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第五章
061:優しい光
それから部屋に行き、日課である『力』の鍛錬に集中しようとするが思うようにいかない。諦めて風呂に入っている間もずっと、リィンの気持ちは沈みっぱなしだった。
それによりによって、どうしてラディスと同じ部屋なのだろうか。クレイでさえ何の疑問もなくリィンとラディスを同室にしてしまった。部屋にはベッドが一つしかない。診療所では確かに一つのベッドで寝ているし、今更意識する必要もないのだろうけど…。

「ふん…」

だんだん腹が立ってきた。風呂から上がり、脱衣場で腹立ちまぎれにごしごしと頭を拭う。
どうせこんな風に意識してんのは自分だけだ。ラディスは大人だから、ああいう事も平気だし初めてじゃないんだろう。
ミッドも何であんな事を言うんだ!どうせ僕は子供だよ!胸だってないよ!
いや違う、僕は男として生きていくんだから、そんなのどっちだって良いんだ!ラディスにはユマがいるんだから!
リィンはどうにもならないジレンマに苛々を募らせる。
…もう、知るか!

素肌にブラウスを羽織り、細身のズボンを穿いてぶつぶつ文句を言いながら部屋に戻る。
と、部屋のベッドの上に片足をかける格好で座っているラディスがいた。リィンはびっくりして口を開け目を見開く。

「何だその顔は」

「…い、いると思わなかったから」

さっきまでむかむかしていたはずだったが、途端にびくついて彼に背を向けてしまう。

「リィン」

「…何だよ」

「こっちに来い」

「嫌だ」

「診てやるから…」

そう言われて、おずおずと背後を振り返る。ラディスが穏やかな表情でこちらを見つめていた。リィンは自分が一方的に苛々していたのを恥ずかしく思い、俯いたままベッドの上にちょこんと座った。

やっぱりラディスはいつも冷静で、優しい…。

ラディスが細い腕をとり、普段と変わらずに診察を始める。リィンは彼の伏し目がちな顔に見入っていた。どうしてだかこれだけで、胸がどきどきしてしまう。
出し抜けに、腕を掴まれてブラウスを二の腕までめくられた。その白い腕には打撲の跡と切り傷があり、痛々しい。ラディスが上目でリィンを睨みつける。

「やっぱりな。どうも歩き方がおかしいと思っていた」

「えっ…」

乱暴にブラウスの裾を捲り上げられ、上半身が露わになる。その透き通るような白い素肌にも青黒い打撲の跡がところどころについていた。

「うあ!何すんだよっ」

顔を真っ赤にして、ブラウスを押さえ込んだ。ラディスがリィンの細い腰を掴んで、ズボンまで脱がそうとする。

「ちょっと!やめろって!!こ、こんなの!視察に行った時に村が襲われてて、戦ったんだから当たり前だろ!」

「…俺は医者だぞ。この傷がどうやってついたかくらい見れば分かる。そんな戦闘の時に、なぶられたような傷がつくと思うか?」

ぐ、と言葉に詰まった。ラディスはため息をこぼし、リィンの腰から腕を回して、その華奢な身体を優しく抱き締めた。リィンはびくりと身体を硬直させる。

「っちょ…」

細い背中を包んでいる腕に、少しだけ力がこもる。ラディスはリィンの肩に顔をうずめて動かなくなった。リィンは恥ずかしさのあまり、くらくらして気を失ってしまいそうになる。彼の薄茶色の髪が頬に当たっている。身体が密着しているのを感じるだけで、心臓がばくばくと飛び出してしまいそうな程に高鳴っていった。

「くく…。すごいな。お前の心臓」

「うう、うるさいな!」

「…行かせるんじゃなかった」

ラディスの低くて心地の良い声が、身体を伝って届く。

「…でも、僕、視察を成功させたよ?」

「ああ。良くやった」

嬉しい…。リィンは顔をほころばせた。僕はやっと、ラディスの役に立てた。たった一言だけで、全ての迷いや疲れが吹っ飛んでいくようだ。

ああ、会いたかった。

「あんたが、僕を信じて送り出してくれたからだ」

「お前をこんな風に使うつもりはなかった。…それにこれからもっと動きが大きくなるだろう」

「良いんだ。分かってる。僕、大丈夫だよ」

「もう無茶はさせない」

「ラディス…」

リィンを抱き締めている腕に、また力がこめられた。ぎゅうと胸が締め付けられてゆく。二人の身体がぴったりと重なって、まるで一つに溶け合ってしまったかのようだ。

「…お前が死んだら、意味がない」

きゅう、と胸が詰まる。赤茶の瞳に涙が浮かんだ。
ラディスが自分の事を心の底から心配しているのが伝わってきて、それがとても温かく愛おしく思える。リィンの手がためらいがちにラディスの背中を包んだ。彼の匂いがリィンを包み込む。ミントハーブの優しい香り。そこでふと異変に気付いた。いつもの匂いに、少しだけ汗の匂いが混じっている。

「ラディス?」

そう言えば身体が熱い。リィンは彼の服を掴んで引っ張った。

「ねえ」

ラディスが顔を上げて見つめてくる。息が止まる程すぐ近くに彼の青い瞳があった。どきりとする。瞳の奥の琥珀色が綺麗に輝いているのがよく分かる。鼻先がかすりそうだ。いや、既に額と鼻先が触れ合っている。

