アイラ、リディアの友となる2
「…………。あのね、ダンは会った時から僕に優しかった。……妹か娘みたいに。時間が経つと、多分凄く用心深くだったと思うんだけどもっと親切にしてくれるようになった。それに少しは女として意識してくれてたと思う。でも、ある日僕がダンを探っちゃった瞬間、声から親しみが全部抜け落ちたんだ。―――僕を殺す方法を考えてるのではと感じたくらいに。ダンは……誰が相手でも容赦しないと思う。可能性が在るとしたらラスティルかな。ラスティルだけは少し特別に扱ってる感じがする」
殺すのが難儀と思えば逃げて名前を変え又別の所に潜み、機会を待って誰にも知られず殺す、といったところか。堪らぬ方だ。
「ああ、ラスティルでも駄目だぞ。先日共に連合軍に参陣したであろう? あの時ラスティルが旧知の者たちの所へ行く可能性があったのだ。その時ダン様は、それはもうあっさり殺せと仰った。ラスティルがどのような目に会おうとも関係なく、罪を捏造してでも。うむ、あの時も身の震える思いをしたな」
「うわぁ……。それがあったからリディアは昨日あんなに焦ってたの? でも水月を狙って殴るのは無茶苦茶だと思う。僕も鍛錬の時おなじような事したから、あそこまでしても本当に怒らないのは知ってたけど……。でもその後何か又怯えてたよね? あれはなんで?」
「あの時はダン様がお怒りになって、閨で思い知らせてやろうとでも思ってくだされば万々歳だと考えたのだが……確かに無茶であった。恐怖で判断が鈍っていたらしい。で、何を怯えていた、か。
私はダン様が我々に示す細やかな気遣い、贈り物は我等の心を得、女である我等を惚れさせて繋ぎとめる為だと考えていた。いや、思いたかったのだ。されどあの態度よ。あの方が、微に入り細に入り思慮を巡らし必要な事を積み重ねる方が、私に閨を共にしろと言われた時、惚れられたという可能性は完全に思慮の外だったではないか。分かるか? あの気遣いは全て、純粋な親切だった。そして我等の好意、情念を全く計算に入れておられないのは不要故では無いかと思えてならんのだ。しかも倒れ伏したお顔を見た時、欠片の怒りさえ無かった。自分に従う者に殴られて無礼と思わない等在り得ない。あの人は我等が配下だと、従うとは頭から思慮に無いのだと私は考える。
はっ。何がリディアあってこそのダン。何が手を置く場所も指示が無いと困るか。本当の意味では我等に何一つ期待していないというのに。だがそれでは困る。この乱世、人を信じ切らぬが賢者であれば、その疑いを薄皮一枚ずつでも剥ぐも又賢者の務め。故に何があってもあの方の子が私は欲しい。子はかすがいと言う。そのような故事がダン様に通ずるかは不透明なのは分かっている。それでも細かろうと繋がりが欲しいのだ。産まれてくる子があの方に似るように私は日々天へ願っている」
殴られようと負の感情を抱かず、感情で判断を変えないのは有り難いが……何事にも程度という物がある。
「やっぱりそうだろうね。家の事でも常に僕を家長として扱うから。―――分かってたけど、聞けば聞くほど怖いよ。僕もダンと子供を作っておくんだった……。けど、護衛があるからなぁ。一緒に居れないのは大丈夫だと思うけど、戦えなくなるのは駄目だもん。ダンが連合軍へ行く前にもう少し勇気があったら……凄い失敗した」
む、この話は不味い。
「ラスティルと護衛を交代出来ればいいのだが、ラスティルは少々不安定と思われてか傍に置きたがらぬ故難しいか。ふむ。茶が冷めてしまったな。代わりを淹れてこよう」
これで一旦場を外せる。
「……? リディア、何か焦ってない? なんで? 何時もはお茶くらい下僕に持ってこさせるのに」
……。中々鋭い。
「焦ってなどいないとも。お茶は要らぬのか?」
「要らない。……でも、焦ってる。――――――。あ。リディアって……酷い。卑怯で狡猾。冷たいよ……友だと思ってたのに……」
もしや知られてしまったか? いや、まさか幾らなんでも……。
「……リディア、僕が子供を作ろうか悩んでたのも、機会がダンと離れる連合軍の時しか無いのも分かってたでしょ。知ってたのに、自分が最初にダンの相手をしたいからって黙ってたんだ。……僕が一生子供作れなかったらリディアの所為だからね」
……下手をうった。これはよろしくない。
「待ってくれ。アイラが子供を欲しがるのは至極当然の話だが、相手をダン様に限ってるか等私に分かる訳が」
「ダンは自分以外と子供を作っても怒らないだろうね。でも、リディアが欲しがる理由は全部僕にも当てはまるじゃないか。それにこんな白い毛の獣人と子を作って優しくしてくれそうな男なんてダン以外に居る? リディアなら僕のそういう事情だって分かるでしょ。なのに……。しかもそんな適当な言い訳……。僕もう君を友と思えないかも」
