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フィオーレに咲く花たち

エグランティーナ

作者:しきみ彰
 楽園大陸、フィオーレ。
 花から人が生まれるこの大陸は、薔薇の花から生まれた者によって六千年もの間栄えてきた。

 されどつい先日、今代薔薇王がその身を散らした。それにより焦ったのは、王城にて薔薇王に仕えてきた者たちだ。
 次代の薔薇王が生まれていなかったためである。

 普段ならば王が散る前に、王城が大切に管理している薔薇園から子が生まれるのだが、今回はそれがない。
 臣下たちは焦った。彼らが焦った理由は、薔薇が王にならなければ今までの繁栄がなくなることを知っていたためだ。

 薔薇王はそれほどまでに、この大陸に根付いていたのだ。

 むしろこの大陸の繁栄は、薔薇王による摩訶不思議な力があったからこそだろう。薔薇の花をその身に宿す者は皆、大気を支配する精霊の声を聴くことができたのだ。

 それによりありとあらゆることを精霊たちから手助けされて、この大陸は成り立っていた。

 そこで白羽の矢を立てられた娘がいた。

「いいから離せ! あたしはひとりで歩けるっつーの!」

 ぼさぼさの白い髪に麻のワンピースを着た娘は、エグランティーナと言った。彼女は薔薇の花から生まれた娘だ。しかし薔薇は薔薇でも、野ばらである。
 しかし彼女にも、薔薇王が持ち合わせていた不思議な力が使えたのだ。
 彼女は辺鄙な村から連れてこられ、王城に召し上げられた。

 エグランティーナは何が何だか分からなかった。

 正直言ってエグランティーナには、大陸だとかそんなものどうでも良かったのだ。

 威嚇しまくるエグランティーナに、衛兵たちはたじろぐ。逃げないようにと両手を拘束していたのだが、エグランティーナの鋭い眼力と「外せ」との言葉に枷を外してしまった。

 しめたと思ったエグランティーナは、衛兵のひとりを蹴飛ばして脱出する。彼女ははしたなくも「ざまぁみろ!」と吐き捨てて王城を駆け抜けた。
 田舎娘特有の方向感覚を駆使し、彼女は出口を探り当てる。

 しかし門の前には衛兵以外に、もうひとり男がいた。白銀の長髪を流した、憎らしくなるほどの美男子である。おそらくこの城の中でもかなりの地位にいるのだろう。彼は上質な服を着ていた。

 麻の服に手入れの行き届いていないぼさぼさな髪をしたエグランティーナとは、えらい違いである。

 エグランティーナは思わず白い目を向けた。野生の花と大切に育てられた花との違いはこれだ。きっと白銀の男は、エグランティーナたちがしているような仕事など何ひとつしたことがないのだろう。

 食事に困ったこともなく、寒さに震えたこともない。

 エグランティーナは無償に腹立たしくなった。

(あたしらが日々の食事すらままならない状況下で暮らしてるっつーのに、こいつらはぬくぬく温室で暮らしてんだろ? ふざけんな!)

 どうせエグランティーナはもう、あの村には戻れない。戻ったところで捕まるか、処刑されるかの二択だろう。それほどまでに、野生の花たちの命は軽いのだ。だからエグランティーナは、ここから出て別の場所で暮らすつもりでいた。

 野生の花の長所は、どこで暮らそうが折れない強さにある。温室育ちとはわけが違うのだ。そこが唯一、野生の花として誇れるところだろう。

 ならばここで少しばかりの不敬をやらかしても、問題はない。というより既に衛兵を蹴飛ばしているため、ここでそれが増えても問題ないだろう。

 エグランティーナはそんな風に考えた。

 そのため目の前に迫ってくる男に対し、拳を放とうと腕を振るう。

「なるほど。確かに野ばらだ。実に刺々しい」
「……え?」

 しかし次の瞬間、エグランティーナは仰向けに倒れ込んでいた。
 何が起きたのか分からない。
 とにかく、エグランティーナは白銀の男にいなされたのだ。恐るべき早業だった。
 そして彼女が惚けているのをいいことに、男はエグランティーナの口を布で塞ぐ。強烈な匂いにより、彼女はもがいた。しかし両手をやすやすと拘束され、抵抗という抵抗が叶わない。
 そのままエグランティーナの意識は、闇の中に溶けた。





