1・3「真昼の街中で」
ふと、目が覚めると、ボクは布団の中にいた。
いた、というよりは、掛け布団の中にすっぽりと覆われている感じ。一方向に、優見のお腹が壁のようにある。
――身体が小さくなってる?
ボクは猫の身体に戻っていた。
耳は優見の心臓の音から、筋肉がちょっとずつ動いている音まで聴く。
鼻は汗のにおいから息のにおい、布団に隠れた微かなかびのにおいを嗅ぐ。
目は光のない布団の中でも物陰を見る。
全身に毛があり、顔に髭も生えてる。
ほっとするものを感じる一方で、ボクは焦った。
なぜなら、このままではご主人様を探すのに不便が出るかも知れないから。人間の世界を歩いて回るのなら、やっぱり人の身体が一番なんだ。
――もしかしたら、夢かも。
そう、そうに違いない。五感は妙にリアルだけど、これは夢に違いない。
夢なのだ。
そう自分に言い聞かせて、ボクは身体を優見にすり寄せ丸くなって眠った。
次に目が覚めたとき、またしてもボクは布団の中に埋まって丸くなっていた。でも前と違うのは、布団の端から足とが尻尾が出ていること。また身体は大きくなって人間の物となってた。
けど、違うこともあった。優見がいない――。
ちょっと不安になって身を起こすと、エプロン姿でちゃぶ台と台所を往復する優見を見ることができた。
「あ、やっと起きたわね寝ぼすけ猫さん。ご飯にするから服を着てベットから出てきなさい」
「服――?」
気が付くと、ボクは一切の服を着てなかった。
「え、えぇー! なんでボク裸なの?」
「知らないわよ。言っとくけどね、私は朝起きたら床の上だったのよ。まったく、人をベットからたたき出すわ、服を脱ぐわ、どういう寝相してるのよ」
優見の口調は叱りつけるそれだった。本能的にボクは耳を垂らし、いそいそと服を着はじめた。
「優見ぃ、胸に包帯巻くの手伝って」
「いいわよ、めんどくさいから。パジャマだけ着て出てきなさい」
言われたとおり、ボクは裸の胸のままパジャマをはおった。胸の前でボタンを留めると、ボタンは胸の張りで思いっきり横に引っ張られた。
ちゃぶ台の前に正座。ボクの胸に目をやった優見が一言、
「エロい……」
「え、何か言った?」
優見はブンブンと手を振った。
「な、何でもない。さ、熱いうちに食べよ」
献立は、主食がパン、おみそ汁、サケ (と言うかマス) の焼かれた切り身、サラダにツナのオムレツ。
どこかあり合わせと感じられるメニューだけど、優見が一生懸命作ってくれたんだなとわかった。
「おいしいよ、優見」
ボクが素直な心で言うと、優見はニコッと笑った。
「よかった、朝ご飯なんて久しぶりに作ったから自信なかったんだけど。張りきって作ったから、全部食べてね」
「うん……!」 ちょっと多いけど。
「今日は、もう少し日が昇ったら買い物に行きましょうね。新しい服とか靴とか、バックとかも買ってあげる」
優見は心底嬉しそうに声を弾ませて言った。女の子はお買い物が好きというのは本当なのかな?
