カガエとリディアの違い
「シウン殿、何か?」
「はい。誤解を解いておきたいと思いましたの。レイブン殿は、わたし達に隔意をお持ちと見ました。それはマリオ様がカルマ様の悪評を流したとお思いだからです~?」
おっとー、真正面から来たな。
しかし……誤解?
「……隔意など持っておらぬ。先の軍議におけるマリオ殿への態度の事であれば、先に我が主君を貶めたのはマリオ殿であると記憶しているが?」
そうそう。どんだけ分かり切ってても、『はい』と言わないの大事。
『はい』と言って何か良い方向に動く事なんてまず無いからね。
「あや~違いますわ~。非難する為に来たのではありませんの。わたしどもは確かにカルマ様の悪評を流しました。お怒りは当然だと思います~。でもお考えください。あの時マリオ様の隣にはビビアナが居ました。このように国中の諸侯を集めてやっと対抗出来るビビアナに、誰が逆らえましょうか? どうか広い御心でお許しくださいませ」
成る程。
川が氾濫するのも、冬が寒いのもビビアナの所為ってやつだな。
「マリオ殿がカルマ様へ謝罪の意を持っているとは思えぬ」
「いいえ。マリオ様もグレース殿の才知と、策を受け入れたカルマ様の器には感心しておりましたわ。良い関係でいたいと思っておりますの~。少しではありますが、肉と酒を後ほど贈らせて頂きます。是非ご賞味ください。勿論この程度で謝罪したと言うつもりはありませんわ。お近づきの印としてです~」
謝罪の意を持っているのかと聞かれて、能力に感心していたとはこれ如何に。
ま、あのマリオが謝罪する気があるわけもなし。
シウンのこれは、配下として布石を打っておくという感じかね?
「……酒と肉は有り難く頂戴しよう。マリオ殿にも感謝を告げて頂きたい」
「はい。向こうではテリカ殿をよろしくお願いいたしますね~」
という事で挨拶回りは終わり、私たちは自陣に帰って別れた。
そして私はリディアの元へ行く。
何が起こったかを伝えねばならぬのだ。
「リーアさん、今よろしいでしょうか」
「今は少々忙しゅうございます。一時間ほどお待ちいただきたい」
「分かりました。後ほど失礼します」
邪魔をしてはならじと一時間ほど雑用をし、その間にどう話すか整理した私は再びリディアの元を訪れ、マリオ、イルヘルミとの会話をそのまま伝えた。
「グレース殿の巨名が其処まで広がっておりましたか。シウンが友好関係を作ろうと考えるのはまだしも、カガエ・クイが天下一とまで言うとは……。いや、実績で考えれば当然かもしれぬ」
「あの男性は有名な方なのですか? イルヘルミの厚い信頼を得ているように見えましたが」
「当世一の才人です。今の所、天下で最も有用な人間だと言えましょう。特にイルヘルミにとっては。ローエン家がどういう家かご存じか?」
「官僚の家でしたよね? それがどうかしました?」
その所為でボコボコに言われてるのを昔耳にした。
官僚の出が戦場に出るなんて身の程知らずだのなんだの……。
幾らかはコルノの乱における大活躍で言われなくなったけど、それでも腐った奴に決まってるとか何とか言われてたな。
でも、それとカガエに何の関係があるんぞ?
「ご存じなのにお分かりにならないとは……まぁよろしい。官僚の家である上に、彼女の父は大金で役職を買いました。それ故己の力で立つ士人、将軍からの評判は大変に悪かったのです。幾ら人材を求めても、仕えてくれる者が現れなかった程に。
しかし、そこで現れたのがカガエ・クイ。彼は名家中の名家の出なだけでなく、常に正道を歩む人物だとの評判を得ており多くの人物から動向を注目されている。その彼がまだ男爵程度であったイルヘルミに仕えた事で、天下の人材はイルヘルミに興味を持ちました。加えて正道を歩む人物故にカガエは有為の人材をよく知っていて、イルヘルミに推挙したのです。そのお陰で今イルヘルミが持つ文官の量を考えれば、領土が二倍になっても差配に問題は起こらないでしょう。
加えてカガエ自身の才知も天下一です。今回の反ビビアナ連合戦ですが、全体の絵図面を描く大部分に彼が関わってるはず。
天下を動かす程の才、人材を得る人脈、主の評判を大いに上げる名声。彼は全てが揃った人間でありイルヘルミにとっては大恩人。何時でも傍に置き、天下の人々にこの人物が自分の配下であるのを意識させたい。それ故レイブン殿にも紹介したと思われます」
「それは凄い。しかし彼自身がグレースには敵わないと言っていましたよ? まぁ三人が合わさった分を一人としてるからでしょうか?」
「……はい。私とグレース個人で見ればカガエには敵うはずも御座いません」
はー、リディアが其処まで言うとは凄いねー。
名家の人物が仕える事で、そんなに状況が変わるとは……。
……いや、名家?
