5・5「新しい名前」
タックル。
ダイブ。
ボクらが落下していると、彼女を守る風は落下速度を緩めようと下から吹き上げてくる。
けど統制の乱れた風が、力強い大地の引力に敵うはずがない。三階の上、高さにして十メートルくらいの屋上から飛び降りたボクは、彼女を下に相当な勢いで地面とぶつかった。
「――かは!」
彼女の肺から空気が叩き出される。
もしかしたら彼女の肋骨が折れてしまったかもしれない。けど、あとで治すからと、今は無視した。
「『大地の腕、その広きを知れ! “地縛”!』」
通常の三倍くらいの重力が彼女の身体に掛かり、身動きを禁じる。
同時に風の力も大地によって縛られ、ボクは彼女の戦闘能力を著しく弱めることに成功した。
しかし彼女は抗う。動かない身体に力を込め、目を見開いて風を叫ぶ。
「助けて! ファルクラム!」
――今度は戦闘機!?
大地の記録からボクはその名を、その力を知る。
「バカ! 千風まで危ないじゃないか!」
ボクの全身で彼女を覆う。
甲高いジェット音を立て、頭上を駆け抜ける音速の風。
その風は、もはや風と呼ぶにふさわしくない。軌道に沿う上下左右すべてのものを破壊していくそれは、純粋な破壊の波だ。
地面を引きはがすような衝撃波から、ボクは千風を守る。天にさらされた背中の服が千切れ飛んだ。
彼女は我を失っている。一層強くかけた封印の術に考える能力も奪われ、それでも彼女は、狂ったように言葉にならない何かを喚き続けていた。
――だめだ、力が足りない!
技術が足りない。このまま封印術をかけ続けたら、最悪彼女は精神自体を封印されて昏睡、そのまま植物人間になってしまうかもしれない。もっと強いだけではなく、包み込むような高度な術を組み立てられた良いけど、ボクにはその技がない。
と、組み伏せている彼女の胸のあたりから、不思議な気配を感じた。
服の下だと気付いたとき、反射的に彼女の懐に(あとから考えると恥ずかしくて仕方ないけど)手を突っ込んでいた。すると、そこから鎖に繋がれた何かを掴むことができた。
「――それはだめ!」
彼女が不意に叫んだ。
手にしたのは鼈甲のかんざし。――そうだ、前にサキから聞いた、ササヤキがキズオトに遺した封印の力を持つかんざしだ。
鬱金色のかんざしにはひびが走って濁っていた。おそらく彼女の力を吸収しきれずに壊れたんだ。
力を失ったササヤキの術具。でも、まだ込められた術自体は消え去っていない。これを治して力を注ぎ治せば、また使えるかもしれない。
「『よみがえれ砕かれし想いよ。
我は其の物語を知る者。我は其の想いを知る者なり。
其、我が力を受ければ、其、応えて再び想いを力とせよ!』」
かんざしがまた力を放ちはじめる。
けど、まだ彼女の力は鎮まりきっていない。
その時だった。ボクの身体の奥と大地が共鳴し、大きな何かがボクにその存在を識らせた。
「‘神器召喚’――!?」
全く知らない術式がボクの頭に流れ込んできた。
ぐっと意識が大地の深みに引っ張られていく。けど、彼女を前にしているボクもいる。――ボクの意識がこれまでにないくらい広がっていく。
「『安らかなるみどりごの祈り。命守る母の脈打ち。
今、土のちから集いて、ここに極みのかたちを為す。
我、魂鎮めのちからを望む者。
古よりうたわれし神のまもり。大いなるかたちなす美しきその名は……!』」
半身を起こすと、世界の流れを感じた。
今、その流れはボクらを取り巻いて渦巻いている。
彼女のあやつる風さえ、この時は渦に巻き込まれていた。渦巻く神秘霊力は、ボクと彼女の間で集結し、そして結晶する。
「ボクに力を貸して……『八尺瓊勾玉!』」
『 , 』の形に似た伽羅色の勾玉がここに顕される。
その力は絶対的な鎮静の力。八尺瓊勾玉は周囲の力を吸収し、大地に還しあていく。ご主人様が、〈月の王国〉が発動させていた降着の術さえ、無力化され解除される。
最後に竜巻が消え、世界は鎮圧される。優しい黄昏が訪れたのは間もなくのことだった。
*
「立てる……千風?」
斜陽に照らされて金色に頬を染めている女の子に、ボクは問いかけた。
「あたし、千風なのかな……?」
