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第五章
055:二人の戦い2
「あー!やっと見えてきた!」

ウィリアムが大きな声を上げた。
太陽が照りつける荒野を延々と走り続けて、遠くにぽつんと集落が見えて来た。あれがゲムの村だとすれば、その向こうがロガートとの国境になるのだろう。しかし、見渡す限りの地平線。青い空に黄土色の大地。人の影すら見えず、視界を遮るものは一切ないような荒野だった。

「これが国境?」

ぼそりと呟いたリィンにウィリアムが答えた。

「何もないように見えるけどさ、あの村の先に少し盛り上がった山があるだろ?」

リィンは目を細めて先を見つめるが、どこにもそんなものは見当たらない。確かに地面はでこぼことしているが。

「ロガートの奴らは穴を掘って、その下で息を殺してこの国境を守ってんだよ。ルキリア側はあの村を、国境警備の為に作った」

「…全然見えないけど」

「ふふん。俺ってものすごく目が良いわけよ」

「その目を生かして、周囲を見てくれないか」

背筋を伸ばして優雅に馬にまたがるアルスレインが、ウィリアムに声をかける。

「…うーん。特に動きはないな。あの様子じゃ、ロガート側の警備もいつも通りの五人ってとこか」

「そうか。これから私達はゲムの村へゆく。リィンとウィリアムはここで待機していてくれ」

だだっ広い荒野に二人だけを残して、全員が村へと馬を走らせて遠ざかってゆく。

「けっ。これだから皇族って嫌いだ」

「何で?」

ウィリアムが心底嫌そうな顔を作って吐き捨てるように言った。

「あの村はルキリア国の要所だ。俺達みたいな一般人が踏み行っちゃいけないんだろ。ここまでお供させといてさ、良く言うぜ」

リィンは、ああそういう事か、と呟いた。
しかしここまで何事もなく無事に来れて良かった。まだ油断はできないが、あともう少しだ。身体はまだ痛むが何とかなるだろう。

「俺、皇族も貴族も大っ嫌いなんだよ。本当はぶっ殺してやりたいくらいさ。シーカーの命令だから大人しくしてるけど」

物騒な事を言う。彼は怒っているような表情で前を睨みつけていた。リィンは複雑な心境でウィリアムを見つめた。自分と対して年の変わらないであろう赤毛の少年は、きっとただならぬ今までを生きて来た。顔は小さく身体も男性にしてはほっそりとしていて、その容姿が少年のように見える。しかしその瞳に宿る光は鋭く研がれた剣のようだ。
リィンはこの視察に同行する事によって、ルキリア皇族の本当の姿をまた見せられたような気がした。
アルスレインはあの若さで、帝国軍を統括する元帥の地位に収まっている。何という覚悟と重責だろうか。そして孤独な戦いを延々と続けてゆく。支持する者も批判する者も、暗殺を企てる者も全てをひっくるめて、手中に収めて統治していかねばならない。同時に国の外の脅威にも対応していかなければならない。何年も何十年も、この先もずっと。それこそ、力と知恵がなくては為し得ない事だ。
一国の王となるのは、これ程に厳しいものなのだろうか…。

「…ん?あ、あーあ。こりゃあ、ひでえや」

不意にウィリアムが謎の言葉を発した。

「何?」

「見てみろ。村から煙が上がってら」

びっくりしてリィンは遠くの集落を見つめた。よく目を凝らしても、はっきりとは判別できない。しかし確かに、青い空にうっすらと一筋の煙が上がっているように見える。すっと身体の芯が冷えてゆく。

村が襲われている。

「どうして。誰も近づいてなかったじゃないか」

呆然と呟くと、ウィリアムが馬上で器用に両手を頭の後ろで組んで、さらりと言った。

「裏切ったのさ、村の奴らが」

「何…」

「そうとしか考えられないだろ?村の中に敵を潜めて隠していた。相手はロガートの軍人か、はたまたどっかの王子様が放った刺客か。金でも積まれたんじゃないの?」

「行こう!」

「嫌だね」

「何でだよ!?」

「良い気味さ。力もないのに自信だけたっぷりの王子様には良い薬だろ」

「…あきれた」

リィンがぎろりとウィリアムを睨んだ。

「僕はラディスの敵に、『力』を使う事を躊躇しない。相手も人間で家族がいる。だけど迷わない。僕は知っているからだ。人は、時に残酷に、悪魔のように人を踏みにじる」

迫害を受け続けているイリアス族であるからこそ、真に迫る言葉。

「人は結局、どんな状況においてもその本人の意思によってしか動かない。…僕は、以前にどうして人が人を憎むのか、妬んで相手を傷つけようとするのか、ラディスに聞いた事がある」

