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第五章
060:再会
小さな物音がして、グレイアはベッドの中で静かに目を開いた。夜が明けて朝日が昇り始めている。身体を起こして隣を見やると、ネルティエが愛らしい表情で安らかに眠っていた。昨日はコンサートを終えた後も随分と遅くまでラディスを心配して起きていたので、まだまだ深い眠りの中だ。じっと耳を澄ましてから、気配を殺して部屋を出る。グレイアは黒の髪を胸元まで垂らし下着姿だったが、普段の服装とたいして変わらない。気配を絶ったまま隣の部屋の扉を音を立てずに薄く開き、素早く室内に侵入する。
暗くランプの灯が照らすベッドの上に、ラディスが仰向けになって眠っていた。疲れきっているようで風呂から出た後にズボンだけを履いて、ベッドに倒れ込んだようだ。上半身は裸で、薄茶色の髪はまだ濡れている。美しい筋肉が隆起した引き締まった身体。男の中ではダントツで彼の事を気に入っている。
あらゆる意味で、強い男。
グレイアはそっと近づきラディスの上に馬乗りになって、形の良い薄い唇に自分の唇を重ねた。彼は相当疲れているようだ。無反応な彼の舌に自分の舌を絡ませて、深く口づけてゆく。ぴくりと反応を示してラディスがグレイアの腕を掴んだ。