迷うような声は、黄金色の土に落ちて消える。
土の上に横たわったままの彼女に、ボクははっきり言う。
「キミは千風だよ。千風が拒まない限り、千風は千風だ。――とても、良い名前だよね」
「うん……そうだね」
ボクは手を差し出す。
彼女も手を伸ばす。――まっすぐ、空に向けて。風を求めるように。
その手を引いて彼女を立ち上がらせると、祝福するようにやわらかい西風がさぁっと駆け抜けた。
「今、風の声が聞こえた。……なんか、すごく久しぶり」
そよ風にもまぎれる声で千風が言った。その頬に、輝きがひとしずく。宝石のように。
「なんて言ってた?」
「それは――――」
体育館があった場所まで来ると、そこに石のドームが瓦礫に埋もれていた。
ボクが合図するとドームは開く。中から現れるのは、千風の三人の友達だ。
一番に駆け寄ってきたのは平島・透だった。
「相川!」
千風は名を呼び返すことはしなかった。
二人は間近で向かい合う。標準的な背丈の透より、千風の背はちょっと低い。
「相川……俺、その…………」
口ごもりながら、透は言葉を紡ぎはじめる。――絆を紡ぐための言葉を。
「俺、相川が何者だったとしても気にしないから。例え相川が宇宙人だったとしても、相川は俺の友達だ。――だから、もう二度とこんなことは……ひとりで閉じこもったり、いなくなったりしないでくれよ、相川……」
千風はうんとは言わない。そこはかとない声で彼の名前を呼んだだけだった。
気詰まりな沈黙。
打ち破ったのは、千風の四人目の友達だった。
「よく帰ってきたな、相川・千風」
「――っ、詩之崎、いままでどこにいたんだ?」
夕日を背に、長身の男の子、詩之崎・三都が現れた。
少し長めの髪を夕涼みの風になびかせてこちらに歩み寄る三都。その姿は、大人顔負けの雅さがあるとボクは思った。
三都は千風の前で立ち止まる。切れ長の目ですっと千風を見下し、問いかけた。
「相川――お前は今どこにいる?」
はっと千風が、そしてボクも息を呑んだ。
それはいましがた風が彼女に送った問いと同じだった。その問いの本質は、決して彼女の物質的な所在を問うものではない。彼女の想いの所在を、彼女のこころざしがどこに向けられているかを、三都が、風が彼女に質問したんだ。
「あたしは……!」
ためらい。
けど、彼女の願いは一つ。それを口に出せないのは、彼女なりの罪悪感か、後ろめたさか。
しかし彼女はちゃんと願いを口にできる。――彼女の想いは必ず吹く。
彼女の風は――
「あたしは……ここにいる」
――――吹いた。
鐘の音のような、おおらかな風が駆け抜けた。
‘どう’とか‘ごう’とか、もうそんな言葉では表現できない風が、いまこの場に吹き渡っていた。
知らない風。
未知なる風は、そのまま未知なる彼女の象徴だった。
真新しい相川・千風は頬を上気させ、ゆっくりとやってくる宵闇の中、三人の友達と手を取り合っていた。
よかった、とボクは思う。土も風もそう思っている。
暮れなずむ空の下、ボクは自分の勝利を噛みしめていた。
*
県立諏訪高校を巻き込んだ現と夢の戦争は、二日後には突発的で局所的な竜巻と言うことで事後処理がなされた。
もちろん、そんなことは建前に決まっている。学校にいたすべての人が、現世にあるべきでないものを目にした。けど黒服に身を包む〈漆黒委員会〉の人達は、猫の手(ボクは関係ない)も借りたいくらいに忙しいので、みんなの記憶を操作するいとまもなく引き上げていくこととなった。
そうなるまでの四十時間前――つまり戦いが一段落してから六時間ほど経った頃――ボクとサキは学校からまだそう離れていない山の中の、無人小屋の屋根の上に昇って半分の月を見ていた。
ちょうど南の空の真ん中に来た月は、やさしい銀色。紗のような雲が穏やかに天空を流れ、時々月を覆う。
星はチカチカと瞬いている。乳色の天の川は、星明かりを夜空から地上へと流し込んでいた。
「それで……結局、彼女は‘キズオト’であることをやめられて、普通の人として生きることにしたんですの?」
夜の静寂をできるだけ乱さないように、サキがそっと尋ねてきた。
