あわや!―大蛇の穴―
陽が、傾きかけている。
すでに、太陽はビル山の狭間で、見えない。
薄闇が、広がっていた。
「丁度いい、今夜はここで陣を張るか」
氷雨は、洞の壁に触って言った。
水滴が、ときおり滴る洞窟内を、二人は松明を片手に進んでいく。
高く、虚ろな音が、しきりに洞内に響く。
冷気が、背筋にまといついて、ひどい悪寒を催させた。
「キュウゥ…」
「え…どうした?ヨミ」
弱々しく啼いて、立ち止まったヨミを、明は抱きあげた。
いつもなら、先頭をきって歩くヨミが、なぜか今日は、様子が変だった。
「キルル…キュウ〜ン」
「お前が震えるなんて…氷雨、ちょっと待ってくれないか?」
「明…」
「ここ、なにかいるぞ…なんだろう、いやな匂いがする。なにかが、腐ったような匂いだ」
「それに、生臭いだろ?明、動けるか?」
洞内は、小刻みに揺れていた。
壁が、動いているのだ!
「壁が、動いて!?」
「いや、壁じゃあない…こいつは、委蛇だっ、外に出るぞ!早くっ」
「あっ、ああ!」
「急げっ!?」
二人が、洞窟を出てすぐに、岩山が爆音をたてて崩れる。
砕けた岩石が、雨のように、明と氷雨を襲った。
「まだくるぞっ、走れっ!」
氷雨は、走りながら叫ぶ。
「だ――――っ、しつこいな!蛇だからっ」
二人を追って、地割れが近づいてくる。
「くそっ、これ以上逃げても、キリがねぇ!」
氷雨は、明を背中に庇い、鋭く舌打ちする。
「どうする、戦うのかっ?」
「待て、止まったぞ相手っ」
氷雨は、後ろの地割れを振り向いた。
明は、気を集中させて、気配を探る。
しかし、気配を消しているのか、なかなか場所が分からなかった。
身の内では、警鐘が鳴り続けている、『近くにいる』と言おうとしたその時、服の中から、ヨミが飛び出して行ってしまった。
「よっ、ヨミ待てっ!?」
「明!?」
追いかけようとした瞬間、鳴りひびいた轟音に、地面が揺らいだ。
氷雨が、きつく明を抱き寄せて、庇った。
「ヨミがっ!ヨミ―――――っ!?」
砂塵が晴れると、月光を浴びて構える、大蛇がいた。
蛇は、威嚇音を発しながら、大きく裂けた口から、牙を剥く。
「あ、明、ダメだ!動くなっ」
ゆらり、と立ちあがった明を、氷雨は慌てて引き留めた。
「離してくれ、氷雨…あたしが行く。よくも…よくもヨミを!?」
ミシミシ、と明の姿が変わっていく。
牙が生え、髪と爪が伸び、両頬には、横向きに、牙形の赤い線が浮かび上がっていた。
「あ、明!?」
呼ばれて、髪の間から突き出た、立ち耳がぴくりと動いた。
「すぐ片付ける、そこにいてくれ…」
爪を構える明。
氷雨は、目を見張った。
今までに何度も、明が変化するのを見てきたが、今の彼女の姿は、異例だ。
人狼、という種族こそ同じだが、自分とは、明らかに種類が違っている。
彼女の爪が、蛇の首を引きちぎった。
首は、宙を舞って落下し、地面が大きくたわむ。
血糊が飛沫いた岩片が、黒煙を上げて、ぐずぐずと溶け始めていた。
ふと、視界の隅で、なにかが動いた、と思った瞬間、明は殴り飛ばされた。
瓦礫の山に激突し、岩片が飛び散る。
「明っ!?」
氷雨は、慌てて駆けより、明を抱え起こした。
「なんで動いた、危ないだろう…」
土を払いながら、明は面白くなさそうに、ぶすくれ顔をする。
「なんでもだっ!お前の方が、よっぽど危険だろうがっ」
「氷雨…」
「ったく、無茶ばっかりしやがって」
「…ごめん」
さっきまでの、緊迫感はどこへやら。
どこに行ったかというと、濃厚な、甘い雰囲気に塗りつぶされ、萎縮してしまっていた。
二人は、キスなんかしている。
それを、蛇の頭が『忘れるな』とでも言うように、叩き割った。
「っと!蛇の分際で…邪魔しようなんざ、1000年早いンだよっ!」
いいところを邪魔され、怒り心頭の氷雨は、思いきり、蛇の頭を踏み砕いた。
すると、大蛇の首は、ぐずぐずと溶け始め、やがて、骨だけになった。
「尻尾は溶けねぇのかよ…」
「氷雨ぇ、ヨミ、食われちゃった…」
泣きそうな明を、氷雨は抱き締めてやった。
「泣くな…死体だけでも、見つけてやろう。行くぞ」
「うん…」