とんだ所で窮地だ。しかも我が意を全て知られた相手に。……全面的に謝罪するしかあるまい。
「済まぬアイラ。去年は私も悩んでいたのだ。……男にとって初めての相手は特別な思い入れがあると聞いて、魔がさしたのもある。詫びと言ってはなんだが……ダン様との仲を取り持つようにしよう。それで何とか許してくれないか」
「……機会がもうないよ。僕ずっとダンの護衛をしないといけないもん。お腹に子が居たら護衛出来ないでしょ」
何か、手は……。
「そうだ。アイラ、後四、五年待てぬか?」
「待てるけど……何かあるの?」
「私の見た所、ラスティルが求める男とは連合軍で見たサナダとやらを、更に超えるような男だ。しかしそんな男は存在しない。それ程容貌に優れた男であった。可能性が在るとすれば自身も気付いてないかもしれぬがダン様であろう。ようするに心の底ではダン様から迫って頂きたいのだ。そのような事起こる訳も無いのに。其処で四、五年経てばラスティルはどうしようも無い年齢になるだろう? 私は彼女の意地を砕く自信が在る。そしてアイラと交代で子を作ればいい。もしも奇跡が起こりラスティルに男が出来ていれば、ラスティルを隣に住まわせ護衛しやすいよう家を繋げよう。ダン様も基本の生活が離れていればきっと受け入れて下さる」
「…………。君は、ダンが自分以外と子を作っても良いの? しかも獣人である僕と」
「ああ、誤解しないでくれ。元からダン様を独占しよう等と考えていない。そんな真似をすれば一人であの方を繋ぎ留めねばならぬではないか。アイラにとってそれ程までに身近な人となっていたのであれば猶更だ。……今ではあの時子を作るよう助言すべきだったと反省もしている。許してくれまいか」
「……僕が何かダンにお願いする時とか、フィオを助ける為にこれからも助言してくれるなら」
「君は既にあの者らの命を救っている。これ以上は義理さえ無い事を承知してくれるのなら、ダン様の意思に反さず、私に危害が及ばぬ範囲で手を貸そう」
「……分かってるよ。でも……今だって日頃はカルマたちと親しくしてるから、どうしてもね。僕はダンじゃない。全部は投げ捨てられないんだ。……有難うリディア、とても心強いよ」
「勿論口約束で子供の分に届いたとは思っておらぬ故安心してくれ。さて、このような機会は滅多に無い。だから質問がある。私は連合軍へ行きアイラはこの天下で最強の将軍だと確信した。君がその強さを周りに知らしめ、名を広めれば数多の者どもは敬服するだろう。少し不安はあるが軍師としてフィオも居る。その気になれば諸侯へ、いやそれ以上になれるかもしれない。かつて高祖と戦った武の頂点リキのように。又長としてではなく臣下の道を取るにしても、君主が常に君の強さを頼りに己の行動を決める最も重要な臣下となれたはず。だというのに今やってるのは名の出ない盗賊退治とダン様の護衛のみ。しかも私の見た所、ダン様が世に名を出すつもりがあるかは非常に不透明。下手をすれば乱世の終わりまで今の立場のままもあり得る。いや、戦う気になろうとも、あの方の性向からして一個の武将に頼りはすまい。しかも良い手札を出来る限り隠そうとされるは必定。君は蜘蛛に宝玉とさえ言えよう。君は今の立場でいいのか? 史に名を遺したいとは思わないのか?」
「答え分かってる癖に聞くよねリディアって。そりゃダンと会う前なら思ったかもしれないよ? あの頃僕には強さしか無かった。孤独で寂しいって気持ちもあったし、強さを見せて周りが近づいてくれるなら群れの長として動こうと思ったかも。でも僕はダンと会って臣下になれと言われた時、強さではどうにもならない人が居るのかもって感じた。そしてダンと暮らして何がどうなろうと勝てないと分かった。それにダンは凄く僕を大事にしてくれる。昼寝してたら掛け布を持ってきてくれるし、僕が礼儀知らずな真似をしてたら叱る。兄で父で母みたいに。今でも十分だけど、僕は出来れば子を作って本当の家族になりたいんだ。だからどんな意味でもダンの敵になる気は無いよ。史に遺るのも大して興味無いし、群れの長になるのはもっとどうでもいい。もう遥かに恐ろしく生きるのに長けた長を持っているもの。長の前では獣でも腹を見せて転がる。僕もその程度の知恵はあるよ。だから名を出さない方がいいとダンが考えてるならそうするだけ。
リディア、前から偶に思ってたけど、君その試したがる癖何とかした方がいい。リキって強くて七十回は勝ったのに、結局三十歳くらいで敗死じゃないか。どうせダンにも色々ちょっかいかけたり探ったりしたんでしょ? だから何をしても常に疑われてるんだよ?」
――――――。
「かつてここまでグウの音も出なかった事はないぞ。……仕方あるまい? 幼かった私の前に現れたあの方は、余りにも面白く興味深い方だったのだ。神ならぬ身で此処まで恐ろしい方になるなど予想できぬ。それに今更態度を変えては益々あの方に疑われよう」