 エグランティーナが目を覚ましたのは、日がすっかり暮れたあとだった。
 金輪際体験することがないであろうふかふかのベッドの上で目を覚ましたエグランティーナは、がばりと起き上がった。

「ああ、起きましたか」
「っ! あんた……!!」

 エグランティーナが起きたてに見たのは、忌々しいことに先ほどの白銀の髪の男だった。
 彼は室内に明かりを灯し、眼鏡をかけて書類を見ている。
 かれはそれを脇のテーブルに置くと、エグランティーナの方に近づいてきた。

 慌てて逃げようとしたが、ベッドが脇にあるために逃げ場がない。エグランティーナはベッドと壁の隅に縮こまる。
 そして気付いた。垂れ下がる自身のクセ毛は、ぼさぼさであったことが嘘のように整っている。おそらく、洗われたのだろう。髪からほんのりと香る花石鹸の匂いに、エグランティーナは眉をひそめた。
 よく見れば、着ている服も上質なものに変わっている。肌触りの良い服だった。

 エグランティーナは男を睨んだ。

「これ、どういうこと」
「ああ、服や髪ですか? 先ほどのような身なりでいられたらたまらないので、メイドに頼んで風呂に入れさせました。服も同様です」
「あたしが聞きたいのはそんなことじゃない!」

 エグランティーナは声を荒げ、男に詰め寄った。

「どうしてあたしが王城に召し上げられるわけ!? たかが野ばら如きじゃ、温室で大切に育てられた薔薇には敵わないのよ! 大陸の繁栄のためとかなんだとか言われても、あたしにはぜんっぜん分かんない! なのにどうしてここに連れてきたのよ! 答えなさいよ!!」

 エグランティーナはぜいぜいと息を切らした。今まで眠っていただけあり、喉はカラカラだ。それに拍車をかけるようにしゃべったため、彼女は無償に水が飲みたいと思った。しかし花から生まれた者にとって、水は食事と同意だ。気安くねだれるものではない。

 しかし白銀の男は何食わぬ顔をして立ち上がると、脇に置かれていた水差しからコップへ水を注ぐ。そして無言でそれを差し出した。
 エグランティーナは渋ったが、迷惑料と思い口をつける。

 そして目を見開いた。

「これ……」
「ええ、栄養水です。あなたはこの大陸において王となるべき方。貧相な食事を与えるわけにはいきません。髪のツヤや肌のハリが悪いのも、食事をさして取らなかったためでしょう? おとなしく飲み干してください」

 エグランティーナは再度、男を睨んだ。
 栄養水というのは、フィオーレ大陸では最高級品と称される飲み物だ。見た目は水のようだが味は甘く、そして養分が豊富。エグランティーナのような辺鄙な村の住人では、この先一度たりともお目にかかれない代物である。

 なんせ一口含めば、エグランティーナがその日に必要な養分が補えてしまうほどのものなのだ。それを飲み干すとなると、一ヶ月分の食事を一度に取るのと同じことである。

 エグランティーナは渋った。しかし男からの視線に負け、ちみちみとだが栄養水を飲んでいく。大事に飲まなくてはならないと思ってしまうのはやはり、エグランティーナが庶民より下層の者だからだろう。

 全てを飲み干してコップを押し返したエグランティーナに、男はため息を吐いた。そして再度栄養水を注いでいく。
 また渡されたコップを、エグランティーナは拒んだ。

(いやいやいや。そんなもの一杯飲めば十分だっつーの!)

 むしろ二杯も飲むなど、何かに悪い気がする。ぶんぶんと首を横に振り拒絶を表すエグランティーナに、男は再度ため息を吐き出す。

 そして諦めたように、自身がコップに口をつけたのだ。

 エグランティーナは思わず白い目をした。

(なんだろう、この屈辱。目の前でお預けくらってる子どもの気分? どちらにしても、腹が立つ……!)

