ビイナ・ニイテとの会話
「我が姉の世迷言、気になさらないようお願い申し上げます。姉も死を告げられては常の状態で居られないのでしょう」
なに? ……これはもしや私が今テリカの言葉を不快に思ったと気付いてる? 私の様子からではない。手は基本後ろに組み仮面をかぶってる。見て気付く方法は無いと断言できる。
ならば私の言動からか。……他の歴戦の英傑たちさえ受け入れがたい事実に動揺してる中、冷徹に論理だって観察していたと? この十六歳程度の少女が?
ニイテ家の血はどうなってんだ。
「……。ビイナ様の御言葉有り難く思います。皆さまにとってこの世で最も恨むべきが私であるとは思いますが、かといってグレース様のような知恵者であると言われましても……困惑するのみで参っておりました」
「……はい。ワタクシとしても半年近く前の一文官を覚えてるなど、妄言にしか聞こえません。愚かな姉は我等の命をカルマ様が貴方様にお任せになった事で、何時もの如く無駄に想像を働かせてしまったのでしょう。
さて一つお教えください。先ほどカルマ様に我等が危険な程に有能だと仰いましたが、このように貴方様の掌の上にある我等を見てもお考えは変わりませんか?」
自分たちを下げてきた。考えられるのは……私の警戒心を少しでも削ごうとしてる?
「……はい。皆さまは正に英傑。本来であれば私など会話も難しい方々です」
「……高き評価光栄に思います。ですが我々は眼と耳であったネイカンを無くし、最早秘密裏には動けずカルマ様を脅かすなど夢の又夢となりました。これは天に誓って事実です」
「そうですね。私もネイカン様は滅多に居ない貴重な人材だったろうと思います。しかし手が一つ無くなっただけかと。相手が分かってても動けない時を狙えばいいのでは」
「それも至難の業かと思いますが、ワタクシがお聞き頂きたい事とはずれております。
つまり……貴方様を我等の夫に、やがては貴方様の子をニイテの当主とさせて頂きたいのです。こうすれば貴方様が英傑と評価した者どもは貴方の配下となり、更に家も繁栄致します。我等は表立って動くのを不得手とする貴方様の御意に従いカルマ様の繁栄に力を尽くすのです。
愚考いたしますに貴方様は貴族の名にご興味が無いかもしれません。しかし時には使える道具である事には同意いただけますよね? カルマ様へはワタクシの方から目付として貴方様を迎えたいと願うのは如何でしょうか」
え……と……。
「私と……ビイナ様に子が産まれようともニイテ様の子が継嗣になるのでは? 或いはそちらのフィリオ様の子が」
「……ご信頼頂きたいと思います。しかしご自分の子の地位を盤石にしたいとお考えなら、愚姉を殺し弟を男で無くされますように。近頃風化して来てはいますが、これは古来より征服した相手への常識的処置。決して恨みません。……勿論出来うれば姉の命と弟の男を長らえたくは思います。もしも大いなる慈悲を示してくださるなら、我等子々孫々に至るまでより一層の忠誠を尽くすでしょう」
ああ、その慣例あったのか。地球でも古代……いや、比較的近頃まで世界各地で似たような方法がとられていた。
ってそうじゃなくて……。いかん混乱してる。
「我等の夫。ですか? ビイナ様のではなく?」
「はい。今目の前に居る女全ての夫となって頂きたく思います。さもなければ全幅の信頼を頂けません」
「あ、あの~ビイナ様? アッチはさっきその方を散々にコキ降ろしましたし、勝手に夫と決められても困るのですがー。いや、その、正直此処で夫を見つけたいとは思ってましたけどもー」
「黙りなさいロシュウ。お前たちはこの方に従えばいいのです」
……やっと冷静さが戻って来た。成る程……これだよ。この窮地に立たされて尚打開策を冷静に練り続ける精神だよ私に必要なのは。
なんと『貴方様の御意』に従いと来たもんだ。つまりカルマではなく私に付くと。私の立場を推測して協力者が少ないのを看破されたかな。ついでに私が今の状態に満足していないのも。
その通り。贅沢だが二人だと意見が偏り易く思えるのでもう一人は相談相手が欲しい。
しかもこのビイナの表情。私の眼には必死になって懇願してるとしか見えず、在る筈の『屈辱』『怒り』『不快感』を見つけられない。理解出来んぞ。
少なくとも私と男女の仲になる覚悟はあろう。配下にまで従えと言った以上、逃げられない環境に置かれる想定くらいしてるはず。
昔読んだ小説や神話でお姫様とかが貞操のみを担保に、絶対勝てない戦いとかに協力しろと迫る展開を思い出す。
……余りに失礼な連想か。彼女は元から違う。私への服従の証明として子を産むと言ってるのみ。己と配下たちの美貌を私が価値ありと判断するかは、必要な計算には入れていまい。
完膚なきまでに人間としての出来が違う。なんだこれ。どうやったらこの若さでこんなのに成れる?
