じぃちゃんが徘徊した。
それは突然だった。
真夜中、むっくり起き上がったじいちゃんは
「行かなくちゃ」
と言って着替え始めた。いつもは三十分以上かかる着替えを、見る間に済ませて外へでた。
小さいばあちゃんの肩を借りながら、近所を小一時間歩き回った。
じいちゃんは一体、どこに行かなくてはいけなかったのだろう。
じいちゃんに最後に会ったのは正月だった。その前は……思い出せない。
電車で一駅のところに住んでいるのに、ほとんど顔を出していない。
(ハミダシ者だからなぁ……)
そんなヒケメも確かにあった。
じぃちゃんとは五歳から十歳まで一緒に住んでいた。離婚して、出戻った母は、初孫の私と生まれて間もない弟を連れていた。
じいちゃんはとにかく、新しい物好きだった。家にはファミコンもゲームウオッチもなかったけれど、八ミリの映写機や、ベータのビデオや、パソコンがあった。そして大量の本棚には、取り出すのも困難なほど、隙間なくぎっしりと本が詰まっていた。
戦争中は、陸軍だか海軍だかのそこそこ偉い人で、戦後はしばらく私立の高校か中学の教師で、その後は研究者になって、定年後も嘱託で働いていた。
テレビの前に座り、相撲を見ながら、ブランデーを飲んでいた後ろ姿をよく覚えている。
子供は苦手だった。
とにかく怖かった。
しつけも厳しかった。
「うん」
と返事をすると、
「はい」
と言い直しさせられる。うっかり
「はい、はい」
なんて言うと、正座の上、三十分は叱咤される。
食事中、背筋が曲がっていると、竹定規を背中に突っ込まれた。肘を突こうものなら、容赦なく叩かれた。
箸の持ち方が悪いと、じいちゃんのおつまみの塩まめで、食後に特訓をさせられる。小さな皿に入ったまめを隣の皿に箸で移す。往復するまで終わらせてくれない。
階段を駆け上がったり、廊下をダッシュしたりすると、捕まって何度もお尻を打たれた。
弟が小学校に上がってからは、別々に住むようになったが、給食のない土曜日はお昼ご飯を食べにじいちゃんの家に通った。
「給食を食べるようになると行儀が悪くなる」
スパルタなしつけは健在だったが、週に一回のお行儀講座は、少し楽しみでもあった。
話題は学校の勉強だった。そこから脱線して、いろんな蘊蓄を聞かされた。
「キッコーマンのマークは何故六角形か」
「カタクリは葉が二枚にならないと花が咲かない」
「月下美人の花は三杯酢で食べるとおいしい」
「マッチ棒の利用方法」
などなど。どれも長い話だったが、それはそれで面白かった。時には
「戦時中に食べた狸に仇討ちされた話」
なんていう怪しげな話もあった。
「もうすぐ読み終わるから、そうしたらあげよう」
しばらくして、家に届いたのは、じいちゃんが一頁目から読破した、百科事典の大全集だった。
中学校に上がる頃から、あまり遊びに行かなくなった。じいちゃんには孫が八人もいて、みんな近くに住んでいるから寂しくなかっただろう。
それに、弟も含めた他の孫達は優秀だった。成績だけでなく、生徒会や部活動でも活躍している。何となくいとこたちとも顔を合わせたくなかった。
私は大して偏差値も高くない高校に行き、卒業しても大学に行くわけでもなく、バイトに明け暮れていた。そしてできちゃった婚でスピード離婚をした。母やばぁちゃんには小言を言われたが、じいちゃんは何も言わなかった。
久しぶりに2歳になったばかりの娘を連れて遊びにいった時だった。娘はとことこと歩き、胡座をかいていたじいちゃんの膝に、何の断りもなく、ちょこんと座った。
(ひっぱたかれる!)
私のお尻は小さい頃叩かれた記憶で引き締まった……が、そんな事は全くなく、目尻を下げて、よくわからない娘の話を聞いていた。
(私の時とえらく違うじゃない!)
そんなヤキモチと同時に、じいちゃんが少し、小さくなっている事に気付いた。
その頃からさらに脚が遠退いた。回りが全員、高学歴だった事もある。私以外はみんな、名の知れた大学へ行った。もちろん仕事が忙しかったのもある。でもどんどん小さくなっていくじいちゃんを、見たくなかった。
「今年は行かなきゃダメよ」
母に言われ、渋々正月の集まりに行った。それまでは、仕事に託けて、母に娘だけを連れて行ってもらっていた。
愕然とした。
年齢の割には大柄だったはずのじいちゃんが、ひどく小さくなっていた。それは私の想像を越えていた。
膝は曲がり、腰も曲がり、歩くのも大変そうだ。あんなに話好きだったのに、自分からはしゃべらず、孫達の話に頷いている。ぼけているようには見えないが、小さなお寿司をさらに小さくして食べている。
娘が書いた作文を見せると、紙を裏、表とひっくり返している。
(見えないんだ……)
じいちゃんは裏のまま娘に渡し、読んでくれるように促す。小学校の低学年で使う原稿用紙は、そんなに小さいものではない。
じいちゃんが疲れて休むのをきっかけに解散した。帰り道、いとこたちが楽しそうに話しているのに、参加する気になれなかった。
じいちゃんは結局、孫達の誰の名前も、一度も呼ばなかった。
会いに行かなくてはと思う程、脚が遠退き、半年が経った。
そしてじいちゃんは徘徊した。
小さい頃、三輪車で遠出して、迷子になった時の事を思い出した。
怖かった。どこにいるかわからない怖さと、
「見つかったら、絶対じいちゃんに打たれる」
という怖さとが、ぐるぐるしていた。
三輪車の上で硬直していた私を発見したのはじいちゃんだった。じいちゃんはちっとも怒らず、
「帰ろう」
と言った。私は黙って三輪車をこいだ。
「ほら、ここの畳屋さんを真っ直ぐいくと、保育園だよ」
「この横断歩道は信号がないから危ないね」
「ここのお医者さんはじいちゃんの同級生なんだ」
家に着くまでの道のりを、じいちゃんは解説し続けた。私は三輪車をこぎながら、じいちゃんの声に、黙って頷いていた。
私が本当に辛い時、じいちゃんは一度も怒った事はない。
私には何もしてあげられる事がない。じいちゃんの時間を止める事も、戻す事も。
じいちゃんはどこに行かなくちゃいけなかったのだろう。もしかして、迷子になった私を、捜してくれていた?
もう一人曾孫の顔を見せられる予定もないし、お正月でもないけど、会いに行くよ。
今度は私と歩こう。
じいちゃんが行かなきゃいけないところまで。
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