は不機嫌さを隠しもせずにそう言った。

「本当にそうでございましょうか? 今や都は帝ではなく道長様の世のようになっているとお聞きしておりますが。道長様は美しい物への感銘が深いお方。絶世の美女と言う富士の祭神『コノハナサクヤビメ』に愛されているかもしれません。この神やほかの神々が道長様を認められてそのお力を道長様にお示しになったのではありませんか? 何しろ今年最初に国司になられた方は道長様とは距離を置かれていて、変わって国司になられた方は道長様の影さえ慕うほどの……」

「そのほう、おしゃべりが過ぎるぞ!」

 業を煮やしたかのようにこけらが大声で話を遮った。しかし話し手はむっとした表情を隠しもせずに

「……申し訳ございません。しかし小耳にはさんだ所、この殿のお連れになっている夫人はあの『高階』のご出身とか。そのような神に身を慎まなくてはならぬ一族の方を、この地にお連れになっていただきたくはありませんでしたな」と、どこか吐き捨てるように言った。

 すると継母の顔色が変わり、父は顔を真っ赤にして怒りながら、

「その者をここから下がらせろ!」と怒鳴った。

 そして父は継母のそばに駆け寄ると、

「気にする事は無い。この辺りの者は都の帝よりも富士の『コノハナサクヤヒメ』をあがめている者も多いのだ。天孫降臨てんそんこうりんした神と契った美神を祭っている事が何より誇らしいのだろう。今の話も十分不遜な話だ。除目の決定は無論のこと、八百万やおろずの神々が集まり物事を決めるのはこの国ではただ一つ、出雲の国だけであろう。定子様を退かれたのは道長殿の政治的な駆け引きにすぎない。あなたの家柄は文学に長けた立派な家柄だ。下賤げせんな者の言葉に心を痛めてはいけないのだ」

 そう言って継母に寄り添っている。継母は顔を青ざめてはいたが、

「ええ、ええ、分かっております。気になどしておりませんわ」

 と、父に穏やかな笑顔を向けた。そして富士の山を仰ぎ見ると、

「御覧になって。富士は美しい、すがすがしい山ですわ。こんな神々しい山が狭い了見でわたくしの家を見下すようなはずがないではありませんか。定子様はたまたま道長様とめぐりあわせが悪かっただけのこと。行成様も定子様のお産みになった親王の家司を最後まで勤めて下さいましたし。私は自分の家柄を誇りに思っておりますわ」

 と言ってすっと胸を張った。

「それでこそあなただ。あなたなら都人の世迷い事など一蹴する事が出来るでしょう。都に着いてもその明るさを忘れてはいけませんよ」

 父もそう言ってほほ笑む。

 私にとって都はとてもはなばなしく素敵な所で、都に行けば良いことばかりが待っているように思われていた。だが継母や父にとってはそうとは言えないのかもしれないと、私はその時初めて思った。

 継母の家柄はそんな風に人々からうとまれる家だったのだろうか?

「神に身を慎まなくてはならない一族」とはどういう事なのだろう?

 詳しく聞きたいとは思う。けれどそれを聞くには継母の様子はあまりに痛々しげで、父の表情も苦しげだった。仕方がないので私はこけらにたずねてみた。

「定子様ってどなた? 神に身を慎むってどういう事?」

 するとこけらは困った顔をして、

「定子様とは中の君がお生まれになられる前に中宮でいらした方です。定子様は殿の奥様と同じ高階家のご出身なのですが、高階家はあの『伊勢物語』に出て来る斎宮になられた、文徳もんとく天皇のご皇女を先祖に持っているのです」と言う。

「伊勢物語の斎宮様? あの鷹狩りで業平なりひらと禁を犯して逢瀬をしたと言う?」

『伊勢物語』ではその斎宮様は神に仕える清い身にもかかわらず恋しい業平と逢瀬をしてしまい、業平は血の涙を流して去って行ったという。
 私は驚いた。伊勢物語は継母から良く聞かせてもらった雅やかな話。それに継母の家が関わっていたなんて。

「でもそれは誤解らしいのです。あれはあくまでも物語。朝廷でその話を本気で信じている者などほとんどいないでしょう。しかし世の中では本当のことになってしまっている。だから高階の家は神に慎まなくてはならない家と今でも言われてしまうのです」