「ちょっと…ち、近いよ…」

呟くようにラディスに抗議した。二人の距離が近すぎて、大きな声も出せない。掴んでいる服を引っ張って身体を離そうとするが、びくともしない。

「そうか?」

囁くような彼の声。息がかかる。リィンはぎゅっと目を閉じた。鼓動が早くなる。熱い…。
リィンを抱き締めている腕にまた力がこもる。どくん、と身体が脈打つ。

「あ…。は、離して…」

声が震えてしまう。呼吸が浅くなる。

「駄目だ…」

耳元で囁かれて、身体がびくりと震える。何も考えられなくなりそうだ…。
リィンは薄く目を開けた。そこで、はっとした。肩に包帯を巻いている。

「ラディス!?」

彼の身体から力が抜け、ずるりと寄りかかってきた。肩に触れると燃えるように熱い。

「これ、怪我してんじゃないか!」

ラディスは苦しそうに荒い息をしながら言った。

「俺の鞄の中に、痛み止めの薬がある…」

「分かった」

グラスに水を注いで薬を飲ませる。彼は壁に背をもたれて深く息をついた。驚いた事に、シャルナンを発つ時には既にイグルから傷を受けていたのだと言う。以前にリィンにも経験があるので分かる。特効薬のお陰でイグル化はしないで済むが、その毒はしぶとく身体を蝕むのだ。熱が数日出続けるし、リィンも完全に体調が戻るまで何日もかかったのだから。

「馬鹿じゃないの!?」

心配しすぎてリィンは怒っていた。あんなに強い彼が怪我をするなんて、余程の事があったのだ。そのうえ傷を負って熱まで出ていたくせに、ここでも人の世話を焼いて…。

「人の心配ばっかりしてっ。少しは自分の身体を気遣えよ!」

「大げさな奴だな。こんな程度じゃ人は死なない…」

ラディスが瞳を伏せたまま弱々しく笑う。リィンは泣きそうになった。

そうやって、ずっと一人でやってきたの?

自分の都合なんかいつも後回しにして…。クレイが随分前に言っていた言葉がよみがえる。


あの方は優しすぎるのです。そして強すぎる。だからこそ、私は心配でたまらない。


「そんなの…」

僕だって同じだよ、ラディス。あんたが死んだら意味がない。あんたがいなきゃ、意味がない。
ラディス…。死なないで。ずっと生きていて。もう絶対に、失いたくない。

「ラディス…」

ベッドの脇の椅子に座っているリィンの身体が、内側から青白く光り出した。徐々に光が強さを増してゆく。部屋の中が青白く温かな光に包まれてゆく…。

「え…」

自分の身体を見下ろす。ぼんやりと青白く光る両手を見つめて絶句した。これは何だ?『力』とは違う。『力』を使う時の、圧が感じられない。それにそんな意思を込めていないのに。これは自分の『力』か?暴走しているのか?分からない…。自分が分からない。混乱しそうになる。

「リィン」

ラディスが強い声音でその名を呼ぶ。腕を伸ばしリィンをベッドへ引き上げて、固く抱き締めた。リィンの全身から光が消える。

「ご、ごめん…僕、何か変だ…」

ラディスは何も言わず栗色の髪に口づけて背中をなででいる。リィンは呆然としたまま、小さく呟いた。

「今の、なに…」

「心配するな。大丈夫だ」

彼の言葉は魔法のようだ。その一言だけで、本当に安心してしまう。
リィンは目を閉じて深く息を吐き出した。そのまま寄り添うようにして、二人は眠りについた。

◇◇◇◆

朝日が差し込む部屋の中で、風呂上がりのラディスは頭を布で拭いながらベッドに近づいてゆく。リィンが子供のような安らかな表情ですやすやと寝入っていた。脇に腰を降ろし、優しく栗色の髪を梳く。

「リィン。俺を選んだのか…」

もしかしたら、それは必然の事だったのかも知れない。抗いようのない運命とはこういうものなのだろうか。彼は運命という言葉が好きではない。嫌いでもないが、それがどうした、と思う程度だ。運命ってもんがどうあろうが、知った事ではない。要は、自分がどう生きるかだ。
リィンがうっすらと瞳を開けた。ラディスを見つけて透き通った頬を赤く染める。

「…何だよ」

「何にも?」

寝顔を見られていたのが恥ずかしいのか、少しだけ口を尖らせている。ラディスは微笑んで、その柔らかな唇に口づけを落とした。

「んなっ…あんたおかしいよっ。き、昨日から…」

「昨日?何かあったか?」

意地悪く問うと、リィンは今度こそ顔を真っ赤にしてベッドから起き上がり、そっぽを向いた。

「僕が子供だと思って、からかってるんだろ。あんたにはユマがいるのに…」

「…は?」

突然出て来た名前にラディスは驚いた。

「もう良いよ!」

彼がまた口を開こうとした時、勢いよく扉が開いてミッドラウが姿を現した。

「よう!起きてるな。行くぞ!いざ、レーヌへ!」

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