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第五章
053:旅の目的、覚悟の剣
「何だか楽しいわね。ラディスも一緒なんて嬉しいわ。ねえグレイア?」

「ほんとねえ。今度っから毎回一緒にしたら良いんじゃないの?ねえラディス?」

「そうだな。これでネルティエの歌が聞ければ言う事なしだ」

揺れる馬車の中に三人はいた。ネルティエは身ごろのゆったりとした青色の服を身にまとい、愛らしい笑顔を向けている。その隣に座るグレイアは藍色のマントを羽織り、申し訳程度の布でその豊満な胸を隠し、下着のような短い黒のズボンに丈の長い編み上げ靴。耳には大振りのピアスが揺れてにっこりと笑った口元から、真っ白な八重歯がのぞいていた。二人の向かいに座るラディスは黒のマントの下にブラウスと黒のベスト、伸縮性のある素材で出来た黒のスリムなズボン。乗馬用の拍車のついた茶革の長靴という、医師らしからぬ格好で腕を組んでいる。傍らにはいつもの大きな診療鞄の他に、巨大な麻袋など荷物も多い。

港町シャルナンへの定期コンサートはネルティエが歌姫として成功する前からずっと、定例行事として行われているものだ。シャルナンは彼女の生まれ故郷であり、グレイアの故郷でもある。盲目の歌姫は自分がどれだけ成功しようとも、自分を育ててくれた者達への感謝を決して忘れない。

「コンサートは明後日の夜よ。それまでにお仕事が終われば聞きに来てくれる?」

「ああ。そうしよう」

ネルティエは褐色の頬を少しだけ赤らめて、つぶらな黒の瞳をグレイアに向けた。

「うふふ。良かった!」

「そうだねえ」

グレイアは、彼女の長くて美しい白の髪を優しく梳いた。
可愛い子。男の趣味も悪くないわ。

シャルナンの宿へは夕刻に到着した。荷物を運び込んで、ネルティエはすぐに舞台のある店の下見に出かけてゆく。勝手知ったるいつもの店の主人と挨拶を交わして、従業員の一人ずつとも握手を交わしてゆく。グレイアは歌姫の背後に立ち、じっと相手を観察する。そこに不穏な影はないか、脅威はないか。隙のない眼光はその艶やかな容姿に似つかわしくない程に鋭い。グレイアに対する相手は、彼女の露出の多い格好に油断をするが、腕の立つ者なら彼女が只者ではない事にすぐ気付くだろう。

「そのう、控室の方にお荷物が届いているのですが…」

背後からグレイアに控えめな声がかけられた。

「案内して。調べるわ」

従者に声をかけ、控室へと向かう。

「送り主は、…ええと、シーカー・ラグズウェル様です」

「…はあ。懲りない男ね」

部屋中を埋めつくさんばかりの色とりどりの花束。良い香りが漂っている。

「グレイア?」

振り返るとネルティエが杖をついてこちらへやってくるのが見えた。

「良い匂いね。何のお花かしら?どなたから?」

「シーカーよ」

ネルティエの表情が途端に曇った。

「…片づけて」

「そういうわけ。この花束、全て部屋から出してくれるかしら」

はい、と従業員たちが総出でその作業に取り掛かった。ネルティエが壁を背に少し俯いて佇んでいる。
グレイアがその小さな頭を引き寄せて、抱き締めた。

「私、ひどいかしら…」

「ひどいのはあの男の方さ」

あたしの歌姫を悩ませるなんて、罪深い男。許せないわ。

ネルティエに言い寄ってくる男達は数多い。大金持ちの貴族や政府要人。皆、彼女の愛らしい容姿と美しい歌声に惚れ込んで、何としても手に入れようと躍起になって金を積み上げる。ネルティエはその全ての誘いを、角が立たないように断り続けていた。一生金に困らないような生活ができ、歌を思う存分歌う事ができる、と夢のような話。けれどネルティエは見抜いているのだ。言い寄ってくる男達は、彼女が歌唄いという不安定な職業で盲目であるが故に、簡単に手に入ると思っている。誰一人として知らないだろう。この可憐な歌姫が、本当は芯が強く、人一倍負けず嫌いなのを。
幼い時からネルティエを見続けてきたグレイアは、世界で一番彼女の事を理解していて、そして愛している。
この世でただ一人、自らの命を捧げると誓った。あたしの歌姫。
夜の帝王シーカーはそんなネルティエに図々しく、強引に、求愛し続けている。普段ならやんわりと断り続けるネルティエだったが、その執拗なアタックに苛々を募らせていた。

あの男。今度会ったら、どうしてくれようかしら。

◇◇◇◆

馬の背から荷を下ろし念入りにブラシをかけてやると、喜んでぶるぶると鼻を鳴らした。今夜はこの岩場の影で夜をやり過ごす。軍人たちは手際よく周囲を偵察し陣営を張った。彼らの上官であるアルスレインは軍人数名を連れて、この近くの村に駐在しているルキリア軍の保安部隊の激励をしに出掛けていった。焚き火が夜の荒野を照らす。リィンはため息をつきながらその近くへ腰を下ろした。どうも居心地が悪い。それはずっとこの旅の始まりから、ウォルハンドがリィンに向かって恐ろしい殺気を放ち続けているからだ。そのウォルハンドはというと、リィンの背を睨みつけるように一人暗闇の中で腕を組んで仁王立ちしていた。

