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フレールの竜
作:南条武都



フレールの竜


 いつものように、獣の足で音も立てずに湖へ滑り込むと、体を丸くしていた赤竜が顔を上げた。その顔は先ほどここを離れた時と同じように無表情だった。
『戻ったか、神子よ』
「はい。戻りました」
 何気ない会話を交わしながら、白狼の神子は、赤竜のもとへ歩み寄った。湖の水面をまろびて輝く光が目に入ったのか、赤竜はすう、と目を細める。
『良いのか、神子よ。このままあの人間達を帰して』
 ついで告げられた声は、穏やかではあったものの、慎重な響きを帯びていた。まるで、答えを聞くことを恐れているかのように。
 神子は目を細めて微笑んだ。
「良いのです、御主人様。私は、貴方様のお側にお仕えするものです」
『わしはいずれ死ぬ』
 神子の笑みを凍りつかせようとするかのように、赤竜の声は鋭かった。
『わしとそなたは、もはや分かつ事も出来ぬほど魂が結びつき、絡み合ってしまった。
 わしは己の寿命が故、そう遠くない未来に朽ち果てるだろう。それは、そなたの命も尽きることを意味している』
 見上げるこちらを、芯まで焼き尽くすような厳しい眼差しで見下ろして、赤竜は言う。
『だが、神子よ。もしそなたが人間である事を選ぶというのなら、わしは今からでもそなたを人間に戻し、あの人間達に託そう』
「御主人様……」
 淡々と紡がれる言葉は突き放す冷たさを秘めながら、しかし同時に深い思いやりが感じられた。
『選ぶのであれば今だ。人間に戻り、人間の世界で生きていく事が出来る機会は今しかない。
 選べ、神子よ。さすれば、わしは神子の望みを叶えてやろう』
 今ここで、人間に戻る事を選ばなければ、己は赤竜と共に死ぬ。あの懐かしい人間の世界に戻る事も、この森でただ一人生きていく事も出来ずに。
 だが、神子は、再び微笑んだ。最早、迷いは無い。
「いいえ、御主人様。これでよいのです。確かに、人間の世界に未練がないと言えば、それはいつわりになりましょう。けれども、私は貴方様と共に居たいのです。この命が尽きるまで、ずっと」
『……何ゆえ?』
 赤竜が身じろぎする。声に表情が浮かび、困惑の色を帯びた。
 神子がそっと顔を寄せ、赤竜の膚に顔を寄せると、その下でごうごうと命の鳴る音が響いていた。
 初めて出会った時、己を包んだ炎と同じ音。
 絶望も飢えも乾きも、全てを焼き尽くしたあの炎、全てを癒したあの涙。
 絶え間ない泉のように次から次へとあふれ出す赤竜の知識と知恵で広がる世界。
 そして、初めて狼に姿を変えたあのときの、血が沸き立つような自由の空気。
 その全てが、それまでの辛い人生を破り捨て、新しい世界を作り出してくれた。
 人間であったらば、決して見ることのできなかった世界を与えてくれた赤竜。だからこそ、
「貴方様と出会ったとき、それまでの私は死に、新しい私が生まれました。私の世界は、もはや貴方様以外にないのです」
 神子の言葉を聞いて、赤竜は身震いし、ぐいと首を持ち上げた。発する声が、感情に揺れる。
『神子よ、わしを許してくれ。わしはそなたに、わしの命を継いでほしいと願っておる』
「……命、を……?」
 意味が理解できずに尾を下げる神子に、赤竜は苦笑いのような微笑を見せた。
『竜の中でも赤竜は、他の竜と異なり、子を成して血をつないでいくのではない。魔を宿したこの身は神子――すなわち、自らの分身ともいえる「器」を選ぶ。そして、いずれ天命尽きる時、その器に己の命を注ぐのだ』
「それは、つまり……」
 思いがけない告白に、神子は赤竜を見上げた。
『……わしは、そなたが赤の竜となり、この森を守ってくれはしないかと、願っておるのだ。それはそなたを、永劫に人間ではないものにしてしまうにも、関わらず』
 苦渋に満ちた声をもらす赤竜。目からは、しとどに涙がこぼれ落ちる。
『わしを許してくれ、神子よ。わしは己の欲のために、そなたを手放す事が出来なかった。
わしは、そなたがわしのもとを去っていく事に、耐えられなかった。わしはそなたと共に、この世の有り様を見届けたいと願い続けてしまった。
 どれだけ長く生きようと、万物の長と呼ばれようと、知恵持つ者は愚かよ。これだけ生きて、まだ執着するものがあるとは、おもわなんだ』
「御主人様……」
『神子よ。もしわしがそなたを人間に戻すことが出来ると言えば、否、人間に戻らねばわしと共に死ぬ運命と知れば、あの人間達とて、喜んでそなたを連れ去っただろう。そなたも心置きなく、ここを去る事が出来ただろう。
 だが、わしには出来なかった。それを言えば、そなたがこの森を去ってしまうだろうと思うと、出来なかったのだ。わしは狡い。そなたが信ずるほどの価値など、無いのだ」
 自虐的に笑う赤竜に寄り添い、神子は目を閉じた。
 こわい肌の下でどくどくと息づく竜の炎。確かに生きていると分かるその熱さ、いずれ失われるその熱さに、涙が尽きない。
 神子は竜を振り仰ぎ、青の瞳から涙をこぼしながら、微笑んだ。
「いいえ、御主人様。私は貴方様を信じます。私は貴方様の神子です。どうか私に、貴方様の御命を下さりませ」