「それでも定子様は中宮になられたの?」

「そうです。しかし定子様の兄上が罪に当たられ、定子様は一度御出家されたのを帝に呼び戻されていました。そこに道長様は定子様を退けられてご自分の娘の彰子様を中宮になさったのです。その後定子様の生んだ親王様と彰子様の生んだ親王様とで東宮とうぐう(皇太子)の地位が争われた時に高階出身の定子様の子は帝には相応しくないと……。それで古い誤解にもかかわらず高階の家のことをあれこれ言う者も出て来たのでしょう」

「そんなに高階の家柄って、嫌われているの?」私は継母が心配になった。

「そんな事はありません。誤解している人もいますが行成ゆきなり様のように定子様のお産みになられた親王さまを亡くなられるまでお世話したような人もいます。斎宮の話は古い言い伝えを本気で信じてしまうような人が、勝手に持ち出すだけのことでしょう。才能ある家柄へのやっかみです。奥様は素晴らしい方で若い時から宮中で宮仕えもなさっておられるではありませんか」

 こけらがそう言って笑うと私もなんだか安心できた。こけらは実直な人だからこういう事で適当な事など言わない。そう言う噂はあっても本当に高階家の人がみんな嫌われているわけではなさそうだ。

「中の君が奥様にお感じになっていることを、そのまま信じればよいのですよ。奥様は良いお方です」

 こけらにそう言われて元気が出た私は継母の傍に行くと、

「お義母様はお美しいから富士の山の女神様も、きっとお義母様を愛されるわ。でも私達はそれ以上にお義母様が大好きよ」と言った。

 継母はただ、私のことを愛おしそうに抱きしめて下さった。

富士川伝説はかなり変わった伝説です。その前にまず、この旅の順路が入れ替わってしまっています。これも作者の記憶違いから来ているようです。「更級日記」は作者が晩年に少女の頃からの出来事を振り返って書いたものとされていますので、遠い少女時代の記憶がそれほど正確であったと言う事は無いでしょう。

本当の道順は富士川・田子の浦・清見が関・大井川となります。そして富士川は釜無川と笛吹川が合流したものなので富士山は源流になりません。これは作者の記憶違いなのか、あるいは周囲が間違った情報を少女の彼女に伝えてしまったかのどちらかでしょう。思わずそう思いたくなるような清らかな川だったのかもしれません。

しかしこの伝説は本来何より尊重された帝による除目に触れ、それをこの地の神とあがめる富士の神の仕業だとされています。都でまつる神はすべての神のいわば頂点で、帝はその神が人の姿をして現わされた存在なのですから、随分大胆な伝説と言えます。

富士に祭られているのは『コノハナサクヤヒメ』という女神なのですが、この神は記紀の中で九州の「高天原」に天孫降臨した『ニニギノミコト』という神と結ばれたが、一夜の交わりで子を授かったヒメに『ニニギノミコト』が疑いを抱いたので、潔白の証明にヒメは産屋に火を放ち、無事に生まれれば天神の子であると言って三人の神を無事に生んだ女神として書き残されています。この女神は絶世の美女とのことなので美しい富士の姿と燃え盛る噴煙とが結びついて、遠く九州の伝説の女神が富士の山の信仰と結び付いたと考えられています。

比類ない高さを誇り、火を吹き続ける富士の山は遠く離れた都人にとっても常に畏怖を抱かせる山でした。その山を信仰する人々も遠い都の帝より、身近な富士の山の女神の方が尊敬に値する存在だったかもしれません。まるで帝に張りあうかのように都が決めた国司の名を、富士に神が集まってその神々が決めたのだと主張しています。

神々が集まって物事を決定すると言う神話は、出雲に伝わる神話と同じです。「高天原天孫降臨伝説」「出雲八百万の神伝説」と、都の神とは一線を画した古い伝説を内封しながら都の除目に言及した伝説。これは勘ぐればかなり意味深い伝説とも受け取れます。

もちろん、ここで継母に対する辛辣な態度をしたのは私の勝手な創作ですが、何かこの地の人が都に対抗意識のような物を持っていたように感じられたので、こんな書き方になりました。高階家への偏見は一度は古い伝説程度になり、人々の関心も薄れていたはずだったのですが、権力を握るためにはどうしても娘を后にしなければならなかった道長に、行成が高階家の伝説を利用することを持ちかけたことによって蒸し返されたようです。

行成はその後道長への功績からか順当に出世をします。しかし行成は道長と対立した一条帝に誠心誠意仕え、定子の生んだ親王を亡くなるまで世話し続けています。このことから行成は道長からの大変強い政治的圧力から親王を守るために、やむなく親王を退けたとの説があります。それほど当時の道長の権勢は、大変な力を持っていたのでした。
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