「あ、でも……ボクお金無いよ。優見にも、そんなに迷惑かけ――」
「人の好意は素直に受け取る! いいのよ、私には必要以上の、望んだ物じゃないお金があるから……」
優見はたくさんのお金を持っている。けど、その由来を聞いちゃいけない。――言葉を尻つぼみにして黙り込んだ優見の顔が、ボクのそう悟らせた。
なるべく、明るい雰囲気を作りたいと思った。
「……あとで言われても、返せないよ?」
ちょっとおどけて言うと、優見はフフッと声を出して笑った。
「もちろんよ。ちゃんと必要分は残して使うから、心配しないで」
つやの出た木目のフローリングの上に、白い光がさざめく朝。静かで穏やかな、世界の目覚めの時間。ボクと優見は、二人きりでその平和を味わっていた。
*
午前十時。平日の街中。
季節は七月の真ん中ほど。梅雨は終わった。アスファルトの上を走る湿った風が、これから四時間ほどで訪れる蒸し焼きのような暑さを予告している。
深いビルの谷間では、今日も多くの人達がせわしなく歩き回って、車がびゅんびゅん走ってる。優見は 「やっぱり人が少ない」 とか言ってたけど、ボクには充分たくさんの人が歩いているように感じられた。とくに耳から拾える音、ガラスとコンクリートで出来た塔を木霊する色んな音が、ボクを圧倒した。
ボクが今のところ着ているのは白ののポロシャツに灰のジーパン。ジーパンは裾が足りないので冬用のブーツでごまかしてある。もちろんすべて優見の物、ボクの着物はたたんで家に放置してある。
耳は‘開き直って’出してある。優見曰く 「お洒落だと思うかも」 とのこと。尻尾は流石に目立つのでジーパンの下に隠してある。
そう言う優見は、青いラインのセーラー服に、黄色のアクセントがちょっとだけ付いた白いスカートを穿いている。靴は真っ白なスニーカー。昨日の夜はめていた銀の指輪はない。
「あー、この髪何とかしないとな……」
手入れされてなかった茶髪には黒が混じって、あまり見栄えが良くないことになっていた。脱色し直す暇もその薬もなかったから、紅いラインの縁なし帽で隠してる。
結論;二人とも変な格好をしてる。
まずボクらは十二階建てくらいのデパートに入った。ひやりとしたクーラーの空気に迎えいられながら、エスカレーターで三階に上がる。そこにあるのは下着屋さんだ。
「あの、優見。一つ気が付いたんだけど……」
「なに? チヨ」
「ボクさ、背中に毛皮あるでしょ。店員さん、見て驚かないかな……?」
ボクもそうだけど、優見もこのことに気付いてなかった。ボクらは店の前で立ちつくしてしまった。
優見の表情が、驚きと焦りをまぜまぜにした物になってしまってる。
「な、なんとかならないの?」
「うーん」
普通に考えてなんとかならない気がする。でも、せっかく優見が連れてきてくれたのだから、なんとかしたい。
「とりあえず、中に入ろ」
ボクがそう言うと、優見は顔を思いっきりしかめた。
「なんで? その身体は……」
「大丈夫。ボクを信じて」 その根拠はないけど。
半信半疑な優見の手をボクが引いて、ボクが店員さんの前に歩み出た。
「いらっしゃいませ。何か御用はありますでしょうか?」
ちょっと高めの、かすれた声。サキの声に似てる。
「あ、あの……バ、バストのすす寸法を測ってもらいたいんですけど」
――緊張してきたぁ。
後ろでは優見がハラハラしてる。
店員さんはそんなボクらの心の内など知るよしもなく、「かしこまりました」 と小さくお辞儀してボクに更衣室を示した。
鼓動の音が大きい。ボクは意識を‘あること’に集中させて、気を鎮めながら服を脱ぎだした。
「お客様。私どもは肌着の上から測ることもできますよ」
なんですと。
でも、ボクはもう準備万端で予定を変えるわけにはいかなかった。一方、部屋の隅に立った優見の顔には、店員に従えと書いてあった。
集中、集中。
――見よ、この背中……!
*
「どうやったの?」
‘人間’として、無事下着を買ったボクは、お金を払うと早々に店から離れた。店員さんには背中の毛皮を見せることはなかった。
優見はもちろんその方法を聞いてくる。
「あの時ね、ずっとボクは心の中で『自分は人間、自分は普通の女の子』って念じてたの。――実はねボク、今朝寝ているとき猫に戻ってたの。それはボクが寝る前に『猫に戻れたらなあ』って考えたからだったの。だから、さっきはその逆をやってみたの」
あの時、ついでに尻尾もなくなってた。耳はそのままだったけど。
優見が感心しきった顔になった。
「へぇ……。じゃあ、今はどうなの?」
「今は元通り。多分、今の状態がボクの普通なんだと思う」
「ま、とにかく良かったんじゃないの? 次は洋服ね」
そう言って、優見はボクの胸元に目を留め一瞬だけ複雑そうな顔を見せてから歩き出した。
測ったあとは優見と店員さんに任せていたから良くわからないけど、買ってもらった青いブラジャーには‘F’というフダが付いていた。ホックは前にしてもらった。毛皮の上にホックが来るのは嫌だったから。
そのあと、ボクらは途中でお昼ごはんを挟みつつあちこちを回った。じっくりゆっくり服を見て選ぶのはそんなに楽しいこととは思えなかったけど、優見が元気そうにしているのでボクも嬉しかった。――彼女の黒い瞳にも、悲しい影が走ることはなかった。
お昼ごはんはハンバーガーだった。ボクが食べたフィッシュバーガーは白身魚のあじが素朴でおいしかったけど、タルタルソースは好きになれなかった。あと、コーラのパチパチにもちょっと困ってしまった。
最終的に揃えられたボクの服。パーカー付きのシェルピンクの半袖シャツにコーラルレッドのベスト。下はオレンジのジーパン生地の短パン。靴はバーガンディーの化繊ブーツ。帽子は無し。尻尾は今のところ意識して‘しまって’あるけど、穴の開けられるパンツを買ってきたので家に帰ったらお裁縫して出せるようにしようと優見は言ってる。
「巨乳猫娘。萌えよ、萌え!」
どうも優見の言動が妖しい。っていうか、モエって何……?
