アグラの撤退
テリカの文を届けたレイブンが、マリオに難癖を付けられたと愚痴ってきた。
そりゃマリオはそうするでしょう。
テリカに手懐けられた、戦況報告に信が置けるか難しい、何も出来ない言い訳か。
この辺りは当然言ってくると思うのだけど、レイブンはかなり怒ってた。
高貴な身分であらせられるマリオの言葉が、私の語彙よりも遥かにイラッと来る修飾語に満ちていたのもあるみたいだ。
これはマリオの想定発言を教えるべきだったんですかねリーアさん? と尋ねると
マリオとシウンはテリカの意思を分かっている。結果として問題が起こる要素は無かった。なのにレイブンが賢しい対応をしたら、誰か知恵を付けている者がいると吹聴するも同然。レイブンの不快感を消す程度の為にそんな真似をしてどーする。
と教えられた。
……あかーん。気が緩んで、日本にいたころの習慣が出てしまった。
親切をする時は深く計算しないといけないのだ。
でなければやらない方がマシである。
これが三つ子の魂百までってやつか。ふぁっきんしっとぞね。
なんていう反省以外は平穏に過ぎた二週間後の深夜、陣地の慌ただしさで目が覚めた。
直ぐに起きて身支度を簡単に整え幕舎を出、リディア、皮鎧を着たラスティルさんと一緒に対処しているであろうレイブンの幕舎へ走る。
レイブンは配下へ指示を出している所だった。それが終わり人が居なくなってからリディアが口を開いた。
「状況は?」
「見張りの者から、アグラの陣営から多くの馬と人が動く音が聞こえたとの報せが入った。他は闇で何も分からぬ」
「ランドでビビアナに何かが起こり、撤退を始めたと思われます。……出来ればアグラの陣営を直接調べたい所ですな」
「うむ。それでラスティルを待っていたのだ。軽騎兵を百人準備させている。率いて調べて欲しい。言うまでも無いとは思うが交戦は厳禁とする」
「分かっている。何が起ころうとも見るだけにいたそう。ではな」
そう言って駆けて出ていくラスティルさんカッコイイ。
さーて、後は報告を待ちま「一つ献策を。今すぐに分かっているだけの情報を早馬に持たせてマリオまで走らせては如何」
……。
「いや、大将であるテリカ殿に無断でそのような真似をするべきではない」
「レイブン殿、我らは此処へマリオ、イルヘルミらのご機嫌伺いに来たのですぞ。それにテリカとて、マリオより自分を優先されては困りましょう」
「しかし……軍の規律はどうなる」
「マリオは盟主、総大将です。……テリカに対して義理を果たしたいのであれば、この後得られた情報を彼女に報せ、彼女の方からより正確な報告を上げられるようにしては如何」
「ぬぅ……リーアに諭されていると、聞き分けの無い子供になってしまったような気分になるな」
「無礼の段はご容赦頂きたい。私の敬意を払うべき相手がこの様子ですので、他の方をそれ以上に扱う訳には参りませぬ」
えっ、オデの所為なの?
「それは……分かった。言う通りにしよう。そういう約束であったしな……」
「感謝致します」
なんか貶された気がするけど、丸く収まったんならどうでもいいか。
他にはリディアからも意見が出ず、一時間としない内に届いた敵兵が完全に居なくなってるとの報せを聞いて私たちは見張りを残して寝た。
次の日の夕方、テリカから馬で半日以上の距離より先までアグラ軍の足跡が残っているとの情報と、明日から追撃に入るという命令が届いた。
それで斥候によって相手の位置を把握しつつ追撃に入った訳だが、朝よりも夜の方が距離を離されていた。
なんでだぜ? と思った時に尋ねる人は決まっている。
リディア様は本当に頭の良いお方。
どんな難問もその英知でイチコロという訳よ。
「まず食料を馬車に載せて運んでいたのでは、この速度は不可能。よってあらかじめ予定野営地に食料を分散して置いたり、野営に必要な準備がしてあったものと推察致します。
この地道で堅実な策はホウデの物と考えて間違いありますまい。彼女はアクアの関より一歩も出なかったそうで、それもこの準備に追われていたからでしょう」
「おや? じゃあ相手の撤退速度は少なくとも黄河の渡し場辺りまでは継続されるのですか? それだととても追いつけ無いですね」
「否。この準備もランドまでと見ております。ランドまでならば万が一に主君を一早く助ける為などと言えますが、それ以上は全軍撤退の準備となりますのでビビアナの逆鱗に触れましょうから」
「えっ。退路の準備をして怒られるんですか? しかもそんな感情だけの問題に配慮しないといけないんですか?」
「……感情だけとは言えませぬ。必勝の意思は必要な物で御座いますし、正しかろうと勝手な行動を許していては全軍の規律が乱れ害が大きくなります故。イルヘルミは必ず退路を準備していると述べておりましたが、それも兵たちには分からぬ様にしていましょう。……加えて言えば、主君は多くの問題に苛まれるもの。感情に配慮するのは臣下の義務で御座います」
あー、そりゃそーか。
臣下はいっぱいいるけど、主君は一人だもんね。
しかも出世の為だの何だので、臣下皆が気を引こうとする。
『俺の意見は正しいから、好きにやっても許されて当然』なんて考え持つ奴が五人出れば、組織は大混乱か。
電話で即意思確認が出来た二十世紀だって、この問題はあんまり解決されてないもんな。
「所で、ランドに入れば諸侯の交流やきな臭い動きが増えるでしょう。ダイが以前そういった物を調べたい。と、仰っていましたが、何かお考えでも?」
