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第五章
066:宴の始まり
大きな扉の前で、ラディスとミッドラウ、クレイが佇んでいる。
彼らはそれぞれ正式なレーヌ国の礼服に着替えていた。ラディスが深く息を吐き出してクレイを見やる。

「おい、まだか。俺は腹が減って死にそうなんだが」

彼はレーヌに着いてから一時も休まずに動き続けており、昼食をとる時間もなかったようだ。
薄茶色の髪は綺麗にセットされ、美しい顔立ちがより印象的に映る。黒の立襟の礼服もとても似合っていた。彼はこういった服装をするのを面倒に思っているようだが、普段何もない時にも、たまに正装をして欲しいとクレイは思っている。その≪黄金の青い目≫にふさわしい、美麗な面立ちと容姿。誰もが見惚れてしまうだろう。

「ソアが連れてくると言っていたのですが…」

「昼間さんざん恥かかされたからなあ、嫌がってんじゃねえか?お前があいつに何にも言ってなかったのが悪い」

ミッドラウが笑って言った。彼は白の礼服を身につけている。いつも一つに結わえている黒髪を今は下ろしていて、眉の太い精悍な顔立ちに良く似合っていた。男性ながら色香を感じさせる。

「大声で笑っていたのはお前だろう」

「くっくっく。健気だよなあ、あいつ」

「待たせて申し訳ない」

そこへ、ソアとリィンがやっと姿を現した。ソアはすらりとした長身に美しいストレートの黒髪を垂らし、銀のドレスを華麗に着こなしている。胸元に赤い宝石のブローチ、二の腕まである白の手袋。
美しい…。
クレイは誰にも気づかれないようにため息をもらした。その後ろをぎこちない足取りでやって来たリィンを見て、ミッドラウが口笛を吹いた。彼にはあまり紳士のマナーという概念がない。

「これはこれは。見目麗しい女性達じゃねえか。良いねえ!」

クレイが感動して口を開く。

「リィン…」

「何も言うなよっ。似合ってないのは分かってるんだから」

リィンが真っ赤な顔をして早口で言った。

「そんな事はありませんよ。とても良く似合っています。素晴らしい」

リィンはほっそりとした身体を深紫のドレスで着飾っていた。もちろん女性用で、白く美しい肌が良く映える。栗色の髪はすっきりとセットされていて、耳にしている銀色のピアスが光っていた。その耳の横あたりに白の髪飾り。
おずおずとリィンがラディスを見上げた。彼はにっこりと笑って、緊張しているリィンを安心させるように言った。

「クレイの言うとおりだ。良く似合ってる」

「ほ、ほんと?」

「ああ」

クレイは思わず微笑んだ。ラディスのその言葉にリィンの表情が華やいだからだ。

「色々と涙ぐましい改ざんの跡が見られるがな」

そう言って彼はひょいとドレスの胸元を覗いた。

「どわッ」

リィンが慌てて後ずさろうとして、自分でドレスの端を踏んづけてしまった。身体が大きくよろけ転びそうになる。素早くラディスがリィンの細い腰を抱いた。

「おっと。…お前、そんなに踵の高い靴を履くのは初めてだろう。あまり歩き回らん方が良いな」

彼はにやりと笑い、リィンは顔を真っ赤にしたまま硬直する。

「さあ行こうぜ。ラディスじゃねえが、俺も腹が減って死にそうだ!」

ミッドラウが重厚な扉を押し開くと、中から華やかな音楽が聞こえて来た。夜会は既に始まっているのだ。ソアがリィンの手を取ってゆっくりと歩き出す。リィンがぼそりと呟いた。

「ラ、ラディスの奴…。僕を殺す気か」

◇◇◇◆

「このレーヌの首都では、イリアス族の人々も暮らしているんですよ。二年程前からになるかな」

レーヌ国政府の一員だという壮年が、リィンに穏やかな笑顔を向けて言った。

リィンは大きな広間の片隅にある、テーブルの脇に佇んでいた。というより、動けないでいた。つい先程まではソアが傍にいてくれていたのだが、今は要人達と挨拶を交わしている。広間にはたくさんの着飾った人間達がいて、豪華な料理と会話を楽しんでいた。立食の形式で、大きな窓の傍で音楽隊が控えめながら美しい旋律を奏でる。広間の奥、一段高くなった場所にテーブル席があり、女帝と枢機議会の面々がずらりと並び、優雅に時を過ごしていた。その中にモドやクレイの両親の姿も見える。ミッドラウもクレイも人々の輪の中にいて、ラディスに至っては周囲に大きな人だかりができ、その姿を確認するのさえ難しい程だ。