二人は、蛇の出てきた穴の中に降りる。
「足元、気をつけろよ?」
「うん…平気」
横穴を進んだ先に、大きな空洞が現れた。
どうやら、大蛇の寝床のようだ。
「何もないな、戻るか…」
言いかけた明は、足元に、乾いた音を聞いて動きを止めた。
足元一面には、様々な骨片が、散らばっていたのだ。
どれも、砕かれて、原形を留めている物は少ない。
「ま、まさか…ヨミも?」
明は、力なく座り込んだ。
「行こう、明…もう、ここにいない方がいい」
「どうしよう、氷雨…あたしのせいだっ」
骨を握りしめて、明は突っ伏せる。
「とりあえず、ここを出よう…ほら、立て」
「明ぅ、もう泣くなって…な?」
「はぁ…ヨミ…」
泣きやまない明に、一つため息をついて、氷雨は、大蛇の尻尾に座った。
とりあえず、とりとめのない話題をふってみる。
「これ、食えねぇかな?なぁ、明…んんっ?」
氷雨の表情が、一気に険しくなった。
ひっくり返した蛇の尻尾は、裏側がひどく食い荒らされていた。
そして…
「キュィ…げふっ!」
犯人発見。
氷雨は、ヨミをつまみ上げて、大音声で怒鳴った。
「てめぇっ、俺がどんだけ捜したと思ってやがる―――――っ!」
正確には、明が、である。
「ヨミ!生きてたのかっ、よかったぁ」
明は、氷雨からヨミを取り上げて、頬ずりした。
「クルル…ゴロゴロ」
微笑ましく、再会なんかしている脇で、氷雨一人が、黒いオーラを出していた。
「明、ちょっとこっちこい」
「なに?」
「これ、まだ何かあるぜ?いま光った」
氷雨は、言いながら、足先で尻尾をつつく。
「なにが?ただの尻尾だろ」
「キュウゥ」
ヨミも、蛇の尻尾で爪を研いでから、物言いたげに、明を見あげた。
「お前も、そう言ってるの?ヨミ」
「キィッ!」
「うおわっ!」
突然、自分の方に飛んできたヨミを、氷雨は慌ててよけた。
ヨミが噛みついたのは、大蛇の尾だった。
瞬間、いくつもの、月を集めたような光が、宵闇を切り裂いた。
視界がぼやけた二人は、しきりに目を擦る。
「なっ、なんだ、今のは」
「わ、わかんない…目が潰れるかと思った」
「ミ――‐‐」
「ん、なんだ、ヨミ…」
ヨミは、甘えるように明の足首にまとわりつき、衣の裾を銜えて引っ張った。
「刀…?」
明は、ヨミに促されて、刀を拾い上げた。
「なんだ…どうしたんだ、その刀」
ひょい、と氷雨が顔を覗かせる。
大蛇の尾から出た刀は、夜目にも青白く輝き、柄と鞘に、鱗の紋様を浮かび上がらせていた。
「わからない、けど…きれい」
「明、それ、お前が持ってな」
「えっ?でも、これ倒したの、氷雨だろ?あたしじゃない」
明は、刀を氷雨に差しだすが、氷雨は受け取らずに、笑った。
「俺は少ぅし手伝っただけで、何もしてないよ、お前の手柄みてぇなもんだ。それに、俺はもう持ってるしな」
氷雨は、腰に差してある刀を、叩いてみせて言った。
「うん、あたしの、刀かぁ…なんか嬉しいっ」
笑った彼女の背中を、払暁が照らす。
いつもの、半魔の姿に戻っていた。
ヨミが、一つ身震いして巨大化し、欺いた。
嘶いた、といっても、馬のようにではなく、虎の声で吼えたのだ。
出立を、促しているようだ。
「え、ヨミ…もう行くのか?」
明は、生あくびをしながら言う。
明も、氷雨も寝不足なのだ。
「少し休ませてくれよ、ヨミ」
「ね?ヨミ、いい子だから」
二人が、いくら懇願してもヨミは、イヤイヤをするように、頭を振った。
「もう、ヨミは…おいで?」
明が、ヨミの前に屈むと、ヨミは、小さな本性に戻った。
長い耳をぺしゃりと下げ、小さな鼻面を、明の手に押しつけて甘える。
「ヨミ、少し休ませてくれ…少しだけだ」
しかし、ヨミは聞き入れずに、首を横に振り、服の裾を銜えて引っ張った。
「イヤなんだと、仕方ねぇ…移動しようぜ?」
「そうだな…」
苦笑し合う二人。
ヨミは、一人だけ嬉しそうだ。
「さぁて、行きますかね!」
見あげる空は、どこまでも高い。
もう、秋が近いのかも知れない。
二人と一匹の、標のない旅は、今日も続く。
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