気が付くと、たいぶ太陽は傾いて空が朱っぽくなってきていた。
その空の下、優見が背伸びする。
「さて、これからどこに行こうか?」
「え……まだ、どこか行くの?」
ボクが暗い声で言うと、優見はくすりと笑った。
「そんな困った顔しないでよ。私も久しぶりに太陽の下を歩いて疲れたわ。家に帰って、今日はお風呂を汲んで入りましょう」
その時、ボクらの視界にソフトクリーム屋さんが入った。
優見が 「なんにする?」 と聞いた。
「じゃあ……チョコチップ!」
梅雨明けの宵の刻は、ソフトクリームを食べるにはちょっと涼しすぎる。
広場にベンチを見付け、そこに二人でソフトクリームを持って座った。
少しずつ暗くなっていく青い空。その彼方をぼんやり眺めていると、となりで優見の声がする。
「チヨ、聞いてもいい……?」
なぁに、とボク。振り返って見た優見の顔には、もの悲しい表情があった。
「チヨのご主人様って、優しい人だったの?」
「……うん。ご主人様は友達がいなかったしお父さんともあまり話さなかったけど、ボクには優しくしてくれたよ。時々勉強を聞きに来るクラスメイトにも、親切に教えてあげてたよ」
ボクが答えると、優見は目を反らして俯いた。次に顔を上げたとき、優見はさらに申し訳なさそうな顔をしてボクに尋ねた。
「じゃあ、聞くよ。もし、今その人が心から変わってしまっていて、本心からみんなを傷つけるのを楽しんでいるとしたら、チヨはどうする?」
優見の問い、まっすぐにボクの心に突き刺さった。答えるのは難しいし、辛い質問。でも、心優しい優見が無神経にこんな質問をしているはずはない。彼女は、ツミへの憎しみとボクへの優しさの間で揺れている。辛いのはボクだけじゃない。――だから、ちゃんと向き合わなきゃ。
「もし、本当にご主人様が悪い心を持って酷いことをしているのなら、ボクはそれを止めるよ。みんなを守る為に、ボクはご主人様を止めるべきなんだ」
「でも、どうやって? その人は街一つ軽く壊せるのよ。チヨは運動神経は良いみたいだけど、他にすごい超能力があるわけじゃない。かないっこない」
心配した顔の優見。
「それでも、やるよ。――ずっと考えてたから、そのことは」
ボクはソフトクリームのコーンを口に押し込み、立ち上がった。
「それにね、ボクにも力はあるよ。感じるんだ、大地の鼓動を。――ほら、昨日ボクはちょっと変なことを言ってたでしょ。『夢を現に帰す』とか『ひどいことにはならない』とか。あれはね、みんな大地が教えてくれるんだ。その声はまだおぼろげで、はっきり聞こえるわけじゃないけど」
優見は黙って何も言わなかった。
しばらくして、また問いがあった。
「もう一つ。――もし、私が、ツミを絶対に許さない、ツミを殺して、て言ったら……どうする?」
残酷な問い掛け。でも、それで傷ついたのはボクの心じゃなく、彼女の心だったと思う。
「その時は、ボクは頑張るよ。ご主人様と優見が仲良くしてくれるように」
ゴーと風が吹きはじめた。
風の訪れと一緒に、世界が翳りはじめた。
夜が来る――
「まるで‘調停者’だな、〈月に愛されし四つ足の子よ〉」
少し離れたところに、いきなり人間が、銀のマントに全身を包んだ三人の人間が現れた。時を早めてやってきた夜の闇に、星みたいに輝いている。
「誰――? もしかして、ご主人様の……」
マントの一人、小柄な人がにやりと口を歪ませてマントから手を引き出した。……優見に向かって。
光の矢が放たれる。
「優見―!」
ベンチごと吹っ飛んだ優見。ボクが駆け寄って抱き上げると、右胸からいっぱい血を流していた。
「嘆くなよ。喜べ。俺たち双方にとって主であるお方が、お声を下さるぞ」
はっとして見上げた夜の上に、蒼い月があった。
弓張りの月は、嘲笑うみたいに半開きになった口のようだった。
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