「そうなんですね」

だから、イリアス族の自分を見ても大した反応がなかったのだろう。その事はソアからも聞かされた。ここではイリアス族の女性でも、安心して暮らせるのだと。しかし現状はイリアス族自体の絶対数が少なく、その中でも女性は男性よりも極端に数が少ない。奴隷としての過酷な歴史の中で、イリアス族の女性がどれだけ悲惨な運命を辿った事であろうか。

「いやあ、しかし、私もまさか会えるとは思いませんでした。あの解放の女神と謳われた女性と、高潔なる英雄ティルガ様のご息女とは…」

驚いて相手を見上げると、壮年は興味深そうにこちらを見つめていた。
まさかそんな言い方をされるとは思っていなかった。リィンの母、シルヴィを解放の女神と呼ぶのはイリアス族の人々だけだと思っていたし、父のティルガは今でも罪人として扱われている。英雄などと言われると、自分の父親ではないような気がしてくる上に、自分はそれ程上等な人間ではないのだ。
リィンは慣れない格好をして場違いな雰囲気の中にいるせいで居心地が悪く、ため息をついた。
この広間に入った時から、何故だか周囲の人々に見られているような気がしてならない。何度も人と目が合う。この目と肌の色が、こんなにも露出するような格好をしたのは初めてだし、しかも女性用のドレスだ。

やっぱり似合っていないんだ。変なんだ、きっと。

「どうしましたか?どこかお加減でも悪いのですか?」

「いや、その。ぼ…わ、わたし、どこかおかしいですよね。こんなドレス着慣れてないし…」

壮年が目を大きく見開き、リィンの小さな手を取ってずいと身体を近づけてきた。

「あ、あの…」

「何をおっしゃいます!聞きしに勝る美しさだ…」

うっとりと微笑む壮年に、ひくつきながら笑顔を返す。

「リィン!ちゃんと食ってるかあ」

ミッドラウがずかずかと広間を横切って来ると、壮年がゆっくりと手を解いてリィンから離れていった。ほっと胸をなでおろす。

「こんな格好じゃあ、料理の味も分かんないよ。もうこの服脱ぎたい。変なんだよ、どっか」

「くくっ。もったいない事を言うな。良い女だぜ、リィン」

「ふん。ミッドも良く似合ってるよ」

正装をして髪を下ろしているせいか、いつもの彼よりも大人で落ち着いた雰囲気の為、少し緊張してしまう。確かに彼は女性にモテるだろう。

「どうやらお前は自分の事を下に評価するふしがあるな。まあ今までを考えたら無理もねえか」

「…子供の僕が、こんなドレス着たって笑いものになるだけだ」

「はあ?子供じゃねえだろ」

「子供だよ。少なくともラディスはそう思ってる。胸だって、詰め物入れてるし。グレイアみたいにスタイル良くない」

ぶはっ!とミッドラウが噴き出して笑った。

「まだ気にしてたのか!」

「そ、そんなんじゃないけど…」

「あいつはお前の事を、子供だなんて思っちゃいねえよ」

言いながら彼は給仕からグラスを二つ取り、一つをリィンに差し出した。赤い葡萄酒のようで、とても美味しそうな色をしている。リィンがそれに口をつけようとした時、背後から手が伸びてグラスを取り上げられた。つられるように後ろを振り返ると、そこに長身のラディスが立っていた。

「これは酒だぞ。お前はこっち」

茶の入ったグラスをリィンに手渡して、すぐにまた人の渦に消えて行った。リィンはぼんやりとその後ろ姿を見送り、憮然とした表情でミッドラウを見上げる。

「ほら見ろ!子供扱いしてるじゃないかっ!それに、僕に何の説明もしてくれない」

ミッドラウは笑いを噛み殺し小さく呟いた。

「…良く見てるこった」

「は?」

「まあ大目に見てやれ。あいつはこっちに来てから、馬車馬みてえに働かされてる。どうせ今もろくに食えちゃいねえだろ。
 そろそろこの場はお開きになるが、それからが本番だぜ。気心の知れた奴らだけで酒を飲むのがシャウナは好きなんだ。見てろ、リィン」