 この男は何がしたいのだろうか。
 エグランティーナは三分の一ほどを飲んだ男に向けて、まるで虫を見るような目をする。
 しかし突如として向いた顔に、彼女はびくりと肩を揺らした。

「ん……!?」

 気が付けばエグランティーナの目の前に、男の顔があった。
 唖然とするエグランティーナを前に、男はなんら躊躇わず唇を重ねる。口を開いていたエグランティーナは、侵入してきた舌を拒むことなく受け入れてしまった。

「ん、ふぅっ……」

 角度を幾度となく変え、男は先ほど口に含んだ栄養水を流し込んでゆく。
 拒もうと口を閉じようとしたが、男から漂う香りを嗅いだ途端、頭の奥が痺れてきた。

 エグランティーナが抵抗しないのをいいことに、男は三回ほど分けて、エグランティーナに栄養水を与えていく。

 全てが終わったとき、エグランティーナの顔は真っ赤に染まっていた。

 エグランティーナは警戒心を剥き出しにして叫んだ。

「な、ななな……何するのよ……!!」
「あなたがあまりにも強情でしたので、強行手段を講じただけですが?」
「っ、べ、別に、口移しで飲ませることないでしょう!?」
「もう一度されたくないなら、今度はおとなしく飲んでくださいね?」

 コップに栄養水を注ぎながら、男は笑う。それは男が初めて見せた表情だった。
 しかしその顔には、嗜虐的な色が含んでいる。

(こいつ……あたしの反応を見て楽しんでやがるな……!?)

 エグランティーナは愕然とする。そして再度渡されたコップを奪い取り、豪快に飲み干してやった。
 三杯目にして人生で初めて満腹になったエグランティーナは、コップを渡した後瞬時にベッドの隅に寄る。まるで猫のような行動に男は呆気にとられ、そして笑い出した。

 美形は何をしても美しいとはよく言うが、本当にその通りだ。現に目の前の男は、涙を溜めて笑っているにも関わらず美しい。むしろ輝きに満ち溢れている。世の中は本当に不平等だと、エグランティーナは内心嘆いた。

 しばらく笑い声を堪えていた男は、ようやく落ち着いたらしく再度イスに腰掛ける。そして実に愉快そうに、エグランティーナを見た。

「初めまして、エグランティーナ。わたしはアスセーナ。今代百合の宰相です」

 百合。それは、薔薇王の隣りを守る者が持つ花だ。それくらいの知識はエグランティーナにもあった。
 つまり、彼は名実ともにこの城のNo.2なのだ。王がいない今、彼以上の権力を持つ者はいない。
 なんせ薔薇と百合の花から咲ける者は、ひとりだと決まっているのだから。

 エグランティーナはうろんげな眼差しをアスセーナに向ける。
 その視線に促されたかのように、アスセーナはつらつらと話を始めた。


 それは、今代薔薇王が未だに咲かないこと。
 そして薔薇王の不在時、代行としてエグランティーナに、王をやってもらいたいということだ。
 アスセーナは粗方の説明を終えた後、エグランティーナに畳み掛けるように言う。

「因みに、あなたに拒否権はありません」
「……は?」
「先ほども言ったでしょう? 薔薇王という長がいて、この大陸は成り立っているのです。薔薇王の不在が続けば、この大陸は例外なく滅びます。精霊の力を借りて、花はようやく咲けているのですから」

 エグランティーナは押し黙る他なかった。
 どうやらこのフィオーレという大陸は、王たる者が精霊に好かれていなければ加護が行き届かないらしい。しかし王が散った今、その加護がだんだんと弱まってきているのだと言う。

 そこで白羽の矢が立ったのがエグランティーナというわけだ。彼女は確かに薔薇の名を持つ者ほどではないものの、精霊の声を聴くことができた。

 因みに精霊の声が聞こえるにも関わらず捨て置かれていたのは、彼女が野ばらなせいだろう。この大陸は、野生より、大切に育てられた花のほうが優位にある。そのため、誰一人としてエグランティーナに注目しなかったのである。

