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First day:理不尽ナ問題
 目が覚めた場所。
 そこは数か月前まで何気なく通っていた可愛らしい部屋。
 そして…
 二度と立ち入らないはずだった思い出の部屋。
 ベッドに繋がれた鎖が俺の両手首を捕え、少し動いただけで不愉快な金属音を鳴らす。
 何がどうなっているんだ。
 曖昧な記憶を必死に探ろうとするのだが、よほど思いだしたくないらしい。
 全てが痛みとなって返ってくる。
 部屋の主がいない以上、俺が拘束されている理由を把握することは不可能のようだ。
 ふと違和感に額の左側を触ると、ざらざらとした気持ち悪い感触が襲ってくる。
 目の前のタンスの横に置かれた姿見鏡を見つけ、俺はようやく痛みの正体を見破った。

 まぁ、死ぬことはないだろう。

 あくまで『この傷では』という意味だが。
 赤々しい自分の姿はどう考えても身の安全を否定している。

 そうだ。
 俺が今考えなくちゃいけないのは、理由なんかじゃない。
 

 脱出方法だ。


 とはいったものの…
 俺のポケットに入っていたはずの携帯電話はタンスの上にあるが、最小限の動きしか出来ない俺には届くはずもない。
 枕元のすぐ近くで揺れているカーテンは、ベランダへと繋がっている窓を隠している。
 チラチラと覗いている鍵に手を伸ばしてみてもギリギリの所で届かない。
 この際窓を割ってしまおうか。
 そう思った瞬間、俺の心臓が大きく脈打った。

「あら?起きてたんだ」

 部屋に入ってくる女の笑みに全身の毛が逆立つ。
 飯を作るとかで台所に立つ女は、楽しそうにあれやこれやと話しかけてきた。
 可笑しなものだ。
 いつ殺されるかも分からない状況の中で、俺は平然と会話を続ける。
 余りにも見知った存在に恐怖感が和らいでいるとでもいうのだろうか。
 …いや、それはない。
 現に冷静に喋る続ける俺の掌はベッタリと生々しい汗で滲んでいる。

「聞かせろよ、理由を」

 振り返る女の視線に背筋が凍る。
 たった数十分のやり取りなのに頭が狂いそうだ。


 なぁ、奈々。
 俺達、だいぶ前に別れたんじゃなかったっけか?



 テーブルに並べられたビーフシチューとサラダ、ご飯。

「はいっ、あーん」

 テーブルに届かない俺の口元にシチューを掬ったスプーンが運ばれる。

「いいよ、自分で食える」

 自然とでた言葉に俺は後悔した。
 奈々の声が低く曇っていく。

「あーん」

 そうだった。
 これは付き合っていたあの頃と同じようで全く違うやりとりなんだ。
 わざとじゃないにせよ、抵抗するのは決して利口とは言えない。
 俺は言動ひとつひとつに注意を払わなければいけないんだ。
 しかし、俺は余程警戒しているらしい。
 口を開こうにも震えてうまく動かせない。
 そんな様子を察してか、クスクスと音をたてて奈々は笑った。

「大丈夫だよ、毒なんか入ってないから」

 穏やかな口調が脅迫のように俺の鼓膜をつつく。
 俺はなんとか乾ききった唇を上下にこじ開け、シチューを招き入れた。
 奈々は満足そうな表情で次から次へとシチューを俺の口に詰め込んでいく。

「大丈夫、大丈夫」

 何度も呟く言葉は呪文のように宙を舞う。
 そして、呪文の後で俺はようやく宣告を受けることになった。


「まだ、殺さないよ」


 散々甚振って弱ったところを食おうってか。
 なんて性格の悪い女だ。

 俺は今にも溢れだしそうな反発心を、運ばれてくるシチューやらなんやらと一緒に飲み込んだ。



 ようやく食事を終えると、奈々は空になった食器を持って再び台所へ向かう。
 暫くして部屋中にコーヒーの香りが充満する。
 見慣れたマグカップを両手に持った奈々が戻ってきた。

「はい、どーぞ」

 乱れた渦を巻いてミルクが溶けていく。
 それを見ているだけで眩暈がした。

「いい加減話せよ。何がどうしたらこんなことになるんだ?」

 奈々はコーヒーを啜りながら目を瞑る。

「さて、問題です」

 問題?

「最初に嘘ついたの、だーれだ」

「嘘…?なんのことっ……」

 俺が言いきる前に果物ナイフが目の前に突きつけられる。

「質問は一切受け付けません」

 奈々はニコリと笑い再度問題を出す。

「最初に嘘ついたの、だーれだ」

 落ち着け。
 心当たりは全くないが答えなら分かるだろうが。

 俺はゆっくりと口を開く。

「お…俺……だよな」

 そう答えた瞬間、彼女の表情に狂気が宿った。

「正解〜!!」

 張り上げた声と共にナイフは俺の頬を掠め、その跡を血がなぞる。
 俺は痛みに思わず顔を歪ませた。
 滲み、行き場のなくなった液体が滴り落ちる。

「あははっ。じゃあさ、じゃあさ、次の問題」

 こんな理不尽な問題、まだ続けるのかよ。

 そう思ったところで、俺に止めるだけの権利は与えられていない。

「その嘘とは一体なんでしょーかっ」

 俺は生唾を飲み込む。

 冗談じゃねーよ。
 俺は嘘をついた覚えがねェんだ。
 お前のくだらない妄想のせいで死ぬなんてまっぴらゴメンってやつだぜ。

「時間はたぁーっぷりあるからね。私、待つのは嫌いじゃないから。答えが出るまで待ってあげる」

 時計の針がいつもより早く数を数え始める。
 なんだ?
 何が正解なんだ?
 チクショウ、全くわからねェ。
 正解して切られたんだ。
 間違えたら確実に殺される。
 だからと言っていつまでも答えを出さないわけにはいかない。
 女の刺さるほどの視線が目を閉じていたって感じ取れる。
 クソッ…
 落ち着け。
 落ち着くんだ。

「はいっ、3分経ちましたぁ!!」

 奈々が笑いながら振り上げるナイフは左肩に勢いよく先端を食いこませ、俺の血を存分に堪能する。

「グッ…」

 思わず出た声に奈々の表情がますます狂っていった。

「痛い?」

 ふざけんなよ。
 痛いに決まってるじゃねェか。
 3分経ったら刺されるなんて聞いてねーし。
 とにかく、答えなきゃ…
 正解なんてわかんねェんだ。
 この際一か八か…

「買い物…付き合う約束してたよな。その前に別れちまったから結局嘘になっちまった」

 奈々はすっと真顔になる。
 どっちだ?
 どっちの表情だ?

「まっ、それも正解のひとつだね」

 そう言って奈々はナイフを床に向けた。
 助かったのか?
 近づいてくる奈々が俺の顎を掴むと、無意識に体が跳ね上がる。

「震えてる…。そんなに怖い?」

 そう言う彼女の次の行動に俺は当然驚いた。
 強く押し当てられた唇を割って、奈々の舌が侵入する。
 生温かい唾液が優しく絡み合い、息苦しさで目が霞む。
 やがて俺の頬に舌を這わせ唇を赤く染めると、奈々は耳元で低く呟いた。

 おいおい。
 冗談キツイぜ?

 俺は思わず鼻を鳴らした。

 どうやら俺の地獄はたった今始まったばかりらしい。








「今日はこれで許してあげる」

 





 
 見上げた女の顔は相変わらず狂気で満ち溢れていた。



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