彼は楽しそうににやりと笑って、長身を折り曲げてリィンのこめかみにキスをした。

それから間もなく彼の言っていたとおり、場が解散となった。緑の髪で赤いドレスに身を包んだ女帝が挨拶をして枢機議会の人間達を引きつれて奥に消え、着飾った人々はそれぞれに挨拶を交わして去っていった。広間にはリィン達が残り、従者がテーブルと料理をひとところに集めて椅子を置いてゆく。扉が開いて、ぞろぞろとまた人が入ってきた。レーヌの制服を着ている者や、丈の長い上着を羽織っている者。年齢や性別もまちまちで、どうやらこの大学校で働いている役員や従業員、研究員達のようだ。その後から奥に消えていた枢機議会の面々も現れた。

「さあ、やっと思う存分酒が飲めるわい」

モドが若い研究員の肩を叩きながら言った。

「皆の者、今夜は我々の旧友、ラディスとクレイ、ミッドラウもおる。有意義な時を過ごすがよい」

最後に現れた女帝に皆が一礼を返す。顔を上げたリィンは驚いた。シャウナルーズは先程と同じ赤いドレスだったが、髪の色が違っていた。黒の巻き毛を肩まで垂らしている。あの鮮やかな緑の髪はかつらだったようで、女帝としての正装があのようなものなのだろう。
シャウナルーズはリィンに手を差し向けて皆に紹介した。

「この娘は、イリアス族のリィン。英雄ティルガと解放の女神の娘だ。今はラディスの護衛をしておる。最大の敬意と尊敬を持って拍手を送ろう」

その場にいる全員が笑顔を向け手を叩いてリィンを讃嘆した。身に余る事で、リィンはひどく恐縮してお辞儀を返した。その場で土下座をしたいくらいだった。自分は何もしていないし、むしろ誰も助けられなかったのだから。既にシルヴィもティルガも、この世にはいない。
それからすぐに場は砕けた雰囲気に包まれた。皆、思い思いのくつろいだ状態で楽しく酒を酌み交わしている。リィンは代わる代わる挨拶にくる人々と会話を交わす為に、やけに忙しくなった。クレイとソアが両隣にいて、リィンの世話人のような役割をしている。ちらりと先に視線を向けるとラディスが食事をしているのが見えた。傍の席にはミッドラウにシャウナルーズ、テンペイジがいて酒を飲んでいる。リィンはじりじりしながら思う。

僕もそこに行きたいのに…。

「なあシャウナ、これだけの面子が揃うのも久しぶりだ。昔を思い出して一つゲームをしないか」

ミッドラウは椅子に斜めに腰かけ、片肘をテーブルについた格好でシャウナルーズに視線を向けた。女帝はグラスを傾け、笑う。

「ほう…それは面白い。一体どのような余興だ。お主に任せよう」

その言葉を待っましたとばかりに、彼はすぐさまテーブルを叩いて立ち上がった。

「おおい、野郎ども!ミッド様と勝負をしようぜ!」

その大声に皆が顔を向けた。ミッドラウは素早く髪を束ね椅子の上に乗り、片足をテーブルにかけて全員を見渡す。

「どんな勝負だ」

「殴り合いならごめんだぞ!あんたに勝てる奴なんかいないさ」

どっと笑い声が起こり、楽しそうな野次が次々とかけられる。

「この俺様と飲み比べ勝負だ!」

「勝ったら何がもらえる!?」

「そうだ!賞品がないと盛り上がらないぞ」

やいやいとどよめく場を悠然と見下ろし、ミッドラウは一直線に指差した。その人差し指が、ぴたりとリィンに向けられる。

「あの美しいイリアス族の娘をかけて勝負だ!」

「はあっ!?」

リィンが素っ頓狂な声を上げた。

「何て不謹慎なっ」

クレイが大声で叫んだが、周囲の騒ぎにかき消されてしまった。

「おいっ。何勝手な事言って…」

リィンの声も届かない。女帝は楽しそうに部下と顔を見合わせて笑っているし、他の者達も興味深そうな顔をして誰も止めようとはしない。酒の席での余興には持ってこいのものなのだろう。リィンが呆れて隣のソアを見ると、彼女は苦笑を返した。

「ただの遊びと思って諦めるしかなさそうだ」

「さあ男ならこぞって参加しろ!女王陛下も公認だ!こんなチャンスはもう二度とないぞ」

ミッドラウは椅子から飛び降りて、テーブルに肘をつきラディスの顔をのぞきこんだ。

「お前はどうする?乗るか?」

ラディスは綺麗な笑顔を作り彼を見据える。

「前から思っていたんだがな、俺はお前が大嫌いだよ」

「奇遇だな、俺もだ!」

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