ウィリアムは姿勢を戻して、興味深そうにリィンの言葉に耳を傾けた。

「へえ。ラディスは何と言った?」

彼の答えは明快だった。

「それが一番簡単だからだ」

一番手っ取り早く、自分を保てる。他に理由を探さなくて済む。
リィンはそれだけ言い置いて、馬を走らせて村へと向かった。

ウィリアムはくすりと笑い、違いない、と呟きその後に続いた。

◇◇◇◆

「皆さん、どうか私に力を貸して下さい」

ベッドの脇にはニコルにチェムカの母、それにパウラもいる。チェムカの母が、出産を経験した女性が一人でも多い方が良いと言って、チェムカに家の留守を任せて彼女も連れて来たのだ。全員緊張で浅い呼吸を繰り返しているが、その瞳には力強い光が宿っていた。母は、強いものだ。この間も大きな腹を抱えた婦人が、悲鳴を上げ続けている。ニコルが必死になって婦人に声をかける。
さあ、しっかりしなさい。あなたはこの子のお母さんになるのよ。

「クレイ、どうすれば良いんだべ!?」

銀色の髪を一つに結い上げたチェムカの母が尋ねる。

「タイミングが大事です。私が声をかけますから、それと同時にいきむように言ってください」

婦人は痛みのあまり、力任せにいきもうとする。しかしそれではいけない。冷静に、そのタイミングを計るのだ。幸いに赤ん坊の位置は悪くない。一生懸命に生まれようとする子に、息を合わせるのだ。

「クレイ、赤ん坊をとりあげた事あるんだか?」

チェムカの母が婦人に呼吸を促しながら、クレイに言った。

「あります」

クレイは嘘をついた。馬の出産なら経験した事がある。しかし、人のそれはまだ実際には経験がなかった。ラディスが担当した出産に立ち会おうとしたが、あまりの壮絶さに卒倒してしまったのだ。

「はいっ!いきんで!」

クレイの掛け声とともに、女性達が一丸となって力を合わせた。

◇◇◆◆

濛々と煙が流れて視界が閉ざされる。剣がぶつかる金属音と怒号が辺りに反響して、一瞬どこにいるのか分からなくなった。馬が暴れて、手綱を掴んで大人しくさせるのがやっとだ。

「やべえ!イグルまでいやがるぞ!」

ウィリアムの怒鳴り声にリィンは目を凝らした。風が吹いて視界が開ける。ルキリアの青い軍服を着た軍人を襲っていたのは、山賊の格好に似た服装をした者達。リィンにはそれがロガートの軍人か山賊なのか区別はつかない。村人が辺りをわらわらと逃げまどっている。奇妙な形のイグルが数匹。あれは何だ。何の動物だ。全身は黒々としてべとついているが、毛はなく赤黒い皮膚がむき出しになっている。四つん這いになった四本の足は異様に長く、背が変に盛り上がっていた。

ぞっとした。

「ヒト型だ…」

「あ、ケイロス!」

ウィリアムが叫んで、馬の向きを変えて走ってゆく。ケイロスは山賊と戦っていた。ウィリアムはゆらりと剣を抜いて山賊が振り向こうとした瞬間に、一瞬も怯まずに相手を斬り倒した。それから手綱を引いてケイロスの傍まで戻り、飛び降りながら彼に怒鳴った。

「馬に乗ってここから離れろ!」

リィンは馬を走らせて、辺りを見渡す。倒れている村人。血を流している軍人。
どこだ!

「アルスレイン!ウォルハンド!」

突然バランスが傾き、馬がいななきながら崩れた。リィンは素早く受け身をとって着地する。腰に差した剣を引き抜いた所へ、相手の切っ先が襲いかかる。瞬間に瞳が深紅に燃え上がり、敵の姿を確認する暇もなく相手を吹き飛ばした。ぞわり、と背筋に只ならぬ悪寒。

「ゴアアアアア」

奇妙な吠え声を上げて、ひょろ長い四肢を動かしてイグルが突進してくる。速い。

≪切り裂け!≫

無数の風が起こり、イグルの足と胴体がすっぱりと切れて紫色の血が飛び散った。そのまま肉の塊と化して、ごとりと地面に落ちる。立ち上がろうとした瞬間に、また敵の剣が振り下ろされた。リィンは反射的に剣でそれを弾き、相手がよろけた隙を逃さず足を狙って振り抜いた。

「うあああ!」

敵が叫びながら転がる。肩で息をしながら立ち上がって辺りを見渡した。惨状だ。視界の端にウォルハンドの大きな身体が見えた。彼は鬼人のように、敵をばたばたと倒している。背後に横たわっている紺色の軍服を着た人物。アルスレインが肩から血を流し、顔を歪めてうずくまっていた。
とにかく、まずはイグルを片づけなくては。これは『力』を使える自分にしか出来ない。視線をめぐらす。合計で六匹。それにこの村の規模も小さく、人間の数も多すぎるという程ではない。

やれるか?…否、やるしかない。

リィンは意識を集中させる。
ふと脳裏に、この場に似つかわしくない程の、端正で涼やかなラディスの顔が浮かんだ。

ラディス。
僕はやっと、あんたの力になれそうだ。

紅い瞳が、敵を捕らえた。


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