「そういえば貴方も名家ですよね。もしや……貴方の動向も注目されてたりします? アイラさんの家へ頻繁に来ると噂になってたり、カガエを迎えたイルヘルミのようにカルマや下手したら貴方の周りをうろついている私の名まで出てしまったりとか……」
カルマ領へ帰る頃には、草原族によって防諜と身の安全が改善されてるだろう。
しかし今までに注目されてたら……少しこまるね。
「いいえ、そのような事は在り得ません。我が家よりもクイ家は家格が遥かに上。当然世に与える影響は全く違う。それに辺境で仕官し都落ちした私に注目する者は殆どおりますまい。……私がカガエに劣る事をお嘆きとあれば、謝罪するよりほかに御座いません」
は? 劣る?
「グフッ。ウゥッ……。は、はぁああ……。いやいや凄いですねリーアさんは。これだけ有能でさらに謙虚だとは。余りに凄くて笑いが出てしまいました。一応密談中なのですから、余り面白い事を言わないでください。声を抑えるのに苦労しました」
「……私は事実を申し上げたのみ。お笑いになる理由を把握しかねます」
「いや、だって。そりゃ私は貴方達みたいに優秀な方の間における能力差なんて分かりません。ですが、優秀さとは極論すれば生き残る能力でしょう? 自分と、自分が生き残らせると決めた人、まぁ主君とかですね。
さてカガエですけども、あの人は非常に誇り高く信念を持っている方に見えました。違いますか?」
「……それは、そうでしょう。元来士人とは大儀と忠孝の道、詰まり名声と体裁を何より重んじるもの。賢く、世間を広く見る故に多くの人物と会うのですから当然かと」
士人、よーするにいっつも勉強している知識階級だぁね。
当然プライドが高い人たちだ。何時だってお勉強できる人は自分が偉いと思うもの。
加えて彼らは知識を蓄え、世間の情報と人物を知るために多くの人と会わないといけない。
で、その時に非難されない行動を日頃から気を付けるのは普通だろう。
評判が悪ければ、人が寄って来なくなって自分の人脈は薄くなり、世情に疎くなるというのもあるし。
名声と体裁はかなり重要だ。
武人は戦場という狭い場所のみで生きてるから、戦場の評判だけを気にする人が多いけどさ。
「しかし、貴方は名声と体裁を何よりも重んじたりしないでしょう?」
でなければ下級官吏だった私の配下になりたいなどと言うまい。
「……はい。………………。そのように大義を持ち、己の体裁を考えていてはやがてどのような主君であれ、道を違え疎んじられる原因となりかねませんので」
……うんあ? なんかこいつには珍しく長考してたな……。
考えるような質問だったか?
……まぁいいか。考えても分からないし。
「ま、そうですね。あのカガエだってイルヘルミの道に何時までも付き添っていられるか分からないと思います。
そしてそのように自分の思考を何かで縛る人は、能力の全てを発揮できません。私の知る歴史全てでそうなっています。貴方はさっき自分よりもカガエが優れていると言いましたが、もしも二人が戦えば最終的には必ず貴方が勝つと私は確信しています。
もしもカガエと貴方を交換できるとしても、カガエに一州、侯爵の位が付いてこようが私はお断りですよ。それ程に貴方の方が勝っています」
カガエが優秀なのはよく分かった。
しかし、余りに派手で感情を出し過ぎる。
しかもプライドに縛られた男。
リディアに比べれば半分の恐ろしさもない。
大体この国の一般的枠内で動く人間は私にとって恐ろしくないのだ。
全ての行動は想定の範囲を出ないのだから。
だがリディアは違う。彼女に大した能力がなくとも私は恐れただろう。
何故なら彼女は全く内心を読ませないだけでなく、無限に思える忍耐力を持っている。
乱世で最も重要なのは忍耐力だと私は思う。
敵が、失敗して、自分から崖の上に立つまで待つ忍耐力。
どれだけ自分が弱くても、その時ちょいと背中を押してやるだけで敵は死ぬ。
リディアにはそれが出来る。
その上で彼女はとてつもなく優秀なのだ。
こいつならば、不慮の事故が無い限りこの戦乱の世を最後まで勝ち残っただろう。
私と真田さえ居なければ。
「……それ程に買って頂けるとは恐悦の至り。一層の忠勤に励みます」
「私は事実を言っただけです。忠勤よりも忠告がいただけると嬉しいですね。貴方だけが頼りなのですから。さて長く時間を使ってしまい申し訳ありません。でもお陰で色々と分かりました。有難うございます」
「いいえ。私としても有意義な時間でした」
「そう言って頂けると助かります」
そう言って私はリディアの元を辞去した。
この二日後、私たちは拠点をテリカの方へ移すことになる。