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金色の眸に映る世界 作者:秋保千代子
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二日目(2) 生き残りの娘

 目を開けた瞬間見えた顔は、持って生まれた気の強さをそのまま写した太い眉と金色の眸を持った少年のそれ。
 懐かしいと思った。知り合って一年も経たない相手にそう感じるのは可笑おかしいかもしれないが、それでも、一人で雨の中を逃げ回る前に知っていた顔に胸をぎゅっと掴まれた。

比陽ひよう?」

 名を呼ぶ。自分とそう年の変わらない少年はにっと笑った。

「良かった、気が付いた」

 髪をぐしゃぐしゃに撫でまわされる。折角梳かしたのに、と思って体を起こした。
 寝転がっていたのは、草の褥の上。乾いた風が吹き抜けていく丘の上だ。
 視線を落とすと、艶のある布で作られた衣裳。滑らかな掌と形の整えられた爪。

「そうか」


 もう逃げ回るのは終わっていたのだ。
 いかつい魔術師たちに捕らえられて、枷を嵌められて、怖い青年の前に引き立てられた。その後は体を洗われて、草原の中を走り回っていたとは思えない姿にさせられて。夜。


 腹の奥がじくりと痛んだ。両手でその上を抑える。

「……痛いの?」

 問うてきたのは隣に膝をついたままの少年。ゆらゆら定まらない金色の眸も向けてくる。

「ごめんね。ただ『鍵』を預けただけなのに、こんな、むごい目に……」
 彼はぶるぶる肩を震わせた。
「物を取ってしまえば、それで良かっただろうに……! 桂雅けいがめ……!」
「比陽?」

 瞬いて、視線を合わせようと顔を覗く。
 だが彼は、ぷいっと横を向いた。

「恥ずかしい。俺は君の顔が見れない」
「どうして。森の中ではぐれてしまったのを気にしているの? それでも、こうしてまた会えたのだからいいじゃない。むしろ、合わせる顔がないのはこっち。預かっていたものを盗られてしまったの」
「うん…… 『鍵』でしょう?」

 そろりと視線を戻して、彼は苦笑いを浮かべた。

「大事なものだと言っていたのに。ごめんなさい」
「ううん。もう、いいんだ。桂雅だったら仕方ないかなってちょっと思っていたんだけど」

 首を横に振って、彼は長く溜め息を吐いた。

「あいつも結局酷い奴だったんだ。君を、傷つけて。赦せないって思うのに、俺は君をもう一度逃がしてあげることしかできない」
「充分よ。もう命しか残ってないもの」


 彼を追ってきた魔術師たちが村に火を放った時、それまでの暮らしは終わった。森で獣を狩り、拓いた畑を耕す日が。
 山谷を駆け回って育ってきたことが幸いだったのか、足だけは頑丈だった。だから命を拾い、逃げてこられた。昨日まで。


「せめて、その命だけは守らせて。そのために、もっともっと遠くに行く?」
 やっと真っすぐ向いてきた金色の眸に、笑い返す。

「遠くに行って、新しい場所でまた暮らしていけるかな」
「できるさ。叶う場所まで連れて行ってあげる」
「比陽はそれでいいの?」

 問い返すと、彼は首を振り、俯いた。

「もう、逃がしてあげることしかできないんだ。俺はあいつに逆らえない体になっちゃったんだもん。君の本当の名前だって呼べないくらいに」



 ざわりと乾いた風が吹いた。草が舞うのを追うと、視線は遠くへ。丘の上からの眺めは素晴らしい。
 太陽のほうを向けば群青の海とそこへ流れ込む川。そこを何槽もの手漕ぎ船が行き来する。川の西側には瓦屋根が連なっている。
 あそこが西寧の街なのだろう。