「せめてダンへの口調を僕とラスティルだけの時みたいにしたら?」
「主君が敬った言葉遣いをしてるというのに、臣下が友であるかのように話す真似は出来ぬ。加えて言葉遣いまで対等にしてしまっては、あの方の事だから私が臣下の立場に居る。と、周囲に示しているのを忘れてしまいかねん」
「……君も結構気を配ってるんだね。ダンには無駄な気もするけど」
「私にも一応意地という物はあるのだよアイラ」
「でもさ、確かあの口調は癖だって言ったんでしょ? 嘘はよく無いと思う」
「おおアイラ。君でも誹謗、中傷という悪癖からは逃れられぬか。申し上げた時は癖であったに決まっておろう。その後君たちと親しくなるために直したのだ。血のにじむような努力をしてな」
「―――君って足の裏から頭のてっぺんまで狡猾だよね……。別にいいけど。ダンも怒らないと思うし。じゃあ帰る。余り長居してダンを心配させたくない」
「そうだな。ふむ。最後に一つ。アイラ、私はこれまで真の友を持った事はない。私を理解し、共に戦えるような相手は居なかった。しかし君とは最も重要な『秘密』『困難』を共有している。この世に君より頼りになる人は居らず、正に友と言えよう。其処でついでに私がずっと一人で持っていた『恐怖』も共有してくれまいか?」
「これ以上…………。すっごく聞きたくないんだけど」
「だが聞いてくれるのだろう? さて当然ダン様の話だ。初めて会った時、あの方は豚や鳥を殺すのさえ慣れてないようでな。公開処刑を見た最初の日など食事も喉を通らぬ有様だったと家の者が言っていた。帝王の後宮で生れ育った方以外にこのような人が居るとはと驚いたものだ」
「え……。でも、僕と会った時には自分で豚を殺して肉にしてたし、戦場で兵たちにトドメをさしてあげてたって聞いたよ」
「そう、それだ。ダン様は私の所に居た頃から、生き物を殺すのになれようと努力しておられた。更に人を殺すのが苦手なら、文官らしく官邸に留まってればいいのに戦場へ行き、戦場には出ぬとしても助からぬ者を殺している。殺した人数だけならどんな武将よりも多いかもしれん。さて、私が知る所だとあの人は基本怠惰なお方。無用な真似はしない。では、それ程までに努力して多くの人間を殺す理由はなんだ?」
いい表情だアイラ。私が初めてこの考えに至った時も、同じ表情をしていたのであろう。
「理由なんて在らず、ただ乱世を生きる為に慣れようとしてるだけかもしれない。しかし在るとすればどれ程の人間を殺す予定だと思う? 万、十万なら我々と一緒だ。コルノの乱が始まってから既に諸々で五百万人は軽く死んでおろうしな。しかしあの方なら……。ああ、アイラ。漏らすなら廊下に出て右にある便所でしてくれ。下着の替えが必要なら貸そう。匂いが付いたままダン様の所へ帰られては不審を招く故遠慮しないで欲しい」
「……。リディア、君ほんっとうに悪い人。僕暫くダンをまともに見れないかもしれないじゃないか。もしもダンに問い詰められたら君を売る」
「おお、それは困る。しかし心の準備が必要な話でもあっただろう? 何とか誤魔化してくれ我がただ一人の友よ」
「……僕、凄く久しぶりに殴りたいって思ったよ。これでフィオたちをあっさり見捨てたら許さないから」
「非才の身ではあるが意味のある限り全力を尽くそう。……なぁアイラ、君はこの天下で最も得難い武の頂点。そして私も悪くはない。天下で……そうだなもう少し経験を積めば五本の指には入ろう。まぁあの方なら我等より劣った者でも大して変わらぬ結果を出したかもしれず、我等は必要ではないかもしれない。だが、利用価値はあるはずだ。それに私の考えでは子を産むのも無意味ではない。あの方は子を宿しての旅を心配なさっていた。母となる苦労も考えてくださろう。ある意味子を産むのは最も忠義を示す方法であると同時に、最大の功でもあるしな。なのに―――あの人は何の執着もしてくださらぬ。正直非常に不満を感じているのだ。君はどう思う?」
「あー……なんか久しぶりにリディアをケイ人だと思ったよ。それよく無い。ケイ人の偉い人は皆今よりもっとっていう。そりゃ獣人も言うけど、ケイ人のそれは桁が違う気がする。君も一番危険な人の様子を常に知れる立場に居るのにそれ以上だなんて……。虎より危険な者に色々望むなんて無謀。野生の動物みたいに生きてる事を満足したら?」
――――――。
「……ふっ、ふふ。成る程、所詮私もケイ人か。アイラその言葉は賢人の悟りだぞ」
無謀、か。確かに。しかし……抑えられる気がせぬ。
「こんなの野の兎でも知ってると思う……。まぁいいか。じゃあねリディア。本当はダンが乱暴にしなかったか心配だったのもあったけど、大丈夫そうで安心した。ちょっと羨ましいくらい」
「ああ、有難うアイラ。君は本当に優しいな」