「おい、あいつ何とかならないの?」

ウィリアムがこそこそとケイロスに耳うちする。皆、火を囲んでささやかな夕食を楽しんでいる最中である。ケイロスは一番の年長者で、彫の深い顔立ちに白いものが混じる金色の髪を後ろに流して、軍服とは少しだけ形容の違う紺色の服に身を包んでいた。顎に髭を蓄え、≪黄金の青い目≫の目尻には深いしわが刻まれている。ルキリア皇族で中枢機関に属する政府要人である。ウィリアムは何度か視察に同行している為か、この人物に対しても敬語を一切使おうとしない。

「こっちまで具合が悪くなりそうだぜ」

「はは。あいつは根っからの軍人だからな。融通がきかないのだろう。リィンといったね。君、すまないが我慢しておくれ」

ウィリアムが迷惑そうな視線を投げて寄こし、その隣に座るケイロスは少し困ったような表情でリィンに視線を向けている。リィンは肩をすくめ、平気です、と告げた。

「今回の視察では、きっと何かが起こる」

ケイロスは夜の闇を焦がす炎を眺めながら、誰にともなく呟いた。

「イリアス族の君をこの視察に同行させよと提案したのは、アルスレイン王子と敵対している第六王子の息がかかったガズナイルだ。必ず何かを仕掛けてくるに違いない。だからこそ、ウォルハンドはあれ程に警戒をしているのだよ。アルスレイン王子は二十一という若さと、あの瞳の事で敵が多い。≪黄金の青い目≫など、何の意味もないものなのにな…」

リィンは緊張しながらケイロスの横顔を見ていた。瞳の奥の金色が、きらきらと輝いている。そうだ、あのアルスレインにはその黄金の輝きがない。ケイロスはリィンに顔を向けて静かに語り出した。

「我が国王カイエリオス陛下は、聡明なお方だ。未来に渡って、賢帝として語り継がれてゆくであろう。君にも分かるはずだ。帝都にイリアス族がいるという報告は当初から聞いていた。それもあのラディスの所にいると言う。陛下は全てご存知だ。その上で黙認している」

ウィリアムはつまらなそうな顔をして、席を立って一番若い軍人の所へ行ってしまった。

「もしこの視察で何かが起こり失敗をするようなら、君は帝都から追放される」

「追放…」

「それだけで済めば良いが…。最悪は責任を問われてラディスが連行され、同行を認めたアルスレイン王子の立場も危うくなるだろう。イリアス族を毛嫌いしている皇族は今でも多いのだよ」

リィンは目眩を起こしそうになった。浅はかだった。正直、そこまで考えていなかった。

「しかし逆にこの視察が成功に終われば、事態は急激に好転する事になる。王子らしい、大胆な作戦だ。
 …ラディスが君を素直に寄こすとは思っていなかったがね。やはりというか、かなり難しい交換条件を私は突きつけられてしまった」

「…え?」

「ケイロス殿。そのような下賤に、内情をお話になられる必要はありません」

ウォルハンドがすぐ背後に立って、恐ろしい形相でリィンを睨みつけている。猛禽類のような鋭い眼光に、背の高い大柄な体躯からは凄まじい殺気が放たれていた。

「ウォルハンド。君の気持ちも分かるが、リィンは既に私たちの仲間だ。これから何が起こるか分からんのだから結束は固い程良いのだよ」

リィンは真っ直ぐにウォルハンドを見上げた。ルキリア皇族を、アルスレイン王子をこよなく愛する彼にとって、リィンは本当に忌むべき存在なのだろう。しかも今回の視察にイリアス族を同行させる事によって危険が倍に増すわけだから、憎しみも増す。

だけど僕だって人間だ。それに話を聞いた以上、どうあっても失敗なんて出来ない。
ラディスの為に、僕の為に、アルスレインの為に。目的は同じであるはずだ。

「僕が憎いのは分かる。でも、この視察を成功させたいのはあんただって同じだろ?」

「…何だと?」

腹の底から響いてくるような低い声で返事をするウォルハンドに対して、しっかりと彼を見据えてリィンは言葉を続ける。こんな事でびびっている場合じゃない。仲間割れをしている場合じゃないんだ。

「どうすれば、あんたは僕を認めてくれるんだ?」

リィンの思いもかけない提案に、周囲の皆が息を飲んだ。
焚き木が、ぱちり、とはぜる音が響いて、ウォルハンドが大きく息を吸い込む音がそれに続く。

「良いだろう。剣を抜け」

「ウォルハンド」

ケイロスが制する。ウォルハンドはリィンを睨みつけたまま、静かに言った。

「ケイロス殿は下がっていてください。この事は私が全て責任を負いますゆえ」

「ひええ。やっぱ化け物って、普通の思考してないんじゃないの?あのウォルハンドに喧嘩売るってか!?」

ウィリアムは言いながら、面白そうに身を乗り出した。
暗闇の荒野で、二人は対峙して剣を引き抜く。火を背にして、ウィリアムとケイロス、軍人たちが固唾を飲んでそれを見守る。

「この私から、一本取って見せろ」

無謀な戦いだ。その体格差からしてリィンに勝ち目がないのは明白である。しかも彼からは並々ならぬ殺気が漂っており、誤ってリィンを刺し殺しでもしかねない勢いだ。四角ばった顔に短く刈り上げた黒髪。鋭い眼光に額からこめかみにかけての古い刀傷が、その恐ろしさを倍加させている。
リィンの背筋に嫌な汗が伝う。

でも、退かない。絶対に。

赤茶の瞳に深紅の炎が揺らぎ始める。『力』を相手に放つのではなく、両手と自らの剣に込める。一撃の質量と、速度を増す為だ。静かに息を吐き出す。

「勝負!」

星の瞬く夜空に高い金属音が響いた。

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