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 青く染まった池の真ん中に、赤竜と白狼が、向き合っていた。
 赤竜は頭を垂れて、尖った牙が二重に並ぶ口から、もはや知るものの無いまじないの言葉をつむぎだす。
 木々の葉擦れを思わせる涼やかで心地の良いそれは、まるで天上の歌声のようだ。神子は歌の雨を受けて目を閉じ、幸福に尾を揺らしていた。
 森の木々はざわざわと揺れ、池の周りには動物達がひっそりと集まり、彼らの儀式を見守っていた。
 赤竜は歌いながら、涙をこぼす。
 涙は尽きる事の無い池となり、いずれ湖となり、土にしみこみ、森に生きるものたちの糧となるだろう。
 己が死した後も、この森には己の生きた証が残る。
 その事に身震いするほどの歓喜と愛着を覚えて、赤竜は涙を流し続けた。
 赤竜と白狼の体が光を帯び、次第に輝きを増していく。まじないによって、自分の体から神子へ命が移されていく事を感じながら、歌い終えた赤竜は首を高くあげて吼えた。
 赤竜の咆哮は膚をあわ立てるほど鋭く、びりびりと空気を震わせ、天を突き刺すように高く高く伸び、遠く離れた場所まで鳴り響き……長い余韻を伴って、消えた。


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 依頼を終えた後、男達はその森に二度と足を踏み入れなかったので、森がどうなったのかは知らない。
 しかし風の噂に、森にはまだ赤竜が居て、時折朱に染まる空を飛んでいる姿が見られると聞いた。
 深紅の膚をまとい、守護者として森に君臨し続ける赤竜。
 遠い過去に忘れ去られたフレールと言う名を持つその竜は今、その頭に純白の角を生やしているのだという。


初めまして、作者の南条武都なんじょう・たけとと申します。
まずはここまで読んで下さり、ありがとうございました。楽しんでいただけましたでしょうか?
読んで下さったあなたの心に、何か響くものがあったのなら、作者として嬉しく思います。

この作品は「正統派ファンタジーの竜が書きたい」というところから始まりました。
竜といえばファンタジーの王道、様々な作品で様々な姿の竜が出てきますが、その造形はあまりにも多岐にわたり、意外性を狙って突飛な設定になったものも少なくありません。
そういった竜の姿も魅力的ではありますが、そういえば古式ゆかしいファンタジーの竜、というのは最近あまり見ないかも……うーん見てみたいな、という自分の欲求から、赤竜が生まれてきました。
その願いから、出来るだけ赤竜の存在感を文で描き出せるように努力したつもりです。

また、人間(男達)には決して踏み入れる事が出来ない、神子と竜の異種族同士の絆も描きたいテーマの一つでした。
神聖で超自然的な存在だからこそ、人間はむやみに干渉出来ない、またしてはいけない。そういった暗黙の了解で、この物語はこういった終わり方をしています。
少し大きな話になりますが、現実で自然と人間が共生するのも、互いを尊重しあう、そういった心遣いが必要なのではないかな、という思いを込めているつもりです。

長々とした後書きになってしまいましたが、読んで下さって本当にありがとうございました。
続いて番外編で「竜、在りて思う」という赤竜視点のお話も投稿しましたので、そちらも読んで頂ければと思います。











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