「…グレイア。見ての通り俺は疲れてる。頼むから寝かせてくれ」

冷静な声がグレイアに向かってかけられた。グレイアは自分の身体を押し付けて、その首筋にキスを落とす。

このあたしが迫ってるっていうのに、まだそんな冷静な声が出せるなんて。憎たらしい男。

「嫌よ。こんなチャンスめったにないもの…」

吐息と共に言葉を吐き出し、ゆっくりと右胸の烙印に舌を這わせる。

「お楽しみのところ邪魔してわりぃな!」

底抜けに明るい声が響いた。グレイアはラディスに覆いかぶさったまま振り返る。

「…あら。どうしたのミッドラウ」

戸口に不思議な格好をしたミッドラウが腕を組んで突っ立っていた。精悍な顔立ちに笑顔が浮かんでいる。視線を横にずらすと、扉に張り付くようにしている小さい影が見えた。

「…リィン」

ラディスが呟く。小さな影はびくりと肩を震わせて、こちらを見ないまま慌てた声を出した。

「ぼ、ぼく、先に馬車に帰ってるね」

ばたばたと階段を駆け降りる音。ラディスが頭を掻きながらゆっくりと身体を起こした。深いため息。

「おい、すぐ支度をしろ。出発するぞ」

運び屋はずかずかと室内に入り、椅子にかけてあったブラウスを投げて寄こした。グレイアが立ち上がって睨みながら彼に近づく。

「ほんとよ、おじゃま虫。やっと手に入れられるところだったのに。それともあんたが相手をしてくれるの?」

妖しく笑って、彼の逞しい首に腕を絡める。ミッドラウはにやりと笑ってグレイアの腰を抱いた。

「そいつは良い提案だが、俺は今≪配達≫の途中だ。また今度頼むぜ」

「グレイア。ネルティエによろしく言っておいてくれ」

そう言い置いて二人の男は慌ただしく部屋を後にし、グレイアは気だるそうに片手を上げてそれを見送った。

大股で朝日の落ちる石畳の上を歩く。シャルナンの町はたった今起き出したところで、早起きの老人が履き掃除している。ラディスは前を向いたままミッドラウに話しかけた。

「お前なあ、どうしてリィンまで連れて来たんだ。馬車で待たせておけば良かっただろう」

「あいつが一緒に行きたいと言ったんだぜ。分からんのか?お前に早く会いたかったんだろうよ。女心とはそういうもんだ」

「…こんな野蛮人に、女心を教えられるとは思わなかった」

「何を言う。俺様は女心が分かる野蛮人だぞ」

幌馬車が見えてきた。座席の端にこちらに背を向けて座っているリィンの小さな背中。

「これからどこへ行く?」

「お前が何度言ってもきかないもんだから、シャウナが痺れを切らしたんだ。強制召集だぜ、俺の元に書簡が届いた。レーヌへ行く。クレイもいるぞ」

幌のついた荷台からクレイが降りてきてこちらに向かって一礼をした。その姿を見て、ラディスが隣を歩くミッドラウを睨みつける。

「まさかここまで宿をとらずに来たのか?」

「ん?そうだが?」

「…阿呆」

「はあ?」

「ラディス様。ご無事で何よりです」

クレイがラディスに笑顔を向けた。

「顔色が悪いな。全然寝てないだろう」

「え、ええ…」

長身の医師はすぐに相手の状態を見抜く。背後でミッドラウが自分の額をぺしりと叩いた。

「そういやクレイちゃんはとってもデリケートな奴だったな!すまんすまん!」

ちっとも悪いと思っていない口調で告げて、ひらりと座席に飛び乗る。リィンが心配そうな顔をクレイに向けた。

「クレイ…大丈夫?」

「ええ。すみません」

ラディスがリィンを見ると、慌てて身体を引っ込めてしまった。

「さあ乗った乗った!ここからならレーヌまではあと少しだ。海を渡らにゃならんから、この先の港で宿をとってやる!」

勢いよく幌馬車が走り出した。

◇◇◇◆

「おいリィン。そんなに気にするこたぁねえぞ」

ミッドラウが隣に座っているリィンに声をかけた。レーヌ国に渡るのは明日の朝になりそうだ。レーヌは島国で、定期便の船が運航している港に着くのは夕刻になるだろう。

「…べ、別に!」

「なら良いんだがな」

リィンは不機嫌な声で続ける。

「グレイアはスタイルが良いもんね…。胸が大きくって、大人の女って感じだ。…ラディスが前に言ってたもん。女性らしいスタイルの人が好きだって」

「そりゃあ男なら誰だってそうだろうよ」

そう言うとリィンが黙り込んでしまった。
ミッドラウはぎょとして、器用に馬を操りながらリィンを見下ろした。てっきりこの二人は既にそういう関係になっているのかと思っていたのだ。

「なんてこった…。お前ら病気か!?同じベッドに寝ていやがるのに何もしてねえってのか!?」

女心が分かると豪語したミッドラウだったが、この言葉でリィンが激しく傷ついた事を知るはずもなく、そのまま唸って考え込んだ。

あいつの理性は自分の知らない所でむくむくと巨大に成長してしまっていたらしい。それとも恩人の娘ってのが引っかかってるのか。どっちにしろまるで良い年こいた爺さんじゃねえか。これじゃあちっとも面白くない。

「あの野郎…自分を律するにも程があるぜ」

リィンはショックのあまり呆然としたまま彼を見上げた。ミッドラウは自信満々でリィンに笑顔を向ける。

「ようし!見てろ、俺様があいつの化けの皮をはがしてやる!」

リィンは意味が分からずに首を傾げた。

◇◇◆◆

夕暮れ時に大きな港に着いた。巨大な帆船が停泊している海の傍には、食堂や宿屋が軒を連ね、通りにはたくさんの荷物や馬車が行き来をしている。ルキリアの国中に散らばって仕事をしている運び屋達が集まる所でもあり、屈強な男達や逞しい二の腕の港の男達が大きな声で会話を交わしていて活気に満ち溢れていた。ここで今晩は一泊して明朝にレーヌ国へ渡る船に乗る。

「今回の荷物は人間だからな。ここで知り合いに馬車を預けていく。じゃあな、ゆっくり休めよ」

皆で夕食を済ませた後、ミッドラウは一行を宿屋まで連れてゆくと、自分はさっさと出て行ってしまった。

「ミッドってどこにでも知り合いがいるんだね」

「おおかた女の所だろう。今夜はもう帰ってこなそうだ」

「…すみません。私も先に休ませていただきます」

クレイが小さく呟いてよろよろと部屋へ入っていった。彼はもう数日間まともに睡眠をとっていないだろう。同じ部屋に他人がいるだけで眠れない程の神経質な面がある彼には、この旅は相当苦痛だったはずだ。
リィンとラディスの二人だけになると、急に気まずい空気が流れる。どうしよう…、とリィンが思っていた時だった。

「おお!ラディス!さっきそこでミッドラウに会ってな、お前が来てるって聞いたもんだから…」

髭をたくわえて眼鏡をかけた壮年が笑顔で近づいてくる。リィンは静かにマントのフードをかぶった。旅先では自分がイリアス族であるというのを極力知られたくなかった。そのせいで余計なごたごたを引き起こしたくないからだ。

「デルネか。元気そうだな」

ラディスも笑顔でそれに答え、二人は固い握手を交わした。

「あんたが来たら診てもらいたい症例があったんだよ。それに薬の調合の事でも分からん事がある。明日には発つそうだから、今から来てもらえんか」

どうやらこの港で働く医師か何かのようだ。ラディスがリィンを振り返って言った。

「お前は先に部屋で休んでいろよ」

リィンはラディスの護衛であったが、素直に頷いて二人を見送った。心のどこかでほっとしている。
あれ以降、どうしてもラディスの顔を見る事が出来ない。それに彼はどこにいても忙しそうだし人気者だ。自分なんかの相手をする暇なんてない、と言い聞かせる。本当は色々話したいし、視察が成功した事を褒めてもらいたかったのだが素直になれなかった。

会いたくて会いたくて、仕方がなかったのに…。

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