「あの街は厭だな」
 ぽつんと比陽は言った。

「桂雅の治める街だから。もっとも、この辺りは全部あいつの領地だけど。もっと違う街に行こうよ」
「任せるわ」

 ゆっくりとこたえて、笑う。彼もぎこちなく笑い、立ち上がった。
 それから、二人がいた傍の枝に掛けられた布をふわりと寄越してくる。

「これは?」
「何か着るものが必要だろうと思って」

 確かに、今纏わされているものが心許こころもとないのに対して、渡された麻の衣はしっかりとした厚みで包んでくれそうだった。

「これも刺繍がされている。わたしと似たような一族の人が作ったのかな?」
「う、うん…… 分からない」
 比陽はまた金色の眸を揺らした。
「実は…… 町の傍で倒れていた人から剝ぎ取ったんだ」
「え?」

 頬が引き攣る。彼はかっと頬を染めて、脇を向く。

「結構、この街の周りには多いんだよ。着の身着のままで逃げてきたって人とそういう人が集まっている場所。なかには、辿り着いたのはいいけどそこで力尽きちゃう人もいて……」
「……分かったわ」

 王位を巡る戦いが続いているのは知っている。きっと、巻き込まれた人たちだ。
 それ以上は想像するだけに留めよう、と衣を黙って着た。
 立ち上がる。
 ずきん、とまた腹の底が痛む。
 比陽が手を差し出してくれたので、そっと重ねた。


「逆になった」

 比陽の声がようやく弾んだ。

「最初に会った時は、俺が引っ張ってもらう側だった」
「だって、比陽ってば川岸を真っすぐ歩けないんだもん」
「いろんな大きさの石がある、凸凹した場所に自分の足で立つなんて初めてだったんだよ」
「そんなで、よく都から山の中まで一人で逃げて来れたね」

 ころころ笑うと、彼は頬を膨らませた。

「よく憶えてない。必死だったってのは確かだけど」
 くすっと喉を震わせて、繋いだ手に力を込める。
「でも、俺を匿ってくれたから、村は焼かれちゃった。君の家族も、みんな……」
 雨季作の稲穂が揺れる中を歩くうちに、また声と心が沈んでいく。

「生き残ったのが、俺と君だけなんて」

 視線を落とす。首を振って、ただただ歩き続けた。

「焼いた奴等がまだ、『比陽の配下』を名乗って軍を組んでいるんだ」
「どこで知ったの?」
「君とはぐれた後、まあ、いろいろあって。無駄に政治に詳しくなった。そんな話要らないのに」
「そうなの?」
「俺は王になんかならない」

 比陽は目を吊り上げた。

「王様なんてのがいるからいけないんだよ。たくさんの人の上に乗っかって、ふんぞり返る奴なんて――そんなものに俺はなりたくない。他の奴がなる必要だってない」

 だから『鍵』を持ち出したのだ、とわらう。
 一緒に曖昧に笑うのに、すっと視線を向けてきた比陽は唇を薄く開いた。

「名前を呼べないって不便だ」
「そうなの?」
「あいつが勝手につけた名前しか呼べない」

 首を傾げる。そういえば、昨夜呼び名を押し付けられた。

りん、と」
「そんな名前で呼びたくないよ。君をこれ以上巻き込みたくない苦しめたくない」

 なのに、と彼はまた険しい顔で前に見向いた。

 視線の先。
 道端の木にもたれた影が二つ。
 長身のほうが先に振り向く。その顔を緋色の仮面で覆った、ずしりと圧し掛かってくる気配の持ち主が。

「まさか、こんなところで逢おうとは」
「マジで、比陽様?」

 小さいほうが、 頬と袖の影の腕に刺青が見せながら、 ひょこっと立ち上がる。

「おまえは、征雲せいうん叔父の傀儡かいらいだろう?」

 比陽の甲高い声に、仮面から覗いた口元が微かに弧を描いた。

「奥のが件の娘か?」
「俺には確定はできませんけど――おそらくね」
「成程」

 くくっと笑って、長身のほうが進んでくる。途中で、音を立てて、その爪が鋭く伸びた。
 手を放し、比陽が凜の一歩前に立つ。

「絶対俺が逃がしてあげるからね」

 そう言って。
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