「は、はははは……。なんだこれすげー。ニイテ様、確か『この若さではトーク様の支えが必要』なんて仰ってませんでした? 良く言えたもの。既にビイナ様は英傑。いや、英傑さえ越えてる。もしかしたらケイ全土で第三位ですよ。
誰よりも冷静に考え、何年も泥をすするような忍耐をして生き残ろうとなさってる。私の安い予想を完全に超えられました。まさか知らなかったとは言いませんよねニイテ様?」
「そのまさかよ。何時かはアタシを超えるかもと思ってたけど、まさか既にここまで成長していたなんて。……アタシは嬉しいわビイナ」
「第三位? あ、いや、貴方様の仰る三番目の英傑とその配下は既に貴方様の物であり、側女です。どんな事でもお尋ねください。全てお答えします」
これはどうやら本当に私を高く評価してくれたようだ。そして私の配下として大望を成す覚悟を決めている。
しかし……私にとって私に歯向かわないのは最も重要な点ではない。
そして私の計算だと、誇り高きケイの貴族であるお前たちは必ず敵になる。
せめて死ぬ前に理由を教えてやりたいが……駄目だな。どんな手段を使ってでも伝えようとしかねん。
すまんなビイナ・ニイテ。私はお前の覚悟を踏みにじりその大器を割る。
ああ……実に勿体ねぇ。よくある話や史上の偉人たちみたいに己の国で力を付け、全国統一が目的なら配下にしたのに。
このビイナの提案を跳ねのけるような人間、もしかしたらケイに私だけかもしれん。
ふん。若い有能な美男美女を集めて国を平和にしようと戦う。
自軍は常に正々堂々の美形軍団で、敵は卑怯な不細工が九割ってやつだな。
砂糖を煮詰めたような話だ。基本勝者は最も卑怯な人間だってのに。
項羽と劉邦なら勝った劉邦の方が卑怯なのは誰だって同意するっしょ。
「ビイナ様の言葉に生涯忘れ得ぬほど恐懼しております。しかしそれを本気で仰っているなら二つ私の考えと大きな差が在ります。
一つ。私は本当に皆さまが風下に置かれれば、即日深刻な不満を抱く程度の何処にでもいる官吏なのです。しかも夫になど。皆さまと同じ寝台に上がっていれば何時の日かの朝、私の首は折れてるでしょうね。
二つ。貴方たちは本当の英傑。つまり決して諦めない者だと私は考えます。故に息をしてさえいれば何時か大望を遂げ私は排除される。この瞬間以外に皆様を止められる時は在りません」
「そんな! よくお考えください! ワタクシは今まで数多の者と付き合ってきました。そのお陰で人を見る目だけは姉よりも秀でている自信が在るのです。そしてどのような氏素性の者とも付き合えるのです。ああ、いや、貴方様が例え一官吏であろうと、我等の命を救った恩人であれば夫としても何の不思議も在りません。決して貴方に危害を加えないと誓紙も出します!」
……悪くない反論だ。はぁ……分かってたがダイヤを燃やすのは辛い。
「……やっぱり。ビイナ無理よ。この男の中でアタシたちはもう死んでるの。さもなければ決して表に出て来ない。喋ってる内容だってきっと何か重要な事を隠してる。カルマ様もこれを説得しろだなんて無茶を仰るわ。目隠しをして百歩離れた的に矢を当てるようなもんじゃない。……天を恨まずには居られないわね。こんなのが居るなんて誰にも分かる訳無いもの。
本当に人間? 才を隠した英傑を評して潜龍と言うけどそれさえ生易しい。『名』『富み』『信頼』人が欲しがる全てを捨て、アタシのような愚か者を見定め殺す……死神の化身と言われた方がまだ信じ易いのに」
「とんでもない話ですニイテ様。名を出せないのは臆病で卑怯な小人の証明ではないですか」
「確かに民草なら卑怯と言いいそう。でもアタシたちはこれでも生死を懸けて大望を望んでいたつもりなの。卑怯なんて言葉を額面通り使うような愚者と思われてるなら流石に心外よ。
ねぇリンハク、貴方なら稀なる賢人に会えたと喜べるのかしら? 新参の貴方をこんな目にあわせてしまった身としては、少しでも喜んでくれてればアタシとしても心慰められるのだけど」
「は、はは……難しい冗談を仰いますのねテリカ様。残念ながらみどもは怖くて漏らしそうです。あの、事実を教えて頂きたいのですが、貴方様のその恰好は今日だけの物ですか?」
変な質問をする。私服は真田の影響に合わせた物を着る時もあるが、今は何時も着ているケイの官吏服なのに。
「いいえ。何時もこの格好です」