 その上野ばらは薔薇と違い、地味な花だ。

 しかしエグランティーナは渋る。

「……確かにあたしは精霊の声が聴けるけど、言葉を交わすことはできないわ。向こうが一方的に教えてくれたことが分かるだけ」
「十分です。精霊の声すら聞こえないわたしたちよりマシです」
「……あたしのこと馬鹿にしてない? あんた」
「まさか。まぁあくまで代行ですし、小難しいことはわたしがやりますので安心を」

 なんだこの腹黒。
 エグランティーナは冷めた目を向けるほかない。アスセーナは馬鹿にしていないと言っていたが、事実馬鹿にしてるだろう。
 エグランティーナは唇を噛み締める。

(そうだ、落ち着けあたし。仕事だと思えばいいんだ。給料をもらう代わりに、あたしは大陸の平和を守る。しかも美味しいご飯を食べられる。とんでもないくらい優良な仕事じゃない)

 そう。仕事だと思っておけばいいのだ。どうせお飾りなら、表舞台に出る機会もない。まさか代行役を新しい王として、民に紹介することもないだろう。
 エグランティーナは腹を据えた。

「いいわ、やってやる」
「色好い返事がいただけて幸いです」
「むしろ肯定するまで帰す気なかったでしょう、あんた」
「もちろん」

 エグランティーナの額に、ぴきりと青筋が浮き上がる。喧嘩を売られていることは火を見るより明らかだ。
 根が単純なエグランティーナは、その喧嘩を買うことにする。

「次代の薔薇王が生まれるまで、王様業を完璧にこなしてやろうじゃない!!」

 ぴしーっ! と人差し指を突きつけたエグランティーナはそう息を巻き、アスセーナに喧嘩を焚きつけた。

 こうしてエグランティーナは、代理の王となったのだ。


 ***


 エグランティーナが薔薇王に据えられてから、三年が経った。

 その間に起きたことは、エグランティーナが村人だったなら絶対にお目にかかることのないものだったろう。かなり色濃い人生を送ったと、エグランティーナ自身感じている。

 王として相応しい教養を、アスセーナから叩き込まれたり。アスセーナ狙いの貴族令嬢から喧嘩を売られたり。
 薔薇王が生まれない理由は実は内部による策略であることが分かり、それをアスセーナとともに裁いたりもした。

 しかしそれも、今日で終わりだ。

「次代の薔薇王も無事に咲いたことだし、あたしの役割はここで終わりよね? アスセーナ」
「ええ、エグランティーナ。良くぞ三年の間、耐えしのいでくれました」
「一番鬼畜な真似してたあんたに言われたかないわ。まったく、ど庶民のあたしに対してもあんた、容赦なかったわよね」
「容赦されるの、嫌いでしょう?」
「……何でそんなこと知ってんのよ」
「ふふふ。三年も一緒にいれば分かりますよ」

 夕暮れ時、いそいそと王城を去ろうとするエグランティーナに、アスセーナは笑った。本当はひとりで去ろうとしていたのだが、見つかってしまったのだ。
 エグランティーナは不服そうに頬を膨らましながらも、そっぽを向いた。三年前と違い見違えるほど美しくなったエグランティーナは、アスセーナの声を聞くたびに胸が高鳴るのを感じる。

(やめて。そんなこと言わないで)

 この三年間でエグランティーナは、アスセーナに惚れてしまっていた。
 見目は極上だが性格は最悪。仕事に関しては本当に容赦しないし、褒めることなんて滅多になかった。いつもエグランティーナより一歩先を歩き、嘲笑うようなタイプの男が、性格が良いなどとは口が裂けても言えないだろう。

 その上この男、エグランティーナのファーストキスを奪っていった相手でもある。

 しかしアスセーナは、ど庶民であるエグランティーナを馬鹿にしても、見下すことはなかった。分からないことがあれば、なんだかんだ言いつつ丁寧に教えてくれた。危ない目に遭いかけた際、彼は真っ先にエグランティーナを助けてくれた。

 しかしそれは、エグランティーナが代理の薔薇王だったからだ。

『薔薇王代理』という立場を脱ぎ去れば、エグランティーナにはアスセーナと渡り合える術がなくなってしまう。

 しかし『薔薇王代理』という立場にいれたとしても、エグランティーナとアスセーナが結ばれる未来はないのだ。それは薔薇王が、他の花と契りを交わしてはいけないという決まりにある。
 その理由は、薔薇王は精霊と永久的に婚約を結ぶからだ。でないと加護が断ち切られてしまう。