「うん、キズオトはその名前を捨てて、‘相川・千風’としていきることを決めたよ。――八尺瓊勾玉で力も封印してきたから、今の千風には凧揚げするくらいにしか力はない。あとは風の声を聞くことはできる。でも――」
「でも?」
千風と別れたときの光景が甦る。
宵闇を渡る涼しい風を受けながら、千風はさわやかにこう言った。
「近いうちにまた会おうねって千風は言ってた。――千風は、ツミに関わった人間としてではなく、この世界を守る人間として、ボクに力をかしてくれるって……」
「――うれしくないんですの?」
言葉を尻つぼみにしたボクの気持ちを、サキが代弁した。
彼の言うとおり、ボクは千風が参戦することを喜ぶことはできなかった。何故なら、千風には素晴らしい友達がいる。もう二度と友達から離れるべきじゃない。それに……戦いに加わって命を落としてしまうかもしれない。
「そういう考えは――お節介というものですわ」
サキがきっぱり言った。
「あの子は自らの意志でそうきめたのでしょう? ならば、私達が憂うことはなにもありませんわ。あの子は強い子です。きっと決断の先に最善の結果を掴むはずです。――だからチヨ、あなたは祝福してあげなさいまし。あの子、千風に、良き風があるように」
――憂うべきことは何もない、か。
そうかもしれない。ボクは、怖れ続けていた自らの力とついに向かい合うことができた千風が下した決断を、ほめてさえあげるべきなのかもしれない。
「――千風が、良き風とあらんことを」
風が一陣、軽やかに走り去った。まかせてねと、手を振り行くように。
「そういえば、サキの方はどうだったの? 鷲累と糸鶴、〈漆黒の守護者〉の人達と仲良くできた?」
ボクが聞くと、サキはくしゃりと破顔した。
「えぇ、とっても。別れ際に、果たしあいの招待まで受けてしまいましたわ」
「――え? なんの招待?」
「ですから、果たし合い、ですわ」
一瞬、思考が停止した。
サキはにこにこと笑い続けている。
「特段驚くことはありませんわ、チヨ。私達にとってはともかく、彼ら〈漆黒の守護者〉にとっては私達も敵。‘月の王国’という巨大な敵を前に、敵味方の整理をしておきたいと思うのは当然ですわ」
それはまぁそうだけど……。
「三日後に、東京にあるアカ達の事務所まで来るようにとのこと。まぁ、ツミさんとの戦いの予行演習もかねて、アカの牙城に乗り込むことにしましょう。――それにチヨ、あなただってアカとの決着を付けるべきではありませんの?」
前のアカとの戦い、暴走したアカをボクとサキが力を合わせて倒したからボクらの勝ちのような気もするけど、完全な勝敗ではない。――アカは変わった。次に戦えば、彼女は自我を失うことなく本当の彼女のままぶつかってくるはずだ。
「――わかったよ。一緒に行こう、サキ」
「えぇ、よろしくてよ。チヨ」
そこで、サキはボクの手に触れた。
やわらかい、白い手。
でも初めてあったときに比べて、少し強張ってたくましくなってきている。それは幾度と繰り返した戦いのせいか、彼の男性化が進んでいるせいか。
ボクはその手を取って、彼の暖かさを味わうように両手で包み込んだ。
「今日ね、サキと別行動しているとき、ちょっと寂しかったよ。これまでボクらはいつも声の届き合うところにいたから、離れていると……なんか、変な感じだった」
――想いを込めるってこんな感じかな。
ちょっと恥ずかしかったけど、ボクは自分の気持ちをそのまま声に出した。すると……なんだろう、胸の中がほっと温かかった。
サキは答えない。彼は瞳を閉じ、口元に変な笑いを浮かべている。
「……サキ?」
呼びかけると、ようやく彼は反応した。
「あら、ごめんなさい。今夜はどうやってあなたを可愛がろうかと考えていましたら、つい妄想だけに夢中になってしまいましたわ」
「――サキのバカ!」
おほほとサキは愉快そうに笑った。
「ねえ、サキ」
「なんですの?」
「…………やっぱり、なんでもない」
誓いのようなこの言葉は、もっとあたためてから言おう。
――――いつまでも、サキと一緒にいたい。
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