「は、あはは……やっぱり。ねぇ貴方様、あんな化け物染みた武人を護衛に付けて一官吏は無理が在りません? あ、『カルマ様が心配して』なんて反論は結構です。テリカ様、貴方様の仰った内容が正しいならこの方は賢人なんかじゃありません。
これだけの事が出来るのに、誰からも重んじられない服装を選んで着てるんですよ? 人が望む物全てを捨ててるのです。こんな根本から違い過ぎて賢人として筆頭の軍師リウさえ比べられないような人物、みどもには古今は勿論千年先まで産まれそうもなく思えます。
仮面の恐るべき方、みどもは貴方様の考えと智が知りたくてなりません。何とかお傍に置いて頂けませんか? 女では足らなくても男か宦官ならどうでしょう。みどもはこの世の誰よりも男にとって良い男ですよ?」
滅茶苦茶言うなこの痛い所を突いて来た美人。
確かにアイラさんを護衛に付けておいて一官吏は無理があった。
それに根本から違う、か。……全く想像出来て無いだろうにド真ん中突いてきやがった。
私としては効率が良い選択を選んでるだけなのに、価値観が違い過ぎて異様に思われる時があるのは確かに悩みの種なのだ。
と言っても人の望むすべてを捨ててるは言い過ぎだわ。足るを知ってるのと、後は……人類の欲望に満ち満ちていた二十一世紀を知ってれば誰でもこんなもんだろ。
二千年近く経てば、私みたいなのは幾らでも産まれてくるのだがなぁ。
まぁ、甘えた性根を叩き直す機会が与えられれば、だけども。
しかし良い男って……。本当あの手この手を使って来ますね。
「リンハク様、私は女性にしか興味が無いのです。実は先ほどビイナ様の提案を断る時には胃が捩れるほどに残念でした。何より何度も申し上げますが、この土地で最高の知恵者は先ほど立たれていたグレース様。私が貴方様に教えられる事など何も在りません」
「はぁ……。そうお答えになるとは思っていました。残念です……」
「もう我慢できない! リンハク! それにお姉様たちも何故こんな奴に怯えるのですか! おいお前、ボクと決闘しろ。幾ら臆病者でもボクみたいな子供となら戦えるだろ。それとも自分の手を汚す覚悟さえないのか!」
……。突然弟君が手足を縛られたまま立ち上がり、こっちに跳ねながらお叫びになられた。
護衛兵の皆さんは危険性を感じないようで、後ろに付いて見てなさる。
アレだな。凄い安心を感じるな。良かった。ニイテにも凡夫が居た。
十歳くらいならこんな風に、自分が何かすれば変えられると不思議な確信を持ってても変じゃないけども。
いや、縛られ殺されると言われた状態でこれだけ気炎を吐けるのは大したもんか。
さて、どうしたもんかねこの凡坊ちゃん。
……ん? なんか知ってる人以外の兵がもの言いたげな視線を向けてくる。止めると思った姉たちも、何か言おうとしたが結局黙ったし。えーと……もしかして……。
「護衛長様出来ましたら教えてください。このような場合普通はどう答える物でしょう?」
「…………。そりゃ…………受けるだろ。こんな子供が死ぬ前に決闘を挑んでるんだぜ? 大した覚悟じゃねぇか。しかも手を汚す覚悟が無いのかとまで言われちゃぁな。これを拒否するような臆病者なんて想像も出来ねぇよ」
ジンさんの言葉に兵も大体同意の様子。
なんとまぁ……そんな常識が。もしかして凡夫なんて思ったのは私がズレてるだけだったのだろうか。
テリカが黙ったのも薄い希望を持ってるからだったりする? ……止めて欲しいな余計な希望を抱かせるのは。
「分かったか! お前も乱世に生きる者なら少しは勇気を見せてみろ! どうしても怖いならお前だけ鎧を着てもいいぞ! さぁこの縄を解け。お前が下らない奴だと皆の前で示してやる!」
とは言え答えは変わらん。
「フィリオ様、私は貴方様が仰る通りの臆病者。ですから相手が自信を示した物で戦う気はありません。貴方様を今殺すなら縛ったまま兵の皆さんにお願いして矢で射殺します。しかしそれはフィリオ様も本意ではないはず。どうかお諦めください。私としては尊敬するニイテ様に弟が殺される様子を見せたくないのです。ニイテ様、御止め頂けませんか」
「うっ……な、何だこいつ……。これだけ馬鹿にしたのに……。姉上、こいつ気持ち悪い」
「……はぁ。下がりなさいフィリオ。アタシもお前が死ぬところを見たくないの」
「グッ、でも! こいつはネイカ…………分かり、ました。……姉上」