 それは分かっていたことだ。それなのに、エグランティーナはその恋心を捨てられずにいた。
 そんな彼女の気持ちなど知らず、アスセーナは楽しそうに笑う。

「あなたに初めて会った際は、まさかここまでやれるとは思いませんでしたが……お疲れ様でした、エグランティーナ。とても立派にやれていたと思いますよ」
「……ふん。当然でしょ」

 アスセーナからのほめ言葉に、エグランティーナは動揺して可愛らしくない返事をしてしまう。

 ああ、どうしてもっと可愛い返事ができないんだろう。
 他の令嬢みたいに、お淑やかにできないのだろう。

 エグランティーナは内心悲嘆に暮れる。
 しかしアスセーナが結婚するのは、見目麗しくそれ相応の教養を兼ね揃えた、貴族令嬢だろう。このフィオーレという大陸では花が咲くとともに人が生まれる。しかし体を重ねれば、新種の種ができることもあるのだ。百合の花であるアスセーナには、極上の娘が寄越されることだろう。

 それを想像したエグランティーナは、こぼれそうになる涙を必死にこらえた。

(泣いちゃダメだ。何があっても、泣かないって決めたじゃない)

 アスセーナの前で泣けば、彼は心配してくれるだろう。しかしそれをエグランティーナは望まない。彼女は自身の弱さをさらけ出すことを恐れていた。

 だっていつだって、アスセーナが微笑んでくれたのは気の強いエグランティーナに向けてだったのだから。

 ここで別れてしまう運命なら、せめて強いままの自分でいたい。

 それがエグランティーナの望みだった。

 裏門にはひと気がない。それはそうだ。この門は、それ相応の地位にあるものしか知り得ない。エグランティーナは誰にも送られたくないからこそ、この場所を選んだ。

 夕暮れ時の太陽が、二人を優しく包み込む。

 門の前で向き合ったふたりは、互いに微笑んだ。

「それじゃあアスセーナ。元気で」
「あなたも」

 今すぐにでもこぼれそうな涙を、必死でこらえる。エグランティーナはそのまま「じゃあ」と震える声でかぶりを振った。

「エグランティーナ?」

 心配そうな声に、涙腺が崩壊する。嗚咽がこぼれそうになるのは耐えたが、涙が止まらなくなった。後ろを振り返ることなく、エグランティーナは門をくぐろうとする。

 しかしその体は、アスセーナによって捕まってしまった。

「エグランティーナ? 泣いているのですか……?」

 顔を見られないようにとそっぽを向いたが、ダメだった。
 エグランティーナは震えた声で拒絶する。

「やめ、て……見ないでっ……こんなに弱いあたしを見ないで……っ!」

 エグランティーナの切なる叫びに、アスセーナは硬直する。そして気付いたのだ。

 エグランティーナの髪が、ほんのりと薄紅色に染まっていることに。

 花の乙女たちは恋をすると、その髪色を薄紅色に染める。夕暮れに照らされて分からなかったが、エグランティーナの髪は確かに淡い薄紅色をしていた。

 アスセーナは耐えきれず、その体を抱き締めた。

「あ、アスセーナ……っ?」
「まったく……どれだけわたしを惚れさせたら気が済むんだい? エグランティーナ」

 初めて聴いた敬語のない口調には、余裕がないように感じられた。
 エグランティーナは信じられないという表情をする。既に涙は止まっていた。
 そんなエグランティーナの髪を愛おしそうに梳き、アスセーナは耳元で囁く。

「エグランティーナ。わたしは君を、縛り付けてしまおうかと思っていたんだ。でも、君は以前からわたしを嫌っていたし、反抗的な態度ばかり取っていたから。わたしからの好意を聴いても、喜ばないと思っていたんだ……」
「……それは、あたしの台詞。こんなに可愛げのない女、好きになるはずないって思ってた」
「……エグランティーナ。君は気付いていなかったみたいだけど、君のその態度はとても可愛らしいのだよ? 日に日に美しくなっていく君に手を出そうとする輩を潰すのに、わたしがどれだけの労力を払ったと思ってるんだい?」
「〜〜〜っっ! そ、そんなこと、知らないっ!!」