「考え……という程ではありませんけど、目立たない程度に調べるのが良いかなと思っています。私たちの方針は、こちらの軍の行動に左右されないでしょう? あまり派手に調べると、藪蛇にもなりかねないかな……と」
「となると、誰と誰が会っていた程度が限界で、詳しい会話は全く分かりませぬが?」
「勿論、詳しくはリーアさんにお任せします。私が恐れているのは方針が不味い人たちにバレてしまい、気づいたら宿舎を兵に囲まれていた。なんてなる事でして。後は貧乏性で何か良い情報が入ればなーってだけなんです」
「そのご心配は私の方で常に気を付けております。とにかく承知致しました。仰られた方針も概ね同意ですし、良いように図っておきましょう」
はい、お願いしますよー。
ほんま頼りになるお嬢さんだ。
何か面白い情報が入ればいいけどなー。ま、無理だろうなー。
等と相談しつつ、馬でぽくぽくテリカの後を追う私たちだったが、一日と行軍しない内に突然テリカが進軍速度を鈍らせた。
将兵の中には早くランドへ行き、状態を自分の目で確かめたいと不満を言う者が多く居たけど、テリカは決して譲らなかった。
この理由は私にも分かる。
マリオに遠慮したのだ。
或いは命令でも届いたのかもしれない。
進軍を遅らせて、盟主が先頭に立ってランドへ入るようにしろ、とか。
飼い犬は辛いねぇ……テリカは犬なんて可愛い感じじゃなかったけどさ。
なんてこっそりテリカへ同情しつつ、ゆっくり行軍する。
結局全力で歩けば一日で付くはずのランドを視界に収めたのは、ソラの街を出て三日後だった。
うーん、この街を見るのも久しぶりだね。相変わらずデッカイぜ。
畑に囲まれたデカイ壁の奥に巨大な王宮が霞んで見える。
しかも、このランドの周辺には小さな村や、貴族たちの邸宅があちらこちらにあるのだ。
何処の大都市でも似たような構造ではあるけど、ここは規模が違う。
なんて思っていたら、リディアが話しかけて来た。
「ダイ、先ほどマリオから軍議を開くとの使者が来ました。お考えになった通りテリカがマリオに配慮して進軍速度を落としている間に、何か起こったのやもしれませぬ。我らも参りましょう。お急ぎください」
……。
あ、とりあえず馬の所まで走らないと。
レイブンを待たせては悪い。
「あの~、どうして私がそう考えていたのを知ってるんですか? 何も話してませんよね?」
「私へ何もお尋ねにならなかったので。それにこの程度の推測をお間違いになるとは思えません」
黙ってるだけで思考がバレるとかパ無い。
しかし……前々から思っていたんだけど、こーいうのリディアにしては賢く無い行動だと思うのよね。
いい機会だしお考えをお教え願ってみますか。
「突然ですがリーアさん、とある非常に立派な君主の話なのですけど、彼の配下に大変才知の長けた者が居ました。彼は主君が偶にする謎かけ染みた指示を、只一人理解し他の臣下に説明して実行させたそうです。しかし主君にとってそれは不快な行動だったらしく、機会を見つけて殺してしまいました。この話、どう思われます?」
これは曹操と楊修って人の話である。
ま、本当は殺した曹操には不快なんて言葉じゃ片づけられない複雑な理由があったみたいなんだけども。
「ふぅむ……。私が聞いた覚えの無い話とは……しかも中々に含蓄がある。お教え頂き感謝致します。まず確認したいのですが、その配下、主君の子息。恐らくは太子では無い者に、主君が好むような行動や、問答の答えを教えてはおりませなんだか?」
!?
「は、はい……仰る通り、明察です……。ど、どうして分かったんですか?」
「自分の知を誇示したがる愚か者は、主君が最も注目する後継者問題に関わりたがるものですので。しかし我が君、その者を才知に長けたと表現するのは誤りで御座います。主君への配慮をせず権威を脅かし、高慢で、知はあっても知恵が無い。大事は任せられませぬ。賢明な君主であれば殺して当然」
お、おやぁ?
「あのー、今リーアさんが私の考えを的中させたのも、そーいう事になりませんか?」
「我が君の場合は話が違うと愚考致しております。私としても迷いはしましたが、全能力をお見せした方がお喜びになる、と。もしもご不快でありますれば、今すぐ地に這いつくばって謝罪致します。そして罰を与え、この身に改める機会をお与えください」
うおぉぉ……全部見切られてる。
はい、そーなんです。能力隠す奴が一番怖いんです。
何といっても私自身がそうなのだ。そういう奴の危険性は良く良く分かってる。
「いやはや……本当に私の全てを理解してくださってるんですね。しかも其処まで配慮頂けるとは……有難うございますリーアさん」
「お言葉なれど、貴方様を理解できた事は一度も御座いません。私としては何か失敗をした時、教えて下さるようただ願うのみで御座います」
そんな風に思われるのは困るね……。
しかし私が知る限り最も慎重な人間と言っていいリディアが、此処まで能力を示すなんて……。
私の何処に其処までの価値を見出したんだか。
素直に感謝するべき……なのだろうけど、理解を超えててモゾモゾするのよね。
「人は自分の事も理解出来ないと昔から言いますからねぇ。しかし貴方が失敗した時に教える……そんな場面は想像付きませんが、ありましたら頑張ります。
と、すみません、思わず立ち止まってしまいました。レイブンの所へ急ぎましょう」
後は無言で馬場まで走り、其処で合流したレイブンとマリオの陣営まで馬を走らせた。
さて、どんなお話があるんでしょうね。