 顔を真っ赤にして震えるエグランティーナに、アスセーナは笑った。ひどく穏やかな笑みだった。
 アスセーナはエグランティーナの首に顔を埋めた。

「いつだって打算的なこの世界において、君はわたしにとっての光だったんだ。まったく媚びへつらうことのないその態度。そしてかなり気が強く、だけど決して投げ出したりはしなかった。わたしはそんな君が好きになったんだ」
「……ねぇ、それ、褒めてるの? けなしてる風にしか聞こえないんだけど」
「そんなエグランティーナを含めて、わたしは愛せるよ、と言いたいだけさ」

 エグランティーナは瞼に落とされた口付けに、身を震わせる。ひどく優しい口付けだった。

「エグランティーナが薔薇王のままだったなら、婚姻はできなかった。でも今ならできる」

 向き合ったアスセーナはエグランティーナに向けて極上の笑みを浮かべた。

「エグランティーナ。わたしと結婚してくださいませんか?」

 ぽろりと、エグランティーナの頬を雫が伝った。
 しかし今回の涙は、喜びの涙だ。エグランティーナは何度も頷き、震える声で呟く。

「喜んで……アスセーナ」

 そうしてふたりは、吸い寄せられるように口付けを交わした。
 今にも沈みそうな太陽だけが、ふたりのことを見つめていた――


 ***


「……でもね、アスセーナ。こんなことになるとは、さすがに思わないんだけど」
「なんですか、エグランティーナ。まだ仕事中ですよ?」
「……この腹黒性悪め……」

 エグランティーナは執務机に向かって突っ伏した。

 彼女はまた、薔薇王代理をやることになったからだ。

 その理由は、本来なら成体として咲き生まれるはずの薔薇王が、ちまっちい赤子としてこの世に生まれ落ちたためだ。
 どうやら一度、枯れかけてしまったことによる副作用らしい。

 その間の穴を埋めるために代理を一任されたのが、エグランティーナだったというわけだ。むしろ当然の選択である。

 エグランティーナは山のように積まれた紙を見て、げんなりとする。この机仕事からもおさらばできると思っていたのに、このザマだ。しかし三年もの間でアスセーナによって叩き込まれた作業を、エグランティーナは苦もなく終わらせていった。

 それを見て、アスセーナは微笑む。

「エグランティーナ」
「んーなにー?」
「挙式と初夜はいつにしましょうか」

 瞬間、執務机の上から紙山が雪崩を起こした。
 何を言われたのか分からなかったエグランティーナは、ようやく咀嚼した言葉に顔を赤く染めてゆく。
 その上髪まで、薄紅色に染まり始めてしまった。

 恋する花の乙女たちは、気が高ぶるとその色に染まってしまう。

 アスセーナはそれを見て、ひどく満足したようだ。
 書類を拾いつつエグランティーナの後ろから抱き着いた彼は、エグランティーナの耳元で呟く。

「エグランティーナ。愛してるよ」

 するとそれが癪だったのか、エグランティーナは顔を真っ赤にしながら叫んだ。

「あ、あたしだって、大好きなんだから!!」

 エグランティーナとアスセーナはそれから半年後に挙式を挙げ、めでたく結婚することになる。
 その後もふたりは、どちらかが枯れるまで、ずっと一緒にいることを誓った。



 そう。ずっと一緒に。
この度はお読みいただきありがとうございました!
こちらの作品は、私のなろう歴二周年記念のお祝いとして書き上げました。
(書けないと思ったのに書けたんですよ。本当びっくりですね!←え)

明らかに短編で書く内容じゃない点については、スルーで。大事な部分すっ飛ばしてますがスルーで。
(そんなところ書いたら長編になっちゃうよ……!書く暇ないよ!)

因みにエグランティーナというのは、どっかの言葉で野ばらという意味です。
アスセーナはラテン語?で百合だったはず……←おい

お楽しみいただけたなら、幸いです。


《追記》
花言葉を調べてみると、もっと楽しめるかも……?

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